第百六十四話 白光 vs. 黒光 Ⅱ ~戦闘開始~
母の頼もしい背中に護られ、思わずメフィルの眦から涙が零れそうになった。
「お母様っ!!」
母親の登場に歓喜の表情を浮かべるメフィル。
ユリシアの姿を見て、周囲の生徒達が俄かに沸いている。
公爵家現当主にして、特級魔術師。
その容姿の美しさも相まって、彼女は有名人なのだ。
「あとはお母さんに任せなさい」
力強い声色で彼女はその背筋を伸ばし、両腕を広げた。
桜色の魔力が黒色の魔力に逆らい、周囲に俄に明るい艶やかな光が満ちてゆく。
ミストリア王国の誇る特級魔術師。
王国の護り手にして民の声の代弁者。
ユリシア=ファウグストスが己の子供達を護る為にイゾルデの前に立ちはだかっていた。
☆ ☆ ☆
「お母様……」
再度メフィルが己の母親を見上げた。
安心させる様にユリシアは柔らかく微笑みながらメフィルの頭を撫でている。
「どうかしら? お母さんだってやる時はやるんだから」
小首を傾げつつ力こぶを作るユリシア。
彼女の全身からは有り余るほどの桜色の魔力光が溢れ出している。
一切の出し惜しみをせぬ、全力の力だ。
先程もユリシアは全魔力を一点集中させて、見事イゾルデの攻撃をも防いで見せた。
反動で自身にもダメージは在ったが、戦闘不能に陥る程では無い。
確かに彼女の身に纏っている魔力の力強さはマリンダやルノワールと比較してしまうと多少は見劣りしてしまうかもしれない。
しかし普通の魔術師の基準で考えれば十分すぎる程に規格外であった。
そもそも彼女は純粋な戦闘能力では、あのディル=ポーターよりも上なのだ。
ユリシアに勝てる魔術師など早々いるものでは無い。
近年は主戦場を離れている事が多く、力を解放する機会はほとんどなかったが、ユリシアとてゲートスキル習得までに至り、若かりし頃はマリンダ=サザーランドと二人で並び立ち、無数の修羅場を駆け抜けてきた豪傑なのだ。
今の戦闘モードに入ったユリシアの凛とした佇まいは、まさしく戦士であった。
しかし例えどれだけの戦士としての力量があったとしても。
「安心なさい。ルノワールに加えてわたしが来たからには、もう大丈夫だから」
そう言って娘に微笑む彼女は、紛れも無く『母親』だった。
☆ ☆ ☆
今にも攻勢を掛けようとするイゾルデを制するように。
ユリシアが懐から二つの瓶を取り出した。
瓶の中には液体が満ちており、何やら不気味な光を放っている。
ユリシアが手の中で一瞬にして魔術を構築、その手の平の魔法陣に片方の液体を垂らしこんだ。
するとたちまちの内にルノワールの結界と混ざり合うような桜色の光が周囲に広がってゆき、結界の力を更なる強度を持つものへと強化した。
(これで周囲の影響への補助は出来る)
続いてユリシアは間髪入れずに、もう一つの魔法薬の蓋を開けると、一気にその中身を飲み干した。
「ふっ……ふぅ……」
軽く荒い息を吐いたユリシア。
直後、彼女の全身を纏っている桜色の光が、俄かに力強さを増し、その力の波動がルノワールに匹敵する程にまで膨れ上がった。
「これで……大丈夫ね」
少しばかり辛そうな表情ではあったが、同時にユリシアの声色には安堵が在った。
ユリシア=ファウグストスは並ぶ者無き、魔法薬学の権威だ。
彼女のスキルを持ってすれば、それほど莫大な効果が望める訳ではないが、一時的な強化作用のある魔法薬を作る事も可能。
一つ目の魔法薬は他者の魔術の補強効果。
そして二つ目の魔法薬には己の能力強化の効果が在った。
無論、身体に掛かる負担は大きい。
これらは奥の手の一つであり、普段は衆人環視の場で使う様なものでもない。
だが。
(この状態ならば……)
親友の足を引っ張る事無く、娘達を護る事が出来る。
そんなユリシアの覚悟に後押しされるように。
「はぁぁっ!!」
爆発的な白光の奔流がイゾルデの眼前に吹き上がって来ていた。
それはまるで轟々と燃え盛る炎さながら。
少女の全身から放たれる魔力が無形の圧力となって、周囲を圧倒してゆく。
(後ろはユリシア様に任せればいい)
友を信じ、背中は預ける。
ユリシアが必ず皆を護ってくれる。
後はもう形振り構わずに、己の全力を目の前のイゾルデにぶつければいい。
「ゾフィー……」
真っ向からルノワールの視線を受け止め、イゾルデはただ彼女の名を呼んだ。
自分に従ってくれない、最愛の子。
邪魔立てする気に入らない女共。
荒れ狂う嵐の如く、イゾルデの心の中は激しく渦巻き、揺らいでいた。
己の思い通りに事が運ばぬ現実に、どうしようもないほどの苛立ちが込み上げて来る。
イゾルデの視界を彩っているのは美しく鮮やかな白色の光。
それは透き通るような煌めきを見せる彼女の魂を具現化しているかのようだ。
イゾルデはその輝きに憧れ、その輝きに心が落ち着くと同時に。
その輝きが自分の手元に無い事に、何度目になるかも分からぬ程の、途方も無い寂しさと苦しさを覚えた。
「ゾフィー……ゾフィー……っ!」
「いくよ、イゾルデ」
「ゾフィー……っ!!」
吠え声と共に再び無数の黒腕が出現した。
その猛威はルノワールのみならず、周囲一帯に発せられたが、その影響の余波は、ルノワールの近くに限定されていた。
ユリシアが学院に害が及ぶ事を見事に防いでいる。
ルノワールは親友の力を信用し、己に出来得る最大の力を振り絞った。
もはやこの後に及べば、周囲への影響を考える必要も無い。
ただ全力で、ただ力を練り――相対するだけで良い。
「やぁぁっ!!」
ルノワールは己に襲い来る黒腕と同程度の無数の白い結界を出現させ、黒腕の猛攻を防いだ。
イゾルデの『魂を視る』ゲートスキルの力の一端か、やはりゲートスキル『転移』は使えなかったが、それでも彼女は鍛え上げられた脚力を駆使して、一瞬の内にイゾルデとの距離を詰めた。
手の平に魔力を込める。
螺旋法によって、高められた力の迸りが彼女の右腕を更に輝かせ、流星さながらの勢いでイゾルデに放たれた。
「あっははははははぁっ!!」
が、防がれる。
ルノワールの眼前に出現した暗黒の塊。
それらがルノワールの腕をしっかりと受け止め、まるであらゆる光を吸い込む深淵の如く、ルノワールの身体を絡め取ろうと蠢いた。
「くっ!!」
全身を回転させ、バネ仕掛けのように大地を蹴り上げて回避したルノワール。
それを追うように、再び伸びる黒腕。
(このままでは埒があかない……っ!)
むしろイゾルデの無尽蔵とも思われる程の魔力量を考えれば、いずれ疲弊してゆくのはルノワールの方が早いだろう。
「いきます……っ!!」
学院内であっても構わない。
イゾルデと戦う以上は全力だ。
両腕両足に装着された魔法具。
それらに嵌め込まれた魔石が目を覆う程の光を放ち、ルノワールの全身を嵐のような風の息吹が包み込む。
裂帛の気合と共に。
「はぁああああああああああああああっっ!!」
嵐の中から現れたのは白銀の天使。
全身を覆うは光り輝く七層に渡る最強の鎧。
ルノワールの奥義。
『武装結界』
初めてルノワールの奥義の姿を目の当たりにした学院生徒達は全員が、彼女の余りにも強力かつ鮮烈な迫力に息を呑み、言葉を失った。
同時に誰も彼もが白銀に煌めくルノワールの美しさに目を奪われている。
そしてそれは敵対している筈のイゾルデも例外ではなかった。
「ゾフィーっ!!」
三度目の最愛の子の幻想的な姿に歓喜の声を上げるイゾルデ。
この輝き。
この輝きだ。
イゾルデはこれが欲しい。
これが傍に居て欲しい。
ゾフィーされ居れば、他には何もいらない。
だからどうか――この心を癒して。
「……ぇ?」
しかしルノワールの変化はここで終わらなかった。
「うぅ……ぐぅううう……っ!」
苦しそうに顔を歪め、嗚咽の様な声が微かに漏れる。
「ぁぁぁぁぁああっ!!」
ルノワールの身体が先程まで以上に光り輝き、荒れ狂う嵐の渦が再び舞い踊り、その力強さがどんどんと増してゆく。
放たれる圧力は常軌を逸しており、まるで命を燃やさんとする程の覚悟が少女から伝わってくるようだった。
「なに、これ……?」
イゾルデは唖然とした表情で最愛の子を見つめていた。
知らない。
こんな力は知らない。
光と風と魔力がルノワールに収束していった。
白銀の鎧が無形の如く、蠢き、揺らぎ、それでいて禍々しいまでの神々しさと力強さを備えて、少女の全身を覆っている。
螺旋渦巻く鎧の姿は先程までの真っ直ぐな輝きだけではなく、妖艶さをも伴っていた。
美しさと妖しさを兼ね揃えた白銀の戦女神。
これぞ戦鬼ドヴァンの奥義を真っ向から撃ち破った、少女の力の深奥。
『武装結界・螺旋』
さしものイゾルデであっても、ルノワールから感じる力の多寡に戦慄を覚えていた。
尋常な力では無い。
イゾルデはルノワール、いやルークと対峙してきて、初めてこう思った。
目の前の少女の力は――己の命に届き得る、と。
「ゾフィー……」
「いくよ、イゾルデ」
だが……どれほどの力であろうとも。
「……うふふ…………あははぁ……いいわ……私が全てを……貴方の全てを……っ!!」
練り上げられていく黒い魔力。
ならば、この力ごと己の物にしよう。
蠢く鎧の姿に変貌しようとも魂の輝き、その美しさに陰りはない。
ならば何も変わらないではないか。
イゾルデは妖艶な口元を微笑で色取り、艶やかな美しい声で咆哮した。
「受け止めて上げる……っ!!」
今改めて。
白光と黒光。
人智を越えた二人。
超越者同士の本気の戦いが幕を上げた。




