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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第5章 メフィス帝国
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第百九十六話 祝福されし少女

 

 アトラを除けば、たった二人。

 モネと二人きりになったキースは眠るアトラの表情見下ろしながら従者に告げた。


「アトラのこれはな……『祝福』なんだ」


 既にオルフェウスの秘宝は奪われた。

 敵の気配は微塵も無い。

 重い溜息を吐いたキースは手近にあった段差に腰を下ろした。


「祝福……ですか?」


 主人の言葉の意味がモネには分からなかった。


「君はどこまでの話を知っている?」

「エルサリア奥様が亡くなられた後……元々アトラお嬢様を襲っていた呪いが顕在化した、と」

「……」

「ここ2年ほどの間に無数の人々が、その、アトラお嬢様の周囲で傷付いた、と」

「全て正しい……表向きには、な」

「表向き、ですか?」


 キースは言おうか言うまいか迷っている様子だった。

 しかしやがて彼は意を決したのか。

 アトラの従者の事を信用する気になったのか。


「エルサリアは……私の妻はな。それはそれは凄まじい魔術師だったんだよ」

「そう……聞き及んでおります」


 まさか自慢話を始めた訳ではないだろう。

 キースの言葉に相槌を返した。


「あぁ……戦闘能力がそこまで高かった訳ではないがね……それでも魔術の技量は一線を画していた」

「……」

「魔術の技量を極めし人間達が辿り着ける境地があり、力がある」


 その言葉を聞いて、僅かばかり目を見開いたモネは呟く。


「ゲートスキル……」

「そう、ゲートスキル。エルサリアもその力に目覚めた……死の間際に」

「……ぇ?」

「心残りだったのだろう。無論、私への愛情も在ったかもしれないが……エルサリアは何よりもアトラの事を案じ、未だ幼いアトラを残して、あの世に行くのが恐ろしかった。悲しかった」

「……」


 自分に子がいる訳ではない。

 理解した気になっているだけかもしれない。

 しかしモネには娘を想う気持ちが。

 エルサリアの愛情が分かるような気がした。


「そして彼女は……」


 キースはそれこそ呻く様に言葉を口にする。


「アトラに己の……欠片を残した」

「欠片……?」

「魂、と言ってもいいかもしれない。それがエルサリアのゲートスキルだった」


 一度話してしまったからか、キースの口は先程よりも幾分か滑らかに滑り出す。


「アトラを陰ながら見守る力だ。それはエルサリアがこの世を去った後も続いている」

「それ、って……」


 まさか。


「アトラお嬢様の『呪い』とは……」


 信じられぬ思いのままモネは声を洩らす。



「そうだ……エルサリアのゲートスキル。それがアトラの『呪い』の正体だ」



「……っ!!」


 想像だにしていなかった事実にモネは言葉を失った。


「でも何故不幸が……」

「言っただろう? 『祝福』だ、と」

「祝、福……」

「エルサリアの力は単純明快だ」


 そこで少しだけ優しい表情に戻ったキースは、艶やかな娘の髪を撫でる。


「この子に……アトラに対して向けられる敵意、害意、攻撃。それらに反応し、敵を排除しようとする」

「それ、って」

「あぁ。母親の『愛』というやつだよ」


 それがアトラに……不幸を齎した。

 重たい息を吐き出しながらキースは続ける。


「最初は偶発的なものだった。本当に……偶然だったんだ。たまたまアトラと戯れていた少女の手の平がアトラの顔にぶつけられた」

「まさか……それだけで?」

「あぁ……発動した。そしてその少女は大怪我を負い、以後アトラの元を訪れた事はない」


 子供ながらに……いや、子供であれば尚更ショックは大きかったのではないだろうか。


「……」

「たったそれしきのことで、だ。分かるか? 明確な敵意を向けられれば、それだけでもエルサリアの力は発動する、発動してしまう」


 では……今までにアトラ自身には直接不幸が降りかからなかったのは――。


「アトラを護る為の力なんだ。アトラを害する訳が無い」


 つまりはそういうこと。


「この力の恐ろしい部分は二つある。エルサリアの意志は既に失われてしまっており、こちらから制御が出来ない事。そしてもう一つ。まるで気配を感じさせない事だ。熟練の魔術師であっても、エルサリアの力を察知出来ない。それ故にアトラは余計に気味悪がられる。しかし対処方法は存在しない」

「で、ですが……っ。それならば事実を公表すれば……!」


 アトラに敵意さえ向けなければ、大丈夫ならば。

 モネはそう考えたが、キースは力無く首を振った。


「今の帝国の状況を考慮出来ているか?」

「え?」

「私の様に……こそこそと動き回っている軍部の人間。誰が敵に回ってもおかしくはない、この状況で何故アトラ一人を屋敷に置いておけると思っている?」

「それ、は……」

「無論、エルサリアの祝福があるからだ」

「で、でも……」

「いいか?」


 尚も確認するようにキースは告げる。


「もしも害意を抱かなければ『呪い』は発動しない、と。敵に情報が漏れた場合……どうなると思う?」

「どう……なる、とは?」

「表向きは友好的な態度を示す人間だ。そして心の内ではアトラに害を為そうとしている人間。そういう人間が刺客として差し向けられた時。エルサリアの能力は最悪の事態に発展するまで、発動しない」

「!!」

「分かるか? 確かにアトラは『呪い』の子として腫れ物扱いをされている。しかし『呪い』というあやふやな噂こそが……今の帝国内においてはアトラの命を護ってくれているんだ」


 それは苦労の滲んだ表情だった。

 キースとて、現状を良しとしている訳ではないだろう。

 しかしほんの少しでも。

 たとえ僅かにでも娘の命が助かる可能性が高いのならば。

 彼は迷わずにそちらを選択出来る人間だった。


「……」


 打ちのめされたような顔で俯くモネ。

 そんな彼女を元気づけるようにキースが言った。


「そんな時だ。君が現れた」

「……ぇ?」

「今までのアトラの従者の中でも最も任期が長いと聞いている。そしてアトラの様子を見ていれば、君が真心を込めて……偏見など持たずに娘に接してくれているのは分かる。何よりも……エルサリアの力が発動していない。それは君が本当の意味で……アトラの味方でいてくれている事の証左だ」

「……ぁ」


 その声には。

 疲れ果てた男の紛れも無い感謝が宿っていた。


「しかし、私は……」


 自分はミストリア王国の人間だ。

 そういう負い目がモネにはある。


「あぁ……そうだな。だが君が……アトラの事を想っていなければ、こうはなっていないだろう。君はアトラが嫌いかい?」

「まさか、そのようなことは有り得ません!」


 それだけは。

 それだけは断言出来る。


 モネは力強い瞳でキースを見据えた。


「あぁ……そうだろうな」


 そして従者の言葉が……途方も無い程にキースは嬉しかった。


「この事は他言無用で頼む。もしも、敵に知られれば……」

「はい、必ずや。お約束いたします」

「……ありがとう、モネ」


 その時地下室へと降りて来る人の気配が在った。

 この重厚な威圧感。

 戦鬼ドヴァンに相違あるまい。


「あとは……これからどうするか、だな」


 消え去った秘宝の間を見つめ、キースは呟いた。




   ☆   ☆   ☆



 

 オルフェウスに眠る秘宝。

 それらの話を聞いていた戦鬼は眉根を顰め、一言呟きを洩らす。


「なるほどな」


 秘宝についての情報を知らなかったドヴァンは何故か納得したように頷いた。


「なるほど、とは?」

「セカンドとサードだ」

「……ぇ?」


 戦鬼の言葉の意味が理解出来ずに首を傾げるモネ。

 キースも当惑しているのだろう。その顔には疑問符が浮かんでいる。

 黙っていても仕方が無いのでドヴァンは説明をした。


「レオナルド・チルドレンは互いの事をコードネームで呼び合っていただろう?」

「え、えぇ」

「ファーストを指揮官に据えた、奴らの序列は与えられた数字で決まっているようだった。戦闘中にも感じたが、実際に数字が大きくなるに連れて、能力が劣っていった」


 キースはチルドレンの優劣などファーストが特別、ということ以外には分からなかった。

 しかし話を聞いていたモネは、チルドレンの中にも個体差が在る事に気付いている。

 ドヴァンの話を否定する要素を彼女は持ち合わせていなかった。


「そして先の戦闘の際……俺は戦闘中に一度もセカンドとサードという言葉を耳にしなかった。おかしいだろう? 実際にその序列にあるべき能力を持ったレオナルド・チルドレンも居なかった」

「! まさか……!」


 ようよう話を悟ったモネが大男を見上げた。


「そうだ。本命たる秘宝奪取に奴らは人手を割いた。その担当が恐らくセカンドとサードだ。それ以外にセカンドとサードがあの戦闘に現れなかった理由に説明がつかん」


 実際に秘宝が奪われているという状況。

 そして戦闘中の事を思い返せば、ドヴァンの言葉は、なるほど尤もであった。


「……秘宝の大きさはどの程度なのだ?」


 ドヴァンがキースに尋ねる。

 これほどの威圧感のある大男の問い掛けに対しても、キースは些かも動じることなく答えた。


「この部屋とほとんど同程度の大きさがある」

「かなりでかいな……セカンドとサード、片方が結界に穴を開ける役、片方が秘宝を持ち出す役、か?」


 顎先に手を当て熟考するドヴァン。

 モネは眉根を寄せるキースに聞いた。


「キース様……その、秘宝というのは結局どのようなものなのですか?」


 この段になってまで隠し通していても益が無い。

 渋々ながらキースは口を開いた。


「……砲だ」

「砲……ですか?」

「ああ。普通の砲では無い。巨大な……魔術の大砲だ」

「大砲……」

「魔法具の名は『ネハシム-セラフィム』」


 それこそがオルフェウスに眠りし秘宝。

 彼の言葉をモネはうわ言のように繰り返した。


「……『ネハシム-セラフィム』」

「しかし……使えない」

「……え?」


 モネは訝しげにキースを見上げる。

 しかし対する彼は真面目な表情を崩さなかった。

 目を丸くしたままのモネを見つめ、話を続ける。


「……使えないんだ。『ネハシム-セラフィム』は動かない」

「動か……ない?」

「そうだ」


 キースは荒れ果てた屋敷を見渡しながら呟いた。


「『その力は強力無比にして天下を分かつ光を放つ』」


 それはオルフェウスの屋敷に眠る伝説だ。

 偉大なる『ネハシム-セラフィム』の恐るべき威力を語り継ぐ一説。


「だがな……この魔法具は数百年間もの間、起動していない」

「それは何故?」

「分からないんだ。どうやったら起動させる事が出来るのか、それが分からない」

「え?」

「何か条件があるんだろうな……発動させる為の条件。しかしそれはもう失われてしまった」


 遠い過去の事だ。

 もう随分と古来より、オルフェウスからは『ネハシム-セラフィム』を起動する為の術は失われてしまっている。


 本当に……ただ在るだけなのだ。

 オルフェウスは秘宝を代々受け継いでいる。

 しかしそれだけ。

 キースには起動する事が出来ない。

 故にレオナルドに対するカードにも為りはしない。


 その筈だった。


「で、では……レオナルドに奪われたとしても動かせない?」

「その……筈だ」

「だったら……」


 多少の喜色を顔に浮かべたモネ。

 だがドヴァンは油断ならぬ表情のまま提言する。


「それほどあのレオナルドという男は甘い人間なのか?」


 この場においてまで、楽観視するような言葉を発しようとしたモネを制し、戦鬼は告げた。


「想定すべきだ」

「想……定?」

「『ネハシム-セラフィム』がミストリア王国を襲う、その想定が必要だろう」


 厳かな口調で語るドヴァンに対してモネが口を噤む。

 キースも同様に疲れた様な表情で俯いた。


「君の言う通りかもしれない。最悪の場合を……考慮しなくてはならないだろうな」

  




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