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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第3章 王宮の陰
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第百十三話 英主の器

 

 仄暗い地下。

 冷たい石造りの壁に囲まれたその部屋は、厳重な結界によって中に居る者が決して外に出る事が出来ぬようになっていた。


 ここはアゲハ近郊のとある幽閉所。

 内軍、外軍によって捕らえられた犯罪者達がひっそりと生きる場所であった。


 硬質な床にカツッ、カツッ、と甲高い靴音が響き、細い坑道の中を虚しく反響し、やがて消えて行く。

 靴音の主はゆっくりと歩みを止め、とある牢屋の中に目を向けた。


 しばしの間無言で佇んでいたが、彼女は静かに一言……虜囚の名を呼んだ。


「……テオ」


 薄汚い廊下には似つかわしく無い煌びやかな衣服を身に纏った貴人。

 ミストリア王国第三王女カナリア=グリモワール=ミストリア。

 静謐な瞳に不安の色を乗せながら彼女は己の元従者を見下ろした。


「……こんな場所に、何の御用でしょうか?」


 それは常と変わらない冷静な声音だ。

 いつもカナリアが傍で聞いていた落ち着いた声。

 

「一国の姫君ともあろう方が幽閉所になど来るものではありませんよ」


 自嘲気味にテオ=セントールは言い放ったが、カナリアは首を振った。


「そうでもないわ」


 思いの外力強いその声を聞いて、今まで床をじっと眺めていたテオが顔を上げる。


「幽閉所ってこんな環境なのね……王宮の外側でまた一つ勉強になったわ」


 テオの瞳の中には、どこまでも真っ直ぐな……美しい姫君の姿があった。

 凛とした立ち姿のカナリアを見つめていると、ここが幽閉所であることを忘れてしまいそうだった。


「ほんの少しの間に痩せたわね」

「そうでしょうか?」

「ええ」

 

 テオは随分とやつれていた。

 この場所に幽閉されてから、さほどの時間が経過していないことを考えると精神的なものかもしれない。

 

 己を見つめる視線、他愛ない言葉のやり取り。

 それらを受け止め、ようやくカナリアは己の従者に再会した事を実感した。


「今日は貴女と話したくてここに来たの」

「そうですか」


 素っ気なく返事をするテオに嘆願するようにカナリアは言う。


「もう少しだけ傍に行ってもいいかしら?」


 言っている意味が分からず首を傾げるテオの眼前で、


「えっ?」


 カナリアは手に持った鍵をゆっくりと扉の錠に差し込み、牢屋の中に足を踏み入れた。



 

   ☆   ☆   ☆




 姫様がここに訪れることはなんとなく分かっていた。

 いや……覚悟していた。

 彼女ならばきっともう一度、自分と話をしたいと望むのではないか、と。


 しかし流石にこれは予想外だった。


「……少し寒いわね」


 そう言って私の隣に腰を下ろす姫様は、優しく微笑んで見せた。

 驚いた事に彼女はわざわざ牢屋の中に入って来たのだ。

 護衛の一人も連れる事無く、裏切り者の居る牢屋の中に。


「何を、しているのですか?」


 私が当然の疑問を投げかけた。


「え? さっきも言ったでしょう? 貴女と話をしに来たのよ」

「そうではありません。何故牢屋の中に?」


 扉は閉じられているが、鍵は開いている。

 つまりその気になれば……私はこの場所から逃げる事が出来る状況だった。


「扉越しに自分の従者と話すなんて変じゃない?」


(私が……従者?)


「……」


 彼女は私の事を……未だに『自分の従者』と呼んだ。

 このような場所で両手に手錠を掛けられている私の事を。

 姫様を騙し続けていた私の事を。


「何を……言っているんですか……っ」


 思いがけず強い口調になってしまった。

 だけど勢いは減じられる事無く、言葉は迸って行く。


「私はっ! 裏切ったんですよ!?」


 どこまで甘い姫様なのか。

 どこまで御人好しなのか。

 私のような罪人の醜い心も知らないでいるようでは、これからの王国で生きていけない。


 そんな現実を知って欲しくて。


「……」


 己の感情を叩きつけるように私は言葉を吐いた。


「姫様を……ずっと騙していた……っ!!」

「……そうね」

「貴女の傍に仕えながら、私は、別の指令が下るのを待っていた!」

「……そう」

「貴女の傍で笑いながら、他の人に仕えていた!」

「……うん」

「貴女を利用し……王国に不和を齎した張本人なのですよ!?」

「うん」


 肩で息をするように私は言った。

 どうして。

 どうして私はこんなにも感情が昂ぶっているのだろうか。


「私は貴女を騙す為だけに遣わされた敵の刺客だった!!」

「うん、知ってるわ」


 どうして私は――こんなにも怒っているのだろうか。


「ならば、いつまでも私を従者などと……っ!」

「じゃあ、何故貴女は――」


 再び口を開いた私の機先を制するように、姫様はそのどこまでも透き通った真っ直ぐな眼差しを私に向けて言った。



「そんな不格好な『小物入れ』を大事そうに掴んでいるの?」



 表情に反し、姫様の声は震えていた。

 そしてその言葉を受け。


「……ぁ。こ、これ、は……っ」


 私は無意識の内に、胸元に仕舞い込んだ右手が、しっかりと小さな布を必死に握りしめていた事を自覚した。


「この場所に幽閉される時……貴女がユリシア様に頼んだのでしょう?」

「……」


 ぎゅっと。

 より力強く、その小さな布を握りなおした。


「…………」


 これだけはどうしても手放したくなかったのだ。

 まるで何かに縋る様に、私はこの『小物入れ』だけを持たせて欲しいと願った。


「こ、これは……」


 だって、これは。


 姫様が私の為に、作ってくれた手作りの――。


「……」

「ねぇ、テオ」


 慈愛に満ちた声が耳朶を打つ。


「私は王宮ではあんまり仲の良い人って居なくてさ」


 知っている。


「……」

「好きな人が王宮から去ってしまって寂しくて。今思えば恥ずかしいけれど私は不幸な姫君なんだ、って一人で浸ったりしてた」


 そう言えば……最初に出会った頃は時折、王宮の外を見つめては寂しそうな表情をしていた。


「…………」

「でもそんな時……テオが来てくれた」


 それは……ゴーシュ様に。

 お父様に命令されたからだ。

 大恩ある父の命令に逆らう事など私には出来ない。


「その時から貴女は私の事を騙していたのでしょう」


 その通りだ。


「……」

「でも、ね。それでもね。例えずっと……ずっとずっと私の事をテオが騙していたのだとしても」


 そこで彼女の瞳を見た。


「私と一緒に過ごしてくれて。私を傍で支えてくれて」



「私は……嬉しかった」


 

 泣き笑いのような表情で。

 姫様はそう言った。


「姫、様……」


 私の目的は姫様の従者として王宮内の情報を収集し、いざという時には、ユリシア=ファウグストスと最も仲の良い王族であるカナリア様を利用し、王国を撹乱する事。


 お父様は常々言っていた。

 平和に明け暮れ、人々は堕している、と。

 特に富裕層の傲慢が目立ち、このままでは王国は駄目になってしまう、と。


 実際にお父様に見せられた貴族達は屑ばかりであった。

 平民達の苦労や生活を省みる事無く、己の私欲を満たすことに躍起になり、怠惰な日々を感受するばかりである。

 彼らが一日にパーティで消費する食糧の、その10分の1があるだけで、救われる孤児達が一体どれだけいることだろう。

 彼らが無造作に捨てている衣服の代金で、どれだけの家族が生活をしていけることだろう。


 それもこれも、貴族達が己の生命の在り方に危機感を覚えていないからだとお父様は言う。

 王族も貴族と似たり寄ったりだ。

 食糧の大切さ、お金の重要性。

 それを再度認識させるためには貴族達に大きな危難を背負わせる必要がある。

 現在の体制を一度破壊し、作り直す必要がある。


 そのための革命――。


(でも……)

  

 私が従者となった王女様。

 彼女は。


(彼女だけは――)


 ――違った。


 違ってしまったのだ。


 お父様に言われ続け、信じ続け、実際に貴族や王族共に嫌悪感を抱いていた筈の私の目の前に居る、この御方は。


 本当に愚か者なのだろうか。

 本当に傲慢なのだろうか。

 本当に平民を軽視しているのだろうか。


(……違う)


 ずっと御傍に仕え、姫様の事を誰よりも近くで見てきた。

 彼女は他の貴族や王族とは違った。

 カナリア姫様は決して豪奢な暮らしを感受するだけでは無かった。

 むしろ彼女は国民達の生活を慮り、可能な限り、慎んでいた。


 毎日努力を欠かさず、誰よりも真っ直ぐに、笑顔で、誇り高く、それでいて万民に優しくあろうと努めていた。


 お父様はずっと一度革命が必要だと言っていた。

 でも、だけど。

 彼女ならば。


 カナリア=グリモワール=ミストリアならば。


 お父様とは違うやり方で……この国を変えていけるのではないか、と。

 彼女さえいれば……王国が堕して行くこともないのではないか、と。

 そんな淡い妄想をしてしまった。

 お父様のやり方は……誰かを傷付けてでも貫き通そうとする革命は本当に正しいのだろうか、と。

 命の恩人であるお父様の意志を裏切るような考えを抱いてしまった。


(いや……)


 もっと端的に言おう。



 私はこの人を――好きになってしまった。



「私、は……」


 掠れた様な呻き声が漏れた。

 なんと言えば良いのか、分からない。


「私、は……っ」


 姫様の傍に居る事が次第に辛くなった。

 私はどうあってもお父様を裏切ることが出来ない。

 それだけは絶対に許されない。


 でもそれでも。

 目の前に居るこの御方を騙し、信頼に付け入るような自分の行為に身が引き裂かれてしまいそうで。


 己の罪が白日の元に晒され、罰を受ける身になった時。

 心のどこかで安堵している自分がいた。

 これでもう私の役目は終わった、と。

 

 だけど。


 姫様との繋がりが完全に断たれてしまうことが怖くて、恐ろしくて。

 私はまるで幼子のように、不格好な小物入れを抱きしめ続けていた。


「ねぇ、テオ? 貴女はどうだった? 私の傍に居ることは……テオにとっては……嫌な日々だったのかな?」

「そのようなこと……」


 既に私の瞳からは止めどなく涙が溢れている。

 これほどまで感情を爆発させたことなど、今までにあっただろうか。


「ある筈が……ございません」


 彼女と過ごす日々の楽しさ、輝かしさ。

 あの温かな日々を忘れ去ることなど……出来ようも無い。


「くっ……」


 私は蹲る様にして背を丸めた。

 姫様の瞳を直視する事がどうしても……出来なかった。


「……ねぇ、テオ」

「…………なん、でしょうか?」

「もう一度。もう一度、さ」


 次の瞬間、私の肩は優しい腕の温もりに包まれた。


「どうかもう一度……私の従者になってもらえないかな?」

「……ぇ」


 心の奥底で願い、しかし儚い夢だと。

 罪人たる己には許されざる望みだと。



 諦めていた自分の世界に……光が差したようだった。



「何、を……言っているのですか?」


 私は裏切り者だ。

 私は罪を犯した。

 そんな私をもう一度雇うなんて。

 そんな馬鹿げた話があるだろうか。


「私は敵で……っ」


 再び私が裏切る可能性を考慮しないのか。


 私は――。


「人々を傷付け……っ!」



 何よりも姫様を――傷付けた。



「貴女が自分の行いが悪い事だと思っているのなら!!」


 だけど私の弱々しい言葉など……彼女の力強い言葉の前では無力だった。




「これからの私を支える事で……償いなさい!!」



 

 叱咤するような、優しい怒声。

 それが私の心の内へとすっと入り込んでいった。


「……姫、様」


(あぁ……)


 改めて思う。

 

 カナリア=グリモワール=ミストリアは王宮では、碌に味方の居ない孤独な王女だ。

 それでいて王位継承権の序列も低く、公爵家程の力も持ち合わせておらず、並外れた知恵や戦闘能力を持っている訳でもない。

 

 しかし。


(この御方は――『光』だ)


 眩いばかりに輝く王族としての不可思議なオーラを纏っている。

 言葉にはし難い、王者の資質がある。

 この御方に付いて行きたくなるような……魅力に満ちている。


 以前から度々感じる事はあったが、今の姫様はより一層輝きを増したように思えた。


「その様な事が……許されるのでしょうか?」

「許します。他ならぬ私が貴女の咎を背負いましょう」

「もう一度……私などを御傍に置いて頂けるのでしょうか。姫様のような方の傍に……私の様な卑怯者が……」

「貴女が自分を責めることを私は止めない。だけど……責めるだけでは前には進めないわ」

「……ぁ」

「言っておくけど」


 そこで姫様は普段のように楽しそうな顔で、朗らかな顔で微笑んだ。


「もう一度私の従者になるからには……しっかりと働いてもらうんだから」




   ☆   ☆   ☆




 私は王族。

 これから王国を襲うだろう危機を思えば私達王族こそが国民を守らなければならない。


 いつまでも……過去にしがみついていてはいけない。


「『力』が足りない……」


 国内警備軍も国外監視軍も王族直属の戦力では無い。

 王族には忠義という不確かな力しか行使出来るものはなく、公爵四家の方が実質的に遥かに大きな力を持っているのが現実だ。


 ではいざという事態に陥った時……私達に何が出来るのか。


「今のままでは――」


 駄目だ。

 王族が無力のままではいけない。

 例え少しずつでも、現状を変えて行く必要がある。


 もちろん一朝一夕ではいかないだろう。

 困難は十分に予想される。


 しかし。


「早速テオにはやって欲しいことがあるの」


 やって見せよう。


「とある人達を探して欲しいの」


 それがこれからの私の戦いだ。




   ☆   ☆   ☆



 

 今回の一件によって、ミストリア王国に混乱が走った。

 不穏分子は国内に蔓延り、帝国の魔の手も差し迫っている。

 王宮も大部分が破壊されてしまった。


 しかし唯一つ。


 王国は掛け替えのない物を手に入れた。


 ルーディットで阿鼻叫喚の渦に包まれていた国民達の叫び。

 己の身近な人が傷付く光景。

 信じていた人の裏切り。

 愛する人との別れ。

 見慣れた愛すべきミストリア王宮の破壊。


 それら激動の事件が一人の少女の中に眠っていた才気の扉を開いた。

 凡庸な者しか居なかったミストリア王族の中に沈み込んでいた大いなる可能性。 


 それはまだ小さな芽に過ぎない。


 しかし。

 

 それは己を律し、質素に努め、努力を怠らず、清濁を合わせ込み、国民を愛する大器だった。



 今宵――ミストリア王国は何者にも得難い英主の器を手に入れた。

 





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