第百九十三話 孤軍奮闘
白光の輝きが世界を彩る。
「……っ!!」
短く切った呼気と共に痩身が瞬いた。
突然の事態であっても、彼女の為すべき事は変わらない。
屋敷に住まう従者として。
そしてレオナルドに敵対する者として。
子供達を……眼前の敵を討ち倒す。
「はぁっ!!」
裂帛の気合、振り抜かれる拳。
それは先のチルドレンの攻撃を遥かに凌駕するだけの速度と威力を誇っていた。
「がっ……はっ!?」
為す術無く、脇腹に一撃を受けた少年。
その小さな体躯は無残にも空を飛んでゆく。
何とか立ち上がったが、『魔砲筒』の攻撃すら軽く耐えて見せた少年の膝が揺れ動き、視点が定まらぬのか、フラフラと覚束ない足取りで執務室を彷徨った。
「ナインス、フォローを。セブンスは俺に補助を。フォースは結界、エイスは戦闘継続が不可能であれば後続支援に回れ」
早口でそう告げたのは指揮官と思しき中央の少年だ。
モネの動作が終わる頃には、レオナルド・チルドレンは事態の深刻さを悟っていた。
その身体に緊張の色が宿る。
一瞬にして臨戦態勢を構築していた。
流石にレオナルドの使徒たる彼らの錬度は並では無い。
敵の力量を測れない程の愚か者では無いのだ。
中央の少年の言葉に周囲は素早く対応した。
一人の少女が屋敷全体を覆うような結界を展開した。
それは外界から内側を守るような結界ではない。
もっと恐ろしい、嫌な気配をモネは感じる。
続けざまに指揮官の少年に向かって放たれる補助魔術と思しきゲートスキル。
「ファーストはこれより戦闘態勢に移行する」
指揮官の少年、彼の眼光が鋭さを帯び、その痩身からはモネであっても圧迫される程の威圧感が放たれた。
すかさず屋敷のメイドの拳が走る。
だがモネが注意を向けた次の瞬間、彼女の拳が突き刺さる頃には、見た事も無い鎧がファーストと名乗った少年の全身を覆っていた。
それは体格に似合わず武骨な鎧だ。
深い緑色に煌めく、怪しい不気味な鎧。
邪悪な気配を纏うおぞましい力の波動。
その危険さは嫌でも分かる。
(やはりこれも……ゲートスキル……!)
態勢を整えられたくないモネは尚も果敢にファーストに襲いかかったが、彼はモネの速度にも対応して見せた。
モネの拳がファーストの鎧に防がれる。
しかし防御されたことには頓着せずに、バネ仕掛けの様に身体を反転。勢いそのままにファーストの顔に向かって裏拳を叩きつけた。
目にも止まらぬ電光石火の一撃。
だが。
瞬時に歪な鎧が膨れ上がり、ファーストの顔を覆い隠す兜を形作った。
モネの拳によって、快音こそ鳴り響くもファーストの防御を崩せない。
(固い……っ!)
「ふんっ!」
無駄のない所作。
モネの拳を受け止めたファーストはカウンター気味にモネの顎先に向けて拳を放つ。
元々レオナルド・チルドレンとは身体能力、膂力に優れた兵士達だ。
それも現在は、ゲートスキルと思しき鎧を身に纏い、更には別のゲートスキルの補助を受けている。
さしものモネであっても。
「ぐぅっ!?」
防御した腕ごとへし折られるのではないか。
それほどの威力。
衝撃を受け止めた左腕に痺れが走り、一瞬とはいえ、モネの表情に苦悶の色が広がった。
続けざまにファーストの蹴り足がモネの下腹部に向かって放たれる。
だが無残にやられる程にモネも甘くは無い。
瞬時結界によって威力を減衰、そして流れるような動作で蹴り足を受け流した。
しかしその威力は破格。
防御は間に合ったが、微かに彼女の身体が宙に浮く。
「モネ……っ!?」
彼女を案ずるアトラの悲鳴が周囲に響き渡る。
(! 不味いかも……!)
しかし本当に恐ろしいのは。
本当に危険なのはモネの状況では無い。
彼女の実力を持ってすれば、この程度の攻撃では討ち倒されはしない。
本当の――問題は。
「! アトラお嬢様っ!?」
「……ぇ?」
茫然とした表情のアトラの眼前。
突如何も無かった筈の空間に剣が出現した。
一本、二本、三本……と次から次へと湧き出る禍々しい剣。
嫌な、危険な気配だ。
背筋を刺すような感覚にモネは顔を顰めざるを得ない。
(この結界の……)
フォースと呼ばれた少女の張り巡らせた結界。
突然出現した剣は、その効力の一つだろう。それは分かる。
しかし敵の攻撃方法にこそ気付くも、ではどうするか。
こうも連続でゲートスキルを行使されては、流石にそう簡単には対処出来ない。
宙を滑る剣の群れ。
「っ!!」
転移。
虎の子の隠し技を披露したモネは、次の瞬間にはアトラの眼前に出現し、アトラとキースの二人を守る為に剣の前に立ちはだかった。
前面に発生させた結界が剣の一撃を防ぎ、主人たちを守る。
「なに!?」
少年の一人が驚きの声を上げるも、ファーストは微塵も動揺を見せる事無く、果断にモネの横合いから鋭く攻め立てた。
モネの結界がファーストの拳の一撃でひび割れ、消えてゆく。
(いつまでも……!)
好きにさせる訳にはいかない。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
相手がレオナルドだと言うのならば。
彼女の主人たちを害すると言うのならば。
手加減する必要も意味も無い。
(ここで敵戦力を潰す……!)
目の前のファーストは明らかに敵チルドレンの中でも別格の存在に思えた。
能力が頭一つ抜けている。
ならばここで叩いておく事には意味が在る。
このような危険な手合いを放置しておいて良い筈が無い。
(行きます……!)
両腕両足の魔石が瞬く。
彼女の全身を覆う光が力強さを増した。
唸りを上げるは『翼賛輪』。
嵐の如き暴風が吹き荒れ、瓦礫と化していた屋敷の一部が彼方へと飛ばされていった。
白光が空間を支配し、顕現せしは女神が如き戦装束。
「なに、これ……」
茫然と従者の姿を見上げるアトラの呟き声が周囲に小さく鳴り響く。
これぞモネの奥義――『武装結界』
七層の結界からなる攻防一体のモネの魔術だ。
その戦女神の姿を目撃しても尚、ファーストは余裕の笑みを顔に浮かべていた。
「……俺と同じ鎧か」
さぁ、それはどうか。
「同じかどうか試してみるといいでしょう」
「いいだろう」
同時に執務室の床を蹴り、身を空に躍らせる。
駆け抜けた先に互いの瞳があり、唸りを上げる拳が赤熱し風を切った。
瞬きをする間に交わされる拳と小手が嘶き、尚一層の輝きが二人の全身を染め上げる。
衝撃と轟音が空気を揺らし、暴風を呼んだ。
「ぐぅっ!?」
「ふ……っ!」
呼気を一つ。
拳同士のぶつかり合いでファーストの顔に驚愕と苦悶の表情が宿る。
押し込まれる形で歪な禍々しい鎧にヒビが入ったのだ。
それが物語る事が純然たる事実。
モネの武装結界によって、ファーストの纏う鎧が僅かに力負けをした。
「ば……馬鹿な!?」
鎧に補助、ゲートスキルの二重掛けだ。
それでも尚、目の前の白銀の鎧には届かない、などと。俄には信じがたい。
「俺は……主から『アーク』の称号を賜っているのだぞ!?」
クールな面差しに、ようやく浮かび上がる激しい感情。
それは驚愕と憤怒だった。
「ちぃっ!?」
目の前の出来事にファーストは僅かに瞳を見開いていたが、彼の肉体は意識を超えて動く。
彼は即座に目標を変更していた。
「! なに、を……!?」
目の前の女をわざわざ真面目に相手取る事はない。
ファースト達は即座にそう判断した。
レオナルド・チルドレンにとって最も重要な事。
それはただ一つ。
父からの目的を遂行することだ。
「消えろ、キース=オルフェウス……!」
モネの横合いを抜け出そうとするファースト、しかしそれを戦女神は許さない。
だが、周囲のチルドレン達もファースト同様に状況を理解し動いていた。
空中には再び無数の剣がフォースの手により顕現し、ナインスは鎖を唸らせ見事な動作でオルフェウス親子へと放つ。僅かに回復したエイスが再度執務室内を駆け抜け、セブンスによる補助がファーストの鎧に更なる力を与えた。
(まずい……っ!)
子供達の標的を悟ったモネは、すぐさまキースとアトラを守る様に立ちはだかり、結界を発生させた。先程よりも迅速に、そして強力な結界だ。
ファーストの拳を武装結界で受けつつ、他のチルドレンの攻撃を結界が防ぐ。
なんとか攻撃を捌き切っているが、このままでは不味い。
「あ……っ!」
その時、アトラの驚きの声と共に彼女の視線の先へとモネも意識を僅かに向けた。
「みんなが……っ」
屋敷の庭ではこの場にいるレオナルド・チルドレン以外の侵入者達に襲われている屋敷の使用人達の姿が在った。
そして最悪な事に……庭先にも別のチルドレンの姿が確認出来る。
「……くっ!!」
彼ら彼女達には、モネは思う所がある。
この屋敷の住人達は皆、アトラの事を厭い、嫌っていた。
別に彼ら彼女達が非道な人間だとは思わない。
けれど誰も幼い主人の味方をしてくれなかった。
冷たい態度を取り続けていた。
(もう……っ!!)
だが、それでも。
恐怖の塊たる敵兵を前にしていても、尚、まるで皆を心配するように、目を伏せ、悲痛な叫び声を上げるアトラの優しさと心も理解出来てしまって。
見捨てて良いのか、と自問をしてしまって。
「っ!! 私から離れないで下さい!」
モネは即座に二人の手を掴むと、その場から転移で逃げ出した。
あのままでは埒が明かない事も事実。
屋敷の使用人達が逃げ惑う庭先に降り立ったモネ。
「皆さん、落ち着いて下さい! どうか冷静になって、私の傍に!」
無理な頼みである事は分かっていたが、それでもモネは声を張り上げた。
だがやはり、庭先は混乱の最中であり、彼女の声は容易には届かない。
(これじゃ……!)
転移もまともに出来ない。
いや、そもそもこの状況で、これだけの人数を一斉に避難させることなど……!
「っ!? くぅっ!?」
突如来訪したモネの姿を確認したチルドレン達を始めとした敵兵が一斉に襲いかかって来る。
「そいつには構うな! 仕事を優先させろ! チルドレンだけは奴に攻撃を集中! 仕留めるぞ!!」
しかし空からファーストの指示が飛び、同時に敵は再度屋敷の破壊、住人の処理へと向かう。
容赦の無い暴力が力無き人々を狙い、惨劇が繰り広げられようとしている。
「やめて……っ!!」
声を張り上げ、モネは無数の結界を発生させた。
かつてリヴァイアサンの攻撃を捌いた時と同じように。
屋敷の人々を守る為に、結界を次から次へと生み出し、敵の攻撃を防ぐ。
しかしそれは流石のモネであっても簡単なことではないのだ。
数にしろ、強度にしろ、少なくない負荷が掛かる。
そして当然――無理は隙を生む。
「っ!!」
「しぃっ!!」
鋭い叱声と共にファーストの鋭い突き刺すような右腕が真っ直ぐにモネの喉元に伸びた。
間一髪で武装結界で防ぐも、続けざまに放たれるチルドレン達の攻撃の嵐の前に、武装結界も次第に削り取られてゆき、美しい白銀の鎧が摩耗していく。
(不味い、不味い、このままじゃ……っ!!)
これだけの人々を守りながら、10人近いレオナルド・チルドレンを相手取る。
それは……それは……。
(ど、どう……)
この場を打開する術は何か無いのか?
武装結界・螺旋を身に纏う?
しかしあれを発動したが最後、他の魔術が使えなくなってしまう。
それは屋敷の人々を護る事を放棄する事と同義。
幾人かの人々は確実に命を落とすだろう。
背後に小さく蹲り、恐怖を顔に浮かべ父親に縋りつくアトラの小さな姿。
(くそ……くそ……!!)
悔しい思いが沸き上がる。
現状を……打破できない。
このままでは、あの時と同じように。
メフィルを目の前で奪われたあの屈辱の時と同じように――。
今度は――アトラまでも――。
「わ、わたし、は……!!」
諦めない。
諦めたくない。
この場で自分だけ逃げる?
そんなことが出来る訳が無い。
そんな真似をして、どんな顔をしてメフィルに会えばいい?
罪無き人々が謂われの無い暴力に晒されているのだ。
なんとかして救いたい。
最悪の場合。
せめて……アトラだけでも……!
「私、は……っ!!」
また負けるのか?
またしても。
あのレオナルドの酷薄な笑顔が脳裏に蘇る。
ここはメフィス帝国。
所詮は多勢に無勢だというのか。
奴の組織だった軍勢には……少数の自分達がどれほど、もがいても敵わないのか。
「くくっ! チェックメイトだ!!」
「……っ!?」
集中攻撃の連打が功を奏したのか。
ファーストの必殺の一撃が武装結界に抉り込まれた。
ついに彼の拳がモネの結界を食い破る。
「終わりだ!!」
「私は……っ!!!」
悔しさと無力さが再度モネを襲おうとした。
だがそれでも下を向いたりはしない。
それでも尚も諦めまい、と闘志を瞳に宿したモネ。
彼女が慟哭するように声を上げようとした。
その時。
そんなモネの眼前を――赤い輝きが走り抜けていった。
「がふっ!?」
突如現れた神速の拳。
横面を叩きつけられたファーストの全身が鎧ごと吹き飛んでゆく。
その拳の纏う魔力光は、まるでその男自身の凶暴さを現しているかの如き、鮮血の赤。
「――ぇ?」
モネには。
その力に身に覚えが在った。
ゆっくりと目の前に現れた大男の背中を見つめる。
それはかつて彼女自身を大いに苦しめ、高い壁として立ち塞がった筈の男。
互いに命懸けの死闘を演じた好敵手。
その後の話だけは聞いていたが、王宮での一件を最後に、彼の姿を見ていなかった。
「おいおい、情けない姿だな?」
「……どう、して?」
戦場であるにも関わらず。
情けなくも茫然と呟くモネに対し、男は微かに口角を吊り上げた。
「それでもこの俺を破った戦士か?」
修羅の巷を我が物顔で歩き回る傭兵達ですら恐れる戦場に勝利と暴虐を齎す鬼。
中央大陸にその名轟かせし傭兵団団長。
戦場で畏怖されし、その二つ名は――『戦鬼』
今ここに。
かのファーストを遥かに凌駕する本物の怪物が降り立った。