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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第3章 王宮の陰
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第九十七話 シリー vs. キサラ

 

 少女には似つかわしく無い大斧。

 本来であれば異様な光景、その筈だ。

 しかしその立ち姿は戦場でキサラが振るう事で、不思議な程に様になって見えた。

 それは一夕一朝で身に付けた技では無いからかもしれない。

 長年の戦場で培われてきた戦士としてのキサラの洗練された武技は、見る者によっては称賛を贈りたくなるほどだろう、とシリーは感じた。


「はははっ!」

「ふっ!」


 シリーの手に持った鞭が、しなやかに宙を滑る。

 軽やかに、それでいて力強く。

 まるで踊るようにして華麗に空間を縦横無尽に走り、その度にキサラの腕を捉え、斧をさばいて見せた。


 シリーは鋭い瞳のままに腰を落とし、右腕に持った鞭を水平に振りぬく。

 軽やかにキサラはその攻撃を跳んで回避する。彼女には敵の攻撃の軌道が見えていた。

 しかしシリーは構わない。

 避けられようが彼女の腕は止まらなかった。


 衝撃が廊下に走る。

 シリーの魔力の籠った鞭が激しく王宮を揺らし、建築家が見れば涙するだろう程に廊下は激しく倒壊していく。

 直撃すればキサラとて危険な一撃だ。


 とはいえ、見事に回避して見せた彼女は些かも動揺する事無く、振り切ったシリーの横面目掛けて蹴りを放つ。少女の右足が老女の顔面を強かに打ち付けた。


「ぐっ!」


 なんとかトーガと魔力障壁によって威力を緩和したが、それでもダメージは避けられない。

 キサラはそのまま勢いを殺す事無く、軽快な仕草で斧を振りかぶって追撃の構えを取った。

 態勢を崩したシリー目掛けての追い打ち。

 絶好の機会。

 これで終わりだ、と内心で微笑みを浮かべるキサラ。


 だがキサラの眼前で――閃光が弾けた。


「っ!?」


 気付けば、キサラの額に向かって、目にも止まらぬ程の速度で、飛来する鞭が見える。


(かわせ……ない……っ!?)


 思わぬ反撃の兆候を感じていなかったキサラは態勢を立て直すことは適わず、咄嗟に避けようとするも。


「がっ!?」


 強烈な痛みが額に走り、その力強さに宙に浮いていたキサラの小柄な体躯は、いとも容易く吹き飛んでいった。

 脳天が激しく揺れる。

 シリーの攻撃は僅かな間とはいえ、完全にキサラの意識を奪い去る程の威力を持っていた。

 衝撃音と共に廊下を破壊しながらキサラの身体は、広い空間へと躍り出る。

 そこは中庭の一画であった。


 何度か足を運んだ事のあるシリーは周囲を見渡しながら、若干の懐かしさに目を細めた。

 だがそれも僅かの事。


 瓦礫を押しのけるような、ガラガラ、という音がシリーを現実に引き戻す。


「……」


 幽鬼のようにユラリと身体を揺らしながら、少女が立ち上がった。


(決めるつもりの一撃だったのですが……)


 シリー=ローゼスは決して『上手い』魔術師では無い。


 例えばグエン、例えばビロウガ。

 彼らのように老成され、洗練された魔術はシリーは不得手だった。

 緻密な魔力操作が出来ない。

 複雑な魔術を構築出来ない。

 彼女はミストリア王国基準で言えば、一つとして上級魔術を使えない。どころか中級魔術ですら、精々数種類が限度である。

 一般の人々から見れば十分優秀であるが、ビロウガやグエンのように一流の魔術師と比較してしまえば御粗末の一言に尽きるだろう。

 昔から彼女は『そう』で、自身の才能の無さに嘆いたことすらある。


 とはいえ唯不貞腐れるシリーでは無かった。

 彼女は昔から負けん気の強い女性であり、自身の『下手さ』を是としても、『弱さ』を是としなかった。

 繊細な魔術が使えないのならば、そんな物を必要としなければ良い。

 開き直ったシリーは難しいことは考えずに、自分の『力』を高めていった。


 武術を磨き、魔力を練り上げ、トーガの扱いに長け、経験を積む。

 例え高度な魔術など知らなくとも。

 それだけで一流の戦闘魔術師になれることをシリーは知っていた。


 要するに。

 力押しなのだ。

 上手に魔力を扱うことが出来ないならば、上手でなくとも強くなれる方法を選べばよい。


 その考えを愚直に信じ、積み上げたのがシリー=ローゼスという女性だった。

 揺ぎ無い信念の元に磨かれた彼女の戦闘魔術師としての技量はミストリア王国内でも一部の天才達を除き、屈指のレベルと言えるだろう。

 誇り高きファウグストス公爵家を長年支え続けたローゼス夫妻の実力は伊達では無い。

 

「うーん、パワーはグエンより上かぁ……」


 独り言のようにキサラは呟いた。


「ほんと……この国のおじいちゃん、おばあちゃんはどうなってんだか」


 呆れたような口調ではあったが、どこか楽しげな様子。

 未だにどこか余裕を感じさせるキサラを見つめ、内心の動揺をおくびにも出さずにシリーは再び臨戦態勢を整えた。


「……」


 かちゃり、と小さな音を立てて、キサラが斧を構える。

 

「……し」


 額から流れる一滴の血を舐め、キサラの瞳が急速に細められていく。

 小さく愉悦混じりの笑い声を上げながら、彼女の口角が吊り上がる。

 興奮に彩られた凶暴な少女を見下ろしたシリーは嘆息するように言った。


「……厄介ですね」


 その言葉を合図にした訳では無いだろうが、キサラは即座に動いた。

 檄していても彼女の戦闘における動作はしなやかであり、機敏だ。

 

 素早くキサラは間を詰め、シリーの眼前に躍り出る。

 とはいえ呆然とするばかりのシリーではない。

 既に彼女の右腕は高速で動き、しなった鞭がキサラの背中に叩きつけられようとしていた。


 だが。


「らぁっ!」


 掛け声一閃。

 キサラは器用に宙で回転しつつ、背後から迫りくる鞭を斧で捌いて見せた。

 鞭の先端が斧に打たれる。

 あれだけの速度、そして細い鞭の一端を確実に穿つ。

 なんとも見事な一撃である。


 その力強さといったらどういうことか。

 シリーであっても、たたらを踏む程の衝撃が右腕に走る。


「むっ」


 視認することも難しい筈のシリーの鞭が、防がれた。


(よもやこの短時間で、見切られた?)


 思考の内で小さく無い焦燥感が芽生えたが、シリーの肉体は反射的に動いていた。

 鞭を防がれた後もまるで流れるような動作でキサラに向けて回し蹴りを放つ。

 咄嗟に攻撃の予兆を察知したキサラも、対抗するように蹴り足を向けた。

 

 女性同士の右足がぶつかり合い、衝撃波が周囲に走る。

 だが互いに獲物を手放すような真似はしない。

 シリーは僅かに後退しつつも、右腕の先にある鞭を動かした。

 魔力を込め、己の手足のように鞭を操る。


 目にも止まらぬ速度でキサラの肉体を絡め取ろうと迫る鞭。


 しかし。


 バチィッ! という打撃音と共に、鞭は再び虚しく斧に弾かれた。


(っ! これはやはり……っ!?)


 やはり既に見切られている。

 そう考える他あるまい。


 今度は確かな驚愕の色が表情に現れたシリー。

 対するキサラは笑みを深めた。


「むふふ、何をびっくりしてるの?」


 愉悦の表情が広がるばかりである。


(これが戦鬼の妹……)


 この若さにして、この戦闘能力。

 歴戦の傭兵団を率いる者達の実力。


「……」

「貴女には悪いけど……」


 そこでふと、キサラは首を傾げた。


「……あれ? ……貴女名前なんていうの?」

「は?」


 この場にそぐわぬ突然の間抜けな質問。

 思わず毒気が抜かれかけたシリーであったが、彼女は答えた。


「シリー。シリー=ローゼスと申します」

「へぇ! あたしはキサラって言うんだよ!」


 そう言ったキサラは可愛らしく微笑んだ。

 それは狂気に満ちた笑みでは無い。


 破顔する少女の顔を見て暗澹たる思いがシリーの心の中に広がっていく。

 目の前の少女の年相応の笑顔。

 しかるべき環境で育てばキサラはさぞや可憐な女性として華やかな人生を歩めたのではないか。

 そんな益体も無い感情を抱いてしまった。

 現在は相対する強大な敵であるにも関わらず、だ。


「何故、名前を?」

「えー? だって強い戦士の名前はやっぱり知りたいじゃん!」

「そのようなものですか」

「そうだよ! ミストリアって面白いね! 大半は雑魚ばっかりだけど……その分、『本物』もたくさんいる」

「……」

「確かに大陸の中央以北の最大国家と言われてるだけあると思う」

「それはどうも」

「でも……」


 そこで彼女は惚けたように言った。

 まるでシリーを嘲笑うかのように。



「それ……いつまで続くかな?」



 放たれた魔力はシリーであっても尻込みしてしまうほどの迫力があった。

 キサラの髪が逆立ち、薄く赤色に輝く魔力光が全身から迸っている。

 

 だが気圧されてばかりのシリーではない。

 目の前の少女はタイプとしては自分と同じだ。

 小難しい魔術は使わず、小手先の技巧に頼らぬ『力』押しの戦闘スタイル。


 それだけにシリーは負けたくは無かった。

 その道では彼女は先達だ。

 いずれ目の前の少女が成長すれば己を超えて行く日が来るだろう。

 

 だが『今』ではない。

 『今』であってはならない。


 この王宮でキサラが暴れまわるような事態になれば被害は拡大するだろう。

 メフィルお嬢様に危害が及ぶ可能性がある。その御友人方にも。

 そんなことになってしまっては……ルノワールさんに、奥様に、何と詫びればよいというのだ。


 シリーにとっても孫同然のメフィルは目に入れても痛くない程に可愛い大事な御方だ。

 故に負けられない。


 彼女は老体に鞭打ち、全身に魔力を漲らせた。

 その全身からは淡い紫色の輝きが漏れ始めている。


「あははっ! いいよ、シリー!」


 直後、キサラは動く。

 一足飛びに、まるでナイフを振るうような気安さで斧を振り下ろす。

 その速度と力強さは、直撃すれば間違いなくシリーが落命するだろう程。 


「はぁ……っ!」


 だがシリーは一瞬たりとも動揺せず、また一歩も引かなかった。

 鞭を通して魔力を解放する。

 居合切りの如き、振り切られた紫色に輝く鞭が、赤く輝く斧と真正面からぶつかり合った。

 鞭は強固な鉄の如く、斧をしっかりと受け止めている。


 甲高い衝突音と腕が痺れるほどの衝撃。

 しかし両者の顔には笑みが浮かんでいた。

 互いに一歩も譲らぬ攻防。

 押し込め合うは力と力、意地と意地。


 が、やがて拮抗が崩れ始める。


「ぐ……」


 歯軋りしつつも押され始めたのはシリーだった。

 若い少女にパワーで劣っている、と。そう自覚したシリー。

 彼女は、じりじりと己に迫って来る斧を睨みつけながら――突然吠えた。


「はぁっ!」


 この場で己のみが武器を失えば敗北は必至。

 にも関わらず彼女は鞭を放棄して、背後に向かって跳躍した。


(! 諦めたか!?)


 そう考えたキサラは、シリーの手が離れた鞭を弾き飛ばそうとした。


 しかし。


「……えっ!?」


 シリーの手元を離れた筈の鞭。

 それがまるで意志を持つかのように一人でに動き出し、その先端がキサラの手元に襲いかかる。

 咄嗟に鞭を振り払おうとした瞬間――キサラの意識は一瞬だけシリーから外れた。

 その隙を逃すシリーではない。


 彼女は即座にキサラに再び詰め寄ると、鞭に気を取られたキサラの右腕を強かに殴りつけた。


「ぐぅっ!?」


 余りの衝撃に、さしものキサラも斧を手放す。

 だがシリーの攻撃は終わらない。そのままキサラの鳩尾目掛けて鋭い突きを放った。

 しかしキサラもさる者であり、既に意識を切り替えている。互いに武器を手放し、シリーの攻撃を身を捻りつつ、受け流した。

 今度はキサラがシリーの腕を絡め取ろうと手を伸ばすも、シリーの左足がキサラの顎先に突き刺さる。


「……あぅっ!!」


 見事に手痛い一撃をもらってしまったが、持ち前のタフさで凌いだキサラは態勢を立て直し、再び徒手空拳の構えを取ってシリーに応戦した。


 しかし。


(な……っ)


 キサラは戦慄した。


(強い……っ!?)


 彼女は基本的には斧を使って戦っているが、それでも格闘術の心得も当然ある。

 それは以前に対峙したグエンと比べても遜色の無いレベルだと自負している。

 

 だがそれ以上に――目の前のシリー=ローゼスという女性は強かった。


 キサラの攻め手は悉く防がれ、シリーの攻撃の速度にはついていけないのだ。

 右腕を相手の頬に抉り込ませる様にして打ち込むも、シリーの左腕によってガードされ、キサラの重心が一瞬だけずれた瞬間を逃さずに、キサラの顎先を狙うシリーのアッパースイングが繰り出された。

 なんとか顔を逸らし、ギリギリでかわしたキサラの顔面に、すかさず放たれたシリーの右拳が突き刺さる。


「あっ……がっ!?」

「下手な魔術師なりに、下らないプライドというものがあります」


 シリー=ローゼスは負けん気の強い女性だ。

 魔術が下手で劣っているのならば。

 それ以外で勝っている部分が無ければ我慢が出来なかった。


 だから鍛えた。

 だから努力した。


 ただひたすらに――武術を磨いた。


「そん……なっ!」


 既に余裕を失い、顔に悲壮感漂う少女が声を上げる。

 度重なるシリーの連打に、次第にキサラの体力が消し飛ばされていっているのだ。

 互いに武器を失ってからはキサラは完全に防戦一方となっていた。


「言っておきますが」


 そしてシリーは言った。


「わたくし、グエン殿に徒手空拳の近接戦闘で負けた事は一度もありません」

「っ!!」


 直後、鋭い突きがキサラの防御を貫通し、額を撃ち抜いた。


 


   ☆   ☆   ☆




 ついに倒れたキサラを見下ろしながら、シリーも膝を付いた。


「無理をし過ぎましたか……」

 

 ぼんやりと呟く彼女の視界は僅かにぼやけている。

 もはやシリーは限界だった。


(やはり……よる歳波には勝てないものですね)


 久しぶりの全力戦闘。

 肉体には相当の負荷が掛かってしまっている。

 ここまで魔力を使ったのも久しぶりだ。


 とはいえ手を抜いて勝てる相手では無かった。

 文字通り死力を尽くす必要があった。


「……くっ」


 本来ならば今すぐにでも、メフィルの元に駆けつけなければならないというのに。


「申し訳、ありません……お嬢様」


 シリー=ローゼスはその場で倒れ、意識を手放した。






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