第百三話 導き手
突然のユリシア様の蒼光。
しかし放たれた先に居た女性は前面に障壁を展開し、見事に防いで見せた。
まるで……こうなる可能性を考慮していたかのように。
「ふ……っ!」
だがユリシア様は止まらない。
蒼光を放った時には既に彼女の身体は敵に肉薄している。
素早く背後に回り、両手を相手の背中に宛がうと、瞬時に魔術を展開した。
「あぅ……っ!?」
短い悲鳴と共に身体がビクン、と跳ねる。
構わずユリシア様の身体から桜色に輝く魔力の紐が出現し、彼女を拘束した。
すかさず敵の口の中に手を突っ込み、口内に毒を仕込んでいないかを確認。
舌を噛み切って自殺を図ろうとする可能性も考慮し、会話が出来る程度に軽く顎を麻痺させた。
あまりにも突然の出来事に茫然としていたカナリアが口を開く。
「ちょ、ちょっとユリシア様!?」
彼女は混乱しつつユリシア様に駆け寄りながら、抗議するように声を上げた。
「な、何をしているのですか!?」
しかし些かも動揺する事無く、ユリシア様は淡々と告げる。
「見て分かりませんか? 最も怪しい人物を拿捕しました」
「怪しいって……」
何を馬鹿な、と。
ユリシア様が拘束している人物に目を向けながらカナリアは言った。
「『テオ』は……私の従者ですよ!?」
ユリシア様に組み敷かれるようにして地に倒れたテオ=セントール。
彼女は常と変わらぬ冷静な表情のままカナリアを見上げていた。
☆ ☆ ☆
ユリシア様は己の推測を整理するため、そしてこの場にいた僕達に説明をするために。
彼女も未だ確信に至ってはいないのか、ゆっくりと話し始めた。
「まず初めに……今回の一件について、わたしはどうしても情報の裏付けが取れませんでした」
ユリシア様は自分の娘の襲撃の一件、リヴァイアサンの一件、そしてスレイプニルの存在。
それらの脅威に対抗するために躍起になって日夜情報収集を行っていた。
それでも彼女は敵の尻尾を掴むことが出来なかったのだ。
怪しい、と思えるだけの存在は数多くいたが、明確な革命の気配を感じ取るには至らなかった。
「それでもわたしが『祈りの祭壇』の事件を信じた理由は……カナリア姫様、貴女が命からがらにわたしにもたらしてくれた情報だからです」
「え?」
「わたしはカナリア様の事をよく存じております。貴女がそんな馬鹿げた嘘を吐く筈もない。事実、貴女の瞳からは一切の嘘を感じ取ることは出来ませんでした。洗脳をされている様子もなかった」
それから彼女は更に精度の高い情報を求めた。
だが。
「あやふやな情報ばかりが錯綜しておりました。厄介な事にスレイプニルの存在も手伝って、唯でさえ少ない紅牙騎士団も中々自由に身動きを取れませんでした」
「……」
「元々わたしは祈りの祭壇の事はオードリー将軍に任せるつもりでした。紅牙騎士団の力まで割かずとも良いだろう、と」
しかしカナリアの命が狙われるほどの事態。
王族暗殺の情報がもたらされた。
「敵が本気で国家転覆を狙っているのならば、万が一の事態も見過ごせません。故にルーディットに厳戒態勢を敷いた」
戦場の最中であるにも拘らず。
誰も彼もが黙ってユリシア様の声に耳を傾けていた。
「決定的だったのは、ルノワールに祭壇の調査を任せた際に、ベルモント=ジャファーの石板が発見されたこと。あれによってわたし達の意識は強くルーディットに向くことになった」
「でもその時……少し違和感があった。おかしいとは思っていたの。何故ルノワールだけが石板を発見することが出来たのか。あの場所では……いくらなんでも地元の人に見つかる可能性があったのではないか」
「そう考えた時にわたしは一つの仮説を思いついた。もしかしたらあの石板はルノワールが祭壇に行く『直前』になって用意されたものではないか、と。そうであればルノワールだけが石板を発見する事が出来たことにも説明がつく。魔力が通っていなかった事にも説明がつく。元々石板は使用されていた訳では無かったのだから」
淡々と話しながら、ユリシア様は組み伏せたテオを見下ろした。
「更に時間を遡って考えれば……カナリア様が王宮を脱する際の状況にも違和感が残る。貴女はとある貴族達の国家転覆の話を『聞いた』。しかし直接話している彼らを目にした訳ではない。そして都合よく用意されていた敵の護衛のような刺客の存在に襲われ逃げた。そしてその時……一人の近衛騎士にも出会わなかった」
その時の状況を思い出したのか。
カナリアが茫然とした面持ちのまま、ゆっくりと頷いた。
ユリシア様の言葉には今の所……間違っている点は無い。
「もしかしたら敵は……その貴族達の革命の話を『カナリア姫様に聞いて欲しかった』のではないかしら。そして『逃げ出して欲しかった』」
だがユリシア様はしばらくの黙考の後、自分の言葉の意味を考え、やがて小さく頭を振って「いえ……違う」と呟いた。
「その情報をわたしに……『ファウグストス家に伝えて欲しかった』。他ならぬカナリア姫様の口から」
確信に至った表情で彼女は独白するように言葉を紡ぐ。
「そうなれば、わたしはどうしたって『祈りの祭壇』を警戒せざるを得ない。そうして実際に余計な調査に時間を取られることになった」
カナリアが革命の話を聞き、王宮を逃げ出し、ユリシア様に話を伝えるまで。
それら全てが陽動だった?
「カナリア様から聞いた革命の話をしていた貴族達をマークしたけれど、結局決定的な怪しい部分は見当たらなかった」
「実際に何かがあるように見せかけ、現に今も魔獣の群れが襲ってきているけれど……あの程度の魔獣の群れではオードリー大将軍率いる外軍部隊を破れる訳もない」
あれしきの魔獣の群れ程度では革命など、王族暗殺など夢のまた夢。
「つまりこちらは本命では無い」
一際強くユリシア様の瞳が輝き、その鋭い眼光がテオ=セントールを射抜いた。
「これは王国の守りの要たる紅牙騎士団と大将軍直轄部隊をこの場に誘き寄せる為の陽動。そう考えると一連の事態に説明が付く」
もちろんユリシア様が事前に集めた情報から考えれば、祈りの祭壇が敵の本命である可能性の方が高かった。
しかし現在の状況を鑑み、思考の中に眠っていた違和感を紐解いた結果。
「……」
淡々と己の考えを整理するように、ユリシア様は言葉を続けた。
「全ての状況を導く事が出来た人間……それが」
☆ ☆ ☆
テオ=セントール、ということなのか。
「……なん、それ……って……」
今の私の表情はさぞや色を失っている事だろう。
私は青ざめた顔で縛られている己の従者を見下ろした。
「う、うそ……よね?」
掠れた声が洩れた。
だが私の混乱を余所に、厳かな声音でユリシア様が問う。
「何か心当たりがありませんでしたか?」
「……ぇ?」
ゆっくりと顔をユリシア様に向けると、彼女は些かも躊躇することなく口にした。
「テオが……貴女を。わたしが今言ったような事に誘導しているようなフシが……ありませんでしたか?」
記憶が――蘇る。
「……っ」
王宮で革命の話を聞いた時。
怪しげな声が聞こえてきたと私に告げたのは……テオだった。
そして室内の音声を私に聞かせたのも彼女。
あの時の私は何も疑わずにその声を聞いていたけれど。
(あれ、が?)
テオが魔術で作り出した偽装の可能性。
彼女は音魔術に関して人並ならぬ技量を持っている。
人の声真似も得意だ。
そんなこと、私が誰よりも知っている。
つまり……テオなら出来る。出来てしまう。
「それ、は……」
私の脳裏にテオの言葉が木霊する。
『ファウグストス家に助けを求めてはどうでしょうか?』
王宮で襲われたあの日。
ファウグストス家に行くように勧めたのは彼女。
『素晴らしい景色を見る事が出来る丘を知っています』
そう教えてくれたのも彼女。
テオは私とルノワールが祈りの祭壇に行く日程も予め知っていた。
方法は分からないけれど……なんらかの手段で、事前にあの麦畑に石板を置いておくように誰かに指示する事も不可能では無い。
「ほ、本当……な、の?」
信じられない。
信じたくない。
だって、テオは、私の従者で、傍で私を支え――。
祈るように、懇願するように。
私は震えながらテオの傍に膝を付いた。
しかし。
「本当ですよ」
従者のよく通る聞き慣れた冷静な声が耳朶を打つ。
「今までずっと……姫様を騙しておりました」
私の願いは儚く虚空に消えて行った。
☆ ☆ ☆
テオさんの自白。
今や顔面蒼白となったカナリアを横目に僕も驚きを隠せなかった。
「どう……して?」
僕が尋ねると彼女は変わらぬ平静さで言う。
「どうして、ですか。初めからそのために姫様の従者になった、と。いずれ何か事を起こす際に役立たせるため、と。そう言えばルノワールさんは納得してくださいますか?」
「そん、な……っ!」
決して瞳を逸らす事無くテオさんは淡々と言った。
「だから言ったじゃないですか」
「……ぇ?」
意味が分からずに疑問符を頭の上に浮かべた僕に彼女は言う。
「『私は駄目な従者です』、と」
「っ!!」
彼女との屋敷での会話を思い出し、僕は絶句した。
あの言葉、あれは――。
「あれは……こういう意味だったのですか?」
「さぁ……どうだと思いますか?」
茶化すように質問を投げかけるテオさん。
しかし答える間もなく、横手から鋭い言葉が飛んできた。
「そんなことは今はどうでもいい」
ぴしゃりと言い切るユリシア様の声。
「……わたしの目を見なさい」
テオの顔を強引に自身の目の前に持ってきたユリシア様は真剣な声色で問うた。
「狙いは何?」
「……答えるとでも?」
「いいえ、答えなくてもいい。考えられる可能性は二つしかない。王宮もしくはデモニアス要塞」
ユリシア様は断言した。
(え……?)
デモニアス要塞とは隣国メフィス帝国との国境沿いに存在する要塞のことだ。国防の要所であるといっていい。
いやそちらは今どうでもいい。
少なくとも僕にとってはどうでもいい。
だけど前者は――。
「……」
「今のアゲハ並びに王宮には平時よりも少ない近衛騎士団しかいない。それはデモニアス要塞も同様でしょう。外軍の主力はこちらにいる。というよりもオードリー大将軍がここにいる」
「……」
「そしてこの戦場に……あれだけルーディット周辺で姿が確認されていた筈のスレイプニルがいない」
(そういえば……っ!)
大々的な魔獣達の侵攻。
だがその罠にはそれほどの効力が無く、何よりも戦鬼ドヴァンの姿が無い。
(ま、まってそれって……)
僕の心臓がバクバクと早鐘を鳴らしている。
心の奥底でけたたましい警鐘が絶えず僕を騒がせている。
だって。
だって、今、王宮には――。
「戦鬼ドヴァン率いる彼らならば、制圧出来ると踏んだのでしょう。今の王宮かデモニアスのどちらかを」
瞬きすら惜しむかのような研ぎ澄まされた瞳でユリシア様はテオさんの顔を覗く。
やがてテオさんはぼんやりと呟いた。
「…………流石はユリシア=ファウグストス、といった所なのでしょうね」
「……ルノワール」
突然名前を呼ばれ、僕は無言のまま視線をユリシア様に向けた。
「――今すぐ王宮に向かいなさい」
その言葉を受け、僕は理解した。
敵の狙いが。
攻撃を受ける場所が。
襲撃されるのだ、王宮が。
つまり――メフィルお嬢様に危険が迫っている。
「っ!」
早々にゲートスキルを発動しようとした僕を制止する声。
「ま、待って! ルノワール!」
切羽詰まったような声を上げたのはカナリアだった。
「私も連れて行って!」
俯いていた顔を上げる彼女。
僕は無視して王宮に向かおうとしたけれど、流石に躊躇した。
先程までのショックを脱した訳ではないだろうが、今のカナリアにはそれ以上の必死さがある。
彼女は今にも泣き出しそうな声で叫んだ。
「お母様が居るの! 王宮に……っ!」
今回の儀式には、体調の都合上カナリアの母親は参加していない。
現在は自室のベッドで横になっている筈だ――王宮が無事であるならば。
僕は問答をする時間も惜しみ、咄嗟にカナリアの手を取った。
「行きますっ!!」
一刻一秒を争う。
僕とカナリアは二人でその場から転移した。