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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第3章 王宮の陰
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番外編 ユリシア=ファウグストスの失敗 ~前編~

 

 王宮の奥。

 様々な禁書の類なども蔵書している王宮書庫を抜けて、更に地下へと足を運ぶと、そこには一際大きな部屋があった。

 王宮内の部屋にしてはどこかみすぼらしい。

 しかし入り口の扉に施されている結界の強度は常人では到底潜り抜ける事敵わぬ、高度なものだった。


 そこは王宮の魔術師達が日夜研究に明け暮れるための研究室。

 現在は広々とした室内の一角に高らかな歌声が響き渡っている。


「ふっふっふ~ん♪」


 喜色満面の表情で指先を躍らせる女性の姿があった。

 床には複雑怪奇な魔法陣が描かれている。

 左手に華美な装飾の本を持ち、実に楽しそうな様子で彼女――ユリシア=ファウグストスは声を上げた。


「へぇっ! ほぉほぉ!」


 徹夜明けの高まったハイテンションの女性が手元の本を覗き込み唸っている。

 ユリシアの近くの机の上には堆く積まれた本の山があった。

 他にも用途不明のボロボロの布切れ、細く尖った木の棒。

 更には怪しげな紫色のドロドロとした粘性の強い液体が入った瓶が、風も無いのに不気味にガタガタと揺れていた。


 散らかり放題の周囲に頓着する事無く、彼女は眼前に置かれた大釜に目を向けた。

 釜の側面にはお世辞にも上手とは言えない下手糞な……謎の幾何学模様が描かれている。

 この模様には特に意味は無い。

 この釜を使い始めてからしばらくして、ユリシアが「なんだか無地は味気ないな」と感じてお洒落な模様にしようとした所、悲しい結果に終わってしまった、というだけだ。

 この時ほどメフィルに任せれば良かった、と彼女が後悔した事は無い。


 大きな釜の口の中には緑とも紫とも区別のつかない不思議な色のガスが充満していた。

 これはユリシアが昔から愛用している『錬金釜』だ。

 小さな薬品などであれば小型のビーカーなどで調合する事も多いが、多少大掛かりな魔術や魔法薬を試作する時には、よくこの錬金釜を使用する。


「ふふふっ。やるぞ~っ」


 悪戯好きの少女のような笑みを浮かべながらユリシアは魔法陣の端を軽く叩いた。

 本に書いてある通りに、彼女は魔法陣に順番に魔力を通わせていく。


「……あら?」


 ところが、少しだけ手順を間違えてしまった。

 徹夜明けということもあり、どうやら集中力が失われてきていたらしい。


「まぁ大丈夫でしょっ」


 暢気に気にせずユリシアはそのまま魔法陣に最後まで力を通し切り、釜の中に目を向けた。


「ど~れ、どれ?」


 彼女が嬉々とした表情で覗き込んだ瞬間――、


「わっ!?」


 ――ユリシアの全身が眩い光と膨れ上がる煙に包まれた。




   ☆   ☆   ☆




 王宮の廊下を紅の髪を靡かせた美女が颯爽と歩いていた。


「なに? そんなに遅くまでいたのか?」


 その隣で頬を僅かに上気させた女性が一人付き従う従者の様にして歩いている。

 眼鏡をかけた彼女はミストリア王宮の宮廷魔術師の一人であった。

 名をミユリ=ファーマシーという。

 彼女はマリンダと話す事が嬉しくてしょうがないらしく、終始ニコニコとした表情崩さなかった。


「は、はいっ。ちょっと確認したいことがあって」

「そうか」

「あっ! でも昨日は私が帰る時にもユリシア様はいらっしゃいました」

「つまりあいつが最後か」


 昨夜の出来事を思い出すかのように顎に指先を当てながら彼女は言う。

 二人並んで廊下を進み、研究室の前にまで辿り着いた時。


「む……? 中に誰かいるな」


 眉根を顰め、訝しげな表情でマリンダは呟いた。


「えっ……でも今朝の研究室のメンテナンスは私の仕事ですけれど……」


 マリンダの呟きに、宮廷魔術師は首を傾げ。


「あれ……じゃあ?」 


 昨日遅くまで研究室に居た女性の顔を思い出した。


「ふん、ユリシアのことだ。どうせ徹夜だろう」

「あはは、ですよね」


 苦笑しつつ室内に足を踏み入れる両名。

 ユリシアが研究室で徹夜をする事など珍しくも無い。

 しかし彼女達が部屋に入っても物音一つしなかった。


「……」


 その不自然なまでの静寂。

 更には決して大きくは無いが、不可思議な魔力の流れが蔓延しているような。

 マリンダは咄嗟に違和感を感じた。


(なんだ……?)


 この空気。

 肌にこびりつく様な不愉快な感覚。


(ちっ……嫌な感じだ)


 マリンダが眉を顰めつつ、「ユリシアも流石に眠っているのか」と思いながら研究室の奥に目を向ける。


 すると。


「……ユリシア?」


 そこには身動き一つしない、ユリシア=ファウグストスそっくりの人形が在った。


 それは細部まで本当に良く出来た人形であり、肌の質感や関節の造り、瞳の虹彩や表情までもが本物の人間と見紛うほどである。服装も昨日のユリシアと同様であり、美しい外見は健在だ。


 それでも人形だと思えるのは、どう考えても生気を感じられないからだった。

 呼吸をしていないこともあり、人としてあるべき『生きている雰囲気』が微塵も無いのだ。


「な、なんですか、それ?」


 ミユリが困惑気味にユリシア人形に近付き、そっと手を触れようとした。


 だが。


「っ!! 触るなっ!!」


 マリンダの鋭い叱声が響き、ミユリは身体を強張らせ、手を引っ込める。

 紅の髪の魔術師の声色はひどく真剣身を帯びており、彼女の表情の上には焦りの感情が乗っていた。


 その余りに突然のマリンダの様子の変化にミユリは別種の恐怖の感情を浮かべた。

 今この部屋に居る筈のユリシアがおらず、代わりにユリシアそっくりの人形がある。

 それはもはや本人と瓜二つと言ってもいい出来栄えだ。しかも服装までが同じ。


「……ぇ?」


 何事かを察したミユリ。そして怯えた表情を浮かべるミユリに申し訳なさそうにマリンダは言葉を続ける。


「すまん、今はまだ触れないでくれ……」


 自分を諌める様に静かにマリンダは呟き、ミユリに依頼した。


「頼みたい事がある。今すぐにルークを連れて来てくれないか?」

「……る、ルーク君ですか?」


 マリンダの大ファンであるミユリは当然のことながらマリンダの息子であるルークの事もよく知っており、それなりに親交がある。


「あぁ、そうだ」


 彼女は真剣な顔付きでユリシア人形を睨みつけながら、


「あいつの見立てが聞きたい」


 切実な声音で囁いた。




   ☆   ☆   ☆




「これって……」


 慎重な手付きでユリシア人形の手に触れたルークは、閉じていた瞳をゆっくりと開けた。


「うん、本人に間違いないよ」


 ルークは断言した。


「ユリシア様、だね。なんだろう……ゴーレム、固定化、結界……その辺りの魔術の力によるものだと思うけど」

「生きているのか?」


 僅かに震えた声音でマリンダは息子に問いかける。


「うん、それは間違いない。ちゃんとユリシア様の魔力を感じるし、鼓動も聞こえる」

「……そうか」


 ルークの回答に抑えきれぬ安堵の表情を浮かべるマリンダ。

 しかしすぐさま彼女の身に纏う雰囲気は鋭いものへと変貌していた。


「……誰の仕業だ?」


 何者かの敵の仕業である事を考えたのか、マリンダは悪鬼羅刹の如き表情で尋ねた。

 彼女にとっては何よりも大切な親友の現在の状態が我慢ならないのだろう。

 ミユリを始めとした、研究室に集まった面々はマリンダが惜しみなく振りまく殺気に身を震わせている。

 ただ一人、平然とした様子を崩さないルークが弱々しく頭を振った。 


「……」

「ルーク?」

「うん、と。多分……」


 何事かを言い辛そうに曖昧に頷くルーク。


「心当たりがあるのか?」

「この状況だと……その」


 そしてルークは続けた。



「ユリシア様の自爆なんじゃないかなぁ、って」



「……なに?」


 自信が無さそうな表情ではあったが、それでもルークはきょとんとした顔になったマリンダに言う。


「考えてもみてよ。王宮内にはユリシア様を『害したい』と考えている人はいるだろうけれど、実際にユリシア様を『害す事が出来る』人なんて、ほとんどいないよ。例え徹夜明けの不意を突こうとしても無理なんじゃないかな」

「む……」

「ユリシア様の強さはマリンダの方こそよく知っているでしょう?」


 ルークの言葉も尤もだと思ったのか、マリンダの勢いが僅かに減退した。

 確かに冷静に考えてみれば、王宮に出入りする人間でユリシアに悪行を働ける者など、オードリー大将軍、マリンダ、ルークの3人ぐらいであろう。

 その中でマリンダとルークに関しては絶対に有り得ない。

 オードリー大将軍はそもそも王宮には居ない。彼は今も国境付近の砦に居る筈だ。


「むぅ……」


 しかし何かの罠や、とびきり強力な魔法具や儀式を使えば……と思考を巡らせるマリンダを遮ってルークは続けた。


「それでその本を見て欲しいんだけど」

「本?」

「うん。釜の傍に落ちていた本。付箋が貼ってあるでしょう?」


 ルークの言葉に従いマリンダは机の上に置かれていた本を手に取った。

 その本は何やら魔術の本のようであった。

 パラパラと軽くページを捲っているだけでも、かなりの高度な魔術が記載されていることが分かる。


「あっ。その本って……」


 ミユリが何事かに気付いた様子で声を上げた。

 

「ミユリ?」

 

 マリンダに視線を向けられたミユリは狼狽しつつ、答えた。


「あ、その……昨日ユリシア様が試していた魔術が書いてあった筈、です」

「やっぱりそうなんですか……」


 ミユリの言葉を聞いてルークは呟いた。


「その付箋の貼ってあるページを見てみて」

「付箋? ……『今日はこれを試す!』と書いてあるな」

「いや付箋の内容はとりあえず置いておいて」


 ユリシアの文字で書かれた付箋の貼ってあるページ。

 そこに書いてある魔術は。


「ん……この魔術は」

「そう。『支配』の魔術だよ。そのページには肉体支配に関する記述がある」


 その言葉を聞いて、研究者達の間にどよめきが走った。

 『支配』というのは文字通り、対象を己の制御下に置き、自由に支配する魔術だ。

 精神支配系の魔術であれば、他者の心を無理矢理に意のままにすることが出来、肉体支配系の魔術であれば、他者の身体を強制的に動かす事が出来る。ある程度、ではあるが。

 もちろん、相手と自分との間に相当な力量差、魔力差が無ければ不可能な芸当であるし、そもそもが非常に高度な魔術であるため、ほとんどの魔術師には使用できない。

 現王宮では誰も使いこなせる人間は居ないだろう。


「ほぉ……それはまた危険な魔術を」


 若干の呆れ成分を滲ませつつマリンダは呟いた。


「というか、一応禁止されている魔術だろう、これ」

「うん。まぁそもそもユリシア様ぐらいの技量が無いと扱えないけどね」

「ん……? ということはもしかして」


 何かに気付いた様子のマリンダにルークは微妙な表情で頷いた。


「うん、多分……。ユリシア様は支配系の魔術を使おうとして、でも何かに失敗してしまって……自分にその作用が及び、制御が出来なくなった、っていうところじゃないかなぁ、と僕は思っているんだけど……」


 要するに……自業自得。


「……なるほど。では今のユリシアの状況というのは」

「うん、肉体支配に失敗したから、こんな風に人形みたいになってしまっているのだと思う」


 ルークの言葉にマリンダは納得するように頷く。

 なるほど、確かに筋が通っている。

 原因は分かった。


 ならば。


「どうすれば戻せるか……」

「それなんだけど……ユリシア様の身体の中の魔力の動きからして、どうやら抵抗魔術を発動しているみたい」

「完全に制御を手放している訳ではない、と?」

「いや、支配魔術は完全に失敗してる。でも支配魔術には魔力で抵抗することが出来るから」


 自分で失敗した魔術に自分で必死に抵抗している、という状況なのだとルークは言う。


「ということは見た目は人形でもユリシアの意識はあるのか?」

「恐らく……としか言えないけれど」


 ルークの発言に対して驚きの表情を浮かべたのは宮廷魔術師達だ。

 現在の生気を全く感じられないユリシアが意識を持っている、ということにも驚いたが、それ以上に僅かの時間ユリシアの手を握っていただけで、そこまでの状況を把握出来るルーク=サザーランドという少年の実力に戦慄していた。


「ふむ……では放っておけばユリシアは勝手に復活するのか?」


 危機的状況では無いと感じたのかマリンダの声音が随分と柔らかくなっている。


「うーん……正直結構危ないかも」


 しかしルークの返事は余談を許さない類のものであった。


「なに?」

「支配魔術の影響下にあるから、上手に魔力を扱えていないみたいなんだ。このままだとユリシア様の魔力が切れちゃった時――最悪今のままになってしまう可能性もあると思う」

「なんだと!?」


 マリンダが一気に焦燥に彩られた顔付きで大声を上げた。


「落ち着いて、マリンダ」


 対するルークは静かに告げる。


「僕が外側から補助をする」







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