第十七話 vs. ルノワール=サザーランド
(これは押してる……のかしら?)
状況的には優勢……のはずだ。
ルノワールは時に結界で防ぎ、時に宙を舞い回避し、時に柔術でもって蒼光の軌道を逸らしてみせる。
その技量は驚嘆に値する高度なものだが、明確な解決策ではない。
いやそもそもこの波状攻撃は単純かつ力任せなのだ。
故に弱点が存在せず、穴がない。
しかし。
(この程度で終わるはずがない)
そう確信している自分がいる。
ユリシア=ファウグストスはおそらく世界中で最もサザーランド親子を信頼すると同時に……畏怖している人間だ。
わたしとて天才と持て囃されて育ってきた。
必死に努力もした。
戦場だって経験してきた。
だがそれでも。
(あの二人にだけは勝てる気がしない)
故にこの戦いも訓練であると同時に自分にとっては試練でもある。
互いに奥の手は使わないけれど、同条件でもしもルノワールを凌駕することができたら。
それは自分にとってはこの上ない自信となるだろう。
(……気は抜けない)
視線を決して逸らさずルノワールを凝視していると。
「……え?」
突然宙を舞うルノワールの動きが止まった。
紙一重で光の乱舞を躱す、もしくは甘んじてトーガで受けるも、こちらの攻撃を無視するかのように一心不乱に何やら魔術を構築し始めた。
結界魔術による魔力光線の防御を放棄したのだ。
みるみるうちにルノワールの身体にダメージが蓄積されていく。
しかし。
形成されていく魔術。
ルノワールの身体に満ちる膨大な魔力。
その圧倒的なまでのプレッシャーは敵対する者にとっては恐怖でしかない。
彼女が放つ魔力を感じているだけで心の中に動揺が広がっていき、冷や汗が溢れるほどだった。
だがこれは好機ではないのか?
(動きが止まっているのならっ!)
すぐさま行動に移す。
赤光の一撃。
手は抜かない。
今まで通りに蒼光でルノワールの意識を奪った後に本命の赤光。
こちらの攻撃に一瞬だけ目を見開き、回避行動に出るルノワール。
でもこのタイミングならば……っ!
(これは間に合わない!)
ルノワールの集中力は現在構築中の魔術に向けられているのだろう。
故に僅かに生じた隙。
これを逃してはならない。
(いけっ!)
鋭い一筋の赤い光が空中を走った。
「うっ!?」
ルノワールの呻き声が僅かに聞こえる。
よろめき態勢を崩した彼女はゆっくりと地面に向かって降下していった。
直撃だ。
(よし……っ)
赤光の一撃。
如何にルノワールといえど、まともに喰らえば無事では済むまい。
(いや……でも)
手応えが薄い。
ギリギリで身体を上手く逸したのだろう。
彼女はまだ意識を手放していないようだった。
地面に向かって落ちていくルノワール。
途中で彼女の視線がわたしの瞳を射抜いたような気がした。
自然と恐怖心がせり上がって来たわたしが、追撃をかけようとしたその時、彼女の身体が突然一層の強さで光り輝いていく。
次の瞬間。
実験場内全ての空間を覆い尽くすかのような巨大な結界がわたしを包み込んだ。
戸惑う間もあればこそ。
結界はすぐさま収縮を開始した。
実験場内で暴れまわっていた蒼光は収縮していく結界に触れる度に弾け飛んでいく。
「……っ!!」
危険だ、と。
瞬時に本能で悟ったわたしはこの結界から脱出するために赤光を結界に放つ。
果たしてどれだけの強度の結界か。
1発、2発、そしてもう一発。
何発撃てば破れるかは分からない。
しかし結界内でも問題なく魔術は使えるようだった。
ならば手段はいくらでも――。
だが。
「――え?」
いとも容易く、だ。
結界はバラバラに砕け散った。
先ほどまで赤光を防いでいた結界とさほど強度は変わらない。
たった3発の赤光で結界はあっけなく砕け散り――、
「ま、さか」
――わたしは自身の失敗を悟った。
何故ならば。
バラバラに砕け散った結界の破片。
それらがまるで意志を持つかのように。
一斉にわたしに向かって降り注いだのだから。
どこか美しさすら感じる光景。
さながら光り輝く雨粒が全てわたしに向かってくるようだった。
「くぅっ!?」
攻守逆転。
白銀の粒子がわたしに襲いかかる。
今度はわたしがルノワールの攻撃を捌かねばならない立場になった。
視界の端では地面に落下したルノワールがもぞもぞと動いている。
意識はあるようだが、直撃は免れたとはいえ赤光の一撃を喰らった以上、彼女も無事ではない。
つまり。
(この攻撃を凌げば)
ルノワール、いやルーク=サザーランドに勝てる。
そう思い、自身を奮い立たせ、結界の欠片の乱舞を捌く。
しかし状況は芳しくなかった。
そもそもこの結界は赤光であっても1発は確実に耐えられる程度の強度はあるのだ。
そんな物騒な結界の欠片。
その切り口をこちらに向けて襲いかかってくる。
もはやそれは結界などではない。無数の刃に等しかった。
(しかもこの状況では閃光は使えない)
結界が赤光を上回る強度である以上。
閃光でもしも結界の欠片に触れてしまえば、おそらくわたしは無事では済まないだろう。
故に。
蒼光の物量で欠片を減速させる。
赤光を側面からぶつけて軌道をずらす。
直撃の直前で障壁を展開する。
体術でもって欠片を回避する。
実際には数秒だろうが、わたしには無限の時間のように感じられる長い攻防が続く。
しかし。
(……いけるっ!)
パターンがなんとなく理解出来てきていた。
さらには戦場に身を置き、強敵と対峙することで戦士としての感覚がどんどんと研ぎ澄まされていくのを感じる。
ここ最近で最高のコンディションである実感がわたしを包んでいる!
「これ、でっ!」
最後の欠片を撃ち落とす寸前にわたしはルノワールに視線を向けた。
彼女はしばらく前から微動だにしていない。
まぁ軽々動けるような怪我ではないは……ず……?
「……」
(…………何故……?)
一つの疑問が脳裏を掠めた。
思考が働く。
平時ではありえないほどに研ぎ澄まされた本能が警鐘を鳴らす。
そもそも、だ。
赤光の一撃で気を失っているとしたら結界の欠片の攻撃も止まっているはずなので、ルノワールに意識があることは間違いない。
なら何故動かないのか?
始めは赤光で動けないほどのダメージを負ったのだと考えた。
しかしだとしても意識のあるルノワールが戦場でいつまでもあのような無防備な姿を晒すだろうか。
わたしの追い討ちが来ないように結界を周辺に張るべきではないのか?
もしくは意識があるのならば無理矢理にでも回復魔術を施し、動けるコンディションを整えるのではないか。
そこまで思考が働いた時――背後から声が聞こえた。
「……続けますか?」
背後?
否、地面だ。
彼女は地面の下を通ってわたしの傍までやって来ていた。
そして現在、わたしの背中にはトーガを貫いてルノワールの手のひらが触れている。
ビロウガが敗北した瞬間と同じだった。もはや彼女がその気になれば、わたしに致命傷を与えることも容易い状況。
つまり。
「わたしの負け……ね」
ゆっくりと息を吐く。
「こんな手に引っかかっちゃうなんて……ブランクかしら」
思わず言い訳のようなことを口にした。
遠く。
ルノワールが落下したはずの場所へ目を向けると、そこには四散し消え去っていくルノワールの幻の姿が見えた。
「結界で捉えられればそれでよし。破壊されれば攻撃に転じてわたしの意識を奪い、幻を囮にして地中から傍まで接近、ってことよね?」
「はい、仰る通りです。あのまま物量戦を繰り広げても分が悪かったので」
「そう」
はぁ~~。
(やっぱり同条件でも勝てないかぁ)
でも互いに奥の手解禁すると、更にわたしが不利になるしなぁ。
「はぁ、完敗ね」
私が呟くと、彼女は言った。
「ユリシア様には手札がまだまだ残っていますから」
「それは貴女も同じでしょうに」
しかし良い気分だった。
負けたというのに、不愉快な気持ちは微塵も沸き上がらない。
元来わたしは負けず嫌いのはずなのだが、どうしてだかルークとマリンダにだけは素直になれた。
「疲れたわぁ」
久しぶりに飛ばしすぎたか。かなりの魔力を消費した。
いやだけど最初から全力でいかないとルノワール相手では勝負にならない。
「お疲れ様です」
ルノワールはそう言って恭しく頭を下げた。
「貴女も疲れたでしょう、ルノワール?」
「えっ、とそうですね。流石に……」
戦闘で全身が汚れているルノワール。
はにかむ彼女を見ていると、嗜虐心が刺激された。
「一緒にお風呂入る?」
わたしが微笑んでそう言うと、
「なぁっ! なな、何を言い出すんですか、いきなり!」
慌てふためく可愛い侍従の姿はいつも通りの彼女(?)だった。
先ほどまでの身が震えるほどのプレッシャーを放っていた人間と同一人物にはとても見えない。
それがなんだかおかしくて。
「ふふっ。あははっ」
わたしは笑った。
昔からそうだ。
マリンダとルークはどれだけ大きな力を持ったとしても。
本質が変化しない。
力に溺れる事も無い。
彼女は彼女。
彼は彼。
力は力、だ。
強大な力は彼女達の一部分でしかない。
マリンダとルークには力とは別の……人としての魅力がある。
そんなところが素敵だと思う。
わたしもそうありたいと願う。
「ふふっ」
「もうっ! から、からかわないでください!」
「ごめんごめん」
実験場の外で目を丸くしているメフィル達に視線を向ける。
皆一様に驚いているようだ。たとえ伝聞では知っていてもルノワールの実際の強さを目の当たりにするのは初めてなのだから当然かもしれなかった。
だがやはりこういったパフォーマンスは必要だと思う。
実力がはっきりとしないままではメフィルも信頼を寄せづらいだろう。
本当に彼女に護衛が務まるのか?
そう言った疑念が必ず存在してしまう。現にウェンディは重傷を負ってしまっているのだ。ルノワールの年齢を考えれば尚更だろう。
そしてそれはメイド達も同じだ。
まぁこれだけ強いと普通の感性ならばルノワールの力を恐れるのかもしれないが、うちの子達に限ってその心配はないだろう。
これでルノワールがもっと屋敷のみんなと打ち解けられるといいのだけれど。
「さて、と」
外に向かって歩き始める。
わたしの一歩後ろの辺りをルノワールが追ってきていた。
「お腹空いたし……ご飯にしましょうか」
☆ ☆ ☆
「……」
ビロウガとルノワールの戦いでは、皆まだ歓声を上げていたが、もはやここまでの決闘ともなると、呆然とするほかない。
それぐらい圧倒的な光景だった。
ちらりと横を向くとイリーが大きな目を可能な限り見開いている。口も開けっ放しだ。
はしたない、といつもならば諌めるところだが、今日ばかりは私も彼女と同じ心境である。
シリー以外のメイドと私達を守るようにしてビロウガが少し前に立っていた。
私が彼の横顔を窺ってみると、驚いたことに彼も目の前の光景に圧倒されているようだった。
ルノワールは普段はとても慎ましい性格の少女である。
料理上手で、気配り上手で、笑顔を絶やさない。
しかし一度戦闘になると、ここまでの実力を発揮するのか。
(……だけど)
「わっ、わっ! ど、どこを触ってるんですか、ユリシア様!」
「むふふ~。どこでしょう~」
「やっ、ちょっ! む、胸は駄目です~っ」
お母様と戯れ合っている姿はなんとも間抜けであり、その笑顔は無邪気そのもの。
これだけ凄まじい力を持っているにも関わらず。
(なんというか……全然怖くないのよねぇ)
ルノワールとはなんとも不思議な少女だと。
私は改めて思った。