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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第4章 内乱
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第百五十五話 お帰り、ルノワール

 

 門前で僕はじっと立ち尽くしていた。

 数か月ぶりの懐かしのお屋敷。

 微かに塀の隙間から覗く樹木は紅葉の色も陰り、既に冬空の下、次の世代の葉を付けようと背を伸ばしているように感じられた。


 友人達に囲まれたまま僕が詰め所に向かうと、見慣れた顔を見つける。

 眼鏡の似合う彼女は、普段は冷静な顔に驚愕の色を混ぜ、慌ただしく立ち上がった。

 すぐさま結界は解除され、ファウグストス邸の入り口が開かれる。


「ルノワールっ!」


 それは彼女らしからぬ大声であった。


「エトナさん……」

「もう! もう! どこ行ってたの!」


 肩をがっしりと掴まれ、彼女は僕を揺さぶった。

 涙目で見上げる視線に僕が戸惑っていると、矢継ぎ早に言葉が紡がれる。


「みんな本当に心配してたんだから! 急に居なくなって!」

「ごめん、なさい」


 僕には頭を下げる事しか出来ない。

 彼女も何と言って良いのか分からぬ様子で同じ言葉を繰り返していた。


「もう……もう!」


 そして。

 やがて彼女は揺らしていた僕の身体を離し、わなわなと手の平を震わせた後、しっかりと抱きしめてくれた。


「……お帰り、ルノワール」

「ただいま……戻りました」


 そうこうしている内に騒ぎを聞きつけたのであろう、屋敷の使用人達が続々と屋敷の門前にやって来る。


「ルノワール!」


 誰もが驚き、それでいて嬉しそうな表情だった。

 中でも。


「ルノワールさん……っ!!」


 ガシッと全体重を掛けて僕に抱きついて来たのは小柄な少女だった。


「うわ~んっ! ルノワールしゃん~……っ!!」


 泣きじゃくりながら、力一杯に抱きしめている。

 彼女は顔をくしゃくしゃにして、涙で濡れた頬を僕のお腹に埋めていた。


「イリーさん……」

「馬鹿馬鹿! ルノワールさんの馬鹿~っ!!」


 二度と離すまい、とでもいうように彼女は一生懸命に僕の身体にしがみついている。


「……ごめんなさい」

「さびじがったです!! 会いたかったです~っ!!」

「ええ……私もまた、イリーさんに会えて本当に嬉しいです」

「もう~っ!! うわぁ~んっ!!」


 年相応の少女らしく感情をいっぱいに曝け出すイリーさん。

 そんな彼女をこの場にいた全員が温かな表情で見守っている。


 再び玄関の扉が開かれると、その先からは屋敷の侍従長が姿を現した。

 流石に彼女は落ち着いた表情だ。


「お嬢様を放ってどちらへ行ってらしたのですか?」

「……」

「仕事を放棄し……一体全体どういうお気持ちで戻って来られたのでしょうか?」


 シリーさんの言葉で、ここまでは歓迎ムードであった屋敷の前が静まり返った。

 だが彼女の反応は当然のものであるし、自分の責務を放り投げた僕が責められるのも当たり前だ。


「ちょ、ちょっとシリー」


 メフィルお嬢様がシリーさんに声を掛けようとしたが、僕が自ら主人の言葉を遮った。


「いえ、お嬢様。シリーさんは屋敷を支える侍従長です。シリーさんが正しいのです」


 そう。

 僕は逃げ出した。

 それは立場ある侍従長としては許せるものではないだろう。


「ルノワールさん。貴女がイゾルデという凶悪な魔女からお嬢様を護る為に行動したことは聞きました。止むを得ぬ事情があったのでしょう。それ程に危険な相手だったのでしょう。しかし、それでも、です」

「……」

「メフィルお嬢様が……貴女の居ない間、どのようなお気持ちで毎日を過ごしていたのか、お分かりですか?」


 これはリィルにも言われた事だ。

 そして僕自身、ロスト・タウンでは、なるべく考えまいとしていた事。


「本当に……申し訳無かったと……思っております」


 謝罪の言葉しか紡げない。

 僕が頭を下げると、すかさずメフィルお嬢様がシリーさんに向けて強い口調で言った。


「シリー。止めなさい」


 シリーさんは低頭し、屋敷の中へと戻って行く。

 その背中からは、彼女が僕に対してどんな感情を抱いているのかを読み取る事は出来なかった。


「ど、どうしたんだろう……シリーさんも、あんなにルノワールの事を心配していたのに……」

「確かに。何かあったのかな?」


 ウェンディさんとアリーさんが首を傾げていると、オウカさんが快活に笑いながら言った。

 なるべく場の雰囲気を明るい物にしたいのだろう。


「あはは。あの人だってルノワールが戻って来てくれて嬉しいに決まってるさ。でも、一度逃げ出しちゃうとね。また同じことを繰り返してしまうんじゃないか、って危惧してるのさ」

「それは……その通りだと思います」


 オウカさんの言葉に神妙に頷くと彼女は慌てて頭を振った。


「あっ! べ、別に私もシリーさんも本気でルノワールがまた居なくなる、って思ってる訳じゃないよ!? た、たださ。そういう、こう、なんというか……ケジメ……じゃないけどさ。心配していた私達の気持ちも考えて欲しい、っていうか、そういう、その……」


 中々に上手い言葉が見つからないらしく、難しい顔をしているオウカさん。


(その通りだ……)


 皆が僕の帰りを祝福してくれた、と喜んでばかりいるようでは駄目なんだ。

 それではとても無神経で……他人の寛容さに甘えるばかりではないか。

 

 僕は今回の一件で、数えきれない程の人達に心配を掛けた。

 それを肝に銘じなくてはならない。

 シリーさんやビロウガさんの信頼をもう一度掴み取るには、僕自身の行動でそれを示すしかないのだ。


「はい。オウカさんやシリーさんのお気持ちもとてもよく分かります。本当に……反省しなくてはいけませんね」


 やはり僕はまだまだ子供なのだろう。

 己の浅慮を恥じていると、メフィルお嬢様が手を叩いた。


「ほら! こんな所にいつまでも居たら皆も寒いでしょう? 屋敷に入りましょう」


 皆を促しつつ、一歩を踏み出した彼女は振り返り、右手をそっと差し出した。


「ほら、ルノワール」

「あ、は、はい」


 ぎこちなく、その手の平を掴むと、お嬢様は満面の笑顔で言った。


「お帰りなさい、ルノワール」




   ☆   ☆   ☆




 出掛けていたユリシア様は帰って来るなり、僕を執務室に呼び出した。


「ルノワール!!」


 部屋に入るなり、大急ぎで立ち上がったユリシア様は、一目散に僕を強く抱きしめた。


「わっ」

「もう! 本当に心配したんだから!」


 既に何度目になるかも分からない言葉。

 一体幾人の人に同じように叱られてしまったのだろうか。


「……申し訳ありませんでした」


 そして何度目になるかも分からない謝罪。

 だけど僕はこうして自分を心配してくれた人達には、漏れなく頭を下げねばならないのだ。

 それは半ば義務であると僕は思っていた。


「ユリシア様達が大変な苦労をされている間、お力になることが出来ず、申し訳ないと思っています」


 ミストリア王国の現状は聞いている。

 ゴーシュ王の政権の下、ファウグストス家の立場は弱まり、彼女は非常に難しい立ち回りを要求されていた。

 更には王軍設立に伴う自作自演行為。真意の読み取れぬゴーシュ王の行動。

 メフィス帝国による魔の手が差し迫っているという事実。


「そんなことはいいの。それはわたしの問題よ」


 未だに僕を抱きしめたまま彼女は続ける。

 ユリシア様は優しい手付きで僕の黒髪を撫でつけていた。


「いいえ。ユリシア様の問題である、というのならば。それは私の問題でもあります」


 親友が大変な目に遭っているのだ。

 ならば、それは僕も共に背負うべきだろう。


「ふふっ。だったら頼っちゃおうかな」


 彼女は微笑みながら僕の身体を離し、手近のソファに腰掛けた。


「でもね。悪い事ばかりじゃなかったのよ」

「カナリアの件ですか?」


 あのカナリアが己の騎士団を率いて国内に蔓延っていた帝国軍を打ち破ったのだ。

 元々武芸に秀でた才能が在ったとはいえ、これには流石に驚いた。

 しかも引き連れていた騎士団というのが、あの傭兵団『スレイプニル』。


 戦鬼ドヴァン率いる彼らの強さは僕達も痛い程に知っている。


「そう。大した姫様よね」


 嬉しそうにユリシア様は言った。

 確かに大した姫様だ。

 いや、そんな言葉では済まないだろう。


 自国を揺るがした傭兵団をそのまま己の私有騎士団として受け入れ率いる。

 ただ強いだけでも、ただ賢いだけでも可能な事とは思えない。


「元々カナリア様は才覚のある御方だとは思っていたけれど……今や時の人よ。私達の陣営では、唯一ゴーシュ王の対抗馬に為り得るでしょうね」


 国民からの支持は凄まじい程であるらしい。

 まず10代も半ばの少女が戦場で先陣を切ったという事実が国民にとっては衝撃だった。

 しかもゴーシュ王の突然のやり口に不満を抱く国民はやはり一定数は存在しているのが現実であり、そんな人々からすれば、旧王族の中から才能ある指導者が生まれた事は渡りに船なのだろう。

 それに加えて鮮烈にデビュー戦を飾ったカナリア自身の容姿の可憐さも相まって、王族という尊い敬意を集めながらも、今や王国一のアイドルでもあるらしい。


「カナリアはとても強いですから」


 何故か僕自身、彼女の活躍を聞くと自然と頬が綻び、誇らしい気持ちになって来る。


「本当にね。彼女のおかげで活路も見えたわ」

「私としてはドヴァンと少し話してみたい気がします」


 彼は今何を思って、カナリアの元にいるのだろうか。

 傭兵団から騎士団への移行について、彼は何を考えたのだろうか。


「その機会は訪れるわよ、きっと」

「ええ……そうですね」

「次にわたし達が行動を起こす時……ルノワールも当てにしていいのかしら?」

「はい。もちろんです」


 それも僕の仕事の一つだ。


「……ねぇ、ルノワール」

「何でしょうか?」

「イゾルデは……どうしたの?」


 半ば予期していた質問。

 僕は瞳に一際真剣さを滲ませて、彼女と向き合った。


「それについて……ユリシア様にお願いしたい事がございます」


 僕はイゾルデに連れられてロスト・タウンで過ごしていた日々の事を簡単にユリシア様に話した。


「……」

「今はミストリア王国の大事です。しかし、もしもこちらの一件が解決した暁には……ロスト・タウンへの援助をお願い出来ないでしょうか?」


 昔は気付かなかったけれど、何もあの街に住む人々全てが腐り切っている訳では無かったのだ。

 無論、ロスト・タウンでは綺麗事だけでは生きていけない。

 人を騙すし、人を傷付ける。そういう場所であることを否定はしない。

 そんな生き方を望んでいる人間がいる事も事実だ。


 でも――。


「あの街で僕が知り合った友人の中の何人かは――やり方次第では十分に街の外でも暮らしていけると思います」


 リーファンやローファンを筆頭に、幾人かの顔を思い浮かべる。


「そして、あの街に生きる子供達です。彼ら彼女らには選択の余地すら与えられないのです。弱者として食い物にされるか……運よく生き延びた場合は、あの街の色に染まらざるを得ない」

 

 ロスト・タウンは子供達に残酷だ。

 あの街では大人達ですら余裕がないのに、力無い子供達が一体どうして満足に生きていけようか。

 

「……貴女の話は、良く分かったわ。しばらくは無理だけれど、こちらも落ち着いたら貴女の願いを叶える為に動くのは構わない。今の話を聞いてしまった以上、放っておく事なんで出来ないしね。最悪でも子供達だけでも必ず保護してみせましょう」


 ユリシア様の言葉に迷いは無い。

 なんとも頼もしい御方である。

 彼女の力添えがあれば、様々な将来像を描く事が出来るだろう。


「ありがとうございます。そして、イゾルデについてですが……」

「ええ」

「彼女は恐らく、いえ、必ず。もう一度私の元へとやって来ると思います」


 自惚れている訳ではないが、彼女の性格を考えれば、ほぼ確実だろう。


「……貴女を取り戻しに?」

「その通りです。そして彼女は私があくまでも抵抗の意志を見せれば、周囲の事など考えずに暴れまわると思われます」

「以前の時のように……か」

「はい。お嬢様や周囲の人々を庇いながらイゾルデと事を構えるなど到底不可能です」


 そう――不可能だ。



「――私一人では」



 個人の力には限りがある。


「リィルに怒られました。何故一人で解決しようとするのか、と。どうして一人で悩んで逃げ出してしまったのか、と。何故自分達を頼ってくれないのか、と」


 周囲に頼ろうとしない。それはともすれば、傲慢な考え方だったのだろう。

 それをリィルが教えてくれた。

 今でも彼女に打たれた頬に熱は残っている。


「だから……もしもまたイゾルデがやって来た時。その時に……ユリシア様のお力を貸して頂けないでしょうか?」


 リィルにも頼れ、と言われた。

 確かに彼女が頼りになる戦友であることは百も承知だ。

 しかし相手がイゾルデともなると、生半可な力では薙ぎ払われて終わりである。


 だからもしも本当にイゾルデと戦おうと考えるのならば――同じ土俵で戦う事が出来るだけの味方が必要なのだ。

 その点で考えても、ユリシア=ファウグストスは非常に頼りになる。

 彼女自身が並外れた実力を持った魔術師であるし、加えて明晰な頭脳、比肩する者の無い魔法薬の知識、強力なゲートスキル、と隙が無い。

 間違いなくミストリア王国内でも最強の魔術師の一人だろう。

 昔は戦場を闊歩していたこともあり、戦闘経験も申し分が無い。


「護衛として雇われている身でありながら、雇い主に協力を依頼するなど情けない話ですが……」


 僕が申し訳無さから俯きがちに呟くとユリシア様は即座に言った。


「待った」

「……」

「貴女が頭を下げる必要は微塵もない」

「ユリシア様……」

「それどころか……そんな風に言ってくれて、実は少し嬉しいわ」

「……ぇ?」


 彼女の言葉の意味が分からずに首を傾げていると、ユリシア様は微笑を滲ませる。

 それは聖母の様に優しい表情であった。


「わたしは昔からマリンダと貴女に頼り切りで、いつも手を貸してもらって……でも逆はほとんど無かった。貴女達は自分だけでも大抵の事は何でも出来てしまうから、わたしの力なんて必要が無かった」

「そのようなことは……」

「ええ。貴女は、そう思ってはいないのかもしれないわね。でも少なくとも……わたしはそう思っていたの。貴女達はいつだって無償でわたしの力になってくれるから、いつも甘えていた」

「……」

「だけど今回……貴女から助けて欲しい、と言ってくれた」


 彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「願っても無い事だわ。貴女が力を貸して欲しい、と願うのならば。わたしは貴女に援助は惜しまない」

「ユリシア様……」



「だから……お願いだから。今度は勝手にいなくならないで、ね?」



 その声にだけは切実な響きが在った。


「……はい……承知……致しました」


 感極まり、再び俯いた僕だったが、ユリシア様の穏やかな声色は心地よく胸の中に落ちて行った。


「はい。分かればよろしい」


 冬空の下、移り変わる季節とは裏腹に――僕の心は不思議なくらいに温かな気持ちで満たされていった。 






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