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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第5章 メフィス帝国
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第百八十五話 ファウグストス邸の死闘

 

 意気消沈のファウグストス邸。

 そんな彼女達の心模様を表現するかの如く、空は曇天だった。

 今にも雨が降り出しそうな天候の下で、花に水やりをするウェンディの溜息が虚空に消える。


「はぁ……」


 ユリシアとメフィルの誘拐。

 当然ながら最もショックが大きかったのはファウグストス邸の使用人達だ。

 自分達の主であり、友であり、家族。


 既にあれから10日以上経過しているが、現在に至っても容易に受け入れる事など出来はしない。


(あの二人が存在しない屋敷なんて……)


 最初に話を聞いた時には耳を疑い、動揺し、挙句の果てには子供のように喚いてしまったウェンディ。

 しかしあの時は誰もが似た様な心持ちだった。

 受け入れられぬ現実に、ただただ茫然と佇む他無かったのだ。


 特にユリシアに旅行に出掛けてはどうか、と提案したビロウガの悔恨の表情は鮮烈の極みと呼べるほどであった。


 ルノワールも帰って来ていない。

 紅牙騎士団と共にユリシア達を救う為に帝国へと旅立ったのだ。


 本当は自分達も付いて行きたかった。

 自分達こそがユリシアを救いに行きたかった。


 でも。

 それでも誰もが理解していた。

 あのルノワールとマリンダですら後れを取ったのだ。

 自分達では足手まといになるだけではないか、と。


 結局はサザーランド親子の必ず連れて帰る、という約束を信じ、屋敷で過ごすだけの日々が続いている。


「あたし……達は……」


 ぽつり、と。


 弱々しく降り始めた雨粒が花壇に跳ねた。


 ウェンディが疲れた様な表情で空を見上げた――その時。


 パキリッ、と。


 ファウグストス邸を包み込んでいた結界にヒビが入った。


「……ぇ?」


 茫然と空を見上げている間にも見る見るうちに、無理矢理に力を加えられた結界が音を立て始め。


「う……うそ……っ!?」


 やがて跡形も無く崩れ去り、突如としてファウグストス邸の周囲に良からぬ気配が立ち上った。




   ☆   ☆   ☆




 一瞬にして屋敷の四方から流れ込んでくる人影。

 彼らは一様に武具を身に纏っており、当然ながら穏やかな気配は微塵も無い。


 即座にファウグストス邸へと侵入を果たした彼らは使用人達の確保に躍り出ていた。


 幸いにも詰所に詰めていたオウカは傍に居たシリーに手を引かれ、屋敷内に逃げ込んでいる。

 シリーはその時、目の前に迫った4人の男を瞬時に討ちのめしていた。


「シリーさん!? あ、あいつらどうやって……っ!?」


 屋敷に張り巡らされていた結界はマリンダ=サザーランドお手製の特別なものだ。

 ルノワールであっても本当に解除しようと思えば数日単位の時間が掛かると言っていた。

 これほど瞬く間に破られるなど、通常の手段では有り得ない。


「……まだ残っていたのかもしれません」

「え?」

「審判の剣を盗み出した時に使用されたと思われる魔法具です。同じ物を使用された可能性があります」


 ユリシアの調査とゴーシュへの尋問で判明した魔法具。

 果たしてシリーの予測は的を得ていた。

 まさしく彼女の言葉の通り、屋敷の結界を破壊したのは帝国の秘宝『破魔の霊符』だった。


「惜しげも無く使って来るとは……」


 屋敷の主が居ないにも関わらず、恐らく重要な力を持つ魔法具を使用して来た。


 それはすなわち……容赦をするつもりがない、ということだ。


「皆を集めます。一気に敵に雪崩れ込まれては厄介です。主人と合流し――」


 その時――ふとシリーの背後から差し迫る危険な気配。


「っ!」


 耳に残る風切り音。

 シリーは反射的に振り返り、投擲された『何か』を打ち落とした。


(これはクナイですか……珍しい物を……)


 見慣れぬ武具に視線を移す間もあればこそ。

 続けざまに飛んでくるクナイを叩き落としつつ、シリーは叫ぶ。


「私の背後から離れぬように!」

「はっ、はい!」


 突然の事態に混乱するオウカであったが、少なくともシリーの背後に居る限りは大丈夫だろうとは思った。気に掛かるのは他の使用人達だ。

 ビロウガはまず心配いらないだろうが、その他の皆は大丈夫なのか。


 シリーが視線をクナイを投げつけて来た人間へと向ける。

 廊下の端から姿を現したのは、未だに年端もいかぬ年頃だろう少年が一人。


(あれが話に聞く……)


 レオナルド・チルドレン、というやつか。

 なるほど、常人とは異なる不可思議な気配を感じる。


 そして――魔力を身に纏っていない。


 少年はクナイを受け止めたシリーを見つめつつも人形のようなその表情を動かす事は無かった。


(くっ! 他の皆様は……っ!)


 他の家族達の安否を確認したいシリーではあったが、目の前の少年がそれを許してくれる筈も無い。

 一足飛びにシリーまでの距離を詰めた少年の拳が眼前に迫る。




   ☆   ☆   ☆




「くっ! なんだよ、こいつら!?」

「うぇ、ウェンディ大丈夫!?」

「まだ平気。それよりエトナはあたしの傍から離れないでね!」


 この屋敷ではローゼス夫妻に次ぐ戦闘能力を持った使用人がウェンディだ。

 また、以前のメフィル襲撃事件以降はシリーやルノワール相手に戦闘訓練も行っていた。

 あの時のような無様を晒さない為に。

 次はきっと大切な家族を守れるように。


 それらが功を奏したのか、彼女の実力は十分に侵入者達に通用していた。

 この程度の相手ばかりならばウェンディでも対処可能だ。

 しかし一線を超えた戦士が一人でも居れば、たちまち形勢は逆転してしまうだろう。

 屋敷の結界を壊した程の相手であるならば、油断など出来る訳も無い。


「くそっ! あいつら、あたしの花壇を……っ!!」


 乱雑に踏み荒らす男の一人に向かって魔術を放つ。


「ぐぅっ!?」


 背後からまともにウェンディの攻撃を受けた敵兵はあっけなく倒れ伏した。

 視界の端にはウェンディが大事に育てている草花達。

 苛立ちが込み上げるが、今は花壇に構っている場合ではない。


 兵士を倒したウェンディはエトナと共に屋敷の中を駆けて行った。


「みんなと合流しないと!」

「そ、そうだね!」


 他の皆が心配だ。

 それに自分達の安全の事を考えても、いち早くシリーかビロウガのどちらかと合流を図りたい。


 そんな二人が屋敷内を走っていると、未だに幼さを残した少女の悲鳴が聞こえて来る。


「い、いやっ!」


 二人は顔を見合わせ、同時に叫んだ。


「「イリーが……っ!!」」




   ☆   ☆   ☆




 アリーとイリーの自室にて。

 部屋の主が平時とは異なる強い瞳で告げた。


「させないよ」


 ウェンディ達ほど優れている訳ではない。

 それでも護身術の類を全く身に付けていない訳でもない。


「イリーは傷付けさせない」


 己の妹を守る。

 

 突然の事態に戸惑ってはいてもアリーの眼差しに迷いは無い。

 彼女は大切な妹を背後に庇いつつ、腰を落とし屋敷の侵入者を睨みつけていた。

 イリーは怯えた表情で子猫達を両手で抱きしめている。


 対する敵兵は一瞬だけ愉悦の表情を浮かべた。

 直後、一人の男が素早い動作でナイフを片手に迫る。


「ふっ!」


 眼前に水魔術を放つアリー。

 それはただの目くらましだ。

 続けざまに手近にあった机を男達に向かって投げ放ち、イリーを抱え上げると、即座に窓から屋敷の外へと飛び出した。


「お、お姉ちゃん!?」

「行くよ、イリー。飛んで!」


 この場所に居ても袋小路だ。

 アリーは己の力を決して過信していなかった。

 ルノワールはもちろんのこと、ローゼス夫妻にも明らかに劣る上に、ウェンディのようにしっかりとした訓練を積んで来た訳でもない。


 ならば自分の為す事は頼れる家族と合流するまでイリーを守る事。

 その間、敵から逃げる事。

 それこそが最重要課題だ。


「っ!」


 しかし甘かった。

 アリーとイリーが降り立った庭先。

 そこにも見知らぬ5人もの敵の姿。


 一人の男がアリーが動き出すよりも素早く魔術を放つ。


「うっく!?」


 眼前に叩きつけられる突風。

 よろめく二人を狙いすました炎が渦巻き、彼女達を閉じ込めた。


「い、いやっ!」


 思わずイリーが竦み上がり、悲鳴を上げる。

 弱々しく震える少女の様子を見下ろした男達がその口角を吊り上げ、嫌らしく微笑んだ。


「まずは二人」


 誰かがそう口にするのと同時に、二人の男が魔術を完成させる。


(誰か……)


 イリーは心の中で居る筈も無い憧れの人の名を呼んだ。


(ルノワールさんっ)


 しかし彼女が来る訳も無い。

 必死にイリーを抱きしめ、闘志の色を燃やすアリー。


「イリーだけはっ!」


 構わず侵入者達の手の平から雷が迸り、アリーとイリーの二人へと走った。


(助けてっ!!)


 瞳を閉じ、目を伏せるイリー。

 


 突如――強烈な吠え声が鳴り響いた。



「ぐるぉああああああああああああっっ!!!」



(えっ?)


 茫然とした表情でイリーが顔を上げるとそこには白銀の全身を輝かせた巨大な体躯。


「ダイ、ア……?」


 駆け付けたダイアの一角が瞬き、受け止めた雷を吸収し、その力を増幅させて敵に向かって放った。


「なっ! なんでこんなのがっ!?」


 驚き慌てふためく男達に降りかかるは、山の王者の雷撃だ。

 周囲に放たれる強烈な力が庭先を破壊し、直撃を喰らった男達は為す術も無く倒れ伏す。


 そしてダイアはその大きな体躯で、アリーとイリーの二人を守る様に包み込む。

 イリーとアリーに向ける視線は穏やかであり、その表情は優しい。


「ダイア……っ」


 思わずイリーが山狗に抱きついた。


 山狗とはとても聡い生き物だ。

 ダイアは自分に対して優しく接してくれる、屋敷の人達に対する感謝の念を持っている。

 自分を庇護してくれている人々であると知っている。

 彼女達が敵では無い事を知っている。


 そして。



 目の前の小さな少女こそが自分の主人である事を――知っている。



「ぐるぉあああああああああああっ!!」


 敵を威嚇するように再度吠え声を上げる山狗。

 ダイアの咆哮が敵を委縮させ、屋敷の仲間達を呼び寄せた。




   ☆   ☆   ☆




「っ! 全員無事ですか」


 抑え切れぬ安堵の感情を吐き出しつつ、庭先に降り立ったビロウガ。

 しかし気は緩めない。


 背後に迫る二人の少女の実力は本物だ。


「待ちなさい!」


 待てと言われて待つ者はいない。

 見れば庭先には全ての使用人達が揃っている。


 彼が駆け付けると、使用人達から一斉に声が上がった。


「ビロウガさんっ!」


 ビロウガ=ローゼスはユリシア=ファウグストスの右腕とまで呼ばれる、屋敷内でも指折りの実力者だ。

 現在のファウグストス邸では間違いなく最強の男。

 頼れる執事の登場に使用人達の間には微かな安堵の吐息が零れた。


「気を緩めぬように!」


 しかし状況は依然として逼迫している。

 尚も背後に迫る少女二人。

 そしてシリーと相対している少年も恐らく――。


(レオナルドの手先の少年少女……)


 既に交戦しているビロウガは彼らの歪な戦闘能力を理解している。


 トーガを纏っている訳でもないのに、繰り出される拳の強さ、肉体の頑丈さは尋常ならざる強度を持ち、繰り出されるは不可思議な力。


(恐らくはゲートスキル……)


 ビロウガとて長年に渡り戦場に身を置いて来た男だ。

 彼自身ゲートスキルを習得する事はついぞ無かったが、ゲートスキル所持者を相手取った経験はある。


 山狗を中心にシリーとビロウガが他の使用人達を守る様に敵の前に立ちはだかった。

 取り囲む敵兵達から一歩を踏み出したのは4人の少年少女達。

 似た様な顔付き、体格をした少年が2人に少女が2人。

 得体の知れない子供達が、感情の乏しい表情で話し始める。彼らこそが指揮官なのだろう。


「抵抗をしないでもらえると助かります」

「僕達は貴女達を確保しに来ただけですので」

「余計な手間を煩わせる事がなければ」

「丁重に帝国へとお連れしましょう」


 続けて言うレオナルド・チルドレン。

 彼らを見つめつつビロウガは考える。


 さて、果たして本当に彼らの目的は使用人達だけなのか。


(いや……)


 ユリシアの研究成果なども残っているのだ。

 目の前の少年達であれば、時間をかければ研究室への侵入も許してしまうかもしれない。

 それに家族の思い出深い、この場所を好き勝手させる事には抵抗があった。


 だがそもそも勝てるのか?


 数の劣勢に加え、先程対峙した感覚を踏まえてもレオナルド・チルドレンの力は本物だ。

 少年達は自分やシリーと同格に戦えるだけの戦闘能力を有しているだろう。


(守りながら……戦えるか?)


 冷静に思考する。

 一瞬の内に彼我の状況を踏まえたビロウガが出した結論。


 彼は横目で妻に目配せをした。


「活路を切り開きます」

 

 たった一言。

 しかし長年連れ添った人生の伴侶。

 それだけで全てを承知したシリーは微かに頷いた。


「はい」


 発すると同時、シリーとビロウガの全身が紫色に光り輝く。

 トーガ纏いし老年の戦士は、瞳に闘志を滾らせ、瞬時に動き出した。

 シリーは一瞬で取り出した鞭を同心円状に振り抜く。


 唐突な攻撃であったが、レオナルド・チルドレンの少女がその右腕を不気味な網のように変形させ、鞭による攻撃を防いだ。


 その隣では懐から短い棒を取り出したビロウガがその柄を伸ばし、瞬時にその棒はビロウガの背丈ほどまで伸び上がった。

 ビロウガの魔力に呼応し、唸る魔法具が妖しい輝きを放つ。


 銘は『七輪棍』


 ただならぬ力を放つその七輪棍をクルクルと自在に操り、彼は構えを取る。


 直後。


「っ!!」


 カッと目を見開いた老兵は横凪ぎに七輪棍を振り切りった。その軌跡はシリーの鞭同様に防ごうとした少女の防御を貫通し、その肉体を吹き飛ばした。

 ビロウガの魔力の乗った一撃の威力に僅かに目を見開いた少年が咄嗟に迫る。が、それ以上に速く、ビロウガは振り切った姿勢から力を逃さず、流れに逆らわず、支点を左手に持ち替え、少年の脇腹に打ち付ける。


「がっ!?」

「棒術か!」


 それに呼応し、シリーは少年達以外の敵兵を鞭で蹂躙し、敵軍の中に微かな間隙を作り出す。


「お行きなさい!」


 シリーはダイアの首筋を軽く叩き怒鳴った。

 軽やかに鞭を操り、ダイアの背中に無理矢理に使用人全員を乗せる。


「オウカ、ウェンディ。後は頼みますよ」

「そ、そんなっ! シリーさん達は……っ!」


 問答を重ねる暇は無い。

 早口でシリーは告げた。


「やらねばならぬ事があります。危急の際には紅牙騎士団かカナリア姫様を頼りなさい。ダイア走りなさい!」


 侍従長の言葉を理解したのか、雷を身に纏い、即座に山狗は駆け出した。

 敵兵の中を駆け抜けていくダイア。


「させるわけないでしょ」

「それはこちらの台詞です」


 ダイアを追おうとする少年を鞭で打ちつけ、遠距離攻撃を放とうとした少女をビロウガの七輪棍が打ちのめす。


「くそ、邪魔をっ!」


 少女は悪態を吐いたが、知った事では無い。


 レオナルド・チルドレン以外の敵を粉砕しながら走り去って行くダイアの後ろ姿を眺め、ビロウガとシリーはようよう、安堵の溜息を吐いた。


「……やってくれたね」

「本当だよ。これからまた彼女達を探さなくちゃいけなくなった」

「報いは当然、貴方達二人に受けてもらいましょう」

「最悪、確保するのは貴方達二人だけでも構わない」


 そんな少年少女達を相手にビロウガとシリーは真っ向から向かい合った。


「行けますか、シリー」

「愚問です。誰に言っているのですか」

「ふふ、そうですな」


 これ以上の横暴を……許す事は出来ない。



「これ以上――屋敷を荒らされる訳には参りません」



 二人の老戦士と四人の幼い戦士。

 今ここに、ファウグストス邸における死闘が開始された。


 




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