第百四十六話 天馬騎士団
「名前?」
「ええ、そう」
首を捻るキサラに対して、カナリアは頷いた。
「スレイプニルじゃ駄目なの?」
己の傭兵団の名前を気に入っているキサラとしては名を変更する必要など無いように思う。
しかし団長たるドヴァンは首を振った。
「スレイプニルの名はそれなりに有名だ。そのまま騎士団の名前にする訳にもいくまい。カナリアにも良からぬ噂が出るだろう。過去の悪名の名残というのは尾を引くものだ」
その言葉を聞いて、何度目になるか分からぬ感心の吐息を心の内でカナリアは零した。
(この御方は見た目の迫力、剛健さ以上に……とても聡い)
「騎士団の名前は別の物を考えた方がいい」
「名前なんてどうでもいいと思うけど……」
「いや……『名』というものは大事だ。それは騎士団の一員にとってもだが、それを聞く者達からしても重要だ。余りにも滑稽な名を付ければ、それだけでカナリアの品位は落ちるだろうし、人々からの信頼も得にくいだろう。逆に良い意味で人々の印象に残り易い名を付ければ、それだけでカナリアの目的成就に一役買う効果がある」
詳しくも無い筈の貴族達、平民達の機微についても理解している。
戦闘中はそれこそ二つ名に相応しい鬼のような姿を見せる男であるが、平時は随分と理知的だ。
そうでなければ100人を超える規模の傭兵団を率いていく事など出来ないのかもしれない。
この一面も彼が部下から絶大な信頼を寄せられている理由の一つなのだろう。
「スレイプニルとは伝説に残る神馬の事を指しているのですか?」
カナリアが尋ねると、ドヴァンは頷いた。
「ああ、そうだ」
「……貴方の放つ黄金の馬は私も見ました」
王宮でのルノワールとドヴァンによる壮絶さを極めた戦いの最中、戦場を縦横無尽に駆ける戦鬼の奥義。
あれにはドヴァンの強い想いが込められていたようにカナリアは思う。
「馬は……貴方達にとって特別な存在なのですね」
「そういう訳でも……」
否定の言葉を返そうとしたドヴァンであったが、快活な妹の声に遮られた。
「そうだよ! アルスは兄貴の親友なんだ」
「アルスとは、あの黄金の馬の名前ですか?」
「そう!」
「……ったく」
おしゃべりのキサラに僅かに顔を顰めつつ、ドヴァンは肩を竦める。
とはいえ、既にあの技を見られている以上、隠し立てする事も無いだろう。
「俺の昔の戦友だ……今でもここにいる」
「ここ」と言いつつ、ドヴァンは心臓の辺りを指差した。
そこには文字通りアルスの遺骨が埋まっている。
「そうですか……」
カナリアは思案するように顎に手を当て、僅かに考え込む素振りを見せた。
「私の名前ですが……」
「あん?」
「カナリア、と言います」
「? 知ってるよ?」
戦鬼兄妹が不思議そうな顔でカナリアに目を向けている。
「いえ……カナリアとは鳥の名前なのです」
「ほぉ……そうなのか」
「ええ、ですから……」
そこで彼女は妙案だとばかりに微笑んだ。
「ペガサス……天馬ではどうでしょうか?」
「天馬?」
「ええ、そうです。未だ小鳥に過ぎない私が大空に羽ばたく為の……翼になって欲しい。そういう意味合いを込めました」
「……ふん。恥ずかしい名前だな」
「ふふ、そうですか?」
「ああ。だが……」
満更でもない様子で頬を上気させるキサラを横目にドヴァンは口角を吊り上げた。
「悪くは無い」
「ふふ、そうでしょう?」
そうして雄々しく天を羽ばたくペガサスの軍旗を掲げる騎士団が誕生した。
☆ ☆ ☆
「街の東に居た部隊、壊滅!」
「敵の進軍は未だ衰えず!」
「こちらの兵士の戦意が失われかけています」
「部隊長! このままでは……っ!」
雪崩れ込んでくる報告は帝国軍にとっては不幸な物ばかりであった。
つい先刻までは自分達が一方的に市民を狩っていたというのに、いつの間にか自分達が狩られる側へと成り果て、半ば恐慌状態で敵から逃げ惑っている。
「相手はたかだか100人なのだろう!? 何をしているのか!!」
「ですがタービン隊長……相手兵士は余りにも強すぎます!」
「くそ、紅牙でもオードリーでも無いというのに……一体何者なのだ!!」
歯噛みし、タービンが唸る。
「こちらの損害は?」
「既に1000人に近い死傷者が……」
既に全部隊の三分の一が崩壊したというのか。
「馬鹿な……有り得ん……」
本当に……一体敵は何者なのか。
「報告します!」
「今度はなんだ!?」
「敵軍の指揮官が判明しました!」
「くそ! そいつは一体全体どこのクソ貴族なんだ!?」
「敵軍の指揮官はカナリア=グリモワール=ミストリア! ミストリア王国の第3王女です!」
その報告が入り込み、俄かに沈黙の帳が下りた。
「馬鹿を言え! ミストリアの王族が……こんな辺境まで、戦場の最前線にやって来ているというのか?」
疑念がタービンの脳裏に流れている。
しかしそれは無理も無い事だ。
平和に現を抜かし、腑抜けたミストリア王族の中にそんな勇猛さを誇る人間がいたというのか。
しかも相手は第3王女。
タービンの記憶が確かであるならば、未だ10代半ばの少女ではないか。
それが強力無比な騎士団を連れて、わざわざラフテルの街に駆け付けた?
俄かに信じられる事ではない。
「……」
とはいえ現状はかなり厳しい。
既に100人の敵兵に対して1000人が敗れている。
このままの勢いで攻め込まれれば、残りの2000人が討ち取られるのも時間の問題だ。
「……くそ。止むを得まい……『アレ』を使う」
タービンが苦々しい口調で呟くと、周囲には微かなどよめきが起きた。
「万が一に備えて、用意しておいて良かった。今こそ使い時だ」
部隊長の言葉に、兵士たちは一様に頷きを返す。
「準備は出来ているか?」
「はっ! いつでも放てます!」
「よし。では『アレ』を解き放て」
そう命じ、タービンは舌なめずりをした。
「くく、王女様に目に物を見せてくれる……」
☆ ☆ ☆
天を揺さぶり、大地を威圧する雄叫びがラフテルの街に降り注いだ。
「っ!? 今のは……っ」
耳をつんざく様な声だ。
思わず両手で耳を塞ぎつつ、カナリアは上空を見上げた。
「なに……あれ……?」
視線の先には巨大な影が在った。
いや、影ではない。
『それ』は巨大な両翼を誇示するように上空を飛翔していた。
大地へと向けられた顔には強靭な顎が垣間見え、微かに開かれた口元から覗くのは凶悪な牙。
赤く、そして鋭く細められた瞳は他の生物を威圧し、かの存在が特別な存在である事を思わせる。
「『ワイバーン』……?」
訝しげな表情でカナリアと同じように上空を見上げていたキサラが呟いた。
「ワイバーン、って……もしかして聖獣の!?」
カナリアが驚愕の声を洩らし、キサラへと目を向けた。
さしものテオも息を呑んで言葉を失っているようだった。
「多分……一度しか見た事ないけど……」
「でも、何故このような場所に……」
しかもこのタイミングで、だ。
ワイバーンは一度上空で旋回すると、広げられた口元から大空に向かって豪炎を吐き出した。
その威力は大地に居る人間達に熱波となって襲いかかる。
「ぐぅっ」
その余波だけでも凄まじい熱量、圧力があった。
大地が鳴動し、立っている事が出来なくなった人々が咄嗟に膝を付いている。
直接矛先を向けられた訳でもないのにこの威力。
先程のは準備運動であったのか、ワイバーンは今度は大地に視線を向けた。
いや、大地に、ではない。
明確にこちらに顎先を向けていた。
ワイバーンはまるで帝国兵を無視するように天馬騎士団を睨んでいる。
「まさか、敵に使役されている……?」
信じたくは無い面持ちで呟いたが、意外な事にキサラは頷いた。
「有り得ない事じゃないかもね。ベルモントにだって出来たんだし……それにあの子も、どちらかと言えば幼獣だと思う」
「あれで子供だと言うのですか?」
「神格を得たワイバーンだったら、さっきの空に向かって放った一撃だけで、多分ラフテルの街はもう吹き飛んでる」
改めて聖獣と呼ばれる生物の恐ろしさに戦慄しつつ、カナリアは白馬を叩き、猛然とドヴァンへ向かって駆けた。
「ん? どうした姫様?」
焦った表情でカナリアがやって来ても彼は顔色一つ変えていない。
戦鬼ドヴァンは平時と変わらずに落ち着いていた。
その彼の様子を見てカナリアも自然と落ち着きを取り戻した。
天空を舞うワイバーンを見て、ラフテルの街の人々は恐慌状態に陥っている。
しかし天馬騎士団の面々の顔色に特別な恐怖など浮かんではいなかった。
(彼らにとっては……些事だと言うのですか……?)
いや、違う。
どの騎士団員達も軽く視線をドヴァンに向けている。
(自分達の団長の力を……信じているのですね)
己の騎士団でありながら、何と頼もしい事か。
歴戦の戦士達から力強さを分けてもらえるかのようだった。
「ドヴァン……」
ワイバーンの口元に爆炎が収束してゆく。
凶悪な顎がラフテルの人々の眼窩に焼き付けられ、空を覆う恐怖の影に怯えている。
(大丈夫……)
信じよう。
王国最強の紅牙騎士団とも対等に渡り合ってみせた彼らの力を。
即席とはいえ、己の下に集ってくれている彼らの力を。
カッと目を見開いた彼女は昂然とした顔付きでロッドを天高く掲げた。
「ドヴァン団長!!」
そうして街中に存在する国民達全員を安心させるように、力強さを分け与えるように――カナリアは己を奮い立たせ、声を張り上げた。
「奴を……撃ち落とせ……っ!!!」
この戦場に置いては、部下達の働きぶりを見守るばかりであった戦鬼。
その彼がカナリアの声を聞いて、ついに動いた。
「――承知した」
ワイバーンが咆哮と共に巨大な爆炎を吐き出した。
あれが直撃してしまえば、天馬騎士団とて無事では済むまい。
ラフテルの街並みはいとも容易く灰燼と化すだろう。
だが――そうはならなかった。
「くっはははっ!!」
戦鬼の呼び名に相応しい凶悪な微笑みを浮かべたドヴァンは、両手で魔力を練り上げ、球状の塊を一瞬にして形成した。
優秀な魔術師であればあるほど、ドヴァンの生み出した魔力球の並外れた力強さに戦慄することだろう。
それはディル=ポーターの奥義を撃ち破り、ルークと共にデルニックの地形を破壊した魔術だった。
彼は生み出した魔力球に向かって己の強靭無比な右腕を叩きつけ叫んだ。
「『インパクト・テイル』!!」
言葉と共に球体から無数の帯状の赤い光が走り、天空に向かって伸び上がった。
ワイバーンの放った豪炎と交じり合い、そして――。
――天空が衝撃で揺れた。
ワイバーンの一撃とドヴァンの一撃が上空で交差し、魔力同士の衝突が途方も無いほどの衝撃を生んだ。
しかしその衝撃の余波がラフテルの街に降り注ぐ事は無かった。
何故ならば――2つの力が拮抗していなかったからだ。
「ぐぎゅあああああああああああああああああああああああっっ!!」
ドヴァンの魔術に完全に力負けした事によって衝撃のほとんどはワイバーンへと走っていた。
両翼が見事に弾け飛び、体中には無数の傷が刻まれ、今にも墜落しそうな程に弱っている。
ワイバーンが己の攻撃を防いだ生意気な人間を確認しようとした時――聖獣の眼前にその男は居た。
「くははっ!」
圧倒的な強者の笑みを張り付かせた戦鬼ドヴァンは上空から拳を振るう。
頭蓋を叩き割る程の衝撃がワイバーンに走り、聖獣はあっけなく意識を手放した。
そのまま巨大な体躯は上空を滑って行き、帝国軍兵士達の真上へと落下していった。