第百四十四話 目覚めた大器
街が燃えている。
ミストリアの国が。
守るべき民達が。
忌むべき侵略者達の凶刃によって齎される阿鼻叫喚の嵐。
そんな様を目の当たりにした途端に私は咄嗟に駆け出していた。
一心不乱、という言葉が相応しいのだろう。
何も意識はしていなかった。
自然と身体が動いたのだ。
(いや……違う)
愛するミストリア王国の民。
彼らの嘆きが、叫びが、救いを求める声が。
私の身体を動かしたのだ。
罪無き人々に向けられる悪意を前にしても、私の身体は怯まなかった。
私を鍛え上げてくれた愛しき少年の訓練の賜物だろうか。
それとも先日スレイプニルと相対した時の経験が私を強くしたのか。
恐怖という感情はどこか彼方へと置き去りにして、挑む様な視線を侵略者に向けた。
眼前に迫る帝国兵達が私を取り囲む。
だが私は冷静に内に眠る魔力を練り上げた。
四肢に満遍なく力が沁み渡ってゆく。
力強くロッドをもう一度握り締め直した私は敵兵が動き出すよりも素早く、肉体を躍動させた。
敵の振るう剣筋を見切り、横合いからロッドを滑らせる。相手が一瞬瞠目した隙を逃さずに、唸り上げる様に横手にロッドを振るい、側頭部に一撃を喰らわせた。
「はぁっ!」
掛け声一閃。
敵兵が吹き飛んでゆく様を視界の端に捉えながら、私の背後に迫る敵兵の眼前に結界を生み出す。
「な……っ」
無詠唱での結界魔術が意外だったのか、たたらを踏んだ敵兵の喉元にロッドを突き出した。
「ぐえっ!」
醜い声を上げる男にも構わず残りの一人に対しては、一足飛びに距離を詰める。
相手は剣を手に持ち、何やら魔術を唱えようとしたが、その動作は余りにも遅すぎた。
相手がスレイプニルならば、紅牙騎士団ならば、サザーランド親子ならば。こうはいかない。
遥か高みを目指す戦士達の影を追い求めたいと願っていた私の目には、敵の攻撃は緩慢の一言に尽きる。
「はっ……!」
手元を叩き、剣を弾き、そのまま勢いを殺さずにロッドを回転させた私は、逆手に持ち替えたロッドの先端を相手の頭に叩きつけた。
「ふぅ」
周囲に敵の姿が無くなった事を確認した私は振り返り、子供を抱いて佇んでいる女性へと目を向けた。
「大丈夫ですか?」
目を丸くして私を見上げる彼女に優しく微笑みかける。
可能な限り柔らかな眼差しで。
お手本はルークだ。
幼き頃……彼が私にしてくれたように。
今度は私が。
誰かの心を安心させてあげたかった。
守られるばかりの自分から脱却し……国民を守る自分になるのだ。
「あ、貴女はまさか……」
おずおずと私が差し出した手を掴んだ彼女の身体をゆっくりと引っ張り上げる。
腕の中に包まれている幼子の小さな手の平が必死に母親の首元にしがみついていた。
今この瞬間――私は確かに。
(この子達を……守る事が出来たのか)
そんな感慨を胸に抱きつつ微笑むと驚いた様子の彼女は言った。
「まさか……カナリア王女様……?」
「はい」
「どうして……王女様がここに?」
どうして?
そんなことは決まっている。
私は決意の籠った眼差しを彼女に向けつつ、確固たる口調で告げた。
「貴女達を救うため。王族の責務を果たすためです」
☆ ☆ ☆
「姫様っ!!」
慌てた様子で駆け付けたテオーセントールはカナリア=グリモワール=ミストリアの姿を見つけ、安堵の溜息を洩らした。
「あまりお一人で先行されては困ります!」
ここは戦場なのだ。
無茶ばかりする王女に、流石のテオも焦りの表情を見せている。
「ごめんなさい、テオ。でもどうしても、身体が言う事を聞かなくて」
「全く……いきなり駆け出すとしても……お願いですから私にだけは声を掛けてください」
「ふふ、心配性ね、テオ」
「当たり前です」
以前よりも幾分か砕けた口調で話し合う主従を尻目に、異変を察知したのか敵軍の部隊が出現した。
ざっと見でその部隊は100人以上は居るだろう。
彼らは街中を我が物顔で歩いており、その表情には他者を支配する者特有の優越感が広がっていた。
「テオ。部隊の準備は出来ている?」
そんな敵兵の姿に決して小さくない憤怒の色を滲ませたカナリアが低い声音でテオに尋ねる。
テオも主人の心の内を感じ取ったのか、居住まいを正して答えた。
「はっ。完了しております」
その声を聞いてカナリアは振り返る。
視線の先には新設したばかりのカナリア直属の騎士団の姿が在った。
最近拵えたばかりのペガサスの軍旗を掲げた軍団だ。
彼らは騎士団を名乗るには軽装な者ばかりが目立つ一団だった。
いつの間にか、騎士団の面々はカナリアの背後で揃い、主人の指示を待っていた。
騎士団の数は総勢でも100人と少し。
対してラフテルに侵攻してきた帝国兵の数は概算で大凡3000。
数の上では圧倒的に不利な状況であり、普通の魔術師を基準にすれば、どう考えても勝算など微塵も窺えないだろう。
だが。
「聞きなさい!」
目をカッと見開いて、カナリアは手にした黄金色に輝くロッドを天高く掲げた。
第3王女の澄み渡るような明瞭な声が響き渡る。
「これが我々の……騎士団としての初陣である!」
静まり返る騎士団は黙って王女の声に耳を傾けていた。
「貴方達が今までとは別の景色を見たいと願うのならば!! それでも戦う事しか能が無いと言うのならば!! ここが……変わる為の初めの一歩である!!」
彼女の声は決意に満ちており、騎士団員達の心にゆっくりと浸透していく。
「敵は無辜の民を襲う悪漢共! 容赦など一片も不要!」
そこで一度言葉を切り、再び彼女は号令を下す。
天にも届けとばかりにカナリアは吠えた。
「王命である!! 正義を執行せよ!! 罪無き人々を救って見せよ!!」
一度ロッドを大地に突き刺し、鋭い音と振動が周囲に広がってゆく。
そうして彼女は今度はロッドの先端を敵集団に向けた。
「『天馬騎士団』!! 全軍突撃っ!!!」
直後、騎士団員達は霞む様な速度で進軍を開始した。
☆ ☆ ☆
「なに? 正体不明の敵兵だと?」
ラフテルを攻め込んでいる帝国軍の部隊長タービンは眉根を顰めた。
「王軍ではないのか?」
「どうやら違うようです」
「ふむ」
顎髭を撫でつけながらタービンは思案を巡らせた。
(王軍の連中は何をしておる?)
既に手慣れた物になりつつある帝国軍の侵攻演出。
わざわざ国境を越えて帝国軍が攻め込んで来たと思わせる侵略行為だが、その実態は自作自演だ。
タービン達自身は正真正銘の帝国軍兵士であるが、事前にミストリア王国貴族の手引きによって、堂々と王国に入り込んで時期を待っていた。
タービン達がミストリアの領土で暴れ回り、王軍が到着するタイミングで潰走したように見せかけつつ去ってゆく。そういう筋書きだ。
王軍の指揮官とも既に話は済んでいる。
しかし今日は横槍が入ったらしい。
「敵の数は?」
タービンとて素人ではない。
頭の中で今後の展開を思い描きつつ、報告に来た兵士に尋ねた。
「はっ! およそ100人程度の騎士団だと思われます」
「……たったの100人?」
「はい」
「ほぉ……それはそれは……」
なんとも愚かな事だ。
大方ゴーシュ王に追従しようとしない貴族達の内の誰かが正義感を振りかざして駆け付けたに違いないだろう。
「念のために確認するが、紅牙騎士団ではないのだな?」
紅牙騎士団はオードリー大将軍と並んで、ミストリア王国で最も危険な手合いだ。
もしも相手が紅牙騎士団ならば、例え100人であっても油断など出来ない。
それ相応の対応が必要となるだろう。
「いえ、軍旗は見た事もない紋様です。紅い仮面も確認出来ていません」
「よし。そうか」
ならば何を恐れる事があるのか。
多少手強い獲物が100人増えた。
それだけではないか。
「早急に始末して、王軍の到着に備えろ」
タービンの指示に頷いた兵士は足早に去ってゆく。
その兵士が再びタービンの元へと帰って来る事は無かった。
☆ ☆ ☆
阿鼻叫喚の嵐が吹き荒れている。
しかし声の主はミストリアの民ではない。
つい先ほどまで捕食する側だった帝国軍が、一瞬にして捕食される側へと回っていた。
「ば……馬鹿な……っ」
「たっ、助けっ!」
「応援を呼べっ。お、応援を……っ!」
彼我の実力差は圧倒的であった。
100人程の帝国軍の部隊は瞬く間に壊滅し、更に歩みを止める事無く、『天馬騎士団』は街中で暴れ回る帝国軍兵士を次々に屠ってゆく。
天馬の騎士団員達は一人一人が歴戦の戦士であった。
帝国軍兵の中には一人として、彼らの武勇に勝る者は存在していない。
テオが持ち寄った白馬に跨りながら、カナリアは逃げ遅れた人々を救うべく街中を走り回り、手を差し伸べていた。当然従者たるテオもカナリアの補佐をしている。
カナリアが遠目に主戦場へと視線を向けると、そこには敵軍をまるで寄せ付けぬ強力無比な己の騎士団の姿が在った。
(心強い……お願いしますね、皆さん)
心の中で彼らに感謝しつつ、カナリアが街中を駆けていると、天馬騎士団の猛攻から幸運にも逃げ延びたのか、一人の帝国軍兵士と鉢合わせた。彼の顔には怯えの色が広がっている。
テオが素早くカナリアを庇うように、身体を投げ出した。
窮鼠猫を噛む、という言葉もある。
例え戦闘能力で劣る相手だろうとも油断は出来ない。
だが。
「あっはははぁっ!!」
そう身構えたテオとカナリアの眼前で、その男の身体が両断された。
男の肉体は綺麗に2分されている。
路地の奥から姿を見せたのは少女だった。
見事な腕前を見せつけた彼女は、己の獲物を肩で担ぎながら微笑みを見せた。
それは大きな大きな……未だ幼さを残す少女には到底不釣り合いに思えるような『大斧』だった。
「無事だった? カナリア?」
赤毛の少女は特徴的な八重歯を煌めかせてカナリアに笑いかける。
「ええ。ありがとう、キサラ」
カナリアの傍であどけない微笑みを浮かべている少女。
それは大陸にその名を轟かす傭兵団スレイプニルの副長。
戦鬼ドヴァンの妹たる少女キサラだった。
「でも貴女がどうしてここまで下がっているの?」
「うん? いやぁ~。兄貴が一応カナリアの守りに付いておけ、ってさ」
「ドヴァンが……そう」
ニコニコと話すキサラに対して硬い表情でテオは告げた。
「キサラさん。曲がりなりにも王族たる姫様に対して、そのような口の聞き方は……」
「こら、テオ。止めなさい」
「しかし」
「いいのよ。そんな事は些細な事だから」
そう言ってカナリアはキサラに近付き、赤毛にかかった砂煙を払った。
「わわっ」
「ふふ。じゃあ今からはキサラも私を守ってくれるのね?」
「うん、まぁね!」
「それは心強いわ」
キサラの髪を軽く撫でつけたカナリアは再び真剣な表情に戻り白馬に跨り直した。
「他にも助けを求める人がいるかもしれない。急ぎましょう」
「承知しました」
「合点!」
テオとキサラを引き連れ、カナリアはラフテルの街を駆け抜けていった。