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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第3章 王宮の陰
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第百八話 竜虎相搏つ Ⅲ ~護る為の力~

 

 悲鳴が私の口から洩れた。


「ルノワール……っ!!」


 白銀の鎧が弾け飛び、吹き飛ばされたルノワールの身体がディルさんの張った結界にぶつかる。

 衝撃に短く呻き、そのまま結界に背中から体重を預ける様にして、もたれかかり彼女は動かなくなった。

 美しい肢体は今や血に濡れている。

 彼女の口元から鮮血が迸り、戦鬼の拳が突き刺さった場所が、まるで焼け爛れたかのような痛ましい傷になっており、止めどなく血を流し続けていた。


(嘘……でしょ……?) 


 信じられない。

 信じたくない。

 

 だって、ルノワールは今まで誰にも負けなかった。

 誰よりも強かった。

 ビロウガよりも、お母様よりも。

 聖獣だって軽く打倒してみせたではないか。


 いつだって私の事を守ってくれて。

 大丈夫です、と。

 お任せ下さい、と。

 微笑んでくれていたのに。


 なのに、そんな……。


「……るの、わーる?」


 結界の内側から彼女の背中に駆け寄った。

 しかし彼女に触れる事が出来ない。

 薄く透明な壁が私の邪魔をする。


 振り返り懇願するように視線を向けても、ディルさんは頭を振って決して結界を解いてくれなかった。

 私は力の限り結界に右手を叩きつけながら、彼女の名前を必死に呼んだ。


「ルノワール!」


 返事は無い。

 かつて無いほどに弱り切り、俯く彼女の姿が私の心に暗雲をもたらした。


「くっ、はははっ!」


 私の気持ちなど意にも介さぬ笑い声。


「ははっ! ははははっ!!」


 狂気を含んだ笑い声が王宮の広場に木霊する。

 ゆっくりと。

 笑いながらこちらに向かって歩いてくるのは、戦鬼ドヴァン。


 ルノワールの『武装結界』なる奥義を破り、今や彼は興奮の絶頂にあるようだった。

 再びドヴァンの傍には一体化を解いた黄金の馬の姿が在る。

 赤と金色の輝きはルノワールにとって、死を運んでくる死神に他ならない。


「ルノワール……っ!」


 私はなんとか目を覚まして欲しいと願い、彼女の名を叫び続けた。


 お願いだから。

 目を、開けて。


 私なんかを守らなくたって構わない。

 貴女は転移でこの場を脱出することが出来るのだから。

 だから、早く意識を取り戻して、逃げて欲しい。


「くく」


 しかし気付けばドヴァンは既にルノワールに手が届く距離に居た。

 魔力が練り上げられていき、彼の右腕には私からすれば途方も無い程の力が込められていく。


 そして。

 戦鬼は無慈悲にその右腕を振りかぶった。


「…………やめ、て……」


 私の声は震えていただろう。

 ディルさんを守ろうと戦鬼に立ち向かった時よりも遥かに今の私は恐怖心を抱いていた。


 怖い。

 怖かった。

 大切な人が傷付くことが。

 大切な人が居なくなってしまう事が。


「お願いだから……」


 私がどうなっても構わない。

 王宮だってどうなっても構わない。

 私の持てる物を全て差し出すから。


 だから。

 お願いだから。


「ルノワール……っ!!」


 私の従者の命だけは――奪わないで。




   ☆   ☆   ☆




 昏迷の意識の中。


 僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。


(いや……)


 『僕』じゃない。


(『私』……か)


 『武装結界』が弾け飛んだ感触を思い出す。

 僕の奥義はドヴァンの奥義の前に敗れ、虚しく地に膝を付いた。


(僕は護衛なのに……)


 メフィルお嬢様を護らなくてはいけないのに。

 こんな風に倒れている場合では無いのに。


(何を……しているんだ……?)


 僕は……何を。

 ドヴァンに意気揚々と戦いを挑み、倒れ伏し……そして僕は……お嬢様を……。


(泣かせてしまって……いるのか)


 彼女の切ない声が。

 彼女の必死な声が。

 涙で濡れている感情の叫びが。

 

 僕の心を揺らした。



(どうしてこんな格好をしている?)



 周囲を欺きながら。

 友人に助けられながら。

 お嬢様に罪悪感を抱きながら。

 僕が女性の格好をしているのは何のためだったのか。


 王国を守るため?

 違う。

 そんなものはどうだっていい。


(僕が……『ルノワール』になったのは――)


 護るためだ。

 僕の主人を。

 敬愛するメフィルお嬢様を。


 彼女の周囲に蔓延る危険を取り除き、彼女の平和な生活を守る。

 彼女が心穏やかに、毎日を過ごせるように、心を尽くす。



 僕がここで敗れ、命を失うようなことになってしまったら――彼女は一体何を思うだろうか。



(そうだ)


 心の奥底に火が灯る。


(まだ、だ)


 僕は。

 僕はまだやれる。


 僕はメフィルお嬢様を泣かせるために、彼女の従者になったのではない。

 そんなつもりは毛頭無い。


 逆なんだ。

 いつだって彼女には笑っていて欲しいのだ。

 あの優しい表情で微笑んでいて欲しいのだ。


 彼女の美しい手の平を。

 涙を拭く為ではなく、絵を描く為に使って欲しいから。


 だから。

 そのために。


 は。


 は。


(彼女の世界を)



 護るために――ここにいる。




   ☆   ☆   ☆




 ゆらり、と。

 幽鬼のように突然ルノワールが立ち上がった。


 目の前で彼女を見下ろす大男が楽しげに口角を吊り上げる。


「いい夢は見られたか?」


 意識を失っていたルノワールを挑発するように戦鬼は言った。


「……いえ」


 ルノワールの背後では安堵のためか、息を呑む音がした。

 メフィルは矢継ぎ早に口を開く。


「ルノワール! もう、いいから。私も、王宮もいいから」

「……」

「貴女はすぐにこの場から――」

「――お嬢様」


 ルノワールにしては珍しく、彼女は主の言葉を遮り、言った。

 振り返る事無く、一言。


「御安心下さい」


 それは迷い無く、強い口調だった。


「……ぇ」


 確固たる信念、意志がルノワールの口から言葉となって紡ぎだされる。



「貴女の世界を――お護り致します」



 ルノワールは鋭い視線でドヴァンを見上げた。

 大男に立ち向かう少女の姿に弱気は無い。

 泰然とした立ち姿が艶やかであり、力強さに満ちている。


 しかし彼我のダメージ量は比べることすら出来ないほどであった。

 肩で息をしつつ血に塗れたルノワール。

 片や戦鬼には未だ十分過ぎる程の余力があった。

 明らかにルノワールの方が大きなダメージを負っている。


「ほぉ……まだやるのか?」

「ええ」

「くくっ。そうこなくちゃ、なぁ?」


 背後から聞こえてくる己を案じる友人と主人の声。

 それら一切が聞こえなくなるほどに集中し、ルノワールは再び魔力を解放した。


「あ?」


 使ったのは転移。

 彼女はドヴァンから一足飛びに距離を取った。

 そしてまたもや4つの魔石を瞬かせ、白色の光が周囲を覆っていく。


「……また鎧か?」


 先程の『武装結界』発動時と全く同じだった。

 ドヴァンの視界が眩い光に包まれ、次いで白銀の鎧を身に纏いしルノワールが現れる。



 だが――ここからが違った。



(ここから、だ)


 ルノワールが突如両肩を掻き抱く様にして、掴んだ。

 

「……?」


 一層魔石の輝きが力強さを増していき、吹き荒れる風で彼女の髪が逆立っていく。

 ドヴァンが訝しんだ直後――変化が起きた。


「はぁぁっ!!」


 気合の雄たけびを上げながら、ルノワールが身を捩じらせる。

 白銀の鎧が不気味に蠢き、一瞬の内に形を失い、霧散した。

 そして次の瞬間には再構成されていく。


 その身に纏いし白銀の鎧が捩じれ、流れ、回転し、絶え間なく変形を繰り返す。


(まさか……っ!!)


 そこまで見届け、ドヴァンは気付いた。

 ルノワールが何をしているのか。


(あの、捩じる技を……っ!?)


 『武装結界』で行うつもりなのか。


(馬鹿な……あれは簡単な魔術であっても易々と出来る技術ではない!)


 実際に試してみたドヴァンだからこそ分かる。

 戦鬼ほどの戦士であっても、『螺旋法』というのは非常に難しく、また習得しがたい技術なのだ。

 それを証明するかのように先程までの戦いでもルノワールはトーガ、それと瞬時に展開可能な結界にしか『螺旋法』は使っていなかった。


 それを先程の強力無比な白銀の鎧で行おうとしている?

 それは一体……一体どれほどの技術を要求されるというのか?

 それは一体どれほどの修練が必要となるのか?

 

(出来る訳が……っ!)


 心の中で戦鬼が否定した次の瞬間――さながら嵐のような白色の魔力光が彼の眼窩に降り注いだ。




   ☆   ☆   ☆




 『お前は火力が足りない』


 散々マリンダに言われ続けてきた事だった。

 魔力は多くとも、それを攻撃的な側面に活かす事が下手なのだと彼女は言う。

 もちろん普通の人と比較すれば才能があるのだろう。

 しかし常にマリンダと己を比較してきた僕からすれば、それは深刻な問題だった。


 僕の人生の一つの目標として『母を超える』というものがある。

 戦士として並外れた実力を持つマリンダに憧れている。

 それに……やはり息子としては親を超えたいものだ。


 でも……自分の目標を達成するためには、マリンダと同じやり方では駄目なのだと気付いた。

 彼女を真似て、純粋に武術と魔術の融合という道を辿っても、その道では比類なき天分を持つ母には追いつく事が出来ない。 


 だったら――僕の得意な分野を伸ばし彼女に追い付こう。


 僕が得意としているのは、魔力の精密操作・制御。

 そして結界魔術だ。

 これだけはマリンダにだって負けていない。


 僕が修練の末に編み出した『武装結界』という魔術。

 これは、結界魔術師としての僕の最高の戦闘用魔術だ。

 そこから更に、魔力の制御という己の強みを活かして、より洗練させることを目指した。


 そのための術は知っている。

 ならば練習し、実践するのみだった。

 『武装結界』は唯でさえ、肉体に強い負荷を掛ける技だ。

 そこに更に『螺旋法』を上乗せする。


 苦労は途方も無く、試みは未知数。

 しかし実現出来れば、僕の魔術は更なる高みに昇る事が出来るだろうと思った。


 だが実際に『螺旋法』を組み込んでみると、まるで上手く行かない。

 修業の最中、何度も、無理かもしれない、と思った。


 だけど……そんな考えではいけないのだ。

 

 世の中には天賦の才能を持った凄まじい戦士が存在する。

 神格を得た聖獣だって、途方も無い強さを持っている。

 

 それら全てに打ち勝つだけの強さが欲しかった。

 マリンダの家でもずっと練習していた。

 だけど全くと言っていい程に上手くいく気配は無かった。



 でも一つだけ――最近変化が訪れた。



 一人の少女と出会ったのだ。

 彼女は命を狙われていた。

 その周囲には危険が満ちていた。

 姿の見えない敵が彼女を絶えず襲っていた。


 そして戦鬼ドヴァンとの戦闘。

 引き分けに終わり、屋敷で冷静に思考を巡らせると、嫌な予感に襲われた。

 戦鬼のような敵が今後も現れるかもしれない。

 それは不意を突く形で唐突に訪れるかもしれない。


 その矛先が――『彼女』に及ぶかもしれない。


 そう考えると急に怖くなった。


 気付けば――僕は以前よりも必死に魔術の練習をしていた。

 集中力もマリンダの家で修行していた時よりも遥かに研ぎ澄まされていることを自覚した。


 すると僕の魔術がどんどんと精練されていったのだ。

 不思議な事に、あれほど不可能に思えていた筈の魔術も、なんとか形になる所まで出来るようになった。


 急激に才能が花開いた?

 いや、違う。

 強敵との戦いで、成長した?

 いや……違う。


 そうじゃない。


 変わった事はたった一つだけ。



 戦う『目的』だ。


 

 幼少期の環境によるものだろうが、僕はずっと何にも縛られることが無いような強さが欲しかった。

 マリンダを超えるために強くなりたかった。

 世界中に存在する強敵達に打ち勝つために強くなりたかった。


 だけど――今は違う。


(僕は)


 自分のためじゃない。


 彼女のために。

 主人のために。



 僕はメフィルお嬢様を――『護る為』に強くなるのだ。



「っ!!!」

 

 そして持てる全ての魔力を注ぎ込み、僕は力を解放した。


 渦巻く魔力、蠢く鎧。

 白銀の鎧が揺らめき、周囲を荒れ狂う魔力は嵐の如し。


 今の僕に可能な全力全開の魔術。



「『武装結界・螺旋』」



 これは――大切な人を『護る為の力』だ。






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