第二十一話 忍び寄る影
「いやいや……正直過ぎますよ」
僕が窘めると、彼女はまるで子供のように頬をふくらませて抗議した。
「いいじゃな~い。わたしが愚痴を言える相手なんて、なっかなかいないんだからね!」
ぷんすかと怒るユリシア様は地団太を踏む様な仕草をしながら腕を振っている。
なんというか……非常に子供っぽい。
「たまには労ってほしいわ!」
「えぇ~……」
う、うぅ~ん。
(まぁ……)
確かにユリシア様の言い分も分かる。
彼女は本当は貴族だ政務だ戦争だなんだとかには全く興味がないのだ。
ひたすら研究室にこもって興味のあることだけを追求していきたいだけ。
ただ彼女の立場では、そのようなことは許されない。
大事な故郷を守るためには今行動せねばならないのだ。
(いや)
故郷そのものが大事なわけではないだろう。
ただ傷付いて欲しくない人達が居る。
王国で暮らす仲の良い大切な人々が不幸に陥らないように奔走しているのだ。
そしてユリシア様には事を成すだけの実力と権力の両方が備わっている。
(もしかしたら……)
ストレスでも溜まっているのだろうか。
いや、間違いなく溜まっているだろう。
彼女が僕をいつも弄るのは、そういったストレス的な問題でもあるのかもしれない。
(よし)
僕は畏まり、ユリシア様に対して恭しく低頭した。
ルノワールではなく、ルークとして。
芝居がかった口調で僕は言った。
「……畏まりました。なんなりとお申し付けください、奥様」
少しだけ彼女に付き合おう。
ユリシア様が満足するまで。
友人ではなく使用人として。
「おっ?」
くだらない茶番ではあったが、彼女は興味深そうな表情になった。
まるでユリシア様の執事であるかのように僕が振舞うと、彼女も乗ってくれた。
実に楽しそうに。
「こんな若い執事を侍らせてる未亡人なんて、イケナイ関係みたいね~」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら彼女は言う。
「……そのようなことを仰られるとお嬢様が悲しみますよ」
「じょ、冗談よ、冗談っ」
(そう言えば……)
ユリシア様は笑っているが、僕は少し気になった。
「……再婚のご予定はないのですか?」
「今のところ無いわね~。というか執事にしては少し無遠慮な質問ねぇ?」
「うっ……も、申し訳ありません」
た、確かにそうかも。
僕が狼狽していると、彼女は笑った。
「あははっ。でも男の格好してるとルークは本当の執事に見えるわよ」
「そうですか?」
それは嬉しいな。
なんていうか僕は、今その、メイドをやっているので。
うん、本来ならば執事のはずなんだよね。
「うん。なんていうか……」
じーっと僕を見つめながら小声でユリシア様が言った。
「……男装した執事、みたいな?」
「へぇ……」
そっか、男装した執事か。
……えっ?
「ちょちょちょっ!? それってどういう――」
男装って何?
あの僕、正真正銘の男なんですけれど!
慌てふためきユリシア様に詰め寄ると彼女は真剣な顔で言った。
「カレーが食べたい」
「唐突だなぁもう!」
前後の文脈がまっったく繋がっていない!
だけど僕の当惑など、どこ吹く風といった様子でユリシア様は再び「カレーが食べたいなぁ」と呟いた。
「はぁ……もういいです」
というかやっぱり僕って男に戻っても女顔なのか……そうか……。
いや知ってたんだけどね。
多少の自覚はあったんですけどね。
「カレー、ですか?」
僕がぼんやりと問い返すと彼女は嬉々とした表情になった。
「そう! この前ルークが作ってくれたやつ」
「この前って……カレーをご馳走したのって1年前くらいですよね」
カレーかぁ。
あれって南方の伝統料理だからなぁ……香辛料を手に入れないと。
現在の厨房にある材料だけではカレーは作れない。
市場に買いにいかなくては。
「そんな前だっけ?」
あはは、と笑うユリシア様。
「うーんと普段はあんまり料理の注文とかしないんだけど。今うちの料理長はルークなんでしょう?」
「そう……なっちゃってますね。というか料理長なんですか?」
屋敷内での僕の料理は大好評だ。
ビロウガさんとシリーさんも絶賛してくれて、いつの間にか僕は屋敷の料理担当になった。
ちなみにこれはメフィルお嬢様の命令でもある。
僕は正式には使用人ではなく、メフィルお嬢様の護衛なので家事関連の業務はこなす必要はない……のだけど、僕自身料理は好きだし、屋敷のみんながとても喜んでくれるので、料理だけは僕の仕事になった。
「なら午後からちょっと市場見てきます。ただ香辛料が手に入らなければ作りようがないので御勘弁下さい」
僕がそう言うと、何故か彼女は笑った。
今度は何やら可笑しそうに。
あれ、今笑う部分あったかな。
「ふふっ。いやなんというか。こんなに早く屋敷に馴染むなんて、と思ってたのよ」
「あぁ……なるほど」
確かに。
気づけば僕は女性だらけの屋敷内で、普通の生活を営んでいる。
しかも毎日が楽しい。
「……メフィルはどう?」
「お嬢様、ですか? 本日は先日買った筆を試す、と仰ってアトリエにこもっておられますが」
「そう。昨日も二人でアトリエに居たわよね?」
「はい。お嬢様から絵のアドバイスを頂いておりました」
「そっか」
彼女は一度頷き、瞳を閉じた。
そしてゆっくりと瞼を開いたユリシア様の表情は引き締まった真剣なものだった。
柔和であっても凄みを感じさせる力強い瞳が僕を見つめる。
先程までのふざけた気配はもはや微塵も感じられなかった。
「……尾行は?」
ユリシア様の気配の変容に合わせ、僕も真面目な口調で答える。
「います。外出の際に視線を感じます」
「一人かしら?」
一瞬黙り、しかしすぐに僕は言った。
「いえ……おそらく二組います」
「おそらく、とは?」
僕は包み隠さず全てを話した。
「一組は4人組だと思います。こちらの4人組に関しては簡単に気配を察知することが出来ました。素人ではないでしょうが、それにしたって熟練というほどの手練ではありません。迎撃は容易かと思います」
ユリシア様が視線で続きを促す。
「……もう一組は?」
「……気配を完全に追いきれません」
歯切れ悪く僕は口にした。
「こちらは隙もなく、極めて手強い相手だと思います。僕が気配を感じると言っているのも確証があるわけではないんです。ただ……勘、と言いますか。本能と言いますか。上手くは言えませんが、多分もう一組、いやもう一人います」
ふむ、とユリシア様は一度腕組をした。
「ルークから見ても手強いと思える相手が少なくとも一人はいる、と」
「仰る通りです」
護衛として雇われた以上情けない話ではあるが、ここで強がってもしょうがない。
真実を受け入れなければ、それに対処することも出来ないのだから。
「……同じ手の者かしら?」
この2組のメフィルお嬢様を狙う尾行者の雇い主が同じか。
「……違うと思います」
「そう思う根拠は?」
「根拠と呼べるほどのものはありません」
僕の情けない言葉に対してもユリシア様は決して笑わなかった。
「それも勘かしら?」
そう、全ては勘だ。根拠がない。
しかし僕にはこの勘が外れているという気がしなかった。
ただ、一つだけそう思う理由があるとすれば。
「手練の刺客の方は常に監視している訳ではないようなのです」
「というと?」
「4人組の方はお嬢様が外出する際には必ず監視しています。しかしもう一人の監視者は精々が3度に1度程度の頻度でしか尾行をしていない、と思います」
完全に気配を追えている訳ではないので、根拠としては弱い。
「そう……まぁルークとマリンダの勘の良さはわたしも知ってるしね……とにもかくにも状況は分かったわ」
「こちらから仕掛けますか?」
尾行者の存在を察知出来ている以上、僕が襲撃者に対して攻勢に出ることも不可能ではない。
「いえ、必要はないわ。ルークでも完全に尻尾を掴めない相手ともなるとかえって危険かもしれない」
もしも4人組の方を捕らえたとして。
その時にもう一人の尾行者がどのような行動に出るかが読めない。
逃がしてしまうかもしれないし、僕がメフィルお嬢様から離れた僅かな隙を狙ってくるかもしれない。
「それに」
「もうじき……ですね」
そう。
数日後には僕とメフィルお嬢様が通うことになっているミストリア王立学院の入学式が控えている。
その名の通り、王族によって作られた国内最高峰の名門学院であり、警備も厳重だ。
もしも監視の目を掻い潜って犯行に及ぶことが出来たとしても、学院内で事件が発生すれば、王族の権威にかけて犯人を追求するだろう。生半可な貴族勢力では、その責任問題から逃れることは出来ない。
つまり学院内で犯行に及べば、敵は余計なリスクを負う羽目になってしまうのだ。
当然スケープゴートによる責任回避を図るだろうが、それにしたって学院内では人目が多すぎる。
学外で事に及べば良いかもしれないが、入学してしまえば同級生と共に帰ることもあるだろうし、これまた何かと人目につく機会が多くなる。メフィルお嬢様を取り巻く状況が読めなくなる。
お嬢様を狙っている者が何者かは分からないが、帝国の動きと同調していると思われる以上、あまり時間はかけたくないだろう。
故に。
メフィルお嬢様を害そうとするならば。
入学前の方が何かと都合がいい。
「そうね、入学式が近くなったら……外出してみて頂戴」
ユリシア様の言葉に僕は黙って頷いた。
「敵は動くと思う。少なくとも練度の低い4人組は確実に焦って行動に移るでしょう。ただでさえメフィルが中々外出しなくなったことで焦れているでしょうし」
ユリシア様は言っている。
娘を餌にして敵勢力を炙り出せ、と。
しかし何も彼女が薄情なわけではない。
むしろ彼女はメフィルお嬢様を深く愛している。
「だからルーク」
静謐な瞳、公爵家当主としての威厳を備えた貴人の風格。
ユリシア=ファウグストスが静かに言った。
「敵を捕獲することはもちろん」
彼女はどこまでも――真っ直ぐに僕を見つめている。
「あの子を、必ず護って」
信頼して下さっている。
ユリシア様は僕にとって最も仲の良い友人だ。
そして彼女は僕が彼女を信頼しているように、僕に全幅の信頼を寄せてくれている。
友としてその期待に応えたいと思った。
この人の役に立ちたいと思った。
(だけど)
それだけではない。
ユリシア様からの期待だけではないのだ。
今は僕にだって個人的に貫き通したい意志がある。
「承知致しました」
例えユリシア様からの命令でなくとも。
僕は彼女を護ってみせる。