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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第5章 メフィス帝国
222/281

番外編 虎穴に入らずんば ~前編~

 

 そこは薄暗い街だった。

 城壁の様な高い塀の外側からでも、その異様な雰囲気は窺える。


「ここが……」


 ロスト・タウン。

 まともな世界で生きてゆく事の出来なくなった落後者達の最後の楽園。



 そして――初恋の人の故郷。



 カナリア=グリモワール=ミストリアは思わず息を呑んで、その街を見つめていた。


「中に入ったら、決して俺から離れるな」


 戦鬼ドヴァンが命令するようにカナリアに告げる。


「……危険な気配は在る?」

「あぁ、無数にな」


 そう言うドヴァンの声色は真剣そのもの。

 彼の語調に只ならぬ物を感じ取ったカナリアは黙って頷いた。


 戦鬼は背後を振り返り、キサラ、レナスにも厳命する。


「下手な真似はするな。注意深く周囲を警戒しろ」

「「了解」」


 カナリア達は戦いに来た訳ではない。

 今日訪れたのはルノワールとの約束を護る為。

 そしてカナリア自身の目でロスト・タウンという場所を見極める為だ。


 故に少数で訪れた。

 天馬騎士団の3名に加え、この場には、テオ、コノハの両名も同行している。


「テオとコノハもカナリアから離れるなよ」


 まるで戦鬼ドヴァンが、この集団の主のようであった。

 しかし、ここは油断ならない危険な場所だ。

 これまでに最も多くの修羅場を潜り抜けて来た騎士団長の言葉に逆らう者はいなかった。


「では……行きましょうか」


 高い塀を見上げ、カナリアは覚悟を決めて、ロスト・タウンへと足を踏み入れる。




   ☆   ☆   ☆




「……荒れているわね」


 視界に入るのは、まさしく廃墟だった。

 瓦礫の山に崩れた家屋、そして鼻を刺す異臭。

 吹き抜ける風も冷たい。それは何も冬である事だけが原因ではないように感じられた。


「……ひどい」


 カナリアが廃墟の奥に目を向けると、吹き晒しの中、血だらけで倒れ伏す男の姿が在る。

 異臭を放つ、その死体には体中の至る所に暴行を受けた形跡が在った。

 また、痩せ衰え、衰弱死したと思われる皮だけの様な死体まで見受けられる。

 言葉を失うカナリアを横目に戦鬼は言った。


「……」

「この程度の荒れ具合の場所は中央大陸の戦場では珍しくも無いがな」


 恐ろしい話だった。

 呟く戦鬼の言葉に興味を惹かれ、カナリアは尋ねる。


「中央大陸では、それほどに……?」

「全てが戦争状態にあるわけではないがな。中央大陸にはでかい国が二つある。ネルメス共和国とアーバンウット神聖国といってな。その2国が飽きる事も無く戦争をしているのさ」


 あの戦場では常に狂騒が絶えなかった。

 他人事のように彼は言う。


「俺達は皆、その戦争の最前線で育った」


 あそこもこの場所と同じだ。

 人が人らしく生きられぬ土地。

 雰囲気こそ違うが……下手をすれば、ここ以上の地獄だった。


「覚えておけ、カナリア」

「……ぇ?」

「世の中には……こういう場所が無数に存在する」

「……」

「ミストリア王国などという恵まれた国で生まれた人間には理解出来ないかもしれないが……」

「いえ……」


 ドヴァンの言葉に首を振った。

 昔、ルークが自分に話してくれた。それをカナリアは覚えている。

 あの人が無闇矢鱈と嘘を吐くとは思えない。


「まだ完全ではないでしょうけれど……理解しています、理解せねば……ならないのです」


 もしかしたらゴーシュも、こういった境遇の世界があることを知っていたのかもしれない。

 この現実を目の当たりにし、そして裕福故の欲望に溺れた貴族達を彼は見続けて来たとしたら。


(しかし、私は……ゴーシュ王では無い)


 あの男を否定したのだ。

 自分は自分のやり方でミストリア王国を導いて見せる。


「ちっ」


 突然、キサラが舌打ちを零した。


「どうしたの、キサラ?」

「……視線が気になって」


 不機嫌さを隠そうともせずに赤毛の少女は呟く。


「……視線?」


 キサラの言葉の意味が分からずに首を傾げるカナリア。

 そんな主人の様子を見て、キサラは得心したように頷いた。


「あ、カナリアは気付いていないんだ……まぁ、気付けない方が気が楽だろうけど……」


 ドヴァンは何事もなく、顔色一つ変えずに歩いているが、キサラの横に目を向ければレナスもどこか不機嫌そうだった。


「……見張られている、ということ?」


 小声で囁くとキサラが頷いた。


「どれぐらいの人数?」

「7人」


 淀みなく返答が返される。

 カナリアが両隣のテオとコノハへと視線を向けるも、彼女達ですら容易には気配を掴めていないようだった。

 どうやらこの場で不愉快な気配に敏感に反応しているのは天馬騎士団の3名のみであるらしい。


「ま、大した奴らじゃなさそうだけどね」


 手を軽く上げながらキサラが嘯いた。


「実際に、兄貴が惜しみなく周囲に圧力を掛けてるもんだから、誰も寄って来ないでしょ?」


 確かにその通りだ。

 本当にロスト・タウンの住人が7人も監視しているのであれば、襲いかかって来てもおかしくはないだろう。

 だが誰も近寄ってこようとはしない。


 それは先頭を歩く戦鬼ドヴァンが絶えず振りまいている殺気にも似た気配が原因なのだろう。

 たとえこの街の猛者達であっても、無視出来るレベルではない。

 はっきりと言えば慄いているのだ。

 戦鬼の迫力に対抗できる人間は多くはない。


「……場所はもう少し行った辺りだったか?」

「えぇ、確かその筈です」


 ドヴァンが確認するようにレナスに問うと、天馬騎士団の参謀は即座に答えた。

 カナリア達は一様に緊張していたが、対する天馬騎士団の面々は普段と変わらない様子だ。せいぜいが視線を鬱陶しく思っている程度だろう。


「その角の建物を――」


 レナスが指先を街の奥へと向けたその時、ドヴァンが何かに勘付いたように振り返ろうとした。


 そして。



「――何者だ?」



 どこからともなく聞こえて来た声。

 いつの間にか。

 本当にいつの間にか、その男はカナリア達一行の背後に居た。


「……」


 キサラの顔には驚愕の色が浮かんでいる、無論それはレナスも同様だ。

 何故ならば。


(この男……まさか兄貴にも……?)


 キサラはその男の気配に気付けなかった。

 それはいい。

 いや、よくはないが、それは今の問題では無い。



 問題は――ドヴァンが背後を取られている、という事実だ。



 まさかドヴァンが故意に、このような立ち位置を取られる事を良し、とするか?

 考えにくい。

 すなわち、目の前のこの隻眼の男は、戦鬼ドヴァンにすら、直前まで気配を探られる事無く、接敵していたということだ。


 そして放たれている気配は強力無比。

 物腰は落ち着いておりながらも、洗練された戦士そのもの。

 並の人間では決して持ち得ぬ力の波動が周囲の生命を押しつぶそうとする。


 カナリアもレナスもキサラも痛感していた。


 目の前の男は、ドヴァンと同じく、人の領域を超えてしまった怪物だと。


「随分と煌びやかな面々だな、この場所には相応しくない」

「ほぉ、そうか?」


 男の気配に呑まれ掛けている中、ただ一人平静を保っていたドヴァンが口角を吊り上げつつ答える。


「いや……お前はそうでもないか?」


 挑発するように隻眼の男は、たった一つの瞳でドヴァンを見つめた。


「……くくく」


 戦鬼はまるで獲物を見つけた猛獣の如き眼で目の前の男を睨んでいる。


「おいおい、やめてくれよ、そんな好戦的な目」


 次第に互いの全身から魔力が充溢し、溢れ出そうとしていた。

 ドヴァンの全身からは赤い光が。

 そして隻眼の男からは蒼い光が。


 高まり合う緊張感。

 膨れ上がった強力な魔力が空間を侵食し――。


「ちょ、ちょっとお待ちください!」


 カナリアがその二人の間に割って入った。


「ドヴァン。私達は争いに来たのではありません」


 今にも死闘を始めそうな二人に待ったを掛けたカナリアは、隻眼の男に目を向けると、胸に手を当てて礼をした。


「突然の来訪をお許しください」

「……」

「私の名前はカナリア=グリモワール=ミストリア、と申します」

「……ぁん?」


 それは隻眼の男にとって。

 何か、いつだったか、誰かから聞いた名前だった。


「そいつぁ……あれか。ミストリアの姫様の名前じゃあないか?」

「はい。卑しくも私はミストリア王族の末席に名を連ねております」

「ほぉ……」


 何故ミストリア王国の姫君がこんな場所に?

 俄然興味を惹かれた男は、まじまじとカナリアを見つめた。

 華美な服装に加え、抑え切れぬ品格や気品といった雰囲気がある。

 なるほど、普通ではない。


「……失礼ですが、もしや貴方のお名前はスレッガー、というのではないでしょうか?」


 唐突に告げられた言葉に隻眼の男は目を丸くした。


「あ? 何故俺の名前を知っている?」


 よもや外界の人間が自分の事を知っているとは思わなかったので、多少の驚きを声に乗せてスレッガーは尋ねた。


「あぁ、やはり……」


 しかし対するカナリアは楽しそうに微笑むばかりだった。


「……」

「ルノワール……ルークから貴方の御紹介を受けたのです」

「……なに?」


 ルーク、という名前を出され、スレッガーは口を噤んだ。

 先日ロスト・タウンを去って出て行ってしまった少年。

 彼は今でも元気でやっているのだろうか。

 また、いつか会える日が来るのだろうか。


 あの並々ならぬ才覚を持った少年が去って以降、彼の事に思いを馳せぬ日は無い。

 それは彼に子供達の面倒を任せられたことも関係しているだろう。


「何故ルークが?」

「ロスト・タウンを訪れたのならば。まずは貴方を訪ねろ、と。彼から聞いております」


 彼女は花の様に微笑んだ。


「ふふふっ。ルークから聞いていた通りだったので、すぐに分かりました」

「ったく。あいつは俺の事を何て紹介したんだかな」

「とても褒めていましたよ。ルークは貴方をどこか……尊敬しているようでした」

「……そうかい」


 決して顔に出すような無様こそ晒さないが……ルークに尊敬してもらえる、というのはスレッガーとしても悪くない気分だった。


「で? お前さんは何をしに来たんだ? そっちのでかいのはあんたの護衛かい?」


 未だに油断なくスレッガーの一挙手一投足に目を配る大男を睨みながら、スレッガーは葉巻に火を点けた。


「ええ、そうです。頼りになるでしょう?」

「はっきり言って俺はびびったよ。あんまり心臓に悪いことは止めてくれ」


 軽口を言うようにスレッガーが肩を竦める。


「今日は貴方にお話があって、来たのです」

「ほぉ……?」


 たゆたう紫煙を眺めつつスレッガーは相槌を打った。


「スレッガーさん」

「なんだい?」


 それはこの薄汚れた街にはひどく不釣り合いな美しい笑顔。



「私と手を組みませんか?」



 カナリア=グリモワール=ミストリアは、笑顔の中に、確かな芯の通った強さを見せて微笑んだ。






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