第二十二話 襲撃
昼過ぎの屋敷の門前にて。
「じゃあ行ってくるわね」
メフィルお嬢様の言葉にシリーさんが恭しく低頭した。
その顔には心なしか、不安の色が浮かんでいる。
「ルノワールさん、くれぐれも」
「はい」
シリーさんに僕が頷くと、隣のメフィルお嬢様が颯爽と身を翻した。
「行くわよ、ルノワール」
「畏まりました、お嬢様」
☆ ☆ ☆
対象は屋敷を出てから今に至るまで終始不機嫌な様子だった。
普段よりも歩調が速く、その表情は冷たい。
いつもならばお付きの使用人と談笑しながらの移動であるが、今日に限ってはそれもなかった。
そうして後をつけていると、何やら口論が始まったではないか。
場所は香辛料の類を販売している店舗だった。
ここ何日かは対象だけではなく、あの侍従も監視していたが、一人で出歩く時、彼女は食材の買い出しに出ていることが多い。屋敷の調理担当なのだろうか。
まぁいい。
何やら侍従が提言したらしいが、どうにもお嬢様はそれが気に入らなかったらしい。
使用人が最後に強くお嬢様に申し付けた後に、店の中へと入っていった。
そして対象のお嬢様は――店から離れ、路地裏へと足を運んでいく。
どうやら侍従の態度がよほど気に入らなかったと見受けられる。
人気の無い路地裏へと一人で歩いていく対象の姿を見て。
彼は仲間に合図を送った。
舌なめずりをしながら。
その表情にいやらしい笑みを浮かべて。
☆ ☆ ☆
まさに一瞬。
熟練の手際だった。
「……っ!?」
悲鳴を上げる暇すら無い。
「出せ」
「はい」
路地裏を僅かに進んだ後に、私はあっという間に口元を抑えられ、拘束された。
一瞬の内に馬車へと私は乱暴に投げ入れられる。
無造作に縄で両腕が縛られ、身動きを封じられた。
静かな声音で話す男たちが3人。
馬車を操る御者も含めると敵は4人か。
全員が一様に冷たい雰囲気を放っており、その表情に恐れは微塵も感じられない。
また、その物腰からは隙が見当たらず、彼らがこういった荒事の素人では無い事を窺わせた。
私は必死に抵抗を試みたが、まるで通用しなかった。
魔術を行使しようとしたら、即座に途中でレジストされたのだ。
無詠唱であったのにもかかわらず、発動過程で私の魔術が何であるかを悟られたのだろう。
そしてどうやら私の反抗的な態度が気に入らなかったらしい。
一人の男が私の顎を掴み、静かに怒鳴った。
「てめぇ……次ふざけたことしたらぶっ殺すぞ!」
手には刃物をぶら下げ、その瞳には私のような子供ですら感じられるほどに明確な殺意があった。
「ひっ……!」
みっともなく悲鳴が口から漏れた。
目の前の男たちは以前私を襲ってきた男よりも遥かに熟練の暗殺者を思わせた。
その身からは只者ならぬ雰囲気だけを感じる。
そして。
若い男が私に触れている。
それだけでも私の全身は硬直し、心が締め付けられるような恐怖がせり上がってきた。
それも目の前にいるのは人を殺すことを躊躇わないような、ならず者たち。
「返事はどうした、あぁっ!?」
馬車内に響く怒声。
目の前で怒りの形相で怒鳴る男を前には、ただただ恐怖心がつのる。
私はからくり人形の様にコクコクと首を動かした。
あまりの恐怖に瞳の中に涙が溢れてくる。
(……怖い)
怖い……怖い。
以前の襲撃では突然の事態で頭が追いついていなかったが、今は現状をしっかりと把握している。
見ず知らずの敵意を持った男たち3人が私を拘束している状況。
一歩間違えば殺されてしまうかもしれない。
こんな状況で気丈に振る舞えるほど私は強くなかった。
「はっ! それでいいんだよ」
吐き捨てた男は私の恐怖に歪んだ表情を見て満足そうに微笑んだ。
そして。
「よく見るとお前かなりの上玉だよなぁ?」
「……っ!?」
男の目がいやらしい色を帯び、私の肢体を見る。
先ほどとは別種の恐怖が沸き上がった。
(いや……っ!!)
男の手が迫ってくる。
「なぁ、お前はどんな声で啼くんだ?」
そう言って、男が私の服に手を伸ばそうとしたその時。
私の耳朶を打つ――優しい声が聞こえた。
『御安心下さい、お嬢様』
それはとても温かい声だった。
私の胸元のペンダントが淡く、光っている。
ここ最近毎日聞いていた声。
美しいソプラノに慈愛を載せた声を聞いた時、私の身体の震えが止まった。
そして声が聞こえた次の瞬間――、
「……ぁ」
――男の背後に、艶やかな黒髪を靡かせた私の護衛が現れた。
☆ ☆ ☆
「というわけで」
「つまり私を餌にする、ということですか?」
「まぁぶっちゃけるとねぇ」
ユリシア様とメフィルお嬢様、そしてローゼス夫妻と僕。
僕達はユリシア様の私室にて、明日の作戦について話し合っていた。
「私を監視している人間が2組……」
「ルノワールによるとね。メフィルは何か感じてた?」
「いえ……私は全く」
さて。
3日後には学院の入学式が控えている。
先日よりユリシア様と僕で話し合っていたことを、いよいよ明日実行しようという段になったのだ。
「明日の午後、指定の食品店の裏路地に敵を誘い込む」
作戦内容は至ってシンプルだ。
一緒に居る僕と喧嘩をした挙句、迂闊にも人目の少ない裏路地に足を踏み入れてしまったお嬢様。
そのお嬢様に対し何らかの反応を示すであろう敵勢力を確保する。
「屋敷を出てからはずっと不機嫌な顔してなさい。そうすれば一時的にルノワールと離れるのも自然に見えるし」
「もしも……相手が食いついてこなかったら?」
「その時は強行手段に出るわ。シリーも離れた場所に待機してもらうから……ルノワールには敵を叩いてもらう。まぁ流石に相手も逃げる算段は十分にしてるだろうから、こちらから攻撃を仕掛ける状況だと……ルノワールでも逃がしてしまう可能性が高いけど」
更に言えば。
こちらから攻勢をかけようとして僕が動くと、その際にお嬢様が無防備になってしまう。
敵が単独勢力ならばともかく、少なくとも2つ以上の敵対勢力が存在しているのだから危険だ。
さらに敵は2組存在しているが、2人ではない。
複数の監視の目がある以上は僕が動くことによって敵を逃がし、何らかの被害を被る可能性もある。
以前に襲撃に失敗したこともあり、僕が傍にいる状況では敵もどうやら襲うつもりはないらしいし。
「だから、敵が食いついてくれるといいんだけどねぇ」
敵が食いつけば、救出と共にお嬢様の傍にいながら、敵勢力に僕が接触することが出来る。正当防衛という状況であれば、その後も動きやすい。
後は僕次第、というわけだ。
「……」
一通りの話を聞いてメフィルお嬢様は黙ってしまった。
「……メフィル」
ユリシア様は一際優しい声音で説得するように娘に告げる。
「これは貴女のためでもあるわ。敵は早めに叩いておいたほうがいい」
「それは……わかっています」
しかし彼女の感情が嫌がっているのは分かる。
それはそうだろう。
メフィルお嬢様は一種の男性恐怖症なのだ。
そんな彼女が敵に捕まる。
相手が若い男だったらどうするのか。
それも明確な敵意を持った相手だ。
そのような状況……彼女にとっては恐怖以外のなにものでもないだろう。
「……ルノワール」
そこでユリシア様が僕に目配せをした。
僕は一度頷き、メフィルお嬢様の眼前に立つ。
彼女の瞳を見つめながら僕はそっと小さなペンダントを差し出した。
「……これは?」
突然の僕の行動に目を丸くしながら、メフィルお嬢様は首を傾げた。
「魔法具です」
「魔法具?」
一般的に人が魔力を使ってその場で発動する術式を魔術と呼ぶ。
それとは別に、ユリシア様のように薬という形であったり、何らかのアクセサリや結界を発生させる装置といった『物』に魔法陣を埋め込み、魔力を流したり、鍵となる術式を加えることで効果を発揮するものを魔法具と呼ぶ。
魔法具の能力は様々であるが、何らかの大きな力を持っている場合が多い。
そもそも特別な力を持たないのならば、わざわざ魔法具にする必要などなく、魔術で代用が簡単にできてしまうからだ。
特に太古の昔から伝わっている秘宝の類になると、現在の技術力では復元出来ないほどの魔法陣が組み込まれており、凄まじい威力を発揮するものもある。
「どんな効果があるの?」
「半径約3000メートル圏内であれば、私の持つペンダントと交信することが出来ます」
お嬢様の疑問に僕は答えた。
「交信?」
「はい。簡単に申し上げると会話が出来る、というものです」
メフィルお嬢様はまじまじとペンダントを見つめた。
「会話……そんな魔法具聞いたことないわね」
それだけではない。
「そのペンダントには私の魔力が込められています。よって私のゲートスキルの受信装置にもなります」
僕がそう言うと、メフィルお嬢様、そしてローゼス夫妻の目の色が変わった。
「そう言えば……結局貴女のゲートスキルがどういう能力なのか聞いてなかったわね」
「我々は席を外しましょうか?」
ここでビロウガさんが初めて口を開いた。
ローゼス夫妻は何かを提言する時以外は、基本的に主人の会話に入り込まない。
彼らは僕とは違い、徹底して使用人であった。もちろん良い意味で。
どうやらローゼス夫妻は僕がゲートスキルの内容を話すことに対して配慮してくれているみたいだ。
ユリシア様が僕を横目で一瞥した。
「いえ、構いません。ただしこの場にいる人間以外には他言無用でお願いします」
僕の言葉にローゼス夫妻は同時に頭を下げた。
「畏まりました」
「それで……ルノワールのゲートスキルっていうのは……?」
メフィルお嬢様の疑問に対して、僕は一度頷き即答した。
「私のゲートスキルは――『転移』です」