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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第3章 王宮の陰
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第百十一話 お嬢様とお姫様

 

 スレイプニルが王宮を去って行く。

 彼らの背中を止める声を掛ける者はおらず、傭兵達は静かにアゲハを後にした。


「うっ……」


 必死の思いで立っていたのだろう。


「……ぁ」


 スレイプニルが消えた直後、その場に残されたルノワールの身体がふらつき、膝を地に付いた。


「ルノワール!?」


 慌て駆け寄るメフィル、そして友人達。

 糸の切れた操り人形の如く、倒れゆく彼女の身体をメフィルが支えた。

 

「お嬢様……」


 か細い声でルノワールは、傍までやって来てくれた己の主人を見上げる。

 主人に抱えられている己の姿に不甲斐なさを覚えつつ、彼女はゆっくりと口を開いた。

 様々な感情の入り混じった瞳がメフィルの瞳を射抜く。


「危険な目に遭わせてしまい……申し訳ありませんでした」


 彼女は目を伏せ謝罪の言葉を投げかけた。

 その声音に平時の力強さは無い。

 今の彼女はまるで捨てられる事を恐れる子犬のような頼りなさだった。


 メフィルは従者の言葉に目を丸くしていた。

 どうしてルノワールが謝っているのだろうか。


 謝るべきなのは――私の方なのに。


「本当は、私は……」


 震えた声で必死に言葉を紡ごうとする従者がいじらしく、そして愛おしく……メフィルはそっと彼女の身体を抱きしめた。

 弱ったルノワールの肩の震えを少しでも止めてあげたくて。

 彼女は優しく従者を胸に抱いた。


「お嬢、様……?」


 温かな感触が全身に広がり、ルノワールは安堵を覚えると同時に戸惑い、視線を彷徨わせている。


(ルノワールに謝らせるなんて……)


 そんな事が……あってはならない。

 メフィルはずっとずっと。

 言いたかった言葉を口にした。


「あの時は貴女を責めるような事を言って……ごめんなさい」


 己の従者に情けない姿を見せた事。

 子供のような癇癪を投げつけた事。


 それらを謝りたかった。


 突然の主人の謝罪。

 ルノワールは意外そうな顔で目を瞬かせた。


「え……?」


 そっと包み込むように。

 メフィルは小さな身体で、一回り大きなルノワールの身体を支えている。


 メフィルには伝えたい事がたくさんあった。

 でも疲れているルノワールに今多くの事を話すのは忍びない。


 だから一つだけ。

 メフィルの望みを。

 ルノワールの気持ちを。


 どうしても確認したくて。


 

「これからも……私の従者で居てくれる?」



 抱きしめた腕に更なる力を込めて懇願するように。

 メフィルはルノワールの耳元で囁いた。


「……ぁ」

「これからも、私の傍に……居てくれますか?」


 この温もりを失くしたくない。

 どうしようもなく弱い心を傍で支えて欲しい。

 メフィルは心の底からそう思った。


 主人の問いかけに対するルノワールの返事は決まっている。


「……はい…………っ」


 涙交じりで嗚咽を零すルノワールの傍ら。

 彼女の友人達は微笑み合っていた。


 カミーラもマルクも。 

 ディルもリィルも。

 クレアとシリーも。

 カナリアと王妃も。


 未だ混乱は収束しておらず、これから更なる危難が待っているだろう事を予感していたとしても。


 皆がこの一時だけは――微笑み合っていた。

 

「ねぇ、ディル」

「どうした、ルノワール?」


 薄くはにかみ、ルノワールは言葉を紡ぐ。

 隠しようのない程の疲労感を滲ませた彼女の声は弱々しい。


「後は……任せていい?」

 

 ディルは肩を竦めつつ苦笑して見せる。

 弱り果てた弟分には、言われるまでも無い事だ。


 彼はひどく優しい声音で言った。


「あぁ……任せとけ」

「うん……お願い」


 ディルの言葉であれば信じられる。

 ドヴァンが去った今、ディルさえ居れば王宮はもう大丈夫だろう。


 ルノワールはようやく心からの安心を得て、穏やかな表情になった。

 そしてお願いするように主人に伺いを立てる。


「お嬢様」

「何?」


 精一杯の強がり。

 最後の最後に可能な限り優しくルノワールは微笑んだ。


「少しだけ……眠らせて頂いてもよろしいでしょうか?」

「え? って、ルノワール!?」


 次の瞬間。

 ルノワールの全身から力が抜けていき、まるで倒れる様にして彼女は意識を手放した。


 


   ☆   ☆   ☆




 既に王宮内に敵の姿は無かった。

 ディルの指揮の元、スレイプニル全員の退去、その他残党達の掃討は済んでいた。


 王宮内の一室を借り受け、ベッドで安らかな寝息を立てるルノワールの傍ら。

 私はカナリア様と二人、静かに佇んでいた。


「ねぇ、メフィルさん」


 穏やかな口調で彼女は私の名を呼んだ。

 何故か強張る身体を抑えつけながら私は返事をした。


「なんでしょうか?」


 一体何を言われるのだろうか。

 やはり彼女……ルノワールのことだろうか。


 あの日の夜――唇を重ね合わせていた二人の姿が脳裏に蘇る。


 怯えの感情がひっそりと胸に去来していった。


「ごめんなさい」


 でも。


「あの日、他家の使用人に対して無礼を働いた事をまずは謝らせてください」


 カナリア様は落ち着いた口調で、そう言った。


「えっ?」

「マナーに悖る行為であったと……反省しております」


 彼女は私に向けて頭を下げている。

 カナリア様の後頭部を見つめながら、私は戸惑いの声を上げた。


「え、いえ……その」

「私は――」


 続いて顔を上げたカナリア様の瞳には真剣さが宿っており、思わず私は口を噤んだ。


「私はルノワールの事が――好きだったんです」


 ゆっくりと視線をルノワールに向け、カナリア様は優しく目を細めて呟いた。

 対する私は突然の告白にどう反応すれば良いのか分からない。


「でも、振られちゃいました」


 カナリア様はどこか晴れやかな表情で――笑っていた。




   ☆   ☆   ☆




「誰よりも……お慕いしております」


 思いを告げた私はじっと真正面の顔を見つめていた。


「…………」

「あはは……言っちゃった」


 涙声で不格好な微笑みを浮かべる私の瞳から視線を逸らす事無く、ルノワール――ルークは決してふざけず、真面目な声音で言った。


「カナリア」

「……はい」


 一度瞳を閉じ――再び両の瞳を開いた彼は精悍な顔つきをしていた。



「……ごめん」


 

 心のどこかで予知していた言葉。

 そんな返事が返って来ることは予想していた筈なのに。


 でも、実際に彼の言葉を聞いて。


「……うっ」


 私はショックで、胸が締め付けられて。

 辛くて、悲しくて、苦しくて。

 泣き喚きたい気持ちを必死に抑え付け、まるで嗚咽を漏らすように呟いた。


「……そっ、か」


 震える声を抑える事がどうしても出来ずに、顔を伏せた。


「そっかぁ」

「今の僕は、誰かの恋人になれるような人間じゃないよ」

「……」

「護衛の事もあるし、こんな格好をしているような男を――」


 ルークの言葉を遮り、私は言った。


「本当に……それが理由?」

「えっ?」

「貴方は――」


 想っている人がいるんじゃないの?

 私ではなく、ずっと傍に居たい人がいるのではないの?

 気付いていないだけで――貴方は好きな人がいるのではないの?


「いえ、なんでもないわ」



 貴方は自分の主人の事を――どう思っているの?



「ごめんね、急に変な事を言って」


 結局私は頭を振って気丈に振舞ってみせた。 

 そっと立ち上がり、夜空を見上げる。

 尚心配そうに私を見つめるルークを安心させる様に。


「カナリア……」

「一晩たったら……元の私に戻っているから」


 だから。


「お休みなさい」


 これ以上無様な姿を好きな人に見られたくなくて。

 私はまるで逃げるように、その場を後にした。




   ☆   ☆   ☆




「これからも……どうか二人仲良く、頑張ってくださいね」


 意外な事に……カナリア様はすっきりしたような笑顔で言った。


「え?」

「ファウグストス公爵家にも困難はあるだろうけれど……貴女達ならきっと大丈夫でしょう」

「カナリア様……」


 先程聞いた話だが、なんでもテオ=セントールが敵の刺客であったらしい。

 私と違い、傍に侍る信頼していた従者に裏切られた筈のカナリア様の瞳の中に、屋敷を訪ねて来た時のような弱さは無い。

 どこまでも透き通るような、何か強い意志だけがあった。


(この御方は――)


 とても強い人なのだ。

 私はこの時、心の底からそう思った。

  

「カナリア様こそ、これから大変なのでは?」


 おずおずと尋ねた。

 今回の事件の全容はまだ把握出来ていないが、それでも王宮の惨事だけでも被害は甚大だ。


「そうね、そうかも」

 

 彼女は可愛らしく舌を出して笑った。

 その時だけは――一緒に学院に通っていた時と同じ、同年代の年頃の少女のような微笑みを浮かべていた。


「でも……私は王族だから」

「……」

「今回の一件では本当に学ぶ事が多かったわ。それに私自身、何かが吹っ切れた様な感じなの」


 自暴自棄になっている訳ではないだろう。

 むしろその声は力強さに満ちている。

 彼女の意志は強靭であり、私はこの時初めてミストリア王国の王族に対して――本物の畏敬の念を抱いた。


「自分達のためだけではなく、国民のためにも。ルノワールや貴女に笑われないように、己の責務を果たせるように」


 どこか得も言えぬ迫力が伴った言葉。

 カナリア様の身に纏う雰囲気が変化した。

 不可思議な感覚だ。

 しかしそれが、決して嫌な物ではなく、むしろどうしようもなく引き寄せられるような魅力を感じた。


「頑張ります」


 言った後、カナリア様は右手をそっと差し出した。


「メフィルさんに一つだけ……お願いしたいことがあります」

「何でしょうか?」


 そこで彼女は恥ずかしげに薄くはにかみながら、微笑んだ。


「どうか私と……これからも友人でいてくれませんか?」


 自由の利かない王族という立場。

 それでなくてもカナリア様は王宮に味方が少ないと聞いている。

 ルノワールが来てくれるまではカミィ以外に碌に同年代の友人の居なかった私には彼女の気持ちが良く分かった。


 それに。

 カナリア姫殿下ほど、聡明で、優しく、勇気のある方と友人でいることを拒む理由など……有ろう筈がない。


「願ってもないことです」


 言いつつ私も右手を差し出した。

 姫様の手は私の手と比べると随分と力強かった。


「ふふ、ありがとう」

 

 そう言って微笑む彼女の何と可憐な事か。


「いつか……」


 その笑顔に誘われる様に。

 私は自然とこんな事を口にした。



「カナリア様の……絵を描いてもいいでしょうか?」



「えっ?」


 私の言葉を聞いて目を丸くするカナリア様。

 彼女は一瞬だけルノワールに視線を向け、楽しそうに声を上げて笑った。


「ふふ、あははっ」

「か、カナリア様?」


 やはり失礼な申し出だったのだろうか。


「い、いえ。そうね。それはとても嬉しいわ、うん」


 彼女は瞳に小さな雫を滲ませながら、言った。


「とっても素敵ね、それは! 是非とも今度……落ち着いたらお願いしますね?」


 そして彼女もお願いを口にした。


「でしたら私からもう一つだけ良いですか?」

「は、はい。何でしょうか?」

「私の事はどうか……カナリア、と呼んでください」

「え?」

「敬称なんて……友達同士なら不要じゃない?」

「……えぇ、そうですね。でしたら私も呼び捨てで結構です」

「はい」


 カナリア様……いや、カナリアの愛らしい笑顔を真っ直ぐに見つめ返しながら。


「今度……カナリアの絵を描かせてもらってもいいかしら」

「えぇ、よろしくお願いするわ、メフィル」


 私はその日――王女殿下と固い握手を交わした。

 





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