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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第4章 内乱
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第百四十七話 感謝

 

 戦火の去ったラフテルの街中で、カナリアは街人達を集めて被害状況を調べていた。


「どう、テオ?」

「そう……ですね。恐らく概算でも……100人以上の死傷者が出ています」

「……そう」


 分かってはいた事だけれど……いざ目の前で国民達の死傷者の数を突きつけられると、カナリアの胸は締め付けられるような痛みを覚えた。


「ですが、姫様が駆けつけなければ、遥かに多くの……」

「ありがとう、テオ」


 無理矢理にでもカナリアを元気づけようとする従者の言葉に短く礼を述べると、彼女は身を寄せ合う人々の方へと近付いて行った。


「姫様」

「カナリア王女様」


 彼女が近付くと。

 否、彼女が動くだけで、群衆の中ではどよめきの声が上がった。


 ここに居る人々は皆、戦場で雄々しく戦っていたカナリアの姿を目にしている。

 優美な装束に身を包み、白馬を駆って戦陣を駆け抜けてゆく姫君の姿は、民に鮮烈な畏敬の念を呼び起こしていた。


 人々に挨拶を交えつつ、カナリアは避難民達の間を駆け回っているキサラの下へと急いだ。


「キサラ」

「ん? どうしたの、カナリア?」

「いえ……状況はどうかしら? 薬とかは……」

「うーん、いや。持って来た薬だけでも十分に賄えると思うよ。もう少しラフテルに着くのが遅ければ話は違ったかもしれないけど」

「そう。それは良かったわ」


 心の底からの安堵の声を洩らしつつ、再度カナリアは群衆へと目を向ける。

 そこにはキサラ以外の騎士団員達も皆が忙しなく駆け回っている姿が在った。


「本当に貴女達……手際が良いのね」


 感心の面持ちと共に、無意識でカナリアは呟いていた。

 その声が聞こえたのか、キサラが年相応の笑顔で破顔した。


「あははっ。まぁね!」


 スレイプニルの傭兵達はそれこそ長年戦場を渡り歩いてきた歴戦の猛者達だ。

 その甲斐もあってか彼らは皆、戦場での治療術に長けていた。

 応急処置の手際はラフテルの街医者ですら舌を巻く程である。


「こういう手当とか出来ないとねぇ。あたし達の場合、命に関わるしね」


 平然と言ってのけるキサラ。

 気負いない言葉なだけに真実味が在り、それが彼女達の生きて来た証なのだと思わされた。


 複雑な表情でカナリアはしゃがんだ彼女のつむじを眺めていた。

 首筋の汚れを見つけたカナリアは手にしていたハンカチを水魔術でそっと濡らし、キサラの首筋を撫でる。


「うひゃっ! 冷たい!」

「少しだけじっとしてて」

「もう~。いきなりは止めてよね」


 くすぐったそうに首を竦めながらキサラはカナリアを見上げた。

 その間にもキサラの指先はテキパキと包帯の準備をしている。

 カナリアも彼女の傍にしゃがみ込み、キサラの頬を拭いながらも作業を手伝い始めた。


「あら、顔も汚れてるわね」

「むぐっ」

「頬もこんなに……」

「戦場で汚れるのは当たり前でしょ」

「そうかもしれないけど……キサラは女の子なんだから」


 こうして傍で見ていると、キサラは化粧っ気は全くと言っていい程無いが、それでも純真無垢で天真爛漫な明るさがあり、顔立ちは整っている。

 磨けば間違いなく、異性の目を惹きつけて止まない淑女となれるだろう。


「女の子、って……」

「ん? キサラは女の子でしょ?」


(あれ……? まさかルークみたいに……?)


 若干の焦りを滲ませたカナリアであったが、彼女の不安は杞憂だった。


「そ、そうだけど! 戦場では男も女も関係無いでしょ」


 拗ねたように頬を膨らませるキサラ。

 そんな彼女を横目で見ながらカナリアは尋ねた。


「じゃあ……戦場以外では?」

「えっ?」

「今はもう戦闘は終わったわ。この後アゲハに帰って。そこではどうするの?」

「ど、どうする、って…………しゅ、修業かな?」


 そういう意味で聞いた訳では無かったが、カナリアはそのまま続けた。


「他には?」

「ほ、他? え、え~っと……ご飯食べて、昼寝して…………修業?」

「……その3つしか無いのね」


 この年頃の少女が。

 こんなにも可憐な少女が。

 

「な、なに? 変かな?」

「いいえ。今までのキサラの人生を考えれば何も変じゃないわ」


 女らしさなど……キサラは考えた事もないのだろう。

 カナリアの知る限り、スレイプニルにはキサラ以外に女性は居なかった。

 男所帯で長年生きていれば、キサラの様な感性になるのも必然かもしれない。


「でも、これからはそうね……色々と覚えていきましょうか」


 何気なく呟いた言葉であったが、思いの外キサラは反応した。


「そ、それって……カナリアみたいに、ってこと?」

「え? 私みたい?」

「え、いやその、だから……さ。その、カナリアみたいに綺麗に、っていうか……良い匂いに、っていうか……」


 なんだか恥ずかしげにキサラは手元を見つめながら口早に言う。

 カナリアの提案を嫌がっている様子は微塵も無い。


 いやむしろ……。


「……」


 照れた様子で僅かに頬を染めている赤毛の少女の姿は非常にいじらしく、ここが戦場で有る事を忘れてしまうぐらいに可愛く思えた。


「ええ、そうよ。お化粧の仕方とか。香水とか、服装とか。キサラも興味ある?」

「うぇっ!? きょ、興味、っていうか……ま、まぁ普段着ないしね……た、戦いにくそうだしさ」

「ふふっ。じゃあ今度一緒に見繕ってあげる」

「ふ、ふーん、そう?」


 隠しきれない嬉しさを滲ませるキサラの横顔を見ていると、カナリアの顔には自然と笑顔が浮き上がって来る。


(やっぱりこの子も女の子なのね)


 幾ばくかカナリアの心の靄が晴れたタイミングで見上げる程の大男がやって来た。


「カナリア」

「ドヴァン……敵の捕虜達はどうなったの?」

「捕えた生きている人間は一か所に集めてある。だが……」

「だが?」


 そこでドヴァンは肩を竦めた。


「自慢じゃないが俺達は尋問の類が苦手でな……とりあえず何か敵の指揮官にでも聞いてみるか?」


 スレイプニルは今まで戦う事が仕事であり、尋問の類などは雇い主の仕事であった。

 もちろん時には行うが、それでも専門家という訳ではない。

 純粋な戦闘に関係する事以外にはお世辞にも長けているとは言えないのだ。

 その上、ミストリア内部の事情についてはドヴァンよりもカナリアの方が精通しているだろう。


「そう……ね。話を聞く必要はあるでしょう」


 と。

 カナリアとドヴァンが話し込んでいると、近くに居た老夫婦がおずおずと二人に歩み寄った。


「あの……」

「どうかしましたか?」

「いえ……私達はラフテルの街のまとめ役をしている者で……」

「あ、町長さんでしたか」

「はい」


 二人は畏まった様子で、カナリアとドヴァンを見上げる。

 老夫婦は突然瞳に涙を滲ませた。


「この度は……本当にありがとうございました」


 震える声音だが、それでもしっかりと……彼らの言葉は周囲に不思議と響いていった。


「姫様方がいらっしゃられなければ、一体どれだけ悲惨な事になっていたか……」

「そんな、町長さん……」


 固辞しようとするカナリアを目で抑え、彼は続けた。


「姫様は軍人でも何でも無い筈です。貴女様のように尊貴な方がこんな片田舎まで私達を救いに来て下さった……これほど嬉しい事がありましょうか」


 カナリアが顔を上げて周囲を見渡すと、町長と同じように誰もが感謝の念をその表情に浮かべていた。


「……いえ。礼を言うのならば……私の騎士団に対してお願いします」


 カナリアの言葉を聞いて、隣に居たドヴァンが僅かに身動ぎする。


「私一人の力で一体何が出来るでしょう……いいえ、私だけでは何も出来はしません。今日この街の人々を救ったのは……今、傷の手当てのために奔走している騎士団員達の尽力の賜物です」


 カナリアは誇る様に、走り回る騎士団員達を見渡した。


「それは……もちろん、その通りです」

「ここにいる彼が……我が騎士団の騎士団長ドヴァンです」

「……」


 ドヴァンは終始無言のままカナリアと町長を見つめるばかりである。

 戦鬼と謳われるだけあり、戦闘中で無くともドヴァンというのは迫力がある威圧感満載の大男だ。

 それでも町長がドヴァンに対して恐怖の表情を浮かべる事は無かった。


「ありがとうございます、ドヴァン騎士団長殿」

「いや俺は……」

「私は見ておりました。街を覆う巨大な怪物を貴方が打ち倒す勇猛な姿を」

「……」

「あの怪物が現れた時は……ラフテルの街は本当に滅んでしまうのだと覚悟しました」


 再び声が震え始めた町長。


「今日受けた御恩は決して忘れません」


 涙交じりの表情で、町長は無理矢理にドヴァンの手を握った。


「本当に……ありがとうございました」


 町長が再度感謝の言葉をドヴァンに述べると周囲からも次々と感謝の言葉が上がった。


「ありがとう」

「ありがとうございました」

 

 或いは声を上げてカナリアに対して。

 或いは町長が手を握るドヴァンに目を向けて。

 或いは手際よく手当てをして回る騎士団員達一人一人に対して。


 ラフテルの街に一斉に感謝の言葉が溢れ返った。

 もちろん、救えなかった人々が居る中で、手放しで感謝を表す事が出来ない人間も居るだろう。

 しかしカナリアは本来であれば、この場に駆け付ける様な身分でも立場でも無いのだ。


 それなのに助けに来てくれた。

 自分達を護る為に命を掛けてくれた。

 人々はそんなカナリア達の気持ちに、行動に、感謝の念を捧げていた。


「……」


 これまでの人生で覚えの無い感覚が天馬騎士団員達の心の中に浸透してゆく。

 今まで数えられない程の戦場を経験してきたが……このように純粋な気持ちで人々から、感謝されるような事が一度でも有っただろうか。


「騎士団長様」


 その時、一人の幼い少女がドヴァンの足元までやって来た。

 煤で汚れた頬を気にせずに、少女は小さなポシェットの中から何かを取り出し、ドヴァンに差し出した。


「これ、わたしの宝物」


 おずおずと差し出されたのは緑色に映えた美しい四つ葉のクローバー。

 

「……これは?」

「知らないの? 四つ葉のクローバーは幸運を呼ぶって言われてるの」

「ほぉ……」


 ドヴァンはなるべく優しい手付きで少女からクローバーを受け取ると繁々と眺めた。


「あげる!」


 受け取ってもらえた事が嬉しかったのか、少女はドヴァンとクローバーを見上げ、微笑んだ。


「……宝物なのだろう? いいのか、もらっても?」

「騎士団長様達が居なかったらお父さんもお母さんも皆死んじゃってた、っておばあちゃんが言ってた」

「……」

「誰かに助けてもらったら、ちゃんとお礼をしなくちゃいけないのよ。だからあげる!」

「……そうか。では有り難くもらっておこう」

「うんっ」


 遠くから少女を呼ぶ母親の声が聞こえてきて、彼女はドヴァンに背を向けて走り去って行った。

 去り際に彼女はもう一度。


「騎士団長様、ありがとうっ!」


 そう言って少女の背中は見えなくなった。


「……」


 しばらくの間、ドヴァンはじっと手元の四つ葉のクローバーを見つめていた。

 



   ☆   ☆   ☆




「さて、と。問題はここから、ね」


 戦闘能力という意味では、カナリアは巨大な戦力を持つ様になったと言っていい。

 今日の戦闘で改めてスレイプニル――天馬騎士団の圧倒的な強さを認識した。


 タービン部隊長達を相手に、ゴーシュ王相手にどう立ち回るか。

 ここからがカナリアにとっての本当の戦いと言えるだろう。


 彼女が捕虜達の元へと向かおうとした時――突然背後から声を掛けられた。


「やぁ……カナリア姫様」


 それは本当に突如とした出現であり、カナリアの護衛についていたテオも、キサラも、声を掛けられるまで、まるでその存在に気付く事が出来なかった。気配を感じる事が出来なかった。


「今から捕虜達の尋問に行くのならば――同行してもよいだろうか?」


 声の主が目深に被ったローブを外すとカナリアは目を見開いて驚愕した。


「な……っ! あなたは――っ!!」






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