第百五十二話 少女の築き上げたもの
「……本当に向かわれるのですか?」
心配の滲むリィルの声にも私は頷いた。
残念ながら苦笑を洩らす程の余裕はなかったけれど。
「ええ。体調が悪い訳でもないもの。休む理由が無いじゃない」
私の強がりが見透かされている事は分かっている。
でも、それでも。
「ですが……」
「いいの。全くもう。家の前まで迎えに来てくれたのに、まさか引き止められるとは思わなかったわよ」
なるべく軽く口調で言ったが、リィルが笑みを見せてくれる事は無かった。
「メフィルさん……」
あの事件以降、私に対するアゲハの街の人々の態度は明らかに硬質化した。
頭から信じている訳では無いだろう人もいるが、ぎこちなさは拭えない。
更には、あの放火以外の別の事件の犯人に仕立て上げられそうにもなった。
幸いにもディルさんが助けてくれたが、予断を許さぬ状況であることは変わりが無い。
リィルが心配する気持ちも良く分かる。
それに彼女にとっては私だけの問題ではなく、当事者でもある。
「ごめんね、リィルまで巻き込んでしまう形になって……」
「何を……どうかそのような事はお気に為さらないでください」
「……本当に……ありがとう」
火事の一件を槍玉に上げ、学院内での立場は益々悪くなった。
家の中に閉じこもっていようとも。
どこかへ出かけようとも。
どこに居ても居心地が悪いのならば、せめて行動する自分でありたい。
「……何かしら?」
その日、何故か学院の門前に人垣が形成されていた。
私が歩み寄ると、その人垣は割れてゆく。
人々の中心にはシルヴィア=サーストンが居た。
彼女は常以上に傲岸な顔付きで微笑んでいる。
「あら、ようやく来たのね、メフィルさん?」
私の姿を見つけるなり、シルヴィアの瞳の中に残酷な色が浮かんだ。
「……これは何の騒動でしょうか?」
努めて平静を装い尋ねると彼女は言った。
「騒動? ふふっ、これはね。メフィルさん、貴女の送別会よ」
薄く細められた瞳、赤い口紅が怪しく歪む。
「仰る意味が……」
「貴女みたいな犯罪者に学院に居てもらっては困るのよ……分かるぅ?」
「……」
周囲からの視線が突き刺さる。
「今日はね。貴女を学院の中に入って来れないように見張っておこうかと思ってね。わざわざここで待っていたのよ」
「……」
なんだ、これは。
犯罪者?
先日の一件か。
証拠は無く、結局逮捕には至っていないが、それでも私の事を前科者と見做している、ということだろう。
周囲を取り囲んでいるのは学院生ばかりでは無かった。
警備員の方も、一部の先生方も、学院の近くで暮らしている街の方々も、集まって来ている。
その何れからも友好的な意志は感じられず、誰もが私を排他したがっているのが分かった。
「……ぁ」
息が苦しい。
上手く呼吸が出来ない。
誰もが私を敵視している、嫌っている。
蔑む様な瞳に囲まれ、私は碌に言葉を返す事も出来なかった。
「そんな横暴が……っ」
リィルが激昂するも、シルヴィアは冷たく一言。
「黙れよ、お前も退学だ。目障りなんだよ」
「っ!」
「仲良く屋敷の中で篭ってろ」
例え彼女がどれだけ声を張り上げようとも、現在の状況が変わるとは思えなかった。
「……」
心に暗雲が立ち込め視界が暗く閉ざされる。
最近の心労が限界を迎え、その堰が壊れてしまいそうだった。
周囲の悪意が積もり積もって、私の心を押しつぶしている。
「わ、わた……わたし……は……」
悔しい。
悔しかった。
結局はどれだけ強がっても、まるで無駄だったのか。
このまま逃げ帰ってしまえば、どれほど惨めだろう。
足が前に進む事は無かったが、さりとて、後ろに進む事も無かった。
顔を伏せ、涙を堪え、肩を震わせていると、いつの間にかシルヴィアが傍までやって来ていた。
「さっさと消えろよ」
彼女が私の肩を押すと、力無き私の膝は簡単に折れ、尻餅をついた。
そんな私を見下すように嘲笑の渦が巻き起こる。
(……あぁ)
もう。
もう……いい。
もう疲れた。
何故、どうして辛い思いまでして、学院にわざわざ通わねばならない?
誰にも必要とされず、誰からも望まれていないのならば、消えてしまえばいいではないか?
そんな諦観を抱きかけた――その時。
「ま、待って下さい!」
人垣の外から――必死な声が聞こえた。
「ちょっと、どいて! どいてよ!」
「……」
「邪魔しないで!!」
ゆっくりと顔を上げると、強引に人垣を抉じ開けて、数十人もの1組のクラスメイト達がやって来た。
「こ、こんなの横暴です!」
「納得できません!」
「メフィルさんは犯罪なんかしない!」
(……ぇ?)
次々と。
次々と私を擁護する声が上がった。
「そうだぜ、退学なんて認められるかよ!」
「そうよ! メフィルさんが何をしたって言うの!」
「証拠だってないだろ!」
別の方向へと顔を向ければ、ヤライ、ヨグ、ユウキの3人組の姿も在る。
またその勢いに後押しされるように、別の一団も押し寄せて来た。
彼らは全員が平民の生徒であった。
顔の見知った人もいたが、中には一度も話をした事も無い人も混じっている。
「ファウグストスさんの退学には反対です!」
そんな風に。
いつの間にか私の眼前に集まり、まるでシルヴィアから私を守る様に……学院の友人達が駆け付けてくれていた。
茫然とした面持ちでリィルが立ちつくしており、彼女も現状を把握しようと周囲に目を向けている。
座り込む私の元に涙を流しながらサーシャさんがやって来た。その横にはセリさんもスージーさんもいる。
学院で出来た初めての友人達だ。
「ごめん、ごめんねメフィルさん」
「どうして……謝っているの?」
「だって私達……今までずっと怖くて、メフィルさんを無視したりして……」
そんなこと……彼女が気にすることではない。
現在のミストリア王国内の情勢を考えれば、クラスメイト達の対応は無理からぬことであった。
家族の事を思えばこそ……むしろ今の行動は危険極まりない物だ。
「辛い目に遭っているのを知っていたのに……友達なのに……逃げてばっかりで」
「サーシャ……さん」
彼女の震え声を聞きながら。
私の頬にも自然と涙が伝っていた。
「でもやっぱり……このままメフィルさんが居なくなったら嫌だから。そんなことになったら絶対に後悔すると思ったから。だから……」
こうしてクラスメイト達全員が集まってくれたのだろう。
他のクラスで仲良くしていた人達も。
一言二言しか話した事の無い人達までも。
『他にも今のシルヴィアに反抗的な意志を持っている人は大勢いる。そして、メフィルさんのことを慕っている人も大勢いるのよ。貴女達の今までの振舞いが、そういった人達を生んでいる』
クレアさんの言葉が蘇る。
あの言葉は真実だった。
今目の前に――その証拠が在る。
(誰にも必要とされていない?)
そんな事は無かった。
今こうして、勇気を持ってシルヴィアから私を守ろうとしてくれる人が。
こんなにもたくさんいるではないか。
サーシャさんに手を引かれ立ち上がると、いつの間にか傍にはカミィとマルク、そしてクレアさんがいた。
(そうだ……私は一人じゃない……)
「ちっ! うぜぇな、こいつら」
心の底から煩わしそうにシルヴィアが舌打ちを洩らす。
彼女の表情には憤怒の色が浮かんでいた。
私を取り囲む人数の方が、私を守ろうとしてくれている人数よりも遥かに多い。
結局は取り囲んで私を責め立てる、という構図こそ残っているものの、このような状況になってしまっては面白くないのだろう。
「貴女達、私の前でそうやってキャンキャン吠える、って事がどういうことが分かってるんでしょうね?」
据わった目つきで彼女は手を鳴らす。
すると、まるで彼女に仕える騎士の如き振舞いで警備員の男達が警棒を持ち、彼女の横に並んだ。
私を擁護する声が僅かに凪いだ瞬間を狙ってシルヴィアは言った。
「犯罪者を庇った人間も当然共犯。全員退学よ」
彼女は鋭い瞳で続ける。
「貴女達の家も漏れなく潰してあげるわ。今この瞬間を例え逃げたとしても許しはしない。覚悟することね」
シルヴィアの宣言を皮切りに、周囲からの怒号が一層激しさを増した。
それは私を守る為に立ちはだかってくれた生徒達の声をかき消し、凄まじい圧力となって圧し掛かる。
狂気の声を上げ続ける周囲の様子に恐ろしさを感じ始めたサーシャさん達は僅かに怯んだ。
無理も無い反応だった。
これほどの人々から一斉に悪意を向けられ、罵声を浴びた経験など無いに違いない。
彼らは彼らで何とか気概を保とうとしたが、多勢に無勢、場の空気がどんどんと険悪になってゆく。
そして遂に――。
「いたっ!」
スージーさんが頬を押さえてしゃがみ込み、彼女の肩に手を置きつつ、セリさんがスージーさんを支えた。
「スージー!?」
暴力だ。
あの時と同じ。
周囲の人々は囲い込んだ私達に向かって石を投げ始めたのだ。
「くっ!?」
流石にこの数の石を全て捌く事は難しいのか、リィルが眉根を顰める。
クレアさんが「上等じゃない……」と言って拳を鳴らすも、それ以外の生徒達は全員が委縮し、向けられる敵意に及び腰になっていた。
(このままじゃ――)
私を守ろうとしてくれた人々まで――私の巻き添えにしてしまう。
「全員揃って学院からいなくなっちまえ!」
「そうだそうだ! 犯罪者の集団め!」
「学院の面汚しよ!」
その他聞くに堪えない罵詈雑言が吐き出される。
そんな中、実力行使に出ようとした警備員達とクレアさんが戦闘を始めていた。
そして一際鋭い勢いで、群衆の中から石が投げ込まれ、ヤライさんの額に突き刺さった。
「あぅっ」
「ヤライさん!」
彼女の額からは鮮血が流れ、呻く様に身体を倒した。
そんな非道な行いがあっても人々の熱は一向に冷めやらない。
更に酷い事に、群衆の中の一部の人が魔術を唱え始めたではないか。
(どこまでやる気なの……っ!!)
これが群衆の熱量か、正気を失っているのか。
それでもシルヴィアの加護があれば、全てが許される。
そういうことなのだろう。
信じられぬ思いでいる間にも、詠唱は終わる。
そして――魔術が私達に向かって放たれた。
「喰らいやがれ!」
意識せずに身体が動き、私は両手を広げて無詠唱で抵抗魔術を紡ぎ――。
しかし、彼の放った魔術は空中で霧散し、次の瞬間には私達全員の周囲を取り囲む様な巨大な結界が発生した。
力強く白い輝きが一帯を満たしてゆく。
眩いばかりの光量。
誰もが突然の出来事に茫然と顔を上げた。
「なに、これ――!」
苛立たしげにシルヴィアが地団太を踏んだ時。
「これは一体――どういう状況でしょうか?」
ずっとずっと。
思い続け、願い続けていた――声が聞こえた。