第百三十六話 兆し
その日、ロスト・タウンの一角で、この街では一風変わった光景が展開されていた。
「ふぅ。よし」
額を僅かに流れる汗を拭い、ルークは周囲を見渡した。
一帯を簡素な柵で囲まれたその場所には、肥料を混ぜ込んだ土が盛られている。
最近になってルークから水魔術を教えてもらったばかりの、ミル、トリス、ララの3人娘が楽しげな様子で土に水を撒いていた。
「……上手くいくかなぁ」
多少の不安を滲ませた少年は苦笑するように独白した。
現在ルーク達が行っているのは農作業だ。
急拵えの素人農場。
スレッガーに必要な種子などを手に入れてもらい、ルークの一存で始めてみた作業であるが、上手くいくかどうかは少年にとっても不透明だった。
このロスト・タウンという地獄にありながら、農作業を始めよう、などと考えたのはルークが最初らしい。
そもそも農作物をまともに作れる可能性事態が低い上に、例え農作物が完成したとしても奪われて終わりだからだ。
とはいえやってみないことには分からない。
人々が奪い合うのは、慢性的に食料を確保出来ていないからだ。
ならばそれを解決する手段を検討するのも悪くは無いだろう。
スレッガーは上手くいくとは思っていない様子ではあったが、それでも準備を進めてくれた事を思えば、多少なりに興味を持ってくれているのかもしれない。
「やっぱり冷えるな……」
呟き、空を見上げる。
肌寒さは最近になってますます強くなり、吹きつけて来る風には思わず背中が震えてしまう。
そんな中、冬場でも生育出来る野菜の種を見つけてくれたスレッガーには感謝しよう。
「さて、と」
一通りの作業を終えたルークは、両腕を掲げ大きく伸びをすると、3人の少女達に声を掛けた。
「そろそろ休憩にしましょう」
「「「はーい」」」
元気な返事と共に、少女達3人がルークの傍に集まって来る。
農場のすぐ傍にそびえる家屋に入り、今にも崩れそうな木製テーブルを4人は囲んだ。
どんよりとした気配が満ちる街中であるが、今日の天気は快晴だった。
「今日は良い天気ですね」
ルークは笑顔と共に呟いた。
そう、今4人は地下では無く地上に居る。
当然の事ながら日光の入り込めない地下では農作業が出来ないからだ。
最初はやはりスレッガーが地下教室の時と同様に渋い顔をしたが、ルークの決心は揺るがなかった。
「僕はやっぱり地上で生活するよ。この3人と一緒に」
少年はスレッガーにそう言い、空いた家屋を見つけ、そこを根城にした。
「僕がドナンに頻繁に出入りしても役に立てることなんて限られている。だったら地上で好きな事をするよ。もしも僕の力が必要な時は、遠慮なく訪ねて来てくれればいい。あと、5日に1回くらいは物資の整理をしに行くよ」
勉強会についても地下教室では無くなった。今では青空教室だ。
ロスト・タウンの現状では人ばかりが増えているものの、食料を確保する方法は限られている。
死体をビジネスに活用しているスレッガー達からすれば一向に構わないのだろうが、ルークの心情としては中々頷ける話ではない。
どの道いつ帝国に切り捨てられるかが分からない以上、自分達で生きて行くための方法を模索する事は重要だ。
「じゃあ、お昼ご飯にしましょう」
そう言って少年は、ロスト・タウンではまず目にかかることは出来ないだろう御馳走をテーブルの上に広げた。
簡素な干し肉に火を通し、ルーク特製のソースで絡め、パンで挟む。
たったそれだけの、とても簡単な……料理とも呼べないような代物ではあるが、ロスト・タウンでは貴重だった。
(帝国軍から調味料を奪えたのは正直嬉しかったかも)
彼らが持っていた食料は全て奪ったが、その中でも様々な調味料を入手出来たのは収穫だった。
食料以上に、この街では調味料の類が手に入りにくいのだ。
「美味しいです!」
「美味しい」
「美味しい……です」
はむはむとミートサンドを租借しつつ、少女達は一様に微笑んだ。
「そっか」
思わず微笑み、ルークは割れたガラス戸の隙間から家の外を見た。
周囲一帯には柵だけではなく、ルークが張った結界が家屋含め展開されており立ち入る事は出来ない。
軽く見渡すだけでは人の姿は見当たらない。
だが。
(視線は感じる)
もっと言えば、ルークにはどこに人が居るかも気配を探れば分かった。
悪感情を抱く者もいれば、好奇心を刺激されている人間もいるのだろう。
未だにどう彼らと接するかは決めかねているルークであったが、それでも注意だけは怠らないようにしようと少年は決めていた。
☆ ☆ ☆
「やぁ」
まるで友人のようにルークを訪ねてきたのはリーファンとローファンの双子だった。
「ん? どうしたの?」
俄かに口角を吊り上げるリーファンの隣では、ローファンも不敵な笑みを浮かべている。
「いやいや、勉強の続き」
「とりあえず、結界を解いてくれよ。とてもじゃないが、入れやしない」
外の世界であれば凶悪とも取れるだろう、ぎこちない微笑みではあるが、双子にとっては精一杯の友好的な表情だ。
「あぁ。もうお昼過ぎだもんね」
何気なく僕が言うと、リーファンは肩を竦めて言った。
「まぁあたし達は、その午前午後、っていう概念もイマイチよく分かんないんだけどね」
「とはいえ太陽が天上を過ぎたら、ってルークに言われてたからな」
ロスト・タウンでは厳密な時間管理をしている人間など居る筈も無い。
時間間隔の曖昧さは、それ故に、だろう。
ちなみに双子が僕の指定した時刻を違えた事は一度も無い。
地下教室から青空教室に変わってからも、この二人は毎日のように僕の元を訪れ、勉強をねだるのだ。
「それにしても、最初はここまでリーファンとローファンが熱心になるとは思わなかったな」
結界を一部解除しつつ、正直に心情を吐露すると、今度はローファンが肩を竦めた。
流石は双子。その仕草といい、浮かべている表情といい、リーファンにそっくりである。
「そうか? 新鮮だぞ、こちらからすれば。勉強になる、ってのはな」
「新鮮?」
「外の世界からやって来る人間ってのは、所謂落後者達だろう? 大抵の奴が俺達と同類のクズ野郎だ。そんな奴らが外界の知識をくれると思うか? わざわざ貴重な時間を使って?」
「しかも大概が気に入らない奴ばかりだ」とローファンは吐き捨てる。
「なんだかそれだけを聞くと僕が変わり者みたいだ」
僕が苦笑すると、リーファンが不思議そうな顔をした。
「? 何を言っているの? 貴方はとてもとても変わっているわよ?」
そんなに真顔で言われるとは思ってなかったので、ちょっとびっくりした。
「え? そ、そう……?」
「あぁ。少なくともロスト・タウンでは他にはいないだろうな」
そう言って小さな小さな農場へと目を向けるローファン。
「あの珍妙な試みも含めて、な」
「珍妙、って……ひどいなぁ」
「まぁ上手くいくのかどうかは楽しみではあるさね」
「そんなこと言って二人で奪いには来ないでよ?」
冗談混じりで言うと、二人の表情はまったく瓜二つの、驚き顔に変わった。
「そんなことするわけ無いでしょ」
「あぁ、間違ってもそんなことはしないな」
なんだか少しだけ過剰な二人の反応だ。
「この街で生きている人間として、明らかに自分よりも上位の存在に歯向かう真似をする筈ないじゃない。死にたくないし」
「そんな事をするのは、くだらないプライドを持ったガキだけだ」
「上位、って……」
「曲がりなりにも、あのイゾルデを止める事が出来るのなんて、ルークぐらいよ」
帝国軍が攻めてきた時の話だろう。
リーファンの言い様に僕は小さく頭を振った。
「あんなのは全然イゾルデの本気じゃないよ」
あの時のイゾルデはただ闇雲に力を振るっていただけだ。
彼女が本気で戦闘モードに入れば、それこそ手を付ける事も難しい。
そもそもアゲハで見せた、あの不気味な『瞳』も顕現していなかった。
「それでも、だ」
「うんうん。例えあれがイゾルデの本気じゃなかったとしても。それでもあの女を止める事が出来る人間なんて居やしない」
「お前さんと……もしかしたらスレッガーでも可能かも知れんが、それぐらいだろうよ」
と、その時、家の方から3人の少女達の気配がした。
こっそりと僕と双子の様子を窺っている。
「あはは。じゃあ早速今日の授業を始めようか」
そうして青空教室が始まった。
☆ ☆ ☆
授業も終わり掛けの、夕刻に差し迫る頃合い、だ。
突如、周囲を覆っていた僕の張った結界が何者かに破壊された。
「「っ!?」」
リーファンとローファンの二人が肩を震わせ、同時に振り返る。
「……」
僕が無言で侵入者の方へと視線を向けると、そこには案の定漆黒の魔女の姿が在った。
流石はイゾルデ、僕の張った結界も彼女を止めるには至らない。
「また、貴方は……」
責める様な口調で歩み寄るイゾルデ。
肩をいからせる彼女に僕は毅然と対峙した。
やはりイゾルデは僕が他の誰かと一緒に居る事が気に入らないらしい。
だが。
「……ぇ?」
その日は、イゾルデの様子がおかしかった。
「……これは、一体…………?」
足を止めたイゾルデ。
彼女は明らかに動揺している。
イゾルデは初め、僕しか眼中に入っていないようだったが、視線をミル、トリス、ララに向け、次いでリーファンとローファンの二人へと目を向け……彼女の動揺は一層激しくなった。
「どういう……こと……?」
「イゾルデ?」
何やら普段とは違う様子のイゾルデに訝しげな表情を僕が作ると、イゾルデの視線が再び僕の視線と絡み合う。
「……」
彼女は一度目を擦り、再び周囲を巡らせると、驚愕冷めやらぬ様子で、ぶつぶつと小声で呟き始めた。
「何故……どうして、一体、これは、まさか、これもゾフィーの……?」
何をイゾルデが考えているかは分からないが、彼女が何かに驚き、動揺しているのは確かだ。
一体、何を考えているのだろうか?
「ゾフィー……」
イゾルデはゆっくりと僕に歩み寄った。
僕が逃げもせずに彼女と向き合っていると、静かに魔女の手の平が持ち上がる。
その手の平が僕の頭上で、止められた。
まるでユリシア様が僕の頭を撫でる時の様な手付きではあったが、イゾルデの手は中空で停止し、動かない。
「……」
「……イゾルデ?」
僕が彼女を不審げに見上げると、イゾルデは突然踵を返した。
彼女は再び少女達3人と双子を一瞥すると、そのまま何も言わずに歩き去る。
「……」
イゾルデが一体何を思ったのか。
疑問は解消されぬままに、僕は彼女の去ってゆく背中を見送った。




