第百二十九話 死の実験場
戦闘の最中、僕は妙な違和感を拭い去る事が出来なかった。
「くっ!?」
6人の子供達による攻撃は熾烈を極めていた。
僕とイゾルデを囲い込む形で各自連携を取りつつ、彼らの攻撃が襲いかかってくる。
子供達は強かった。
でもそれ以上に……何かがおかしい。
(この子たち……魔力が……)
子供達は魔力を、トーガを、ほとんど身に纏っていない。
それは戦闘魔術師としては考えられない事だ。魔力こそが魔術師の戦闘能力を向上させる源なのだから。
それでいて、有り得ない程の身体能力を有している。
また、普通の魔術を使う事無く、終始、肉弾戦のみで僕達を襲っているのはどういう訳だろうか。
「……邪魔くさい」
苛立ちの声を上げるイゾルデの全身からも暗黒が漏れ始める。
そう、現状では彼女の言葉の通り、子供達の戦闘能力は邪魔、というだけだ。
彼らの攻撃能力はそれほど高くはない。
よほどのクリーンヒットをもらわない限りは大丈夫だろう。
しかし縦横無尽に走り回る素早さと、その肉体の頑丈さは厄介であった。
ともあれ、やはりこの場で一番の危険は――。
(ジョナサン……あの男か)
油断なくこちらを見つめつつ、冷静な視線を崩さない頬に切り傷の走っている男。
彼は並外れた身体能力、それこそマリンダに匹敵するだろう程の武術を身につけている。
魔力の質も格段に高く、研ぎ澄まされたトーガを纏いし一撃を受けてしまえば、僕とイゾルデであっても、無事では済むまい。
まだ互いに手の内を探り合っているような段階だ。
それほどの大規模戦闘には発展していない。
しかしどちらかにスイッチが入れば、途端に鉱山内には破壊の嵐が訪れるだろう。
(退くか……?)
ある程度の目的は達成した。
帝国の考え事態は未だに不透明ではあるが、鉱山内で秘密裏に行われている実験についても、捕虜たちの扱いについても、情報は入手した。
姿が見つかってしまった以上、これ以上の戦闘は無意味だろう。
このまま捕虜たちを見捨てるのは心苦しいが、この状況では止むを得ない。
「うふふふっ! あははははっ!!」
戦闘故に、だろうか。
イゾルデは興奮の最中にあるようであり、向かい来る子供達を黒腕で薙ぎ払いながら、時折ジョナサンに向かって触手のような不可思議な魔力の塊を伸ばしていた。
しかしジョナサンはそれら全てを防ぎきっている。見事な体捌きであった。
「レオナルド、もう少し下がっていろ」
戦闘が始まってすぐにジョナサンは警告を発している。
「この女――危険過ぎる」
行動を共にしている僕が誰よりも彼の言葉に同意した。
そう、現在僕の隣に居る魔女は、この世で最も危険な生物の一人であることに疑いの余地は無い。
現状の戦況としては、7対2という人数の不利こそあるものの、拮抗していると言ってもいいだろう。
しかしここは敵の本拠地の一つだ。
目の前で高速で動きまわる子供達が更に増える可能性もある。
下手をすればジョナサンと同格の戦士がやって来るかもしれない。
そうなると戦況は僕達にとっては絶望的になるだろう。
(よし、退こう)
そう僕が決心した時――場の空気が変化した。
「……え?」
先程までは然程の脅威では無かった少年少女。
イゾルデの黒腕の一撃が一人の少年の肉体を弾き飛ばし、その口元から鮮血が飛び散った。
尚も黒腕はその少年を襲い、彼は強かに全身を打ちつけられている。
何度も何度も黒腕の連打を身に受けていた。
常人であれば既に死んでいてもおかしくない攻撃に晒されていた少年。
そして突然――その短い髪を揺らした少年の身に纏う雰囲気が明らかに危険なものへと変貌していた。
それは表情の変化であり、呼吸の変化であり、今まで表出する事の無かった『魔力』の変化でもあった。
短髪少年の右手にはいつの間にか、北大陸ではあまり目にする機会の無い形状の剣が握られていた。
それは美しい刀身だ。
名工の手による珠玉の一品なのだろう。
顔が映り込むほどに磨かれ、打たれた美しい『刀』。
少年はその刀を居合切りの要領で腰の辺りに、持ってくると烈火の如く吠えた。
「うらぁぁあっ!!」
先程までとは違う。
その明確な殺意、覇気、そして魔力。
刀が禍々しい鈍い血色に輝き、彼は言葉と同時に刀を振り抜いた。
何かの魔術の兆候は感じ取れなかった。
しかし確実に何かの『力』が行使されたのは分かった。
とてもとても――危険な力だ。
(そんなまさか――)
そう。
少年が行使したのは、正体こそ分からないが間違いなく――。
(ゲートスキル!?)
迸った圧倒的な力がイゾルデの黒腕を一刀両断し、その力の余波が室内の床を綺麗に切り裂き、僕とイゾルデを含んだ周囲の人間達が重力に身を引かれ、下へと落ちて行った。
そうして僕は目にする事になった。
この場所に眠る本物の禁忌――許されざるこの世の地獄の光景を。
☆ ☆ ☆
死。
死、死、死。
視界を埋め尽くす程の死体の山が部屋中に堆く積まれていた。
漂う腐臭、そして圧倒的な死の放つ不気味な雰囲気の正体はこれだったのだ。
暴力、残虐、残酷、それら全てを凝縮したような……この世の光景とは到底思えない程の鮮烈さだった。
「……」
一体何人の、どれだけの命が奪われたのだろうか。
百人? 千人? それ以上?
想像する事すら困難だ。
ロスト・タウンでもここまでの死は見た事が無い。
それでいてレオナルドや少年達には動揺は皆無だった。
あの死体の山を当然のものとして受け入れている。
余りにも常軌を逸した部屋の様子に僕は言葉を失っていた。
「なるほど……これが『実験』とやらの結果、ということかしらね」
突然イゾルデがぽつりと呟いた。
(実験?)
「……ははっ」
なにも可笑しいことなんか無い。
それでも、何故か、思わず笑いが込み上げてくる。
「実験? 実験て何さ?」
「……それは」
「こんなに……こんな……っ!」
虚ろな少女の既に生気を失った瞳がぼんやりと鉱山の薄暗い天井を見上げていた。
口を半開きにしたまま、目から血を流す男の視線が虚空を見つめていた。
両腕を失った老婦の絶望の表情が大地を恨んでいた。
それが無数に、だ。
ここには絶望しかない。
謂われなき死を強制された哀れな人々の悲しき墓標だ。
「これが実験……!? 人がこんなに死んで、殺して、それが……実験だなんて……っ!!」
「ゾフィー……落ち着いて」
「イゾルデは落ち着き過ぎだよ!!」
壁を越える前に帝国軍人の男が言っていた事からして、この場所では何かしらの実験・研究が行われているのだろう事は分かっていた。
恐らく、ここでは外に洩らす事の出来ない様な後ろめたい何かがあるに違いない。
分かってはいたけれど、それでも、こんな……こんな……っ!
「なんだ、なんだ? 少年はこの程度で動揺しているのか?」
華麗に大地に足を着いたレオナルドは挑発するように言った。
「おいおい、デロニアの切り札とやらも、ちょいと訓練が足りていないんじゃないかぁ?」
「何が……」
へらへらへらへら、と。
笑みを崩す事の無い男の表情が癪に障る。
「何がおかしい!?」
「はははっ! そりゃおかしいだろうが! デロニアの兵士達だって帝国兵を殺しただろう? 貴様もそこまでの力を持っているのならば、人を殺した事が一度や二度ではあるまい?」
楽しそうに言うレオナルドの言い分に対して、いい知れぬ反感を覚えた。
「それとこれとは……っ」
好き好んで人を殺した訳じゃ……っ!
「何が違う!? 綺麗事を言ってくれるなよ。生きるために必要だったとか、国を守る為だとか。そんなものは言葉遊びだろうが! 結局の所、『自分の目的を果たす為に人を殺した』! この事実は変わらないだろう? だったら本質的には俺の行為と貴様の人殺しの行為は一緒だろう?」
まるで高尚な演説をしているかの如く、レオナルドは両手を広げて高らかに告げていた。
「……っ!!」
「俺は負い目を感じない。俺の役に立つ為に死んでいった奴らには好意すら覚えるよ」
そう言って彼は凄絶な微笑みを浮かべている。
「そうさ。俺の役に立つために上で泣き叫んでいる奴らが愛おしいよ俺は。ここで屍になった奴らにしても、俺の為に死んで行ってくれたんだからな。感謝しているさ、はははっ」
その顔は凄惨であっても、どこか不可思議な純粋さにも満ちているようだった。
(おかしい……なんだ、この男……)
底知れぬ瞳が。
言葉の通じない、人間などではないような――そんな狂人。
完全に人間として――壊れている。
「ふむ、そうだな。燃やしておくか?」
そしてレオナルドは玩具で遊ぶ子供のように無邪気に。
無詠唱で手の平から炎の魔術を発動させて、死体の山に火を付けた。
「はははっ! 燃えろ、燃えろ! 綺麗なもんだ!」
バチバチと炎が死体を焼きつくす音が耳の中を木霊していく。
恨めしげに黒灰と化していく人間達の、それはこの世に残す最後の断末魔だ。
この異常な空間に当てられたように僕を原因不明の頭痛が襲った。
「はぁ、はぁ……」
余りにも異常な光景。鼻を刺す異臭。
残酷な人間。
狂った世界。
頭が痛い。
胸が苦しい。
息が尚も激しく荒くなっていき、自然と僕は顔を顰め、頭を下げていた。
戦闘中であるにも関わらず、僕は視線を敵から逸らしていた。
「く……っ!?」
分からない。
なんだ、この胸の中を満たして行く、靄のかかったような感情は。
荒れ狂う様な熱さではない。
むしろ凍えるような寒い――そんな感情。
「あああぁぁぁぁあっ!!」
目の前の光景を認めたくなくて。
こんな世界を許容したくなくて。
僕は魔力を解放した。
それは『武装結界』のように、しっかりと制御された魔術などではない。
ただ闇雲に。
子供の癇癪のような醜い魔力だった。
「……好機!!」
僕の動揺を見たジョナサンの行動は素早かった。
ただ白い魔力に囲まれただけの僕のトーガを軽々と撃ち破る、一撃が突き出される。
鈍った頭、緩慢な動作で、それを見つめていた僕。
ジョナサンの拳が突き刺さる直前――。
「ゾフィー!!」
――イゾルデの黒い魔力がジョナサンを包み込んだ。
「ちぃっ! この女……っ!!」
苛立たしげにイゾルデを睨みつけるジョナサン。
「はぁ、はぁ……っ」
肩で息をするだけの僕の手を取ったイゾルデは焦った様な声音で言った。
「これ以上は駄目。退くわよ、ゾフィー」
「おっと。逃がすと思うかい?」
レオナルドの言葉に応える様にイゾルデは低い声で告げる。
「いつか必ずお前を殺してあげるわ」
それは今日聞いた誰よりも恐ろしい声音だった。
レオナルドよりも、ジョナサンよりも。
イゾルデという魔女の言葉は迫力があった。
「……ふ、くく、はははっ! 面白い女だな!」
レオナルドの笑い声を最後に、イゾルデは僕の手をしっかりと握りしめながら、魔力を込めた。
そうして次の瞬間には――僕達二人の身体はトットナム鉱山の裏手へと移動していた。
例の転移先として、予め用意をしていた場所だ。
でも。
僕は魔術を行使していない。
ゲートスキルを使ったのは僕ではない。
イゾルデが――『転移』を使ったのだ。