第百六十話 ユリシア vs. ゴーシュ
「わたしは……貴方を認めない」
毅然とした表情に迷いは無い。
「そもそも何故お前に認められる必要がある?」
真っ向からユリシアの瞳を受け止め、ゴーシュも言った。
彼とて、ここまで進んできた以上、迷いなど在る筈も無い。
どこまで行っても互いに相容れない。
そんなことは二人共が百も承知であった。
「タービン、という男を知っているでしょう?」
早速手札を切って来たか、とゴーシュは思った。
カナリアが捕えた帝国軍の部隊長。
当然のようにカナリアとユリシアは手を組んでいるらしい。
「知らんな。どこのどいつだ?」
「ラフテルの街でカナリア様が捕えた帝国軍の部隊長よ」
「ほぉ。そうなのか」
「ええ。彼は、貴方の力添えの下に、ミストリア王国で指示を待っていた、と証言しているわ。外軍の警戒の緩い土地を狙ってミストリアの街を襲い、そして王軍がやって来たタイミングに合わせて潰走したように見せかける。そういった自作自演行為が何度も繰り返された」
ユリシアは険しい顔で目の前の玉座に居座る男に目を向ける。
「貴女にとってのメリットはたくさんあるでしょうね。未だに国民達から信頼を得ている訳では無かった貴方の大きな実績となる。外軍ですら見逃した帝国兵をゴーシュ王の王軍が撃ち破った、とね。そうなれば誰もが貴方を見直すでしょう?」
「妄言も甚だしいな」
「そうかしら?」
「ああ。考慮の余地もないだろう。そもそも王が国民を犠牲にした、と? 有り得ないだろう」
ユリシアの言葉を聞いてもゴーシュは顔色一つ変えることが無かった。
彼のポーカーフェイスは一向に崩れない。
流石にここまでのユリシアの弁舌など予想の範疇だった。
「そもそもそんな愚かな事を言っているのは、その帝国軍の部隊長だけなのだろう? よもや、私よりも、得体の知れない侵略者の言葉を信用すると言うのか?」
そう。
実際にゴーシュ王がタービン達を使って自作自演をしていた、と。
それを証言する事が出来るのは敵兵と実際に匿っていた貴族のみ。
説得力に欠けるのだ。
だが。
「貴方の代わりにタービン達を匿っていたマタドール侯爵を真っ先に処刑したわね?」
ゴーシュの事情を少しでも知っている王国貴族は全て真っ先に処刑されている。
となると敵国の兵士の証言しか残らないが、そんなものはゴーシュの言葉に比べれば遥かに軽いのだ。
「彼は法の目を逃れた犯罪者だった」
残念そうに首を振りつつゴーシュは呟いた。
「そういう輩を選んでタービン達を任せたのでは無いの? いつでも切り捨てる事が出来るように」
「全ては空想だな、ユリシア。何一つとして証拠が無い」
それが全て。
如何にユリシアが推測を並べ立てた所で、推測は所詮推測だ。
「そう……? じゃあこれはどうかしら……?」
ユリシアが指を鳴らすと、玉座の間の扉が開いてゆく。
その奥から姿を現したのは――。
「オーガスタス公……っ!!」
怒りの表情でゴーシュを睨みつけているのは、処刑された筈のドルン=ガーナー伯爵だった。
☆ ☆ ☆
「……」
無言で視線をユリシアの背後に向ける。
玉座の間へとやって来たのは二人の男。
一人はユリシアの信の篤い老執事であるビロウガ=ローゼス。
その彼に付き従うような形で見覚えのある伯爵の顔が在った。
「……」
それを無言で見詰めつつ、流石にゴーシュの内心に多少の苛立ちが沸き上がった。
「……死んだ筈では?」
彼は計画の初期段階から半ば強制的に協力をさせていた部下の一人だ。
ゴーシュの内情も多少なりには知っている。
それ故に早々に粛清対象とした……にも拘らず。
(何故私の前に現れた……?)
「あら? 今日初めて貴方の意外そうな顔が見れたわね」
先程よりも多少楽しげな表情でユリシアは言った。
なるべく心の内を悟られないように努めつつ、肩をすくめてみせる。
「それは、な。犯罪者がノコノコと玉座にやって来るようでは……」
「何が犯罪者だ! 散々この俺を利用しておいて、真っ先に切り捨てやがったくせに……っ!!」
私に突き刺さるドルン伯爵の視線は無視し続けた。
「彼の事は早い段階で注意は向けていたからね。監視の目を付けていたのよ」
得意げに言うユリシアが忌々しい。
まさかそこまでの余裕があったのか?
いやそんなことはない。
私はあの手この手でユリシアを妨害していた。
とてもではないが、紅牙騎士団を動員しておけるだけの余力は無かった筈だ。
「別にわたしに協力してくれる人は騎士団だけじゃないのよ?」
一体誰が……?
騎士団以外の人間ということだろうか。
そういう思いが無い訳では無かったが、紅牙騎士団ばかりにこちらが目を向けていたのは事実。
兎にも角にも、目の前の状況をなんとかせねばなるまい。
「協力者から連絡があったの。ドルン伯爵が危ない、とね。それで先手を打った訳。わたしの優秀な執事が素早くドルン伯爵の身柄を拘束したわ」
「だが……」
「あぁ……貴方の王軍が捕えたのは別人でしょうね。知らなかった? 伯爵は日頃から自分の影武者を用意していたのよ。まんまと貴方はそれに騙された、という訳ね」
そこで初めて伯爵に目を向けた。
「……」
よもやこの程度の男に出し抜かれるとは。
「彼は様々な事を証言してくれたわ。わたしの娘を狙った事をもね」
最後の一言を告げる瞬間、ユリシアから凄まじいまでの殺気が漏れて来たが、それでも私は平然とした様子を崩す事が無かった。
イゾルデに散々睨まれていた故に耐性でも出来たのかもしれない。
「ふふ」
だが証拠にはなり得ないだろう。
伯爵は今や犯罪者なのだから。
「ドルン伯爵……困るな、己に罪がかかった途端に王に冤罪を着せようとするとは、な」
「なんだと……っ!」
「結局は先程までと同じだ。証拠が無い。帝国軍の部隊長と犯罪者。証人はそれだけかね?」
今の私の権威をもってすれば、この程度の醜聞など即座に揉み消せる。
確かにユリシアの力ならば、私の悪評判を広げ、影響を与える事は可能かもしれない。
だが、その程度では私の地位は揺るがない。
「貴方が彼に送った指令書があるとしても?」
「そんなものはいくらでも捏造が出来るではないか」
余裕を持った笑みを浮かべると、ユリシアは真剣な眼差しを私に向けた。
「そう。じゃあもう一つ……貴方に聞きたい事があるの」
☆ ☆ ☆
話の方向転換。
「何故……このような事をしているの?」
「このような事、とは?」
「貴族達の突然の大粛清……その意図は何?」
「何を言うかと思えば……国を乱す悪漢共を処刑して何が悪い? 私は国主だぞ」
しかしゴーシュの言葉には取り合わずにユリシアは言った。
「今の時期にこんな事をしていては……近い内に内乱が巻き起こり、本格的に帝国が攻めて来た時には疲弊したミストリア王国は敗れ、未曽有の大混乱がミストリアを襲う事になる」
「……」
「貴方にも、そんな事は分かっている筈……確かに貴族達の悪政は取り除かれるべきかもしれない。しかし、この時期にここまで強引に武力で事を進めては……」
彼女は一度頭を振った。
「ゴーシュ王。貴方の行動には、一貫していない何かの意図があるように思えてならなかった。王族を追い払い、自分が王位に着く。最初は王として権勢を振るう事が目的だと思った。そして、王軍を設立をすることで、強い国を作り、帝国との戦いに備え、戦争をする事が目的なのだ、と。それだけならば良かった。しかし、貴方は自作自演に無意味に国民を生贄に捧げ、その名声を高め、その勢いのままに、手の平を返して今まで味方をしていた貴族達を一転して粛清し始めた。権威が欲しいだけならば、こんな事はしない。本当に国を思っているのならば、帝国を招き入れる様な事もする訳がない。わたしはずっと貴方の考えが読めなかった。でも……今になって分かった事が一つある。もしも貴方の目的が『そう』なのだとすれば……全ての説明がつくの」
「ほぉ、なんだね?」
一息にユリシアは告げる。
「貴方はミストリア王国を……破壊したいのね?」
「……」
ユリシアの問いかけに、意味深な微笑みを見せるゴーシュ。
「王である、私自身が、どうして王国を滅ぼしたいなどと考えるのかね?」
「それはわたしには分からない。でも、否定はしないのね?」
「くっ……はははっ」
心配そうにゴーシュを見上げるコノハに構わずに彼はひとしきり笑った。
「ユリシア=ファウグストス。結局お前は何を言いたい?」
「暴君を止めなさい。王位を再びラージ国王達に戻して。でなければ、ドルン伯爵とタービンの証言を元に貴方を告訴するわ」
「それを私が素直に受け入れるとでも? あのような軟弱な王がこれからの時代を生きていけるとでも?」
そこでゴーシュの瞳の中に暗い感情が沸き上がって来た。
徐々に表れていた変化であったが、彼の様子が明らかに変貌の様相を呈してきている。
胡乱気な目つきでユリシアを見下ろし、何か狂気に取りつかれた様な表情になった。
「無能な王の下に、腐った貴族共が蔓延り、愚かな民からは生命の輝きが消えた。このままではミストリア王国に未来など無い……」
「貴方ならば……ミストリアを変えられると?」
「少なくとも現状よりは良くなるだろう」
その馬鹿にした様な言い方がユリシアの癇に障った。
「ふざけないで……っ! 散々弱者を嬲って来たのは、貴方も同じでしょう! どれだけの犠牲者を出して来たの!!」
「変革に犠牲は付き物だよ、ユリシア。帝国や北方の国々は過酷な土地だ。それ故にミストリア程に軟弱に堕する事無く、人々は毎日を懸命に生きている。ところが、この国は駄目だ。一度無理矢理にでも破壊する必要がある」
自分勝手な理屈だ。
それで犠牲になった人々が納得する訳が無い。
「それが貴族達の大粛清!? でも、そんな事をすれば国そのものが……っ!!」
「必要だと言うのならば……国を壊す事も視野に入れるのは当然だ」
「なっ……貴方は本気で……!」
狂っている。
国王自身が……国を破壊したがる等と。
そんな話は聞いた事が無い。
「その先に何が在ると言うの?」
「戦いの先にこそ見えるものがあるだろう」
そう言って、彼は玉座からゆっくりと立ち上がった。
「ユリシア。お前だとて、ここまで戦って戦って戦って、生きて来たのだろう? ならば、戦う必要性が分かる筈だ」
「今戦うべきは帝国でしょう!? こんなことに時間と人を費やしている暇は……っ!!」
「話は平行線だな」
玉座に立てかけてあった、一振りの剣。
ゴーシュは徐にその剣の柄を握り締めた。
「っ!!」
さしものユリシアも息を呑む。
「この国の貴族達は、な。ユリシア、お前と紅牙騎士団を恐れていたよ。最終的に標的にされれば、最後は武力で結局敵わない。だがそれも……今は違う」
彼が鞘から、審判の剣を引き抜くと玉座の間には眩いばかりの輝きが溢れた。
余りにも強大な魔力が空間を歪め、その圧倒的なまでの力の波動がユリシアの全身を圧迫する。
「お前も力をもって、よく物事を解決してきただろう? 今回は私がそうさせてもらう。結局のところ、ユリシア=ファウグストス。お前さえ消えれば、私の邪魔者は居なくなるのだよ。この流れを阻む事が出来る者など……居なくなるのだよ!」
今のゴーシュは審判の剣の力に魅了されたかの如く、据わった目つきで微笑んでいた。
「そうだ! 私の力で! お前を消せば全ては終わるのだ!」
そうして剣を振り下ろし――。
「――そいつは違うな」
いつの間にか。
玉座の間の背後から、女性の声が聞こえて来た。
「っ!?」
その声に、ユリシアもゴーシュも聞き覚えがあった。
「馬鹿、な……」
驚く暇もあればこそ。
玉座の背後の巨大なステンドグラスを豪快に破壊し、一人の乱入者が現れた。
それは目の覚めるような紅の髪を靡かせた女だった。
引き締まった長身の体躯に、凛々しい横顔、その顔の中心には鋭い鷹を思わせるような瞳が在った。
紅牙騎士団が誇る……否。
ミストリア王国が誇る最強の魔術師。
「終わるのは貴様だ、ゴーシュ」
マリンダ=サザーランドが威風堂々と玉座の間に降り立った。