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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第4章 内乱
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第百十七話 決断

 

 血相を変えたルノワールがメフィルの前に立ち塞がり結界を展開した。

 目の前で弾けて消える黒腕を尻目に、彼女は鋭い――まるで批難する様な瞳をイゾルデに向けている。

 しかし対する魔女は冷めた表情で佇んでいるのみだった。


「……」

「メフィルお嬢様は関係が無いでしょう!」


 突然に命を狙われた主人の安否を気遣いながら、ルノワールは声を荒げた。


「はぁ?」 


 だがイゾルデの心には何も響きはしない。

 むしろ彼女は不思議そうな眼差しだった。


「何を言ってるの?」


 理解しがたい、といった表情。

 彼女は本当に理解が出来ないのか、その顔には訝しさしか無かった。


「その小娘は貴女の弱点なんじゃないの?」


 突然の指摘。

 続く言葉は核心を突く一言だった。



「相手の弱点を突くのは当たり前でしょう?」



「っ」


 感傷も誇りも何も無い。

 そんなものは必要無い。


 そんな甘い認識でロスト・タウンで生きていたのか?

 そんな驕った認識で自分の眼前に立っているのか?


 彼女の瞳が、そう物語っていた。


 イゾルデとドヴァンは違う。

 一対一の戦士同士の戦いなど、イゾルデが考える訳も無かった。

 彼女は目的を果たす為ならば周囲の犠牲を厭わない。

 分かっていた筈の事実を突きつけられ、ルノワールは今更ながら動揺した。


「……貴女も甘くなったわね」


 常にルノワールに対してだけは友好的な姿勢を崩さなかったイゾルデもこの時ばかりは呆れたように溜息を吐いた。

 イゾルデが軽く右腕を振るうと、続けざまに、再び無数の黒腕がメフィルに向かって放たれる。


「っ!!」


 ルノワールが自身とメフィルの周囲に結界を展開し、その黒腕を防いだ。

 激しい轟音と共に弾ける白い光と黒い光。

 黒腕が結界にぶつかる度に、激しい衝撃が地を揺らした。


「きゃあっ!」

「お嬢様! どうか私から離れないで下さい!」


 焦燥の声を上げるルノワールを見つめながら、荒れ狂う黒い魔力の向こう側でイゾルデが一人静かに呟いた。


「ねぇ、ゾフィー?」


 まるで独り言のように。


「貴女が私の物にならないと言うのならば――」


 何事もない些事であるかのように。



「私はその小娘を――殺す」



 その一言が明確にルノワールの耳に届いた。

 淡々とした口調である事がまた恐ろしい。


(『武装結界・螺旋』で――)


 少女はそう考えるも即座に、己の思考を否定した。


(いや……駄目だ……っ)


 例えあの技を使ったとしても、一瞬でイゾルデを倒せるのか?

 とてもそうとは思えない。

 しかもあの技を使用すると転移を含め、全ての魔術が使えなくなってしまうのだ。

 その間にメフィルに危険が迫る可能性が余りにも高いだろう。

 『武装結界・螺旋』は確かに強力な技だ。

 だが、かの奥義は誰かを守りながら戦う事には適していない。

 

「例え今日ゾフィーがその小娘を守り抜いたとして」


 目まぐるしくルノワールが思考を働かせている間に。

 まるで歌うように魔女は口ずさんだ。



「貴方が私の物にならない限り――永遠にその小娘の命を狙い続けるわ」



 ――絶望的な宣告が為された。



「……っ!」

「逆にゾフィーが私の物になるのであれば、私が手を出す事は無い。その必要が無い。興味が無い」


 彼女は淡々と告げる。


「それだけじゃないわ。貴女が私の物になってくれるのならば……その小娘の命を狙う手を止めさせてもいい」


 その言葉はルノワールの気を惹くには十分な物だった。


「っ!! それ、って……」

「ベルモント=ジャファーの背後で動いていたのは私達。その程度の影響力はある、とだけ教えておいてあげましょう」


 クスクスと微笑み、イゾルデの口角が一層吊りあがる。

 魔女はまるで愉快なショーを目の当たりにしている童女のように微笑んでいた。


「ねぇ、ゾフィー。私の言っている事が分かるかしら?」


 ルノワールさえ、イゾルデの元へ赴くのならば……今後敵がメフィルを襲う事は無い。

 そう彼女は言っている。

 それが真実かどうかはこの場では定かではない。

 しかし現状を鑑みれば、イゾルデの言葉はルノワールの心情を突いた的確な脅迫だった。



「ねぇ、ゾフィー」



 薄く微笑む悪魔の誘惑。



「どうする?」




   ☆   ☆   ☆




(どうする、って……)


 イゾルデの申し出。

 それを受ける事は僕がメフィルお嬢様の護衛を辞めるということ。


(そんなの……)


 許容出来ない。従いたくない。

 僕はこれから先も、可能な限り、主人の傍に在りたい。


 ただ護りたい、というだけじゃないんだ。

 僕は。



(お嬢様の――)



 だが現実的に脅威を目の当たりにして。


(僕が傍に居る事こそが――)


 今のお嬢様にとっては危険な事なのではないのか。

 僕は既にイゾルデとの間に存在する厳然たる実力の差を感じ取り、怯えていた。

 それは何も自分の命を惜しんでの恐怖では無い。


(メフィルお嬢様の安全を思えば――)


 死を運ぶ魔女、イゾルデに命を狙われる。

 彼女の事を良く知っているだけに……それはどんな危難よりも危険な事に思えた。


「……ルノワール?」


 不安そうな声が背後から聞こえてきた。


「……」


 黙したままの僕に対して焦燥感を滲ませるお嬢様。


「貴女まさか……」


 彼女を護り続けると誓った。

 あの時の言葉に偽りは無い。

 その思いは今だって変わらない。


 しかし彼女が。

 お嬢様の命が。


「はぁ……しょうがないわね」


 やれやれ、と。

 肩を竦めたイゾルデが言った。


「これだけ寛容になってあげているというのに」


 そして。



「私のお願いを聞いてくれないなんて……本当にしょうがない子」




   ☆   ☆   ☆




 イゾルデの長い長い髪が逆立ち、それまで抑え込まれていた魔力が全て放出されていく。

 先程までの力ですらルノワールを凌駕する程だったのだ。

 だがその力ですら魔女の全力では無かった。


 心臓の奥底まで響き渡る重い圧力が、人間という種に例えようのない程の恐怖心を植え付ける。

 余りにも強大過ぎる魔力によって、周囲に居る人々が膝からくず折れ、茫然自失したように虚ろな眼差しで、ただただ虚空を眺めていた。

 それはルノワールでも戦鬼でも、マリンダでさえ及ばぬ超常の力。

 瞬く間にルノワールの警戒心が最高にまで高められる。


 だが――全ては手遅れ。


「あはははっ!!」


 深淵を覗き込む魔女の発生させた大きく不気味な『瞳』。

 そこから虚無を象徴するかのような、本当の真黒の闇が広がり溢れ、荒れ狂う。

 まるで魂ごと握り潰そうとする圧倒的な暴力の嵐が吹き荒れた。



「あはははははははっっ!!」



 絶叫と共に迫り来る暗黒の塊がルノワールの前面に張ってあった結界にぶつかる。


「くぅっ!?」

「ふふふふふっ!」


 懸命に歯を食いしばり、暗闇を押し返そうと抵抗した。

 しかし次第に、互いの魔力量の違いに結界が押し込まれ、そして――。


「っ!!」

「あっははぁ!」

 

 結界が消え去り、瞬く間に暗黒がメフィルに向かって放たれる。


「お嬢様っ!!」


 隠しきれぬ動揺、焦燥を滲ませたルノワールが悲鳴を上げながら、その身を投げ出し、メフィルを襲う暗闇を、その身に受けた。


「ルノワール!?」

「ぐぅっ!?」


 身を襲う衝撃に顔をしかめるルノワール。

 だがその間も魔女の攻撃の手は緩まない。

 瞬時結界を展開するも、無残にイゾルデによって破壊された。


 無数の黒い魔力がメフィルを再び襲い、そして。


 その先端がメフィルの身体に触れ――若々しい肢体に鮮血が走った。


「あっ!?」


 ルノワールはメフィルの身体を抱き寄せ、すぐさまイゾルデの攻撃を振り払う。

 しかし主人の左腕の傷から滴る血を眺め、ルノワールは動揺を隠す事が出来なかった。


 尚も続く怒涛の攻撃。

 容赦なき乱舞がルノワールとメフィルを襲い、その度にメフィルに害が及ぶ。

 押しつぶされてしまいそうな重圧がルノワールの両肩にのしかかった。


 やがて。


「……っ!? お嬢様!!」


 攻撃の一部がメフィルの首元に向かって走る。

 その行く末に待ち受ける結末を想像し、ルノワールは絶叫するようにして叫んだ。



「っ!! 分かった……っ!!」



 懇願するようにルノワールがイゾルデに視線を向けた。

 途端に暗黒が動きを止める。

 その攻撃は既にメフィルに対して首の皮一枚の所まで差し迫っていた。



「お願い……言う事を聞くから……お嬢様をこれ以上……」



 つけ狙うのは……止めて欲しい。


 ルノワールの言葉を聞いて。

 目を輝かせるイゾルデとは対照的にメフィルの表情は青ざめていた。


 不可思議な魔女の力によってゲートスキルが使えない以上は逃げる事も適わない。

 イゾルデと戦いながらメフィルを守り抜く事など……これ以上は不可能だった。


「イゾルデについて行く……だから……」

「くふっ。あははははっ!」


 歓喜の声を上げるイゾルデ。

 

「ルノ……ワール……?」


 対するメフィルは震え声で従者の名を呼んだ。

 ルノワールは俯き、真剣な眼差しで主人を見つめた。


「何を……貴女は言って……」


 メフィルの揺れる瞳を覗いているだけで、胸が引き裂かれてしまいそうな痛みがルノワールを襲っていたが、彼女は小さく頭を振った。


「申し訳……ありません」

「何を……何を謝って……っ!」


 しかしこれ以上主人と話をすることが耐え切れないと思ったのか、ルノワールは早口で告げた。


「私が傍に居る事で……貴女が傷付いてしまうというのならば。私が傍に居なければ……貴女の命が救われるというのならば」


 まるで己に言い聞かせるようにルノワールは呟く。

 それは今にも泣き出してしまいそうな程に頼りない声色だった。


 尚も言い募ろうとしたメフィルを遮って、ルノワールの背後に立つイゾルデが言った。


「さぁ、さっさと行くわよ、ゾフィー」


 有無を言わせぬ口調で魔女は告げる。


「……」


 ルノワールは無言のままに、ゆっくりと立ち上がった。


「いやっ……待って……」


 メフィルの手の平とルノワールの手の平が離れる。

 ルノワールがメフィルに背を向け、イゾルデの黒衣に付き従うようにして歩き出した。


 去って行く温もりを追い求めるように、メフィルは小さな声で、震える声で、しかし懸命に叫んだ。


「お願い……行かないで……っ」


 その声を聞いて、一瞬だけ動きを止めるルノワール。

 後ろ髪を引かれる思いがしたが、振り返ったイゾルデの鋭い眼光を確認した途端に少女は抵抗を諦めた。


 ルノワールは最後に一言。



「今まで……ありがとうございました」



 お世話になった主人に感謝の言葉を投げ掛け、少女は魔女と共にアゲハの街を去って行った。







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