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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第1章 公爵家の事情
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第二十話 研究室

 

 僕が御屋敷へとやってきてから随分と日数が経過した。

 屋敷の生活は思いのほか楽しく、時間が経つのがとても早く感じられる。

 あれからお嬢様とも何度か出かける機会があった。他にも食事やお茶会の給仕をしたり、と。少しずつではあるけれどメフィルお嬢様付きの従者として彼女との距離も縮まってきた気がする。


 そんなある日。

 僕はユリシア様に呼ばれ、とある部屋、いや扉の前にいた。


 ユリシア様の私室の奥には書庫がある。

 一般的な書庫とは違い、ユリシア様個人の資料が保管されている部屋だ。


 そしてその更に奥。

 書庫の隅には一つの扉があった。

 不思議な紋様で描かれた扉からは、通常では考えられないほどの魔力が感じられる。


「これは……」


 その部屋は強固な結界によって守られていた。

 屋敷に張り巡らされた結界よりも更に複雑怪奇な魔法陣が描かれており、一体どれほどの強度があるのかは容易に測ることが出来ない。

 解除不可能……とまでは言わないが、結界解除のゲートスキルでも有していない限り、尋常な手段では結界を突破するのは相当難しそうだった。


 たった一人。

 この結界を作ったユリシア様本人を除いては。


「……すごい結界ですね」


 素直に僕が称賛の声を上げると、まんざらでも無さそうな顔でユリシア様が微笑んだ。


「ふふん。でしょう? 頑張ったんだからわたし!」


 胸を張って言うユリシア様だったが、彼女はすぐに苦い顔になり、愚痴を零し始めた。


「でも入る度に解除するのは面倒よねぇ。というかルノワールのゲートスキルなら結界を壊さなくても中に入れるでしょう? そうしない?」


 この結界にはユリシア様以外の生物が侵入不可能となる魔法陣が組んである。

 彼女だけならば結界を解除する必要はないけれど、今は僕も部屋へと案内されているため、一度結界を解除する必要があった。

 これだけの結界だと、例え結界を作った本人であっても解除するのは面倒なのだろう。


「まぁ侵入するだけなら出来ますけれど……正当な手段で入らないと罠が発動する仕組みになっているでしょう?」


 僕が結界に触れ、その術式に目を向けながら問いかけると、ユリシア様はあっけらかんと言った。


「あっ、そうだ忘れてたわ」


 どうやら本気で忘れていた様子である。


(えぇ……)


 その場合ひどい目に遭うの僕だったんですけど……。


「い、いやだってこの部屋わたししか基本的に入れないし……念には念を入れて罠を組み込んだけど発動したことないからね~」


 ふんふん、と陽気に鼻歌などを交えながらユリシア様は結界の一部の解除を始めた。

 手馴れた様子で魔法陣に手を滑らせ、時折魔力を込めては魔法陣に手を加えていく。

 というか。


「えっと……私が見ている目の前でやっていいんですか?」


 一応僕は結界魔法陣に関してはちょっとした専門家である。

 一目見ただけでも、どういう手順を踏んでいるのか、どうすれば解除出来るのかがある程度理解出来てしまう。

 そしてこれだけ厳重な結界が張られている以上、ここは間違いなく重要な部屋の筈だ。

 だから、部屋の結界解除法を僕に解析されてもいいのですか? という気持ちで聞いた……のだけど。

 

 彼女は特に気にした様子も無く平然と言った。


「別にいいわよ」


 魔法陣から目を離さない。

 彼女は結界解除作業を続けながらポツポツと言葉を紡ぐ。


「前にも言ったけどね。マリンダと貴女が私を裏切ったとしたら……まぁわたしはそこまでの人間だった、ってことよ。人脈も人望もその人の能力の一部なんだから。わたしが甘かった、と。そういうことよね」


 何気なく言う彼女だけれど。


「……」


(えぇっと……)


 僕たち親子に対する信頼がすごい。

 なんだか恥ずかしくなってしまうほどだ。


 でも。


「そ、そうですか」

 

 でも嬉しかった。

 こんな風に自分のことを信頼してくれている人がいる。

 それはとても幸せなことだと思えたから。


「ん? なによ赤くなって~、照れちゃった? 照れちゃった?」


 ユリシア様が意地悪く、そんなことを言いながらニヤニヤしている。


「なぁっ」


 反射的に赤面してしまい、恥ずかしい事に僕は素っ頓狂な声をあげてしまった。


(油断するとこの人はすぐこれだっ)


「うふふっ! 可愛いわねぇ~」


 うぅ~、ますます頬が熱く……っ!

 もうっ!


「随分と楽しそうでいらっしゃいますねっ」


 拗ねたように僕が言うと、ユリシア様は余計に楽しそうに微笑んだ。


「そりゃ楽しいわよ~。最近はメフィルもからかいにくくなってきたしねぇ。昔はもっといじりがいのある子だったんだけどな~」

「ユリシア様に鍛えられたんじゃないですか?」

「おっ。言うわねぇ~」


 そんな会話をしているうちに結界が一部解除された。


「よしっ。これで貴女も入れるわよ」


 厳重な結界によって守られていた扉がゆっくりと開かれていく。


「あっ、では失礼致します」


 僕は初めて足を踏み入れた。


 ミストリア王国が誇る魔法薬学の権威。

 そこは特級魔術師ユリシア=ファウグストスの研究室だった。




   ☆   ☆   ☆




 足を踏み入れてまず思ったことは一つ。


「部屋が汚いです!」


 散らかっている。

 ものすごい散らかっている。

 いやユリシア様の執務室を見ていればある程度の予想は出来たことだけれど、それにしたって散らかりすぎだ!


 さすがに魔法薬のスペシャリストというだけあって、膨大な数の薬の入った瓶があり、その中に何らかの液体やら錠剤やらが入っていた。

 中には途方もないほどの魔力を感じさせる薬品や、禍々しいオーラを放つ紫色の粉薬まで散見される。

 他にも魔法陣の資料であったり、調合品目の比率であったり。

 同じ魔法薬の研究者であったら垂涎ものの逸品揃いだろうが、そういった重要そうな代物であっても、そのへんの机に適当に積み上げられている。


 僕が猛烈に片付けたい衝動に駆られていると、


「勝手に動かさないでね」


 と釘を刺された。


「うぅ……気になります……」

「まぁまぁ。じゃあ早速始めましょうか」


 僕の呟きは無視して、ユリシア様はすぐさま本題に入った。


「男に戻ってくれる? あ、元に戻る前に着替えてね」

「……分かりました」

「あ、別にメイド服のまま男に戻ってもわたしはかまわ――」

「着替えます!」


 全くもう。

 男と女では身長は変化しなかったが、体格は変化する。

 メイド服を着たまま男に戻ったら、本当に色々な意味で気味が悪いこと間違い無しだ。

 そしてユリシア様は笑うだろう。間違いない。


 素早く着替えを済ませた僕は目を瞑り、以前と同じように体内の術式に干渉し、性転換の魔術を解除した。

 肉体が変容していく違和感が全身に襲いかかったが、既に何度も試しているからか、それほどの不快感は生じない。いつの間にか随分と慣れてきている自分がいた。


「……ふぅ」


 僕が元に戻る様子をじっと見つめていたユリシア様が問いかけた。


「うーん、以前よりも戻りにくかった、とか他の違和感とかなかった?」

「そう……ですね」


 あっ! 声が男に戻ってる!

 ほんのちょっぴり低くなっただけだけど!


「特には感じませんでした」


 鏡は……おぉっ! 久しぶりに男の身体だ!


(うぅ~ん、なんというか安心するなぁ)


 やっぱり慣れ親しんだ肉体だということだろうか?

 僕が男の身体に戻り、はしゃいでいる間にもユリシア様からいくつかの質問を受けた。

 彼女は真剣な面差しで僕の様子を観察している。


「ふむふむ」


 今日研究室にやってきたのは、性転換魔法薬(名前はまだ無い)の効果検証が目的だった。

 ユリシア様も魔法薬の効果は試したが、彼女は僕ほど長い期間性転換を経験していない。

 ユリシア様はこう見えて(失礼)多忙な方だから、いつまでも男性の姿でいる訳にはいかないのだ。


 僕だって人前で男の姿に戻る訳にはいかない。

 故に隠れる様にして研究室までやって来たのだ。

 それに一度男に戻ってしまったら再び薬を飲むまで女性になることは出来ない。

 

「もしかしたら女性に固定されてしまう、という可能性も無くはなかったんだけど」


 え、何それ聞いてない。


「……怖いこと言わないでください」 

「まぁもしそうなったとしても、元に戻す薬は作ってあげるから大丈夫よ」


 当然のように胸を張るユリシア様。

 でも確かに彼女ならば本当に作ることが出来るのだろう。


「やっぱり魔力がある限りは効果は持続するようね」

「あぁ、それは間違いないと思います」

「ん?」

「微々たるものですけど……自分の中の魔力が性転換術式に使われているのを感じていましたから。体内の術式は問題なく作用していると思います」

「時間経過による術式の変化は?」

「ありません」

「それはよかった。後は……そうね、行動や魔術の行使に支障は?」


 彼女に聞かれ、最近の自分の様子を思い起こす。

 しかし特に何か魔力を使用する上で困ったことはない。


「それも特にありません。というか変換時以外に違和感がなさ過ぎて逆に戸惑ってしまうほどですよ」


 僕の言葉を聞くなり満足気な表情のユリシア様。

 ふふ~ん、さっすがわたしねっ、と言いながら手元の紙に何やらメモをとっていた。


「つまりルークに護衛をお願いする上では特に問題はないわけね」

「そうですね」


 倫理上の問題以外は。

 彼女は「そうだなぁ」と一度頷き、ぼそりと呟いた。


「あとはやっぱ生殖器よねぇ……」

「あはは……」


 やっぱり、そこはどうしても気になるらしい。

 というか僕の、その、股間の辺りを見るのは止めてください、恥ずかしいです。


「でも研究続ける暇は今残念ながら無いのよねぇ~」

「それはさすがに……こちらを優先するわけにはいかないでしょう。危急の用件ではありませんし」


 俄かに緊張しだした周辺国の動向に気を払わなければならないのだ。


 北大陸には2つの国がある。

 東のデロニア、西のゾロアーク。

 デロニアはトッド荒野という広大な荒野を隔ててメフィス帝国領と接していた。

 つまり帝国が侵略が目的で北大陸へと侵攻を開始したのであれば近々デロニアと本格的な戦争に入るだろう。

 現在はまだトッド荒野に軍を動かした段階であり、散発的な戦はあるようだがデロニア本国との正面衝突には至っていない。


 しかし近い将来、本格的な軍事衝突が起きた時。

 その余波がミストリア王国にどのような影響を与えるかは分からないが、安穏としていていい状況ではないことは確かだ。


 ユリシア様は貴族の中では軍事における最大権力者である。

 彼女が多忙なのは必然だ。


 そんなユリシア様が言いました。


「面倒くさいなぁ」

「うわぁ」


 そんなこと言っちゃ駄目でしょう。





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