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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第3章 王宮の陰
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第九十六話 襲来

 

 突然の轟音。

 王宮を震わす程の振動が私達の足元を揺さぶった。


「な、なにっ!?」


 慌てた様子のカミィの悲鳴が木霊する。

 背後に倒れそうになった彼女の身体をすかさずマルクが支えた。


 私も態勢を崩したが、みっともなく転倒することは無かった。


「あ、ありがとう、シリー」


 私の身体はいつ間にかシリーに抱きすくめられている。

 抱かれた腕の中から見上げるようにして屋敷の侍従長に感謝の言葉を述べた。


 しかし。


「……この気配」


 シリーの表情は険しかった。

 彼女は私の声がまるで聞こえていないかのように、遠目に王宮正門の方角を睨んでいる。


「シリー?」

「皆様、今すぐこの場から退避しましょう」


 シリーが短く一言告げた。


「一体何があったの?」


 混乱したままのカミィの声が耳朶を打つ。

 とはいえ私も彼女と似たりよったりだ。

 間違いなく動揺している。

 そもそも今一体何が起きているのか、状況が分からなかった。


「恐らく……何者かが王宮に攻め込んできました」


 いつも通りの冷静な声音でありながらも、どこか危機感を孕んだようなリィルの言葉。

 彼女の視線もシリーと同じ方角を見つめていた。


「何者か、って……」

「この惜しみなく撒き散らされた気配……」


 リィルの顔色はすこぶる悪い。

 彼女は顔を顰めつつ呻くように言った。


「恐らく……戦鬼ドヴァンがいます。スレイプニルの可能性が高いかと」

「えっ……」


 彼女の言葉に私は思わず息を呑んだ。


 戦鬼ドヴァン。

 その名前は私もはっきりと覚えていた。


 なにせその男は――。


「それって……」

「はい。ルノワールさんとも互角に渡り合った怪物です。まず私達では勝ち目はありません」


 そう言っている間にも、どこか慌ただしい足音と喚声が聞こえてくる。

 混乱する会場の中、突然の事態に戸惑う私達の恐怖心を断ち切るように、最年長者たるシリーが言った。


「皆様、私に付いてきて下さい」


 力強い声色。

 彼女はすぐさま決断し、動き出した。


 この場でシリーの言に逆らう人間はいなかった。

 彼女こそが最も強く、こういった修羅場をいくつも潜り抜けてきている。

 他の来場者達にも声を掛けたかったが、既に三々五々に散り散りに逃げ出している者が大勢だ。

 この混乱の最中で、シリーは自分達の安全確保と状況の把握を最優先にした。


「私から離れないようにお願いします」


 極力足音を殺しながら、ひっそりと歩を進めるシリー。

 彼女に従い素早く展覧場から出て、王宮の廊下を隠れるようにして移動しているとリィルが不思議そうな顔で呟いた。


「……妙ですね」


 リィルの呟きに答えたのはシリーだ。


「貴女もそう思いますか」

「はい。敵は何故こうも自分達の存在を誇示したがっているのでしょうか」


 意味が分からずに私は首を傾げた。

 隣へと視線を向けても、カミィとマルクも私と似たような表情をしている。


「王宮に何者かが侵入してきた。この護衛の数が少なくなっている儀式の日に。そこまではいいのです」


 すると息を殺しながらも、小さく口早にリィルが説明をしてくれた。


「目的は分かりませんが、恐らく予め狙ってきたのでしょう。考えたくはありませんが……もしかしたらユリシア様達は敵に踊らされたのかもしれません。てっきり私達はスレイプニルはルーディットに居ると考えておりましたので」


 しかし現在、傭兵団は王宮を襲っている。


「とはいえ警備の人間が皆無、という訳ではありません。王族の護衛のためにルーディットに人が割かれているのは確かですが、それでも王宮にはかなりの数の近衛騎士団が控えています」

「それは……そうでしょうね」

「ならば、何故これほどの騒ぎを起こすのでしょうか。ひっそりと忍び込み、気付かれないように王宮の騎士を殲滅していけば、よほど効率がいい筈です。少なくとも相手がスレイプニルであるならば、それだけの隠密の技量もあることは間違いありません。未だ戦闘が激しく開始された様子も無いのに、侵入者達はわざわざ自分達の存在をアピールしている」


 先程から聞こえてくる侵入者達の喚声。

 これがおかしいのだと彼女は言う。


「つまり……」

「陽動、の可能性があると思います」


 リィルの言葉を引き継ぎ、シリーが呟くように言った。


「王宮を襲う事以外に何か他に目的があり、そちらに目を向けさせないようにしている、と?」

「確証は……ありませんが」


 彼女はリィルの説明に頷きつつも、周囲に常に気を配り続けている。

 その顔に焦りは無い。

 油断無く廊下を進むシリーの背中は非常に頼もしいものだった。


「とにもかくにも、敵が自分達の場所を教えてくれるのは好都合です。今の内に――」


 そこで彼女の表情が固まり、廊下の先の一点を見つめ、動かなくなった。


 驚愕の色を乗せた瞳。

 一体何事だろうか。

 誘われるようにして私もシリーの視線の先へと目を向ける。

 

 そこには一人の少女の姿があった。


 この距離からでも分かるほどに目立つ赤髪。

 そして体躯に似合わぬ長大な斧。

 肌の露出の多い、どこか汚れた衣服を身に纏った彼女は、遠目からでも分かる程、楽しそうに口角を吊り上げた。


「まさか……キサラ……っ!?」


 驚きに声を上げ、目を見開くリィル。

 キサラとは誰だろうか?


 そんな疑問が頭を掠めたが、私が何かを問いかけるよりも素早く。


「えっ!?」


 赤髪の少女は猫のように身体をしならせ、こちらに向かって走り出した。

 

「あははっ!」


 恐るべき速度。

 尋常ならざる狂気の表情。

 迸る殺気にも似たプレッシャー。


 危機感を覚えたのか、シリーがすぐさま臨戦態勢に入った。


「……お下がりを」


 シリーも腰を落とし、すぐさま私達の前に躍り出る。

 向かい来る少女の嬌声と漲る魔力。

 その右腕から振り下ろされるは、魔力が充溢した長大な一振りの斧。


 しかしシリーは慌てる様子も無く、素早く身を翻し――踊るように足を振り上げた。


「しゃあっ!!」

「ふっ!!」


 ゴッ!! という鈍い衝撃音が周囲に響く。

 気付けばシリーの右足が、襲いかかって来ていた襲撃者の斧の柄部分を押さえていた。

 襲撃者は意外そうな、それでいて楽しそうな喜悦の表情を浮かべながら、一歩退く。

 

「へぇ……やるじゃん」


 そう言って無邪気に微笑む赤髪の少女。

 彼女は腰を落とし、可愛らしく舌を出した。


「う~ん? 騎士、って感じでもないよねぇ? な~んで、あんた達はこんな所にいるのかな~? というかそっちのおばさん何者?」


 小首を傾げる少女の仕草は確かに愛らしいが、その身から放たれている迫力、殺気だけがおかしかった。


「グエン様と互角にやりあったスレイプニルの女です」


 シリーと私の耳元で口早に囁くリィル。


(あのグエン様と……っ)


 私は内心で唸った。

 グエン=ホーマー子爵は紅牙騎士団の中でも歴戦の戦士の一人であり、かなりの実力者の筈だ。

 そんな彼と目の前の少女が互角だという。


 だが……さもありなん。

 その証拠とでもいうように、キサラの全身には恐ろしい程の凶悪な魔力が満ちている。

 とても近い年頃……いや下手をすれば年下である少女とは思えなかった。


 そしてシリーは迅速に決断し厳かに告げる。


「お嬢様……どうかこの場からの退避を」


 心情的には『この状況』ではシリーから離れたくは無い。

 しかし『この状況』こそが、それを許してくれなかった。


 目の前のキサラという少女は、恐らくシリーであっても、厳しい相手なのだろうから。

 我儘を言って彼女の足手まといにはなりたくない。


「……大丈夫、なのよね?」


 確認するように問うと、シリーは優しい表情で告げる。


「もちろんです。リィル、後は頼みましたよ」


 そう言って私に背を向ける侍従長。


「話は終わった?」

「お待たせして申し訳ありません」

「あはぁ。それは別にいいんだけどね?」


 猫のように瞳が吊り上がり、口元が歪んでいくキサラ。


「むっふふ」


 酷薄な笑みと共に高められていく少女の魔力。

 それに引きづられるようにして、シリーの全身からも覇気が漲っていく。

 身に纏う力強いトーガは年齢を感じさせない程に洗練されていた。

 

 いつの間にか懐から取り出した鞭を手に取り、腰を落とし、低い声音で彼女は言った。


「では、いきましょうか」


 歴戦の戦士と言って差し支えない。

 久しぶりに見る本気のシリー=ローゼス。

 その後ろ姿はやはり非常に頼もしいものであった。


「あはははっ!」


 少女に似つかわしく無い、邪気の混じった高らかな雄たけび。


「……っ!」


 対峙するは小さく吐息を洩らし、舞うように手元の鞭を振り上げる老女。


 激しい衝突音と共に、王宮の廊下で。

 年端もいかぬ少女と老女の戦いが始まった――。




   ☆   ☆   ☆




「こちらです」


 先導しながらも私は周囲に気を配っていた。


(私が頑張らねば……)


 そういう強い思いがある。

 

 ここにいるのは、いくら才能豊かであるとはいえ、全員が自分を除けば学生の身だ。

 いや、今だけは自分も学生ではあるけれど、リィル=ポーターの本分は騎士である。


(ルノワールさんやシリー様に任された以上……)


 メフィル様を、カミーラさんを、マルクさんを護る責任があるのだ。


「っ! ……止まってください」


 いきなり前方に数人の気配が現れた。

 私は3人を隠すように廊下の陰に身を滑らせる。


 遠目にひっそりと男達の様子を窺うと、楽しげに廊下の壁を叩きながら走っていく姿が見えた。


(……突拍子もなく暴れまわっている)


 そうとしか思えない。

 まるで暴れることその物が目的であるかのようだった。


(それにしても)


 リィルは、とあることが気になった。


(練度が……低い?)


 先程の男達は明らかに、歴戦の戦士、といった風情ではなかった。

 以前に一戦を交えた時には、誰もが修羅場を潜り抜けてきたのだろう洗練された戦士ばかりだったのだが……攻め込んできたのはスレイプニルだけではないのだろうか。


(……だとしたら)


 リィルは思案した。


(活路はある)


 正直、これだけ大々的に大人数で攻め込んでこられると、誰にも見つからずに脱出するのはかなり難しい。

 そもそも外に通じる道には多くの敵兵がいると考えた方がいいだろう。

 万が一にもスレイプニルの傭兵数人に見つかるような事態になれば絶望的である。

 しかし相手取る敵を先程のような人間のみに限定する事が出来れば自分一人でも十分に対処可能だ。


(身を隠すべきか、外に避難するべきか)


 現状の危険度を鑑みるに、一体どちらが優先度が上なのか。


「……」

「……リィル?」

「いえ」


 いけない。

 自分が不安そうな顔をしていては。


(まだまだ未熟……)


 それなりに修羅場も潜り抜けてきたし、他の紅牙騎士団員達と比べても、自分が戦闘能力では劣っているとは思っていない。

 しかし。

 今までは有事の際には、傍には常に兄がいた。グエン様がいた。ルークがいた。団長がいた。


 日頃は彼らのような自分よりも優れた指揮官に従っているばかりであり、広い視野で戦場を俯瞰したことがほとんどない。

 つまり状況を把握し、即座に策を練り、判断を下す能力に乏しい。

 リィルはそんな自分を自覚した。


「このまま、敵を避けながら、とりあえず王宮の外に出ましょう」


 決断は脱出。

 理由としては、敵の目的が不明確であること。

 それと限られた空間内でいつまでも隠れ続けることは難しいであろうこと。

 敵方もそうだろうが、ここにいるメンバーも決して王宮の内部構造には明るくないのだ。


「……ええ、分かったわ」


 メフィル様の返事に続き、カミーラさんもコクコクと頷いた。

 マルクさんにも異存は無いようである。


「では……行きましょう」


 心の中に渦巻く不安を悟られないように精一杯強がり、私は再び一歩を踏み出した。






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