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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第3章 王宮の陰
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第九十一話 祈りの地 ~黄金の丘で~

 

 結局、祭壇には特筆すべき点は無かった。

 罠どころか、静けさに満ちていたぐらいである。


「もう少しだけ周辺を探ってみよう」


 僕は再び祭壇周辺の調査を始めた。

 もしも本当にルーディットの儀式の最中に良からぬ企てが進行するのならば、どういった場所が問題になるのか。

 相手の立場の視線から様々な思考を巡らせた。


(とはいえ)


 それらの活動は既に僕よりも巧みなグエン様が入念に行っている筈である。

 つまり。


(ルーディット自体に大掛かりな仕掛けを施すのでは無いのか……?)


 その可能性は十分にあるだろう。


(そうなると……)


 内側から攻める、ということが考えられる。

 例えば護衛につく騎士団を買収もしくは洗脳して王族を狙う。

 それが最も考えやすく、シンプルだ。


 だがそれには大きな問題が一つ。


(儀式の際に、王族に一番近い位置で護衛に付くのはオードリー大将軍だ)


 あの方が王族打倒などという馬鹿げた幻想に追従するとは思えない。

 洗脳や脅迫も通用しないだろう。


(ならば……大将軍を倒す?)


 可能性はゼロではない。

 僕の脳裏にオードリー大将軍にも負けず劣らずの体躯を誇る大男の姿が浮かび上がって来た。


 戦鬼ドヴァン。

 奴であれば、状況次第では確かに大将軍を打倒する事が不可能ではないだろう。

 しかし如何に戦鬼とはいえ、大将軍を圧倒出来る訳ではない。


 であれば……その方法とて確実とは言えない。

 むしろ多くの護衛騎士が居る事も考えれば、不確定要素が多すぎるだろう。


「うーん……」


 思案気味に周辺の様子を窺うも特に目立った異変を察知することは出来なかった。

 やがて無言で思考を巡らせながら、歩みを進める僕とカナリア。


 その時。


「わぁっ」


 突然前方から歓声が上がった。


「ねぇねぇ! 見てよ、ルーク!」


 一体何事だろうか。

 促されるままに顔を上げて彼女の視線の先に目を向けた。


「これは……」


 そして。


「……」



 僕は――言葉を失った。



 眼下に広がるは美しき景色。

 夕暮れの太陽の赤みがかった光を反射して黄金色に輝く一面の麦畑。


 風を受け、さわさわとその身体を揺らしながら、その強い生命力を精一杯に周囲に振りまいている。

 上を見上げれば、突き抜ける様な茜色の空がどこまでも広がっていくかのようだった。

 ふわふわと風が走っていき、小さな木の葉を宙に躍らせる。

 光り輝く幻想的な光景だった。

 圧倒的な自然、その優美な美しさ。


「そっか……もうすぐ収穫の時期か」


 こんな時であるにも拘らず……僕は目の前の光景に目を奪われ、感動を覚えていた。

 

「綺麗ね!」

「うん……すごく綺麗だ」


 なんて……素晴らしい。

 美しい自然を丘の上から見下ろしながら僕は無性に絵を描きたい衝動に襲われた。

 無論この場には画材道具などはない。

 この瞬間を表現する方法が僕の陳腐な語彙力しか無い。

 それがなんだか……とても悔やまれた。


「……」

「……」


 しばしの間。

 僕達二人は無言でその場に佇んでいた。




   ☆   ☆   ☆




 サラサラと夕暮れの風に靡く少年の前髪。

 私は精悍な横顔を覗き込むようにして、視線を預けた。

 黄金色の美しい光景に心奪われ、どこか哀愁を漂わせている姿の、なんと魅力的な事か。


(綺麗……)


 綺麗だ、と彼は言った。


 でも……私からすれば。



 ルークの方が――。



 この二日間。

 彼と二人きりで過ごした日々は私にとっては非常に満ち足りたものであった。


 無論浮かれている場合ではない。

 王国をひっくり返すほどの陰謀が進行している可能性もあるのだ。

 お父様達を守るためにも必要な任務。


 そんなことは百も承知……なのだけれど。 

 不謹慎だと揶揄されようが、嫌な女だと思われようがルークといる時間は幸せだった。


 昨夜は人気の無い森の中で隠れるように野宿をしたが、それすらも私にとっては楽しみを感じるものである。

 彼が作ってくれた料理は例え調理器具などなくとも美味しかったし、少年に護られながら眠るのは、ドキドキすると同時にとても安心出来るものだった。


 この黄金の景色を彼に見て欲しいと思ったのだ。

 実はこの場所の事は出発前にテオから聞いていた。「素晴らしい景色を見る事が出来る丘を知っています。ルノワールさんと一緒に少しばかり見てきては如何ですか?」と。

 あれほど熱心に話すテオは珍しかった。

 興味を引かれた私は是非とも彼と二人で見たいと思った。

 実はこっそりと私はさり気無くルークを誘導するようにして、丘の上までやって来たのだ。

 まぁ特に敵の罠の類が用意されていないと知った安堵感からも私の暢気な思考は起きているのだろう。


「ねぇ」

「なに?」

「……今、何を考えているの?」


 それは私の何気ない問いかけだった。

 特別な意味などない。

 なんとなく会話が欲しいと望んだだけだ。


 それなのに――。


「そうだね。この風景を描きたいな、って考えてた」

  

 そう言って笑う彼に私も笑みを返す。

 絵を描きたい、だなんて。

 私は「ルークらしいな」と思い、微笑ましい気持ちになった。


 だけど。


「それと――」

「……?」


 眩しい日差しを見つめながら。

 瞳を細めて少年は言った。



「メフィルお嬢様なら――この光景をどんな風に描くのかな、って」



 遠くに思いを馳せる様な表情のルーク。

 彼の視線の先に映っているのは景色だけなのだろうか――それとも。


 言葉の意味を理解すると共に頭をガツンと殴られたかのような衝撃が私の中に走った。


「ぁ……そ、そう」


 ぎこちなく呟き、思わず私は視線を逸らした。

 

 私の見ている風景。

 私の感じている世界。

 そこには……私とルークの二人しかいなかった。


 でも彼は。



 ルークの世界の中には――。



「……っ」


 動揺を必死に押さえつけ、なんとか言葉を絞り出す。


「……そう、なの。き、きっとメフィルさんの事だから素晴らしい――」


 私が落ち込み気味に顔を落とした時。


「あれ……?」


 彼は突然何かに気づいたように身を乗り出した。

 顔には明らかに驚愕の色があり、目を見開いている。


 いきなりのルークの変貌に沈んでいた私も流石に訝しく思った。


「どうしたの?」


 しかし私の言葉が届いていないのか、彼は真っ直ぐに丘の下の麦畑を見下ろしている。


「……」

「ルーク?」

「…………」


 一体何だと言うのか。

 訝しげに眉を顰めたがルークは無言で黄金の景色を強く見つめている。


 いや……何やら一点を強く睨んでいる?


 とはいえその姿は先程までのように美しい光景に目を奪われている訳ではないようだった。

 むしろ今の彼はひどく動揺している。


「まさか……あれは……っ!!」


 ルークは声を上げ、丘を駆け下り始めた。


「る、ルーク?」


 慌てて私は少年の背を追った。

 何が起きているのかは分からなかったけれど、彼の様子から只事ではない事は分かった。


 やがて麦畑の一画で立ち止まった彼はしゃがみこみ、大地に目を向ける。


「間違いない……」


 彼が見下ろした視線の先。

 そこには見たことも無いような文様の描かれた一つの石板が半分ほど土から顔を出しながら、ひっそりと埋めてあった。


「それは?」


 私に心当たりは全くないが、どうやら彼は違うらしい。

 私の問いかけが聞こえなかったかのように、ルークは静かに呟いた。


「これはあの男の――」


 石板を手に取った彼の表情は一層険しいものになっていった。




   ☆   ☆   ☆




 屋敷を見渡し、感嘆のため息を洩らしつつ、興奮気味に拳を握る少女。


「ふぇぇ……すす、すごい……っ! 流石は公爵家!」

「ふふっ。ありがとうございます」


 今日は一人の来客があった。


「いやー。うちって貴族の中でも下っ端みたいな感じだからねぇ。こう、やっぱりメフィルさんってすごいのねぇ」

「私が凄いわけではないですよ、ステラ先輩。全ては御先祖様方の御尽力の賜物です」


 やって来たのは美術部のステラ先輩だ。

 彼女は案内されるままに、現在客間へと通され、ソファに腰かけ紅茶を啜っている。

 とはいえ、突然の来訪だ。

 何もお茶をするためだけに押し掛けてきた訳ではないだろう。


「それで今日は?」


 何の御用だろうか?

 私が尋ねると、彼女は実に楽しそうに微笑んだ。


「むっふっふ」


 初めて会った時には物静かな印象を受けた先輩であったが……しばらく付き合うと、随分と表情が豊かな先輩であると気付かされていた。

 

「じゃーんっ! これはなんでしょう?」


 そう言って、先程から手に持っていた大きめの封筒を掲げるステラ先輩。


「えーっと?」


 首を傾げながら、彼女から封筒を受け取り、開くと2枚の紙が入っていた。


【最終選考通過のお知らせ】

 おめでとうございます。

 この度、メフィル=ファウグストス様が応募された作品が王国コンクールの最終選考を通過されました。

 最終選考を通過された作品は3日間に渡り、ミストリア王宮の展覧会場で飾られることになりますので御了承下さい。

 その3日間の間に最終選考通過作品の中から最終審査員達の厳正な審査によって優秀作品を決定いたします。

 付きましては最終選考通過者には展覧会に先立って王宮内に足をお運び頂けるように手配致しました。

 一度、審査までに御自身の作品を会場で御確認頂くことが出来ます。

 事前に御連絡頂ければ御同伴の方々の入場も可能です。

 

 以上、よろしくお願いいたします。』


 そう締めくくられた通知手紙。

 もう一枚には王国コンクールの運営担当の方の名前やら、受付窓口などが記載されていた。


「……」

「やっぱり最終選考通過しちゃったわね」

「……先輩は」

「私? 私は駄目だったわねぇ」


 そう言う彼女の顔に悲壮感は無かった。


「まぁ後輩に一人本物の天才画家が入って来ちゃったし、自分の力量は十分に承知しているもの」

「そんなことは……」

「あっ、ごめんごめんっ! なんか嫌味な言い方になっちゃったわね。そんなつもりは無くてさっ。私としては本当に嬉しいのよ」


 王国コンクールはミストリアで芸術に携わるアマチュアの人間にとっては、とても大きな意味のあるコンクールだ。

 多くの未だ花咲かぬ芸術家の卵達が夢を追いかける舞台。

 応募総数だって膨大だろう。

 部門別に見ても1000や2000では到底きかない。

  

「だから、さ。自分の知り合いがさ、そんな大舞台で輝けるなんてさ。嬉しいじゃない?」


 ステラ先輩はどこか照れたように頬を赤らめつつ微笑んだ。


「先輩……」


 温かい言葉だった。

 彼女の懐の広さが嬉しい。


「あ、あははっ。まぁまぁ私の話はいいのよ。あ、ところでさ」

「はい?」


 恥ずかしいのか、矢継ぎ早に話題を変えるように先輩は言った。


「ルノワールさんは?」

「あ、ルノワールは今……少し屋敷を出ていて」

「お買い物か何か?」


 まさか本当のことを言えるわけもない。 

 私は適当に誤魔化すことにした。


「えぇっとまぁ。そのようなものです」

「ふぅん、そっか」


 言いつつ、彼女はカップの紅茶に口を付けた。

 しばらく客間を見渡し、再び私に視線を向けたステラ先輩。


「いやぁ、なんというか」

「?」

「ちょっと変な感じね」


 一体何がだろうか?


「変……ですか?」

「うーんと……学院ではいつもメフィルさんとルノワールさんって一緒にいるから。何かメフィルさんの傍にルノワールさんが居ない、っていうのがちょっと違和感ある、というか」

「……いくら何でも四六時中傍に居る訳では無いですよ?」


 私が苦笑すると、ステラ先輩も優しく微笑んだ。


「まぁ、ね。そりゃ冷静に考えれば分かってはいるんだけど……なんというか、二人が揃っているとしっくりくるのよね、私は。お似合いの主従、って感じ」


 気兼ね無く。

 気負い無く口にした彼女の言葉に私は思わず黙ってしまった。


「……」

「あ、これも失礼かしら?」

「い、いえ」


 昨夜お母様から似たような言葉を聞いたばかりだ。

 しかし……悪い気はしなかった。


「そ、そう見えますか?」


 何故だろうか。

 ステラ先輩の言葉が妙に嬉しい。


「ん~? 何、メフィルさん嬉しそうねぇ」

「い、いえっ、そんなことは」


 顔を伏せた私の頬はもしかしたら赤く染まっているかもしれない。


「ふふっ。でもさ、貴女が最終選考を通過した、って聞いたらあの子はさぞ喜ぶでしょうね」


 そう言ってステラ先輩は楽しそうに笑った。


「そう……ですね」


 それはきっと間違いないだろう。

 ルノワールは私の今回の応募作の結果を聞けば、私よりも遥かに喜んでくれるに違い無い。


『おめでとうございます、お嬢様!』


 心底朗らかな笑顔のルノワールの姿が瞼の裏側に浮かび上がってくるようだった。


 そう考えると……今傍で、喜びを分かち合ってくれる従者の姿が無いことが、なんだかひどく寂しかった。


「さて、と。いつまでもお邪魔しちゃ悪いし、私はもう帰るわね」

「もう御帰りになるのですか?」

「うん、実はこの後もちょっと用事があってね。あ、お茶御馳走様でした」


 挨拶もそこそこに身を翻したステラ先輩が最後に薄く微笑んで言った。


「ルノワールさん、早く帰って来るといいね」


 不覚にも。


「そうですね」


 私が密かに心の中で望んでいた事を言われ、なんだかとっても焦ってしまった。


「また、いつでもいらしてください」


 その後。

 玄関口までステラ先輩を見送り、一人部屋に帰って来た。


「……」


 手元の封筒に目を落とす。

 なんだか無性に絵を描きたい衝動に襲われ、私はアトリエに足を運んだ。


(早く帰ってこないかな)


 ルノワールの帰りを待っている間、私は一人静かにキャンパスと向かい合っていた。






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