第百六十七話 白光 vs. 黒光 Ⅴ ~美しい世界~
イゾルデの全身から放たれる暗黒の光。
しかしそれらは決して周囲に振りまかれる事は無い。
マリンダの紅の光が、ユリシアの桜色の光が。
しっかりとイゾルデの攻撃を受け止めていた。
そして。
「イゾルデ……っ!!」
所々千切れたミストリア王立学院の制服にも頓着する事無く、ルノワールがイゾルデに向かって突進してゆく。
さしものイゾルデも先程の黒い巨人を出現させるには骨が折れるのか、再びあの巨人を魔女が顕現させる事は無かった。
白光と黒光が衝突し、鍔迫り合いを演じるかの如き様相で、魔力同士をぶつけあっている。
マリンダの出現のおかげか、ルノワールの瞳には闘志の色が滾っており、四肢には先程まで以上の力が宿っていた。
「ゾフィー……っ。ゾフィー……っ!!」
呻く様に魔女は少女の名を呼ぶ。
この後に及んでもルノワールの心に乱れは無い。
魂は陰る事無く、美しい光に満ちていた。
それがひどく愛しく、尊くて。
尽きる事の無い渇望が魔女の心を蝕んでゆく。
その光でどうか……この心を癒して欲しい。
でも。
「……っ!」
でも。
そんな少女の姿が、こんなにも目の前に居るのに、何故か――。
(どうして……っ!!)
とてもとても――イゾルデには遠くに感じられた。
☆ ☆ ☆
「ゾフィー……?」
違った……のか?
目の前の少女は、少年は――私を救ってくれはしないのか?
全ては独りよがりの妄想だったのか。
勘違いだった?
こんなにも輝いているのに?
こんなにも眩しいのに?
彼女は――私は――。
ロスト・タウンであの薄汚れた少女達をゾフィーが拾った時。
あの時、あの魂まで汚れきった少女達がゾフィーの周囲に蔓延るのが気に入らなくて、私は反発した。
だが――数日後。
少女達の魂が僅かに輝いているのを、私は確かに見た。
そしてそれは何も少女達だけには限らなかった。
あの街で長年生きて来た見知らぬ双子に至ってまで、魂の中に微かな光が満ちていた。
信じられなかった。
これもゾフィーの力か、と。
驚愕を通り越し、私はもはやゾフィーを神聖化するにまで至っていた。
その光を害してしまうのが恐ろしくて、どうしてもずっと近くに居る事は出来ない。
己の黒過ぎる魂がゾフィーの魂を汚してしまう気がした。
それでもなるべく近くにいたくて、何度も足を運んだ。
もしかしたら。
もしかしたら。
(ゾフィー……)
この子の力ならば――。
(私も――)
☆ ☆ ☆
「イゾルデ!」
ルノワールが真っ直ぐにイゾルデを見つめていた。
その真摯な眼差しを魔女もじっと見つめ返す。
「イゾルデは……人間が嫌い!?」
問答をする様な状態では無い。
互いの全身には常人には測る事すら出来ない超常的な力が渦巻いており、衝突を繰り返す白と黒の光の乱舞は世界を染め上げる程の輝きだ。
だがそれでも。
イゾルデは怨嗟の声を洩らす様に叫んで答えた。
「……当たり前じゃない……っ!!」
考えるまでも無い。
人間の醜さは誰よりも知っている。
誰の心にも闇はあり、その醜悪さは筆舌に尽くしがたい。
生まれてからずっと。
イゾルデは人の業を見続けて来たのだ。
「それは人の魂が醜いから?」
「そう、そうよ……っ!」
人の魂は――どうしようもなく醜い。
「イゾルデは人間全員の魂が汚れていると思っている?」
「いいえ、それは違う。貴女だけよ、ゾフィー。貴女だけは光に満ちている」
唸るイゾルデの力強い眼光に晒されながらもルノワールは願うように問いかけた。
「それは……本当に?」
「……ぇ?」
「人の魂はそれほどまでに……誰もが醜い物なの?」
ルノワールにはどうしても信じられなかった。
彼女は知っている。
クラスメイト達の温かな心を。
自分を受けいれてくれた紅牙騎士団員達の懐の広さを。
思いを交わし合い、共に在りたいと願えるだけの友人達を。
「今っ! あそこで私達を見守っている人達の魂は! 本当に醜いのですか!?」
「そんなの見るまでも――」
首を振ろうとしたイゾルデに対して一際強く。
ルノワールは声を張った。
「ちゃんと……見なさい!!」
「っ!!」
ルノワールは知っている。
ロスト・タウンの残酷さを。
あの場所に住まう人間達の非道さを。
もしかしたらイゾルデは本当に醜い魂しか視て来なかったのかもしれない。
あの街で暮らす人達にはそれほどの余裕が無いのかもしれない。
でもそれだけじゃない。
人はそれだけじゃない。
そう、確かに信じられる。
自分が大好きな友人達の心に濁りが無い事など痛い程に分かっている。
でも人間は完璧じゃない。
嫌なことだってあるし、辛いことだってあるし、非道な思いを抱くことだってある。
時には心が黒く曇ることだってあるだろう。
でも人は――。
本当はもっと、きっと――誰もが光を宿している筈だから。
「もう一度だけ……偏見を捨てて、もう一度……私の友人達を視て!!」
そう吠えるルノワールの言葉に、イゾルデの視線が僅かに揺れた。
(何を、馬鹿な……)
そう一笑に付す己が居るのと同時に、どうしても目の前の少女の言葉を無視出来ぬ己も居る。
「……」
微かにイゾルデの『魂』を視るゲートスキルが発動し、その矛先がユリシアやメフィル達学院生に向けられた。
人は醜い。
魂はどこまでも汚れている。
その筈だ。
そう信じて来た。
少女達の魂が緩やかにイゾルデの瞳の上に浮かび上がって来る。
僅かに恐怖心を抱きながらも、ルノワールの無事を願う少女達の心。
その魂の中に小さな灯火のような光が――。
「……ち、違う」
それは今日初めて。
イゾルデが見せた弱気な態度だった。
「あの人達の魂までも! イゾルデには醜く見える!?」
「……」
目を凝らし、イゾルデは再び少女達の魂を覗く。
だが。
「……うそよ、違う、違う違う!!」
ゾフィーとは比べるべくもない。
ゾフィーの輝きに比べれば遥かに劣る光だ。
だが。
でも。
それはイゾルデが信じて来た醜さとは違っていて――。
「違う違う違う違う……違う……っ!!!」
確かに視て来たのだ。
この目で。
人間の醜く、救い難い魂の色を!
人間は誰もが勝手で、欲望に塗れていて、それで……っ!!
「話を聞いて、イゾルデっ!」
「……っ!!」
ルノワールは必死の形相で目の前の魔女に説く。
もしかしたら己の言う言葉など、世界を知らぬ人間の戯言であり、綺麗事に過ぎないのかもしれない。
だが、そうは思ってもルノワールは言わずにはいられなかった。
「人間はイゾルデが思う程に醜くは無いんだ! でも! 私達は弱いからっ。いつも綺麗でなんて居られない!」
「だけど……誰もが本当は美しい魂を持っている! 持っているんだ! この世界はきっと……イゾルデが思っているよりもずっと、もっと……っ!」
苛立たしげに魔女は髪を振り乱し、叫んだ。
「貴女よ、ゾフィー!! 貴女がいるからに過ぎない! あの子達の魂が僅かに輝いているのも! 全ては貴女と一緒に居るから……っ!」
そうだ。
ロスト・タウンでも見た。
全てはゾフィーの力だ。
(そうに決まっている……っ!)
「何を……言っているの?」
聞く耳を持とうとしないイゾルデに問うルノワール。
「貴女が居れば!! 貴女さえ居ればそれでいいの!! だから……っ! お願いだから……っ!!」
「違うよ、イゾルデ……私は何もしていない。イゾルデがもしもお嬢様達の魂を醜いと感じないのなら、それこそが……っ!」
「違う違う……違う……っ!!」
まるで駄々を捏ねる幼女のようにイゾルデは頭を振り続けた。
目まぐるしく脳内では人々の魂が渦巻いている。
今までに見て来た醜い人間達の穢れの痕。
瞼の裏に焼き付いている黒い光がイゾルデの心を蝕んでゆく。
「……ぁぁぁっ」
一際強大な力がイゾルデから溢れ出す。
なんとか拮抗を保っていたルノワールの力が明らかに押され始めた。
「……あの子の……っ」
そして。
「……っ!!」
魔女の脳内に――救いを求める少年の声が響いた。
堪え切れぬ程の頭痛が襲い、両手を頭に宛がい、イゾルデは絶叫した。
「カリメロを奪ったこの世界が……美しい訳が無い……っ!!!!」
爆発にも似た黒き魔力の奔流が白い光を覆い尽くす。
「がっ……!」
武装結界・螺旋を撃ち破った杭の如き、黒腕がルノワールの腹に深々と突き刺さった。
☆ ☆ ☆
「……ぇ」
吐血と共にルノワールの身体がふわりと宙に浮き上がった。
黒腕は確かにルノワールの腹に深く突き刺さっている。
常人から見れば即死の一撃に思えた。
「……ぇ」
まるで時が止まってしまったかのような一瞬の静寂の中。
私は茫然と目の前で倒れてゆくゾフィーの姿を視ている。
(……ぇ?)
違う。
そんなつもりじゃなかった。
ただ、言う事を聞いてくれないから、それで……言う事を聞いてもらう為に……。
――死。
そんな言葉が脳裏を過ぎる。
違う、そんな、殺すつもりなんて微塵も無かった。
何か。
何かの間違いだ。
何故、ゾフィーが血塗れで、私が……私が?
私が――やったのか?
「……うそ、やだ……」
ゾフィーは最後の希望なのだ。
彼女が、彼が居なくなってしまったら……私はどうすればいい?
鼓動は信じられない程に早く、私の頭の中はパニック状態であった。
駄目だ、思考が働かない。
全身を支配するのは底知れぬ恐怖心。
(また……)
またしても。
失ってしまうのか。
やはり私は死神に他ならないのか。
私は――私は――。
「ぁぁぁぁ」
わた、しは……っ!!
「ぁぁぁぁぁっ!!!」
抑え切れぬ衝動が力となって全身から放出されそうになり――。
「大丈夫……っ!!」
しかし私は温かな腕に抱きしめられた。
☆ ☆ ☆
「大丈夫……っ!!」
それは見守る友人や母親に向けての言葉か、それとも黒衣の魔女に向けての言葉か。
己に言い聞かせるように力強い声で叫んでみせた。
血が溢れて止まらない。
意識は今にも手放してしまいそうな程だ。
間違いなく致命傷。
どうして今の僕が笑っているのか。
それが不思議なくらいだった。
「大丈夫、だよ」
最後の力を振り絞って、僕は倒れゆく身体に鞭を打ち、再び暴走しそうになったイゾルデを抱きしめていた。
「大丈夫だから。落ち着いて、イゾルデ」
まるで幼子に言い聞かせるように。
僕は彼女の背中を撫でた。
震えるイゾルデの身体を震える僕の手の平が包んでいる。
(あぁ……痛いなぁ……)
ここまでの怪我を負ったのは、ここ数年経験が無い。
深々と突き刺さっている黒腕は、確実に僕の内臓を破壊しており、出血は止まる事を知らないようだった。
本来ならば、今すぐにでもユリシア様に治療をお願いしなくてはいけないのだろう。
(でも……)
これがきっと……最後のチャンスだから。
今しかない。
今しか――イゾルデに言葉を届ける事が出来ない。
そんな不可思議な確信が僕の中には確かに在った。
だから。
(僕が今までに……)
ロスト・タウンの中で。
ロスト・タウンの外で。
出会った人々、学んだ数々の事を。
イゾルデに伝えよう。
彼女が苦しまなくてもいい様に。
彼女がこれ以上の悲しみを生み出さなくてもいい様に。
「ぞ、ぞふぃ……血が……」
「ははっ、大丈夫だよ」
こう見えても僕は男の子なんだ。
そして今……泣いている女の子が目の前に居る。
ならば。
今こそ強がる時だ。
「それよりも」
僕は心身に力を込めて、イゾルデの耳元で囁いた。
「イゾルデと話したい事があるんだ」