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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第1章 公爵家の事情
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第十八話 主従の昼下がり

 

 ここにいると時間を忘れてしまう。


「はぁ……」


 無意識の内に陶然とした吐息が漏れた。

  

 僕は今日もまた性懲りもなくメフィルお嬢様の画廊へと足を運んでいた。

 屋敷に来てから既に結構な日数が経つが、考えてみると毎日来ている気がする。

 いや間違いなく毎日来ているか。

 ちなみにこの部屋は鍵もかかっておらず、屋敷の人間であれば誰であろうとも自由に入ることが出来た。

 画廊であるが故に窓の類は存在せず、例え昼間であっても夜間であっても、ここにある作品達の美しさに変化はない。


 だけど。

 どれだけ眺めていても、僕は決して飽きることがなかった。


「綺麗……」


 この色使い。

 この線の描き方。

 全体のバランス。

 どれをとっても一流の画家と言われても頷くに足るレベルである。

 それだけではない。

 技術だけではなく、お嬢様の作品には見る者の心を揺さぶる不思議な魅力があった。

 少なくとも僕はそう感じる。


 しかも驚いたことにこれだけ多彩かつ素晴らしい絵を描いているにもかかわらず、メフィルお嬢様はコンクールの類に応募したことはないらしい。

 同年代の芸術家の実力がどれほどなのかは正確にはわからないけれど、間違いなく金賞を取れるレベルだと僕は思う。


 お嬢様は言った。


『コンクールに応募するために絵を描いてるわけじゃないし、誰かに見てもらいたくて描いてるわけでもない』


 彼女の意見には同意出来る。

 僕達は絵が好きだから描いているのであって、共感を得たいわけではない。

 とはいえ自分の作品が評価されればやはり嬉しいと思うだろう。

 まぁ……僕とお嬢様では技量が違いすぎるため一緒にするのは失礼だけれど。


(でも)


 もったいない。

 そう思わずにはいられなかった。

 僕程度の技量であれば話は別だが、メフィルお嬢様の絵画はレベルが違う。


 もっと多くの人の目に触れる機会があれば、この絵は更なる感動を呼ぶだろう。

 間違いなく人々の心に芸術の素晴らしさを伝える一擲となる。


(いつか)


 皆が彼女の才能を認める日が来るだろうか。

 彼女の絵を見た人々が感動する日が。

 皆がお嬢様を称えてくれるような。

 そんな日が来たらいいと思う。

 

 もしかしたら。


(メフィルお嬢様には迷惑なことなのかもしれないけれど)


 一介の従者如きの陳腐な妄想だとしても。

 僕は願わずにはいられなかった。


「さてと……昼食の準備をしなくちゃ」


 彼女の絵に心惹かれた人間の一人として。




   ☆   ☆   ☆




 私は午前中、ぼんやりと空を見上げていた。

 ここのところ、良い絵が描けていない。

 筆や紙を替えてみたり、描いたことのない物を片っ端からデッサンしてみたりと色々やってみたが、どうにもイマイチだった。

 おそらく不安定な精神状態も関係しているのだろう。

 だけどこればかりは、分かってはいてもどうしようもない。


 突然心が晴れやかになる訳も無く、全くと言っていいほど満足のいく物を描けていない現状に溜息が零れた。


「……はぁ」


 しかし空模様は相変わらず快晴続きだ。

 私の心など露知らず。

 雲一つ無い青空の向こう側では、憎たらしいくらい燦々と太陽が輝いていた。

 

 そんな日の昼食後。

 本日もびっくりするぐらい美味しいルノワールの料理を食べた後、人数もまばらになった大食堂にて。


 食後の紅茶に口をつけていると、私の護衛兼使用人が言った。


「本日も良い天気ですね」


 私の隣で穏やかに微笑み、彼女も空を見上げている。


「……そうね」


 その良い天気が余り気に入らない私は生返事を返した。


「あの……たまには御屋敷の外で写生などはいかがですか?」 


 そんな私に若干の躊躇いの逡巡を滲ませた後。

 遠慮がちにルノワールは言った。


「あ、えっと……お嬢様が乗り気でなければもちろん結構なのです……が」


 私がぼんやりとしていたからだろう。

 彼女の言葉は段々と尻すぼみになっていった。


「……ぅ」


 上目遣いで私に言う彼女は、悔しいけれど可愛いと思わずにはいられなかった。

 戦闘能力はお母様を凌駕するほどに高く、170センチ近くの長身であるにもかかわらず、私の顔色を窺うその様子はまるで捨てられる事を恐れる子犬のようだ。


「……写生?」


 うーん。


「写生……外で写生かぁ」


 そう言えば久しくやってない。

 昔は外にあるものを色々と描いてみたりしていたが……最近はアトリエで自分の想像の世界を描くことが多かった。


「そうね……」


 ちらりと窓の外を見上げれば、眩い太陽の輝きが私の目を差す。

 振り向くと、恐縮した様子のルノワールが私の返答を待っていた。


「……たまにはいいかもね」


 私がぽつりと呟くと彼女は見る見る内に顔を輝かせた。


「あっ……本当ですか!?」


 とっても嬉しそうに微笑み、瞳の奥に歓喜の色を覗かせた護衛の様子に、漏れそうになった苦笑を抑えつつ私は言った。


「えぇ。言っておくけど、貴女も描くのよ?」

「えっ?」


 目をパチクリとさせるルノワール。

 やがて私の言葉を理解したのか、彼女は興奮気味に言った。


「あ、あっ! では私は準備してきますねっ!」


 頬を上気させつつルノワールは楽しそうに手をわたわたと振っている。

 慌てちゃって可愛い従者だ。


「自分の画材は自分で用意するから。貴女は自分の用意をしておきなさい」

「畏まりました!」


 まるで子供のようなはしゃぎっぷりである。

 

(そう言えば……)


 この前、絵を教えてあげると約束したが、結局今までその機会は無かった。

 今の様子から察するに……彼女はもしかしたら私と一緒に絵を描く日を心待ちにしてくれていたのでは無いだろうか。

 だとしたら、あれから声を掛けていなかったことは申し訳なく思う。


(というかこの子……)


 だけどそれ以上に沸き立つ気持ちもあった。


 だってルノワールの目の輝きと、嬉しそうな表情ときたらもう。


「……ぷっ」


 あぁ、だめだ。


「あ、あははっ。ふふっ」


 我慢していたが、私はついに吹き出してしまった。


「えっ……あ、お嬢様?」


 一方戸惑うルノワール。

 いきなり笑いだした私の様子に当惑しているのだろう。


「だって……っ」


 瞳に浮かぶ小さな雫を指先で拭いつつ私は言った。


「貴女今……物凄い嬉しそうな顔をしてるんだもの。まるで子供みたいよ」


 正直に指摘すると彼女は見るからに動揺した。


「うぇぁっ!?」


 なんという声を出しているのか。

 私の言葉に耳まで真っ赤に染めたルノワール。

 周囲を見れば、まだテーブルについていたメイド達やお母様もニヤニヤとした視線をルノワールに向けていた。


 あぁ、これはもう屋敷ぐるみで彼女をいじる態勢に入ってるかも。


「えっえっ……わ、私そんなに顔に出ていましたか?」


 頬に手をやりながら狼狽する彼女に返事をしたのはイリーだった。


「ものすっごく出てました!」


 最年少のイリーに満面の笑顔で言われ、彼女はますます狼狽えたのか、そのままくるりと踵を返した。


「わぁ、私は準備をして参ります~っ!」

「あ、逃げた」


 クスクスと笑っているとお母様が逃げていった方へ向けて言った。


「こら、ルノワール! 屋敷内を走り回るんじゃありません!」


 本気で怒ったような口調ではなかったが、それなりに大きな声。

 お母様の声が聞こえたのだろう。

 部屋を出て行ったルノワールはすぐさま律儀に戻ってきて頭を下げた。


「申し訳ありませんでした!」


 謝罪の言葉。

 しかしそれだけでは終わらなかった。


「それから食べた食器はちゃんと水につけておいてくださいね! 洗い物は後で私がやりますから! あともしも物足りないようでしたら、戸棚にデザート替わりのクッキーが焼いてありますので御自由にどうぞ!」


 それだけ言うと、また彼女は逃げるようにして部屋から出て行く。

 

「「……」」


 残された一同は黙って顔を見合わせた。

 やがて堪えきれなくなったのか、不意にお母様が大声で笑い出す。


「ふふっ。あははっ! 本当にあの子は可愛いわね~」


 周囲にいた皆も同意するように笑った。

 それはいずれも友好的(?)な笑みばかりだ。

 屋敷の皆が気のいい人ばかりなのもあるだろうが、まだそれほどの日数が経っているわけでもないのに彼女は良好な人間関係を構築出来ているようだった。


「奥様奥様っ!」


 未だに口元に笑みを残したままお母様は首を傾げた。


「なぁに、イリー?」


 わくわくした表情でイリーは言う。

 彼女は拳を固く握っていた。


「とりあえずクッキーをお持ちしましょうか?」

「えっ?」


 お母様はまじまじとイリーの顔を見つめた。

 イリーの表情を擬音で表現するならば、ワクワクソワソワ、だ。

 再び私は思わず笑ってしまった。

 だって、どう考えてもイリーが食べたいだけだろう。


 お母様にも当然分かっていたが、彼女は一層楽しそうに微笑み、頷いた。


「ふふっ……あははっ。そうね、せっかくだからイリー。ここにいるみんなの分を持ってきてくれる?」


 お母様が言うとイリーは素早く台所へと入っていった。


「畏まりましたっ!」

 

 さて。

 ルノワールが準備に行ってしまった以上は私もアトリエに画材を取りに行くべきなのだろうけど……。


「奥様こちらになりますっ」


 イリーが持ってきたクッキーを見てお母様は感心したような声を洩らした。


「わぁ、綺麗なクッキーね。流石はルノワール」


 それには完全に同意出来る。

 お店で出てきても全く違和感が無いだろう出来栄えだ。


「外側はサックサクなんですけど、中はしっとりしているんです! とっても美味しいですよ!」


 口元にクッキーの欠片を付けたままイリーが言った。


「イリー貴女……つまみ食いしたのね?」

「あっ!!」


 とりあえず。

 画材用具の用意は、ルノワールの作ったクッキーを食べてからでもいいかな?






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