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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第4章 内乱
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番外編 クッキーを焼きましょう

 

「こ、こう?」

「えーっと……あ、はい。とても綺麗に出来ていると思います。やっぱりお嬢様は手先が器用ですね」


 メフィルの手元の生地を見ながらルノワールは微笑んだ。


「ふぅ。それにしても結構大変ね……こねるだけでも力がいるし」


 少しばかり疲れたのだろう。

 先程までメフィルは、よいしょ、よいしょ、とその白い細腕で懸命に生地をこねていた。


「そうかもしれませんね。でも私、力にはちょっぴり自信があるんですよ」


 ルノワールの言葉にメフィルが「ちょっぴりどころじゃないでしょう」と苦笑する。


「まぁ貴女に掛かれば、ねぇ……」

「あはは。でも私も最初はよく失敗しました」

「へぇ、意外。そうなの?」

「食べられない事は無いんですが……師匠が厳しい方だったもので」

「そうなんだ。師匠って言うと宮廷料理人の?」

「はい。ミリスという名前の師匠です」


 ルノワールは懐かしき王宮時代に思いを馳せるように遠い目をした。


「師匠は本当に料理に対しては真摯に向き合っている方で……妥協を許さない人でした。私が初めて認められたのも、彼に師事してから1年以上経ってからでした」


 ルノワールは知る由もないが、この1年、というのは実は破格の期間であったりする。

 本来であればミリスに認められようと思えば、少なくとも3年以上の研鑽が必要だと言われているのだ。

 そういう意味で考えれば、やはり彼女には才能が在ったのだろう。


「へぇ。一度会ってみたいわね」

「それよりも料理を召し上がると良いかと思います。本当に……素晴らしい腕前ですから」

「ルノワールよりも料理が上手なの?」

「私など足元にも及びません」


 謙遜なしに彼女は言った。

 メフィルは意外に思ったが、ルノワールは本気だった。

 彼女の中では王宮で自分を鍛えてくれた人々は少しだけ特別だ。

 礼儀作法や勉学を教えてくれたパメラ女史、宮廷画家のビルモ、宮廷料理人のミリス、王宮の研究室で共に学んだ宮廷魔術師達。

 彼らに対してルノワールは分け隔てなく、尊敬の念を抱いている。


「貴女がそこまで言うなんて。それはすごいわね」

「ええ。一日でも早く師匠に追い付けるように精進したいと思っております」

「更に美味しくなったら驚いちゃうわね。ふふ、それは楽しみだわ」


 主従二人で談笑していると、横手から救いを求める声が聞こえて来た。


「る、ルノワール、助けてくれ」


 声の主は心底困った顔付きのマルクだった。


「あ、マルクさん。何か困り事でも?」


 マルク=ローバットはその見た目に反して、大体の物事を上手にこなす事が出来る器用な少年である。

 粗野な振舞いからは想像も出来ない程に、気配りも出来るし、そつがない。

 ある意味では不器用な主人に鍛えられた、と言えるかもしれない。

 元々多少怖い印象を与える顔ではあるものの、十分に整った目鼻立ちは、最近になってミストリア王立学院の女生徒達から人気があったりする。


「意外ですね。マルクさんが困るなんて」


 マルクも使用人であり、その為の訓練は受けている。

 ルノワール程ではないが、学院の家庭科料理実習程度で困るとは思っていなかった。


「か、カミィが……」

「あ、カミーラさんでしたか……」


 マルクが困っている時は大抵がカミーラが理由だ。

 家庭科の実習授業は以前の裁縫の時と同じく、別のクラスと合同で行われている。

 その場にはカミーラとマルクの姿も在った。


「でもどうしたんです?」


 今日はクッキーを焼くだけだ。

 生地を作る様な作業は、むしろカミーラの彫刻の人並外れた技量を思えば、造作も無いだろう。


 それか分量か。

 お菓子作りは分量の配分がとても大切なので、素人がアレンジを加えようとすると大抵の場合、失敗する。

 恐らく後者だろうな、とルノワールが思いつつマルクに付いていくと、カミーラの前には何やら珍妙なオブジェが在った。


 頂点部に近付く程に細くなっていく円柱状の物体。

 一言で形容するならば塔だ。

 妖しいギザギザ模様の刻まれた謎の塔がクッキーを焼く為の生地で作られていた。


「あ、あの~、マルクさん?」


 なんでしょうか、これ?


「なんか周りの生徒達に乗せられて、調子に乗って作っちゃったんだよ」


 マルクは額を抑えつつ、苦々しい表情をしていた。


「は、はぁ」

「ほら、あいつ王国コンクールで結果を出しちゃっただろ? あれの事を知っている生徒達から囃し立てられてな」

「……な、なるほど。確かに見事な造詣ではありますね。生地でここまで綺麗に塔を作るのは中々出来る事ではありません。多分私でも無理です」


 でも、これどうやって焼くの?

 家庭科室の設備ではこんな大きなサイズのクッキーなんか焼けない。

 特別な火魔術で上手に調節すれば出来るだろうが、それにしたって生地の厚さが全く均等でない為、美味しく仕上げるのは至難の技だろう。

 というかこれはもうクッキーではない。

 クッキーの生地を使った別の何かだ。


「でも、これを焼こうとすると悲惨な現実が待っていると思います」

「それを俺が言ってもあいつ聞いてくれないんだよ。だからまぁルノワールから言ってくれないか? カミィもメフィル様とルノワールの言う事なら聞くだろ。おい、カミィ!」

「ん?」


 マルクの呼びかけでルノワールに目を向けたカミーラは「してやったり」といった表情で笑った。


「ふふーん、どうよ、これ?」


 ここまで自慢げに塔を見せられるとルノワールとしては、今から伝える内容が内容なだけに心苦しい。


「え、えーと、ですね。カミーラさん?」

「褒めてもいいのよ?」

「あぅ……えと、その」


 ルノワールがやって来た事で、カミーラと同じテーブルでクッキーを作っていた生徒達が俄かに騒ぎ出した。


「る、ルノワールさんだ……」

「近くで見てもこう……オーラがあるよね」


 女子はワイワイとはしゃぎ、男子は急に言葉少なく、ソワソワとした様子で視線を巡らせている。

 自分に向けられている視線を好意と受け取ったルノワールは一度穏やかに微笑んだ。

 するとまた別種の歓声が沸いたが、そちらを気にする事無く彼女はカミーラに視線を注ぐ。


「えーっと……その、カミーラさん」

「なになに?」

「非常に言いにくいのですが……これを一体どのように焼くつもりでしょうか?」

「え?」

「生憎ですが、この家庭科室にある焼き釜には、その、そちらのクッキーは入らないんじゃないかな、と思います」

「それはマルクがなんとかするわよ」

「!? 俺にやらすつもりだったんかい!」


 驚愕の表情をしたマルクを横目に、そこでようやくカミーラが不安げな表情になった。


「……もしかしてこのクッキー……駄目?」


 駄目、というか。

 そもそもそれはクッキーではない。


 しかしそのような事をルノワールが口にする事は無かった。


「いえ。とても独創的で素晴らしい出来栄えだとは思いますが……学院ではちょっぴりレベルが高過ぎたんです」

「そ、そうかな?」

「はい。今度また別の機会にでも作りましょう。今日は学院の家庭科室でも作れそうな普通のサイズのクッキーにしちゃいましょう」

「う……でも、そうすると焼く時間が……」

「私も手伝いますので」


 このままだと焼く時間云々以前の問題だ。

 何故なら、そもそも焼けないのだから。

 ルノワールの背後でマルクが「上手い事宥めるもんだ」と感心していた。


「えっ! えっ! ルノワールさんが手伝ってくれるの!?」

「え、ええと、はい。皆さんが御迷惑でなければ……」

「全然! 全然! ほらここ! こっち空いてるから! ルノワールさんのお話を聞かせてよ!」

「ふふ、わざわざありがとうございます」


 普段はあまり話す事の無いカミーラと同じクラスの学友達と世間話をしながらも、ルノワールの手元は高速で動き回っている。

 指先が霞む程の速度で生地をこねて、美しい真円のクッキーをいくつもいくつも作っているのだ。

 ここまで来ると、学院生達からすれば職人レベルである。


「わっわっ。ルノワールさん早過ぎっ!」

「私、お料理は大好きなんです」

「その容姿で料理得意、って女子としては最高にポイント高いよね」

「うっ……」


 何気ない女子生徒の言葉にルノワールの心の中は少しだけしょんぼりとしたが、なんとかポーカーフェイスを保ち、彼女はやり過ごした。


「はい、出来ました」


 あっという間にルノワールの手によって、謎の塔が解体され、無数のクッキーの生地が出来あがった。


「では、これをマリー先生の所に持って行って焼いてもらいましょう」

「ルノワールさんも一緒においでよ!」

「それは大変嬉しい申し出ですが……申し訳ございません。私はお嬢様の元へと戻らないとなりません」


 やんわりと感じよくルノワールが辞退すると、周囲の生徒達は多少のがっかり感を顔に出したが、同時に納得の表情にもなった。

 ルノワールを誘った生徒は急にルノワールの耳元に口を近付けた。


「ね、ねぇねぇ。あのさ」

「は、はい? なんでしょう?」

「前から聞きたかったんだけど……」


 一度言い淀んだ少女であったが、やがて意を決したかのようにルノワールに尋ねた。


「ふ、二人はその……出来てるの?」

「??? どういう意味でしょうか?」

「だからその、メフィルさんとルノワールさんって付き合っているの?」


 これは最近になって学院でも一部の生徒達の間で、まことしなやかに囁かれている噂であった。


「はっ!? つつっ、わわわ、私とおじょ、お嬢様が……っ!?」


 心底の驚き顔でありながらも、頬を真っ赤に染め上げてルノワールは狼狽した。

 両手をわたわたと振りつつ、目をぐるぐると回していた。


「そそ、そのような! 恐れ多いですよ!」

「そうなの?」

「え、えぇ、もちろんです!」

「でも二人の醸し出す雰囲気が……」


 そして小声でルノワールは付け加えた。


「そ、そもそも私もお嬢様も女性同士ですよっ」


 すると小声で返される。


「でもさ、でもさ。貴族の女子にはそういう子も結構いるよ」

「はぅ、いえ、そうかもしれませんが、おお、お嬢様と私はそのような関係ではありません……」


 尻すぼみになっていく語調に、質問をした女子生徒は楽しそうな表情で笑った。


「慌てちゃってあやしいなぁ~」

「! し、失礼します~っ」


 耐え切れなくなったルノワールはその場を逃げ出し、主人の元へと戻って行った。




   ☆   ☆   ☆




 ルノワールが1組のテーブルに戻り、


「あれ? ルノワール顔が赤いけど何かあったの?」

「い、いいぇえっ! な、何でもないですよ!?」

「???」


 冬場の教室であるにも関わらず、あぁ熱いですね、と言いながら手元を狂わせる従者を不思議そうな顔でメフィルは見つめていた。






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