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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第5章 メフィス帝国
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第百八十四話 アトラとお出掛け

 

 オルフェウス家の門前にて。


「あの~……アトラお嬢様?」

「っ!? な、なに!?」

「いえ……非常に言いにくいのですが……どうしてそのような格好を……?」


 アトラ、モネ、そしてナーゼの3人は寒空の下、白い吐息を零しながらセトノアの街に向けて歩き出そうとしていた。


「だ、だって……」


 本日のアトラのコーディネートは子供にしては大人びたデザインの赤いコートに、膝元まで覆ったスカート。

 両足はタイツに包まれており、足首まですっぽりと覆った冬用のムートンブーツは非常に温かそうだ。

 

 そこまではいい。

 何も問題は無い。

 モネの目から見ても、とっても可愛らしい服装だ。


 問題は首から上である。

 彼女には不釣り合いな大きさのニット帽はアトラの眉毛までを覆い隠し、その眦はダークグレーのサングラスに覆われていた。

 はっきり言ってちょっとばかり怪しい。


「どうせ誰かに見られたら嫌なんでしょ」

「……え?」


 ナーゼがぶっきら棒に呟き、その言葉にアトラが肩を震わせた。


 始めは意味が分からずに首を傾げていたが、


「……」


 俯き、悲しげに眦を下げるアトラを見つめ、モネは己の失言を悟っていた。


(そうか……彼女は……)


 セトノアの街にはアトラの事を良く知る人間も多いだろう。

 その人となりだけではなく……彼女にまつわる良からぬ噂も。


 だからアトラは己の正体がばれたくないのだ。

 何か嫌な事を言われたりするかもしれない。

 下手をすれば、嫌がらせを受けたりするかもしれない。

 それがナーゼや……モネにも及ぶかもしれない。

 アトラとはそういう事を考えてしまう少女なのだ。


 モネはゆっくりと膝を折り、アトラと視線の高さを合わせた。

 先程まで楽しそうな表情をしていた彼女が悲しげに目を伏せている。


「ごめんなさい。嫌な思いをさせてしまいましたか?」


 モネもアトラと出会って日が浅い。

 軽率な発言だった。

 まだまだ主人についての理解が足りなかった。


「う、ううんっ。い、いいのよ、別に」


 懸命に笑顔を作り、微笑もうとするアトラ。

 折角の外出の機会だというのに、モネは主人にこんな強がりをさせてしまう己が情けなかった。


 とはいえ気の利いた言葉が出て来ない。

 アトラの気を少しでも紛らわそうとするには、どうしたらよいのだろうか。


「……」 

「……モネ?」


 真っ直ぐにモネを見つめるアトラ。

 アトラの従者は突然笑顔になり、主人の両脇に手を差し込んだ。


 そして。


「よいしょ~っ」


 思い切りアトラを抱き上げ、その場で一回転した。

 くるりと風を切ったモネはそのまま主人を抱きしめる。

 突然の従者の奇行に戸惑いながらアトラは声を上げた。


「わっわっ。も、モネ!?」

「ふふっ。いきなりの失礼をごめんなさいっ」


 寒空の下、春の陽気の如き笑顔で殊更楽しそうに謝罪の言葉を口にする。


「ですが折角お出掛けするんですから……そんな風に緊張したり、悲しい顔をして欲しくないんです」

「……ぇ?」


 これは彼女の本心。

 普段、あまり喜びを表す事の無いアトラに少しでも笑って欲しいのだ。


 別に素顔を隠していても構わない。

 でも、だからといって周囲に気を使ってばかりで居て欲しくない。

 子供らしい快活さを見せて欲しい。


 だから。


 モネはアトラを抱き上げたまま微笑んだ。


「本日は私が付いております。外にお出掛けする時は楽しみましょう。ね?」

「モネ……」


 アゲハの街中で子供をあやす為に、先程のように自分の子供を持ち上げてはしゃいでいた親子を思い出したのだ。

 あの時の親子はどちらも楽しそうだった。

 もちろんモネとアトラはまだ出会ったばかりの主従に過ぎない。

 従者が主人に取る態度ではないかもしれない。


 でも。

 それでも。


 モネの真心は……本物だった。


「……うんっ」


 そして。

 子供は大人が考えている以上に。

 大人の心を感じ取るものだ。


「えへへっ」


 今度こそ本当に嬉しそうに微笑むアトラ。

 サングラスの奥の眦が優しく細められたのをモネは確かに見た。


「ふふ。では行きましょうか」


 それに答えるようにモネが言い、今度こそ二人は歩き出す。

 そんな主従の様子を少し離れた背後から見守っていたナーゼが誰にも聞こえぬような小声で独りごちた。


「なんか……あの子、ちょっとすごいかも」


 ナーゼは興味深そうに新入りメイドの背中を見つめていた。




    ☆   ☆   ☆




「あっ。お嬢様。あちらをご覧ください」


 そう言ってモネが視線を向けたのは、セトノアに存在する唯一のペット専門の動物屋さんだ。

 流石に冬場であるために、動物達は店内にいるようであったが、入口の隙間からは店内の様子を覗く事が出来た。


「あ……鳥さん」


 僅かに頬を上気させるアトラを目を細めて見下ろしつつモネは言った。


「入ってみますか?」

「え? い、いいの? だってモネのお買い物は……」

「ふふっ。私が買うのは食料品ですからね。買うのは最後にした方がいいんです」

「そ、そうなの?」

「はい。そうなんです」

「じゃ、じゃあ……」


 相変わらずの遠慮を覗かせるアトラの背中を軽く押しながら店内へと足を踏み入れる。

 店の中には当たり前だが種々様々な動物が居た。

 犬に猫に兎……そして鳥。


「イラッ、シャイマセ!」

「わっ! しゃ、しゃべった!?」


 目を見開き驚きの声を上げるアトラ。

 彼女の前に、今しがた言葉を発した鳥が小首を傾げていた。


「イラッ、シャイマセ!」


 その鳥は同じ言葉を繰り返す。


「キュウカンチョウですね」

「キュウカンチョウ?」

「人間と同じ言葉を話せるようになる鳥です」

「へぇ~」


 黒い体毛に黄色の嘴。

 くりくりと揺れ動く首元がアトラの事をじっと見つめている。

 黒目はくっきりとしており真ん丸だった。


「可愛い……」


 微笑みながら、キュウカンチョウを眺めるアトラ。

 どうやらモネの御主人様のお気に召したようだった。


「アトラお嬢様は鳥が好きなのですか?」

「う、うん……なんだか可愛くて」


 そう言いながらアトラは指先を鳥籠の先に入れて、ちょろちょろとキュウカンチョウの嘴を撫でていた。

 キュウカンチョウの方も随分と人懐っこく頭をアトラの指先に擦りつけている。


「ナーゼさんは動物は好きですか?」

「動物? うーん、まぁ猫は好きね」


 ナーゼはすぐ傍で蹲っている子猫を見下ろす。

 乳飲み子達が母猫に一生懸命にしがみ付き、乳を吸っていた。


「うん、やっぱり可愛い」


 その時、ナーゼが浮かべていたのはモネが彼女と出会ってから、一番の笑顔だ。

 どうやら猫好きは本当らしい。

 その気持ちはモネにもアトラにもよく分かる。

 一生懸命にもぞもぞと動き回る子猫達は非常に愛らしかった。

 見ているだけで胸がドキドキしてきてしまう。


 その後も犬や猫などを見て回る3人。

 商売っ気のない主人はずっと本を読んでおり、ろくすっぽ3人に目を向ける事は無かった。

 まぁアトラの事情を考えると、こちらに意識を向けないでいてくれる事は好都合だ。


「何か飼いたい動物などいらっしゃいますか?」


 モネは尋ねたが、ひとしきり黙考した後にアトラは首を振った。


「ううん。クルちゃんがいるから」

「あ、そうですか……?」

「うん。あっ。クルちゃんの餌は欲しいかも」

「畏まりました。では私にお任せ下さい」


 結局クルちゃんの餌以外は何も買わずに店を後にする一行。


 再び街中を歩き始めた訳だが、とある店舗の前でふとアトラが足を止めた。


「……」


 黙ったままじっと店内のショーケースを見つめるアトラ。

 彼女の視線の先には可愛らしいテディベアが飾られていた。

 店名は『ペンデローク』。

 雑貨商品とテディベアの専門店のようだ。


「お嬢様?」

「あっ。ごめんなさい」

「いいえ……見て行かれますか?」


 アトラが遠慮する必要など微塵も無い。

 先程は随分と真剣にテディベアを見つめていた。

 気になっているのではないのだろうか。


「う、ううん。いいの」

「ですが……」


 頭を振るアトラをナーゼが黙ったまま見下ろしていた。


「……」

「本当にいいの。行きましょう」

「お、お嬢様がそう仰るのでしたら……」


 モネが引き下がり、アトラは再び歩き出す。

 彼女はもう一度だけ。

 ペンデロークを振りかえり、悲しげに目を伏せた。




   ☆   ☆   ☆




(え……?)


 街中を歩いていると、街角から一人の少女がこちらを見つめている事にモネは気付いた。


(リィル?)


 リィル=ポーターだ。間違いない。

 彼女は指先を微かに動かす。

 それは紅牙騎士団の手信号だった。


『緊急の報告在り』


 それだけを告げると、彼女は再び気配を殺し、姿を消してしまう。

 定時連絡以外でのリィルからの接触。

 何かが在ったのだ。


「……アトラお嬢様」

「? どうかしたの?」

「いえ。もうお昼過ぎですし……どこかで休憩などは如何でしょう?」

「そ、そうね」


 僕の提案にナーゼさんが軽く頷いた。


「いいね。私もお腹空いたわ」


 とはいえ僕はセトノアの街の事については、まだそれほど詳しくない。


「私の好きなお店でもいい?」


 そんな中で言ったのはナーゼさんだった。


「もちろん構いませんが……お嬢様はどうですか?」

「あ、い、いいよ」

「じゃあこの先に久しぶりに行きたいお店があるから案内するわ」


 僕としても提案を否定する理由は無い。

 そのお店はすぐ近くだった。

 ナーゼさんに案内された店からは威勢の良い声が聞こえて来る。


「ここ」

「このお店は?」

「生魚を使った料理を出してくれる店。結構珍しいんだよ」


 言いながらナーゼさんは率先して店内に足を踏み入れた。


「な、生のお魚なんて食べられるんですか?」


 アトラお嬢様がおずおずと尋ねる。

 ちなみに心境は僕も似た様な感じだった。


「わ、私も知りたいです」

「食べられるよ。まぁ口に合うかどうかはしらないけど」


 こうしてお店が営業している以上はナーゼさんの言葉は嘘ではないのだろう。

 

 店員さんに案内されるがままに着席する僕達3人。


「ナーゼさんはこのお店には、よくいらっしゃるのですか?」

「たまに、だけど。無性に食べたくなる時があるの。屋敷では出ないし」

「な、生魚の料理、ですか……ちょっと私にはどの料理が美味しいのかが分からないですね」


 メニューを見つめながら困惑していると、僕の言葉にアトラお嬢様も頷いた。


「わ、わたしも……」

「そう。じゃあ私のおすすめにしとく?」


 相変わらずのぶっきら棒な口調でナーゼさんが告げる。

 僕とアトラお嬢様が頷くと、すぐさまナーゼさんは店員さんに料理を注文した。


 すかさず僕が二人に一言断りを入れる。


「すいません。ちょっとお手洗いをお借りしてきますね」


 不安そうな表情で僕を見上げるアトラお嬢様には申し訳なく思いつつ。


「すぐに戻りますから」


 そう言って席を外した。




   ☆   ☆   ☆




 裏口からこっそりと店の外に出ると、当然のようにリィルが待ち構えていた。

 周囲に人の気配がない事を確認しつつ、彼女は言う。


「報告は二つあります」


 彼女は本題から入った。

 無駄口を叩かないのは、僕の事情を加味してくれているからだろう。


「まず一つ。帝国内での協力者と渡りを付けることに成功しました。同時にメフィル様がいると思われる場所についても、いくつかの目処が立ちました」


 紅牙騎士団の調査は確実に進んでいる。

 そちらはやはりディル達に任せておけば問題無いのだろう。


「もう一つは凶報です」


 その時、リィルの顔が暗く沈んだ。

 言い辛そうに下唇を噛み締めている。


「リィル……?」


 不安を滲ませる僕の見つめながら、リィルは言った。



「ファウグストス邸が……敵の襲撃を受けました」





 

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