第百九十二話 迫る魔の手
「あぁ? 消えた、だと?」
突然の報告書の内容に目を通したレオナルドは苛立たしい面持ちで声を上げた。
「はい。武器庫、そして戦時における糧食を準備していた蔵の一つが」
「見張りは何をしていた? そもそも子供達は居なかったのか?」
ここで彼の言う子供、というのは当然レオナルド・チルドレンのことだ。
「はっ! 居た筈です。それも3人」
「……それで? その3人は?」
「行方が知れません。恐らく、ですが……」
「敵の動向はどうした?」
「それも掴む事が出来ず……」
何から何まで弁明。
レオナルドの瞳が細められ、残酷な色が混ざり始める。
「おいおい……言いたい事はそれだけか?」
当然のことながら、報告をしに来た子供に罪は無い。
しかし、では、そのような言い訳をレオナルドは聞いてくれるような男か。
「恐らく、ですが! 敵は紅牙騎士団だと思われます!」
「なに……?」
「国内の反乱分子には目を光らせています。その何れにも行動を起こした様子はございません。また同時に、我々チルドレン3人とその他兵士達を打倒出来るだけの戦力は無いと思われます」
舌鋒鋭くレオナルドは告げる。
「もう一つ……あの国から『厄介な奴ら』が来ていると聞いているが?」
「は! 事件当時、彼らがその場に居なかった事は確認しております!」
「ふん、そうか」
報告書を投げ捨て、レオナルドは独白した。
(子供達は3人、か……そして相手はあのマリンダ=サザーランド)
『アーク』は現場に居なかったらしい。
となると、恐らく戦闘の趨勢は一方的であった事だろう。
あの紅の魔女の目的は果たしてこちらの拠点を潰す事だけか。
「……捕えられた、か?」
彼は周囲など一顧だにせずに思考の殻に篭る。
レオナルド・チルドレン。
(まぁ……正体に勘付かれるのも時間の問題か)
実際に対峙したからこそ分かる。
(マリンダ=サザーランドとその一派……)
厄介極まりない連中だ。
ユリシアを強奪したあの戦闘ではキャサリンも、あのジョナサンでさえ、しばらくは休養を必要とするだけの損害を被った。
あの二人が全力で戦闘をしても尚、殺しきれなかったのだ。
『アーク』こそ居なかったが、レオナルド・チルドレンの中でも作戦遂行に役立つ特別優秀な手駒達を引き連れて行きながらも、結果は5人もの子供達を失う事になった。
(厄介なことだが……)
かといって、ユリシアを殺す、と脅せば止まるか?
(そんなことにはなるまい……)
むしろ火に油を注ぎそうだ。
そして万が一にでも本当にユリシアが命を失うようなことになれば……あの女は止まる事を知らぬ悪鬼と化すだろう。それだけは確信出来る。
ユリシア=ファウグストスはミストリア王国との交渉ではカードとして使える。戦争を優勢に進める、という意味合いでも重要だ。
しかしマリンダのような……あの手の人間に対する絶対的なカードになりはしない。
その点、レオナルドは勘違いをしていなかった。
「まぁ……いい」
レオナルド・チルドレンの正体がばれようとも……別に被害は無い。
現状に変わりはない。
「敵の足取りは掴めるのか?」
そもそも巧妙に偽装を重ねていた一画。
そこを潰された、というのが解せない話ではあるが……。
「なんとか全力を上げて……」
「必要なのは過程でも意志でもない。結果だ」
「はっ!」
「行け」
「失礼します!」
去ってゆくチルドレンの背中を見送り、レオナルドは再び考える。
(ただの戦闘狂……という訳でもないか?)
紅牙騎士団とは、元は隠密活動に優れ、ミストリア王国内に蔓延る悪党共を裁いていたと聞く。
だが実際に対峙した際に、マリンダー=サザーランドはそのような人間にはとても見えなかった。
(とすると……なるほど、他に優秀な手駒が居る訳か)
紅牙騎士団であってもメフィス帝国上層部の秘密を探り切れないように、逆に紅牙騎士団のような組織の秘密というのは、帝国側でも探りきれない。
もどかしい思いがないではないが、それにしたって敵が帝国に侵入しているのであれば、地の利はレオナルドの側にあるのは間違いない。
「さて……」
敵はユリシア、メフィルの奪還、という目的を第一としているのか。
それとも王国対帝国の戦争の行く末にこそ、興味があるのか。
(まぁ、どちらもだろうな)
しかし最悪の場合――捨てるのはファウグストスだろう。
レオナルドはこの点について疑っていなかった。
たかが二人の人間と王国を秤に掛けられる訳も無い。
唯一――この点だけは、彼は間違っていたと言えるだろう。
傲慢な彼ならでは、の思考回路かもしれない。
故に今後も散発的ではあるかもしれないが、帝国軍に対しての嫌がらせの様な攻撃は続くだろうと彼は予想していた。
帝国の国力を削ぐ為に。
「まぁ、いいさ。網を張ろう」
紅牙騎士団にばかり気を取られている訳にもいかない。
他にも為さねばならぬ事が山ほどあるのだ。
「入れ」
続いて入って来た少女に目を向ける。
彼女の手元には、何やら禍々しい箱が在った。
その仰々しい邪気を感じ取り、レオナルドの目が細まる。
そして――それが『何か』に思い当たった。
「! まさか……!」
報告に来た少女と、その箱を見てレオナルドは思わず立ち上がっていた。
「お待たせいたしました、ご主人様」
その言葉を聞いて全てを察したレオナルド。
彼の顔に、狂気と狂乱、そして愉悦の色が広がってゆく。
「くくくっ、これで先に進める、という訳だな?」
それは滅びを齎す福音か。
レオナルドの微笑みが静かに帝国の夜に響いていた。
☆ ☆ ☆
落ちてゆく夕日を見送り、娘との食事を済ませた彼はコートを身に纏い、僅かに昇り始めた月が輝く夜空を見上げる。
(諦める訳にはいかない)
そう一層の決心を固めたキースは、後ろ手に執務室の扉を閉め、廊下を歩き出そうとした。
だが。
「……なんだ?」
キース自身も卓越した技量を有する帝国軍魔術師だ。
何か名状しがたい違和感を感じ取り、彼は屋敷の庭へと視線を投げ掛けた。
「……」
(何か……妙な……)
良からぬ気配を感じ身構えるキース。
彼が咄嗟に胸元に仕舞い込んでいる魔法具に手を掛けた――その時。
闇夜を照らすヴェールが屋敷を包み込む。
「……何事だ!?」
まるで彼の言葉を合図にしたかのように――衝撃が吹き荒れ、屋敷が無残にも破壊され、火の手が上がった。
☆ ☆ ☆
「な……何の音……っ!?」
突然の轟音で目を覚ましたアトラが、恐怖に身を竦ませる。
屋敷が揺れている。
それは分かったが、現状がどうなっているのかが、まるで分からない。
しかしアトラの混乱は長続きしなかった。
何故ならば。
「! モネっ!」
気付けば、いつの間にか大好きな従者の姿が在ったから。
「御無事ですかっ、アトラお嬢様?」
普段と同じ優しい笑顔。
だが今日ばかりは、彼女の瞳にも険しさが混じっている。
「いったい……なにが……?」
モネに抱きつきながら震え声で尋ねるアトラ。
主人の問いに答える事は出来ずに、モネは無言で窓の外に目を向けた。
(よもや、キース様の……)
恐らく彼はレオナルドに反抗的な活動を行っている。
まさかとは思うが……それが敵に悟られてしまった?
(可能性は十分にある……)
そして最大の懸念事項は……。
(オルフェウスに眠るという)
秘宝の存在だ。
「お、お父様は……っ!? お父様は無事に……っ!」
アトラの心配も尤もだ。
幸いにもキースは無事らしい。
漲る魔力の波動がモネに彼が健在であることを告げていた。
「キース様の元へまずは急ぎましょう」
「う、うんっ」
「失礼致します」
アトラの小さな身体を抱き寄せたモネは、全身に魔力を行き渡らせ、即座に駆け出した。
「も、モネ……っ!?」
その余りの速度に驚くアトラ。
しかし今は彼女に構ってあげるだけの余裕がモネにも無かった。
(この、気配……っ!?)
独特の嫌な感じだ。
これは既に何度も感じた事のある、不気味な気配。
「キース様っ!!」
焦燥を顕わに、それでも真っ直ぐに彼女は駆けた。
☆ ☆ ☆
外壁が破壊され、吹き晒しとなったキースの執務室の中。
(レオナルド・チルドレン……っ!)
間違いようが無い。
整っていながらも、無感動な表情、無機質な仕草。
「なぜ……私の屋敷を攻め立てる?」
「……」
慎重に言葉を告げるキース。
彼の全身には既に魔力が充溢しており、その体躯からは覇気が感じられた。
並の魔術師ではありえない。
彼は紅牙騎士団員とも渡り合えるだけの実力を有していた。
だが眼前に並び立つは、帝国に覇を齎さんとする男の使徒だ。
「キース=オルフェウス。裏切りだよ」
「私が帝国を裏切った、と?」
「あぁ、そうだ。キース。貴様自身が誰よりも分かっている筈だ」
「私は帝国に忠誠を誓っている」
嘘偽りの無い本心。
キースの言葉には確固たる意志が在った。
「よくもまぁ平然と」
小馬鹿にする様にレオナルド・チルドレンの中央の少年が言った。
(あの、中心の少年……)
なにやら他の子供達とは少しばかり様子が違った。
どうやら彼こそが此度の襲撃の指揮官のようである。
「嘘では無いさ」
キース=オルフェウスはメフィス帝国を裏切らない。
だがこうなってしまった以上――もはやレオナルドが容赦などしない男だと知っていた。
積年の恨みが積もっているかの如き声色で、言い放ってやる。
「今の帝国の在り方を認める事こそが……!」
そう。
キース=オルフェウスは帝国を愛している。
故に。
「私にとっては、祖国への裏切りだ……っ!!」
言葉は不要。
敵は情けなど掛けてはくれない。
(ならば……っ!)
素早く懐の魔法具を取り出す。
それは筒状の魔法具だった。
手慣れた様子で魔力を込め、数瞬の内には、準備が完了。
「吹き飛べ!!」
高速で目の前に迫り来る一人の少年にしかと魔法具の切っ先を向ける。
少年の拳がキースに突き刺さる直前に筒から迸ったのは一筋の光。
漆黒の闇夜の中にあって、尚黒い閃光が少年の拳と交じり合い――その肉体を遥か彼方へと吹き飛ばした。
キース=オルフェウスとて、帝国軍で鍛え抜かれた精鋭たる内の一人だ。
舐めてもらっては困る。
この魔法具『魔砲筒』があれば、レオナルド・チルドレンであろうとも……っ!
「なにっ!?」
しかし直撃を受けた筈の少年は、ダメージこそ負っているが、致命傷にはほど遠く。
続けざまにキースに向かって放たれる拳の速度は先程の比では無い。
「がっ!」
鼻面に鋭い一撃を受けて怯んだ瞬間――別の少年が手にした鎖が淡く光る。
「キース=オルフェウス」
中央の少年は一歩たりとも動かずに、ゆっくりと右手を上げた。
彼はただ冷徹な眼差しで告げる。
「我らが主の名に従い――貴様を処刑する」
振り下ろされる右手。
それが合図であったかのように、迫り来る拳、そして鎖。
目前に展開される余りにも高速な攻撃にキースが息を呑んだ。
だが。
「キース様っ!!」
駆け付けたのは、この場にそぐわぬ美しいソプラノの声。
最近になって屋敷にやって来た少女は、キースであっても視認出来ぬほどの速度で、少年の拳を受け流し、鎖を打ち払った。
「……モネ……君か?」
「何者だ?」
突然の来訪者に驚いたのはキースだけではない。
レオナルド・チルドレンの側からしても予想外だった。
「見て分かりませんか?」
涙を流しながらキースに抱きつくアトラを横目に、モネは告げる。
それは平時の優しい彼女では無い。
「このお屋敷のメイドですよ」
言葉は短く、そして行動は迅速に。
モネは獣の瞳に、厳然たる意志を乗せて、敵部隊の討伐を開始した。