第百六話 竜虎相搏つ Ⅰ ~神馬招来~
前回相対した時の互いの力量を探り合うような気配。
此度の戦闘ではそういった要素は皆無であった。
ルノワール、ドヴァン両者とも最初から惜しみなくその魔力を放っている。
互いの全身が赤と白で輝き、その魔力光の輝きが広場を染め上げていた。
ルークの拳がドヴァンの拳を受け止める。
駆け抜けて行く魔力、走る衝撃。
「っ!!」
「っ!!」
全身に伝わる相手の拳の威力。
だが止まらない。止まってはならない。
二人は流れるように次の手を撃ち合っていた。
「はぁっ!」
「おっらぁっ!!」
神速の拳に続いて、ルノワールは肩を引き、鋭い肘打ちを放つ。風切り音と共にしなる肘先はドヴァンの膝に阻まれた。だが防がれた反動を活かすようにしてルノワールは身体を反転させつつ、左手の裏拳をドヴァンの顔面目掛けて突き出す。
ドヴァンは左腕でルノワールの裏拳を防ぎ――次の瞬間、彼は背後に気配を感じた。
(転移……っ!)
この超高速の攻防の最中であっても、ドヴァンはルノワールの攻め手を的確に掴んでいる。
とはいえ転移による移動速度には戦鬼といえど追従する事は出来ない。
故に。
己の態勢が不十分と見たドヴァンは、ゲートスキルにはゲートスキルで対処した。
「くっ!」
会心の一撃を決めるつもりであったのだろうルノワールの身体がドヴァンのゲートスキル『移動』によって強制的に大地に叩きつけられた。
彼女は見事に受け身をとったものの、攻撃の出鼻は挫かれている。
すかさずドヴァンが追撃を掛けるべく、振り向いた時――またしても背後に気配を感じた。
(連続転移……っ!)
振り返った先には既に大地に倒れ伏す少女の姿は無い。
だがドヴァンは素早くこれにも対処した。
戦鬼は今度はルノワールではなく、己の周囲から物質を遠ざけるようにしてゲートスキル『移動』を展開。
彼が振り返った時、ドヴァンに届くギリギリの間合いの外でルノワールの攻撃が止まっていた。
しかし彼女の行動は止まらない。
続けざまにルノワールの攻撃が繰り出される。
彼女は両手を広げ、無詠唱で魔術を発動した。
直後。
灼熱の豪炎が荒れ狂い、大地が唸りを上げて砕け、暴風がドヴァンを地に押さえつけ、雷が戦鬼の身に落ちた。
怒涛の4系統魔術による同時攻撃。
だが系統魔術などドヴァンにとっては物の数では無かった。
系統魔術というのは、自然界に存在する現象を魔力で再現する魔術の事を指す。
系統魔術は見た目にも派手であり、身近な現象を再現するため、分かりやすい。
呪文も大部分が整理されているため体内の魔力操作の感覚も掴みやすく、イメージの補完が容易であり、習得することも比較的楽である。
学問としても体系化しやすく、ミストリア王国でも基本的には魔術の訓練というのは、系統魔術の練習だ。
しかし一線を越えた戦士達は知っている。
系統魔術には無駄が多い事を。
それは魔力を自然現象に『変換』する際にも魔力を消費してしまうからだ。
純粋に魔力を『力』として身に纏い、戦う方が遥かに理に適っている。
もちろん、目くらましであったり、陽動であったり、意図をもってして使う場合は有効である。
だが同じだけの魔力を注ぎ込みながら純粋に『威力』だけを突き詰めたいと願うならば、折角練り上げた魔力を『変換』等に使用するべきではないのだ(とはいえ系統魔術とは違い、イメージがしにくく、体内の力の流れや操作は個人差があり、極めるのは容易ではない)。
故にドヴァンは派手なルノワールの攻撃を冷めた瞳で眺めながら冷静に防いだ。
豪炎など、高められたドヴァンの肉体・トーガの前では無意味。
足を取ろうとした大地を強引に踏みつけ、己の足場とした。暴風など物ともせずに直立している。
雷が身体に流れても、僅かに痺れるのみで、大したダメージになどならなかった。
しかしそれら攻撃を防ぐ、という動作を経ることで、ドヴァンの意識に刹那ではあったが隙が生まれる。
ルノワールが豪炎の先から姿を現した。
右腕に込められているのは、凄まじい魔力を伴った一撃。
そしてその一撃が放たれる直前――ルノワールの姿が消えた。
再びの転移。
だがドヴァンも読んでいる。
己の背後に感じる気配。
ゲートスキル『移動』の発動によって敵を彼方へ弾き飛ばす。
しかし再び消える気配。
今度は戦鬼の真上だ。
彼は反射的にゲートスキル『移動』を発動した。
直後、ルノワールの姿が広場の端まで離れた。
そして彼女はその場で思い切り腕を振り上げる。
高められた魔力は末恐ろしい程であったが、届く筈の無い距離。
だがルノワールの拳が振り抜かれた瞬間、ドヴァンの目の前に小柄な姿が出現した。
「ちぃっ!?」
ルノワールは威力が最も高まる一瞬だけ――転移によって身を寄せ、拳をドヴァンに叩きつけようとしていた。
「は……っ!」
ギリギリで打点をずらし、威力を逃がした戦鬼であったが、この一撃はドヴァンの腹部に直撃した。
流石にふんばりが利かずに、戦鬼の足が大地から離れる。
己の身体が再び後方に飛ばされて行くのを感じつつ、ドヴァンは思考を巡らせた。
一瞬の停滞も無く繰り出されるルノワールの激しい攻撃の乱舞。
しかしドヴァンが気になるのは、そこではない。
(ちっ……あの捩じれた魔力……あれが厄介だな)
戦鬼ドヴァンとルノワールの魔力量はほとんど同量だ。
生み出されるトーガの強度にしても大した差は無い。
で、あれば。
戦鬼はパワーで勝っている筈なのだ。
肉体的にはルノワールよりも明らかにドヴァンの方が優れているのだから。
だが実際に拳を交えると、ルノワールの攻撃はドヴァンと同等の威力を誇っている。
決して力負けなどはしていなかった。
その理由にドヴァンは気付いている。
そして、その『技』こそが目の前の未だ幼い戦士の最も恐るべき部分である、と。
『螺旋法』
ドヴァンは名前を知る由も無いが、それはマリンダ=サザーランドが生み出した魔力運用の技法だった。
魔術において、物質や自然界と同じように『捩じれ』の力を加味する事で、その威力・効果を上げる技だ。
ルノワールはドヴァンと拳を交える際、インパクトの瞬間に魔力を『螺旋法』によって捩じり上げていた。
これによって一瞬だけ、ルノワールの攻撃はドヴァンと同等、いや時には上回るほどの威力を持つに至る。
更にはこの『螺旋法』による捩じれたトーガは、ゲートスキル『移動』の効果を減衰していた。
戦闘の序盤でルノワールの攻撃を『移動』によってドヴァンは防いだが、本来ならば『移動』によってルノワールの身体は遥か彼方まで吹き飛ばされている筈なのだ。
しかし実際にはその場に留まり、ルノワールの拳を止めるだけの結果に終わっている。
(恐ろしい才能……)
ドヴァンはそう認めざるを得なかった。
以前戦った時にも、捩じれた魔力を目にし自分でも真似が出来ないかと練習をしてみたが、到底不可能だった。
上手く魔力を操れない。
下手に手を加えようとすると、まともに魔力を集中させることすら出来ずに霧散していってしまうのだ。
適度に回転力を加え、威力を向上させ、その状態を維持する。
その制御には並々ならぬ才能と修練が必要である事がドヴァンには分かったのだ。
(恐らくは未だ10代)
そんな子供の内から、これほどの技を身につけている。
破格の魔力を有している。
幾多の戦場を経験し、修羅場も潜り抜けてきている。
(相手にとって不足なし)
ドヴァンは己に匹敵するだけの戦士が世界中を見渡しても、余りにも数少ない事を知っている。
これは驕りでも何でもなく、経験に基づく純然たる事実であった。
一流の戦士。
このような幼い戦士が己と肩を並べる事など、今までは考えた事も無かった。
だが実際に。
いざ、そんな才能と相見えたではないか。
それが心地よく、そして嬉しく……同時に魂が震えるほどに昂ぶっている。
(出し惜しみは、しない……っ!)
吹き飛ばされたドヴァンであったが、すかさず態勢を整え、目の前に迫る少女を迎え撃つ。
再び幾度かの攻防を経て、戦鬼はゲートスキル『移動』を使用し、ルノワールと距離を取った。
己の左胸に手を当てながら、ドヴァンはまるで祈るようにして一瞬だけ瞑目する。
「……」
突然の行動に訝しげにルノワールは眉を顰めた。
無闇に戦闘中に隙を見せる戦鬼だとは思えない。
「いくぜ、相棒」
ドヴァンが小さく呟いた直後。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!」
獣のような咆哮と共に――戦鬼は叫んだ。
「――『神馬招来』っ!!」
そして。
戦鬼の全身から黄金の光が溢れ、真っ赤な魔力光と交じり合った。
☆ ☆ ☆
それは一瞬の事だった。
ドヴァンの全身が赤と黄金で染め上げられた直後、ドヴァンの右隣に『何か』が居た。
「……馬?」
ルノワールが首を傾げたのも無理は無い。
そこには戦鬼の魔力で作られたのであろう『馬』がいた。
だが重要なのは馬であることではない。
黄金色に輝くその馬から感じられる『力』だ。
(なんだ、あれ……ドヴァンに匹敵するだけの……っ!)
心の奥底で恐怖にも似た感情が沸き上がり、ルノワールの警戒心を刺激した。
直後――馬が動いた。
「っ!!」
(はやっ……っ!!)
まさに神速。
ドヴァンやルノワールの拳と同等の速度でドヴァンが生み出した『馬』が目の前に走り込んできた。
この突進は受けきれない。
そう判断したルノワールは咄嗟に転移で回避する。
だが回避した先にドヴァンが走り込んで来た。
ドヴァンの拳が襲いかかり、ルノワールは再び転移で、場を離れた。
そして再び転移した先。
ルノワールの身体が『馬』の眼前に投げ出された。
(えっ!?)
いや違う。
追いつかれたのだ。
ルノワールの転移した先に単純にこの馬は走り込んできた。
それだけの事だ。
そして『馬』に引き寄せられていくルノワールの身体。
ドヴァンの『移動』だ。
戦鬼のゲートスキルと馬の突進。
それは一瞬の出来事だった。
「ぐぅっ!?」
その『馬』の突進がルノワールの全身に叩きつけられた。
それはドヴァンの拳に勝るとも劣らぬ一撃。
トーガはもちろん、咄嗟に展開した結界も粉々に撃ち破り、ルノワールの身体が広場の端に吹き飛ばされていった。
宙を舞う少女の姿を尻目に、ゆったりとした動作でドヴァンの元に駆け寄り、その『馬』は嘶いた。
荒々しくも黄金に輝く魔術で作られた馬。
これこそ戦鬼ドヴァンの奥義。
『神馬招来』
☆ ☆ ☆
ドヴァンが物心ついた時には親は居なかった。
大陸中央の紛争地帯で生まれた彼は、幼いながらに強くあることが求められていた。
いや……強く無ければ生き残れなかったのだ。
必死に生き抜き、狡猾に学習し、彼は戦場で成長していった。
そんな中で唯一の友と言える存在が幼少期から共に育った愛馬アルスだった。
決して美しい毛並みではない。
整った容貌をしている訳でもない。
身体は傷だらけであり、鋭い瞳は他者を威圧して憚らなかった。
だがドヴァンにとっては掛け替えの無い存在であった。
出会いは偶然であったが、アルスだけはドヴァンの気持ちを理解してくれた。少なくともドヴァンはそう思っている。
戦場を共に駆け抜けた、唯一無二の戦友。
聖獣程の力は無かったが、それでも山狗程度には優れた力を持った魔獣の一種であった。
しかしドヴァンと出会った頃には既に老齢と言ってもよかったアルスは、寿命により、この世を去った。
その頃既にドヴァンは戦場で一流の戦士として頭角を現しており、魔力・魔術の扱いに長けていた。
涙を流しながら彼が友の亡骸を墓に埋める時――1本だけ、アルスの骨を拝借した。
どのような形でも良いから親友の証を世に残したいと考えた彼は、その骨を埋め込んだ。
己の心臓部、左胸の内側に、アルスの骨を。
自分の魔術の技量が高まるにつれて、懐かしき友を想い、再び共に闘いたいと願い、編み出したのがこの『神馬招来』だ。
魔獣であったアルスの強靭かつ魔力を持った骨を媒介にして、いつでも即座に発動出来るように、彼は魔術を作り上げた。
ドヴァンの渾身の魔力。
洗練された術式。
考えうる限りの力を込めた魔術だ。
何よりも、この魔術にはドヴァンの思い入れがあった。
生み出された神馬アルスはドヴァンに匹敵するだけの魔力を有しており、その動作は機敏だ。
魔術耐性に優れ、尚且つ肉体の一部が欠損しても、ドヴァンの魔力によって即座に回復する。
ゴーレムや式神召喚と同系統の魔術であるが……その強さだけが桁外れであった。
つまり、『神馬招来』を発動したドヴァンと相対した人間は、二人の戦鬼とでも言うべき存在と戦わなくてはならなくなる。
ドヴァンの圧倒的な戦闘能力に加え、アルスとの連携攻撃、そしてゲートスキルの『移動』。
大陸屈指の名高い傭兵団団長。
死角存在せぬ、戦鬼の怒涛の攻撃が始まった。