第百五十九話 粛清の始まり
寒風吹きすさぶ月明かりの下。
枯れ葉舞う街中を闊歩する集団の瞳の中には紛れもない怒りの色が在った。
彼らは皆一様に上等な装備で身を包んでいる。
それ故に第3者からすれば、実際の戦闘経験の浅さからは想像も出来ない程に洗練されて見えるに違いない。
ゴーシュ王の支持の下で僅かとはいえ鍛練を積んだ彼らは歴戦の戦士達と比べてしまえば見劣りするだろう。
しかし腐りきった国内警備軍、ミストリア王国の貴族達が私有している数多くの騎士団よりは、あるいは優秀かもしれなかった。
先頭を行く隊長格の男が声高に告げる。
「これより、大罪人――ドルン=ガーナー伯爵を粛清する!!」
怒号と共に掛け声を上げる王軍の部隊は瞬く間に伯爵邸を制圧し、ガーナー伯爵を捕獲した。
☆ ☆ ☆
「……動き出したわね」
ユリシアが呟くと同時にルノワールは彼女に尋ねた。
「どうしてゴーシュ王はこんな事を?」
意図が分からない。
ここまでの段階でゴーシュは貴族達の手綱を上手に握り締め、統率してきた筈だ。
それが突然、身内と言っても良い伯爵を処刑して見せた。
ドルン=ガーナー伯爵は元々きな臭い噂の絶えない貴族ではあったが、それにしても急な措置である。
「何かゴーシュ王にとって不都合となる情報を握っていたので、それが明るみに出る前に潰した、ということなのでしょうか?」
それが最も理に適った考えであるとルノワールは思った。
しかし己の思考の殻に閉じこもっているのか。
ユリシアはルノワールの問いには答えなかった。
「他にも……襲われた貴族がいるのではないかしら?」
独白する様な口調。
「え?」
意味が分からずに首を傾げるルノワールであったが、ユリシアは彼女の瞳を見てはいなかった。
「何故……そう思うのでしょうか?」
「だとすれば……もしかしてゴーシュの望みは……今までの不可思議な行動にもある程度の説明が……」
ぶつぶつと呟くユリシアの元へと客人が現れた。
ウェンディの案内によって、部屋にやって来たのはディル=ポーターとグエン=ホーマー。
気付けば、マリンダ=サザーランドを除く紅牙騎士団のトップが勢揃いしていた。
「ユリシア……わしとお前の考えは的を得ていたかもしれん」
唐突にグエンは言い、促す様な視線をディルに向ける。
「報告します」
いつも以上に乱れた金髪を軽く手で払いながら、彼はユリシアに向かって言った。
「ガーナー伯爵に限らず、他の貴族、マタドール侯爵、キンブリー伯爵、そしてノーマット伯爵が、王軍の征伐によって逮捕されました」
「え……っ!?」
ルノワールはディルの報告に驚愕の声を洩らしたが、他の3人は顔色一つ変える事は無かった。
「罪状は明白です。税の横領、謂われ無き国民に対する傍若無人な振る舞い――要するに領民の奴隷化、殺人ですね。更には、国内警備軍との賄賂に加えて、暗殺教唆」
淡々とディルは続ける。
「これらの罪状に対しての明確な証拠、証言があります。しかも処刑を先導しているのは、他ならぬミストリアの絶対的な国主となりつつあるゴーシュ王です。彼の名の下に、今までの貴族達の罪を暴き、裁こうとしています」
それだけを聞くと、ゴーシュはとても良い王であると思える。
日和見で貴族達に関心を払ってこなかった従来の王族にそこまでの気概は無い。
今まで好き勝手に過ごし、平民達を苦しめていた貴族達を粛清しているのであれば、それはミストリア王国の浄化に他ならないのではないだろうか。
しかしルノワールがそう言うと、ユリシアは頭を振った。
「それはあくまでも、『平時』の話よ」
「『平時』の……話……」
「ええ。なるほど、確かにミストリア王国には腐った貴族達が多い。彼らに対する国民達の反感の念は強いでしょう。彼らが裁きを受けるのは当然かもしれないし、そうなるべきだとは思うわ……でもそれは『今』じゃ不味いのよ」
ユリシアの言葉を引き継ぐようにグエンが続ける。
「貴族達の大規模粛清などを行えば……王国はどうなるか。貴族達は今までの恩義を忘れて『次は自分かもしれない』という恐怖心を植え付けられるだろう。そして行きつく先は間違いなくゴーシュ王への叛乱だ。旧王族を一度敵に回した彼らは、ラージ国王達には頼れない。すると必然的にゴーシュ王を打倒するしか、自分達の身を護る術が無い」
「そうなってしまえば……ミストリア王国では未曽有の内乱が始まる事になるわ。そして……メフィス帝国が攻めて来る」
貴族達に対する平民達の怒りの声を利用し、ゴーシュは巧みに「貴族 vs. 王軍(平民)」という構図を作り上げるだろう。
ミストリア王国内部では多くの血が流れ、資源が失われてゆき、やがて疲弊した王国を帝国の凶刃が襲う事になる。
そんな事が起きてしまえば……王国は……。
「そんな……ゴーシュ王は……ミストリアを滅ぼしたいのですか?」
ルノワールは信じられない、という思いで目を見開いている。
ゴーシュ王は頭の良い男である。
であれば、今言った様な未来像は当然見えている筈なのだ。
「……ディル、グエン。例の件はどうなっているの?」
ユリシアが尋ねると、ディルが頷いた。
「準備は出来ています」
「そう。じゃあここが……勝負所、ね」
ユリシアは一度瞳を閉じ、長く揃った睫毛を僅かに下げる。
「……」
やがて力強い意志を宿した両目を開き、彼女は言った。
「ゴーシュ王に……会いに行きましょう」
勝算が高い訳ではない。
しかしこれ以上のゴーシュの行動の容認は出来ない。
今動かねば……この流れは止められない。
「手札が無い訳じゃない……話し合う余地だってある」
ずっとただ堪えて来た。
戦う為の材料を必死に集めて来た。
ただ黙ってゴーシュの政権を見ていた訳では無い。
「紅牙騎士団を集めて」
断固たる口調でユリシアは言った。
その声色には確かな威厳と、公爵家に相応しい威容が備わっている。
「では……反撃を開始しましょうか」
ミストリア王国の屋台骨。
長年に渡り、表に陰に、力を蓄え、正義を信じ、これまで、そしてこれからも戦い続けるだろう誇り高き公爵家の末裔。
いよいよユリシア=ファウグストスが立ち上がった。
☆ ☆ ☆
「首尾はどうだ?」
ゴーシュの言葉に手元の資料を覗き込みながら、コノハが答える。
「順調です。次々に貴族達の粛清が進んでおります」
「そうか」
「はい。貴族達は半ば恐慌状態にあるようです」
「くく、それはそうだろう」
「逆に平民達からは凄まじい熱狂が聞こえてきます。今までは黙っている事しか出来ずにいた貴族達の横暴を断罪した事でお父様を支持する声が広がっているようです」
コノハが父親の顔色を伺いつつ報告する。
娘の言葉を聞いていたゴーシュは一人、呟いた。
「単純だな……」
それはどこか物足りなさを伴った……寂しげな声色だった。
「長年に渡り平和に現を抜かして来たツケがこれか……。もしもそうであるならば私がわざわざ動く事も無かったのかもしれんな……」
「? それは、どういう……?」
その時、ミストリア王宮の玉座に居座るゴーシュの元へと一報が届いた。
「……ユリシアが来たか」
ゴーシュにとっては、最大にして最後の強敵だ。
審判の剣の一件以降は一度も顔を合わせていなかったが、この段になって訪れて来た理由は何か。
これ以上の貴族の処断が進めば取り返しがつかなくなる事に彼女は気付いているのだ。
実際に帝国が攻めて来た際に、貴族達の力も合わせなければ到底対処する事が出来ない事をユリシアは理解している。
本気でミストリアの未来を憂うのであれば。
内乱など以ての外なのだ。
そして、カナリアが捕えたタービンの一件も踏まえれば、己にも勝ち目があると踏んでいるのだろう。
「誰もがあの女のようであれば、な……」
「お父様……?」
「通せ。どの道足止めをしようとしても強行突破される。その程度の覚悟は持ってきている筈だ」
そこで彼は玉座に立てかけている審判の剣の柄を微かに撫でた。
王国の誇る最強の秘宝。
建国の道を切り開いた伝説の魔法具。
その力が今――王国その物を破壊しようとしている。
「くくっ」
何もかもがくだらない。
ゴーシュ=オーガスタスは自嘲するような暗い笑みを零しながら、鋭い瞳を玉座の間に入って来た一人の女に向けた。
彼女は共を連れて来てはいなかった。
唯一人、しかし堂々とした振る舞いで歩みを進めている。
こうして敵として対峙しても尚、ユリシア=ファウグストスは美しかった。
それは何も容姿に限った話ではない。
堕落し切ったミストリア王国の貴族社会で生きていて尚、綺麗事のような正義を振りかざそうとする純粋さ。
彼女は決して折れない。信念が揺らがない。
そうして己の信念を貫き通せるだけの実力も伴っている。
王国貴族の誰もがユリシアのような人間であれば。
そもそも内乱など起きず、より強く、より良い国を作って行くことが出来るのだろう。
しかし。
(夢物語だ)
実際に一度権力を手にした大半の人間は己の力に酔いしれ、欲望に溺れる。
どこまでも醜く、浅ましく、共に息をしている事すら腹立たしい。
(故に私は――破壊するのだ)
互いに視線を交わし合いつつ、それでいて油断無く身構えていた。
「何をしに来た?」
ゴーシュが聞くと、ユリシアは妖艶に微笑んだ。
「何を? 決まっているでしょう?」
「ほぉ……そうなのか?」
「貴方を止めに来たのよ」
そう言うユリシアは頭を下げる事も無く、挑む様な声色でゴーシュと対峙していた。
「くく、先程から、国王に対する態度じゃないな」
言葉とは裏腹に楽しげな笑い声を上げるゴーシュ。
彼の視線や言葉にもユリシアは決して揺らがない。
彼女はじっと玉座に居座る男を見上げていた。
彼の手には審判の剣が握られている。
ミストリアの誇る最高の魔法具。
だが。
「例えミストリアの宝剣が貴方を認めたとしても。大勢の貴族達が貴方に追従したとしても。国民達が貴方を崇める声を上げたとしても」
迷い無い眼差しがゴーシュを貫く。
「わたしは……貴方を認めない」