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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第4章 内乱
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第百六十六話 白光 vs. 黒光 Ⅳ ~醜悪な世界~

 

「相変わらず滅茶苦茶な女だな」


 女性にしては低めの声が響き渡る。

 己の事は棚に上げてマリンダは挑発的な声色で言った。

 その声はイゾルデに苛立ちを、ルノワールには懐かしさを呼び起こした。


「マリンダっ!」


 颯爽と降り立った女は長い紅の髪を風に靡かせ、愛する息子(娘?)に軽く視線を向けた。

 その横顔は実に楽しそうである。


「何故お前が生きて……」


 イゾルデがわなわなと肩を震わせながら、マリンダを睨みつけていた。


「なんだ。お前も知らなかったのか?」


 対するマリンダは軽く肩を竦めてみせる。


「なに……?」

「ならば、ゴーシュと同じように、お前にもこの言葉を贈ろう」


 訝しげな表情のイゾルデにマリンダは、それはもう不敵な笑みを浮かべて言った。



「私は不死身なんだ」



 実に楽しそうに、ふざけた事を言うマリンダをイゾルデの鋭い眼光が射抜いていたが、対する紅の女は涼しい顔を崩さなかった。




   ☆   ☆   ☆




「マリンダ=サザーランド……マリンダ=サザーランド……っ」


 イゾルデにとって、眼前の紅の髪の女は、ゾフィーを奪い去って行った到底許せぬ大罪人だ。

 魔女の声は怨嗟に満ちている。


 しかし逆に。

 ルノワールは己の母親の無事に心からの安堵の吐息を洩らしていた。


「……やっぱり無事だったんだね……」


 胸を撫で下ろしつつ、彼女は母に呼びかける。


「ふん。当たり前だろう? なんだ、この私が本当に死んだと思っていたのか?」


 まるで茶化す様な軽口でマリンダはルノワールに言った。


「信じてたけど……相手が相手だから……」


 ルノワールが小さく言うと、マリンダはその頭に右手を乗せて、優しく……は決して無く乱暴に撫でまわした。


「わっわっ!」

「はは。安心しろ。見ての通り、私は五体満足だ」


 その言葉に偽りは無く、マリンダの全身は覇気に満ちていた。

 身に纏う紅の魔力光の力強さはルノワールを上回る程である。

 仲睦まじい二人の様子を憤怒の瞳でイゾルデは睨んでいた。


「よう、イゾルデとやら。この前は世話になったな」


 気軽に声を掛けるマリンダ。


「以前の借りを返したい……ところではあるんだが……」


 彼女は横目で自分の子供の表情を窺った。


「……」


 何か嘆願するような視線をしっかりと感じている。

 言葉は無い。

 言葉を発する事を迷っているようだった。

 しかし彼女には何をルノワールが望んでいるのかが分かった。


「……ふん。まぁ……今回は子供の成長でも見届けようか」


 そう言ってマリンダはふわりと宙空に浮かび上がり、両腕を広げた。

 その手の平からは強烈な紅の光が迸り、空を覆っていた黒い暗黒を振り払ってゆく。

 イゾルデの魔力による影響をマリンダが弾き飛ばしたのだ。

 天空からは太陽の光が再び差し込み、それだけでも、学院の生徒たちの心に安堵の思いが満ちていった。


 突如として晴れやかになるアゲハの街並み。

 その日光の下でルノワール――マリンダの愛すべき子供が微笑んだ。

 それは本当に可憐な笑みでありながらも、頼りがいのある『強さ』に満ちていた。


(少し見ない内に……)


 そんな感傷がマリンダの心中に沸き上がって来る。


 ルノワールがイゾルデと二人で戦いたがっている。


 そんな心の動きがマリンダには手に取るように分かったのだ。

 先程は後れを取ったが、今度こそは、と。


(いや、戦いたがっている、というよりも――)


 無論、先程のように本当のピンチになればマリンダは全てをかなぐり捨てて参戦するが、それでもしばらくは息子の雄姿を見るのも悪くない。


(周囲への影響は私とユリシアが防ごう)


 心の声が聞こえたのか。

 ルノワールは真摯な眼差しでマリンダに一つ、頷きを返した。


「思う存分やってみろ……」


 紅の魔女の呟きは、冬空の風の中へ消えていった。




   ☆   ☆   ☆




 この世は汚い。

 この世は醜い。

 この世は残酷。


 物心付いた時にはそう思っていた。

 自分達を捨てた両親。

 その両親は嬲られ、屍と成り果てこの世を去った。

 だが、それは必然だろう。

 そんな光景はどこにだって転がっていた。

 

 学んだのは強さが無ければ生きる権利が無いという事。

 強くないというのは、死ぬという事。


「……」


 私は誰かを背中におぶっていた。

 それはまだ年端もいかぬ少年だ。

 名前はカリメロという。

 彼はどこにでも居る様なひ弱な少年だった。


 何故だろうか。

 理由は分からないが、その子だけは、この世で唯一醜いとは感じなかった。


 すやすやと眠る表情を眺める。

 穏やかな寝息を聞いているだけで。

 健やかな笑顔を見ているだけで。


 自然と頬は綻び、温かな気持ちになっていた。


 私は生きる意味なんて分からない。

 かといって死にたくはない。

 強くないと私も生き残れないし、カリメロなどはすぐさま死んでしまうだろう。


「私は……生きる」


 いつの頃か、そう決心した事を覚えている。

 

「ねぇ……イゾルデ、これ」


 カリメロは私に向かって一冊の本を差し出した。

 それは古びた絵本だ。

 どこで拾って来たのかは分からないが、それでも中を開けば、私達の知らない物語が綴られていた。


 私はよくカリメロに本を読んで聞かせた。

 とはいえ本はボロボロの装丁の物が一冊あるだけ。

 しかも読めない文字も多くあり、所々本の内容は私の想像によって補われていた。


「じゃあ。このゾフィーは……いつも誰かを助けているの?」

「そうらしいわね」


 それは一人の悪魔の物語、神話であった。

 中性的な少年悪魔が人々の間を奔走し、いろんな人に笑顔を齎してゆく、というありきたりなお話だ。

 その世界では天使達が人々を不当に管理しており、それら圧政から民を護る悪魔のお話。


 悪魔の周りには何故かいつも光が満ちていた。

 不思議と人々を引きつける魅力があった。


 だけどこの世界には生憎と本当の救世主など存在しない。

 本当にゾフィーのような悪魔が実在するならば、私達を助けてくれるはずだから。


 でも、カリメロは何度も何度も私に読み聞かせてくれるように頼んだ。

 今にして思えばカリメロはゾフィーに憧れを抱いていたのだろう。

 彼はその代わりに私に歌を教えてくれた。


 それはカリメロの母親が子守歌代わりにでもしていた歌だったのだろう。

 柔らかな曲調がゆったりと広がってゆく様な歌だった。


 私は成長するに連れ、身の内から溢れんばかりの力が噴き出して来るようになった。

 それは私にこの世界で生きてゆく為の権利を約束してくれた。

 この世は退屈で面白みなど存在しないが、それでも私もカリメロも生きて行きたくて、毎日を過ごしていた。


 だが。


「……カリメロ?」



 世界は変わる――一瞬にして。



 あっという間に。

 何の前触れも無く。

 残酷なまでに。


「カリメロ?」


 カリメロの気配が無い。

 あるのは見知らぬ人間達の気配と腐臭と血臭のみ。


「かり……めろ……?」


 心臓が驚く程の速度で早鐘を打っている。

 自分でも訳が分からないぐらいに頭の中が熱くなり、呼吸が荒くなっていった。

 脳裏を過ぎる嫌な予感はどんどんと強くなる。


 駆けるように根城に戻った私の眼前には、かつてカリメロだった『物』があった。

 腕は無い。

 足も無い。

 壁に無残な姿で張り付けにされているカリメロ。


 想像するのは容易い。

 『遊ばれた』のだ。

 拷問を受けた痕も、涙の痕もくっきりと分かる。


「……ぇ……ぁ」


 ここはそういう場所だ。

 分かっていた筈だ。

 自分だって今までにも人を殺めた事はある。

 それでも自分達だけは違うとタカをくくっていたのか。


「は……ぁ……ぁぁ」


 どうしても目の前の光景が信じられない。

 カリメロが……私が帰って来たというのに、あの元気な笑顔を向けてくれない。

 虚ろな眼差しは苦痛と怨嗟に満ちた表情を彩り、カリメロがどれだけの悲劇を辿ったのかを如実に表していた。


 そしてそれを――楽しげに眺める二人の男。


「獲物がもう一人」


 心底から楽しそうに二人の男は私を見た。

 彼らは未だに幼い私を明らかに見くびっている。

 これからカリメロと同じように私を嬲ろうと企んでいる。


「はぁはぁ……っ!」


 逸る呼吸音は決して収まらず、私の心はどんどんと激しく、得体のしれない不快な色に染め上げられていった。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁあっっ!!!」


 何故?

 何故か?

 それはカリメロが弱かったから。

 目の前の男達の方がカリメロよりも強かったから。



 心の深奥から絶叫する己の声を聞いた。



 それは未知の秘奥の門を開く。

 その瞬間に全身に目まぐるしく、己の力が沁み渡る。



 そして私は――『視た』



 奴らの醜い心を。

 薄汚れた魂を。


「……ぁは」



 どこまでも黒い世界の色を。


「あはっ。あはははぁっ!」


 次の瞬間、私の力は奴らの『魂』を屈服させていた。

 身動き一つ取れずに驚く男共の首を両腕で捩じ切る。

 たちまちにして二人は絶命した。



「あはははっ! あはははっ!!」



 何故か?

 何故か。

 そうか、分かった。

 いや、分かっていた筈だったじゃないか。

 何故カリメロが殺され、目の前の男達は私に殺されたのか?


「あははっはあっ!!」


 答えは簡単だ。


 この世は汚い。

 この世は醜い。

 この世は残酷。


 人間は――救い難い。


 そんな当たり前の事を今更ながら、『この力』で再認識した。


 これが人の魂なのだと確信した。

 己が昔から思っていた事が現実なんだ、と。


 人間の魂とは、それほどまでに汚れていた。

 視るに堪えない程に醜かった。


 そして。


「あはは……なに、これ」


 己の魂に目を向ける。


 そこには、一層黒く、醜く、救い難い魂が在った。


「はは……あはっは」


 黒く汚れた世界の中で。


 こんな世界でも最も醜い存在――それが私だった。




   ☆   ☆   ☆




 その日、私は希望の光を視た。


 突然襲ってきた少年。

 いつものように私は力を行使し、少年の身体を吹き飛ばし、息の根を止めようと思った。


 しかし。


「……ぇ?」


 何故?

 何故だ。

 

「……」


 少年の首筋を握り締めながら、信じられぬ思いで目の前の少年に目を向ける。

 そして魂を視る。



 それはどこまでも澄み渡るような真白の光を放っていた。



「……」


 言葉を失い、茫然と彼を視る。

 未だ幼い少年の容貌は、こんな場所にありながらも、どこか芯の強さを感じさせるようなものだった。


「かり……めろ……?」


 いや違う。

 そんな訳がない。

 あの子はもう居ない。

 あの子はこんな睨む様な眼で私を見ない。


 ならば――この光は。


「ゾフィー?」


 今となっては懐かしい神話を思い出す。

 カリメロと一緒に記憶の隅に押しやった物語が顔を出した。


「何がおかしい?」

「……ぇ?」


 苦しげに呻く少年の言葉に驚く。

 少年を掴んでいない方の手でゆっくりと頬を撫でると、確かに私の顔は微笑んでいるように思えた。

 何かを嬲る時の愉悦とはまた違う……別の――。

 

 そこで私の頭の中に一つの想いが去来した。

 こんな世界で私にすら笑顔を齎す存在。

 こんなにも光に満ちた魂を持っている存在。


 それを私は――ゾフィーしか知らなかった。


「ゾフィー……?」

「え?」


 ゆっくりと手を離すとゾフィーは驚愕の表情で私を見上げた。


「……」


 彼はしばらく訝しげに私を見つめていたが、すぐさま踵を返すとどこかに去って行った。


「……」


 なんだろう。

 この不思議な感覚は。


「ゾフィー……」

 

 私はぼんやりとした表情で去りゆく少年の背を見送った。






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