第八十九話 祈りの地 ~聖なる祭壇~
少し離れた丘の上から、見下ろすように祭壇の様子を確認する。
遠目から見ても、その場所は不可思議な気配に満ちていた。
「あれが……」
『祈りの祭壇』
正確には祭壇が祭られている神殿だ。
天を仰ぐ程の大きさではないが、どこか重厚な気配を持った石造りの社殿。
かの建造物の奥には様々な神秘なる秘宝ならびに、件の『祈りの祭壇』の本丸がある。
飛沫を上げる大きな滝を背にした神殿が存在する森の中は、滝壺の水音以外は何も音を発するものが無いかの如く静まり返っていた。
ひっそりと……だが確かな存在感を放ちながら祭壇は闇夜に浮かび上がっている。
(なるほどここは……)
明らかに――『違う』。
「……」
身を圧迫するような息苦しさは微塵も感じられないが、確かに存在している超常の気配。
肌に静かにこびりつくような力の波動。
神聖な場所。
その言葉がこれほどしっくりくる場所も早々無いだろう。
祭壇の周辺調査をしたが、微かに動物達の姿を確認することが出来ただけであり、とりわけ目立った異常は無い。
グエン様からの報告の通りであった。
「祭壇自体には入ることは出来るんだよね?」
傍にいる少女に小声で囁く。
「ええ。『神柱の間』までの道程には結界の類は無い筈よ」
この場所には平時は見張りのような者は立っていないそうだ。
歴史的にも魔術的にも重要な場所である割には不用心であるように思われるが、それだけカーマインの護りの術式が優れている、ということらしい。
昔は幾人もの盗人達がカーマインの秘宝を奪おうと試みたらしいが、ついぞ誰も成し遂げることが出来なかった。
偉大なる大賢者の封印及び結界は王国設立以来、未だに負け知らずなのだ。
「さて……と」
とりあえず周辺に異常が無いのならば、祭壇に足を運ぶしかない。
「じゃあ、行こうか」
静かな夜の帳。
僕達は足音も立てずに、『祈りの祭壇』に向かった。
☆ ☆ ☆
傍に近づくにつれて目で見てとれることがいくつかある。
まずは老朽。
時間経過故にだろう、石材などの類は見事に長い時を経て崩れかけていた。
苔が石畳の上に蔓延り、ひび割れた柱がそこかしこに見受けられる。
「……」
周囲を警戒しつつ祭壇の中に足を踏み入れた。
生き物の気配がしない。
まるで空気さえも様変わりしてしまったかのように風の流れが無かった。
風を切る音すら聞こえない不思議な静寂に満ちている。
しかし入り口付近には何か変わった物があるようには感じられない。
息を殺しつつ慎重に、年代を感じる建造物の中をゆっくりと二人で歩を進めた。
壁や天井を見渡しながら、何も無いな、と思案したその時。
「あれ、は……」
自然と声が漏れた。
神殿の奥、視界の先に広い空間がある。
「……」
神聖で。
神秘的で。
強大な力を放つ異質な空間。
祈りの祭壇に至る道中にその部屋はあった。
カナリアの静かな呟きが祭壇の中で反響していく。
「『神柱の間』」
室内中央には4本の柱が聳え立っている。
荘厳さも兼ねた見事な柱には縦横に凄まじい量の魔法陣が施されていた。
発する魔力も尋常ではない。
4本の柱を頂点にした強大な結界は白色に塗り固められており、その内側を見通す事は出来なかった。
部屋に足を踏み入れるまでは、まるで感じなかったというのに。
この部屋に入るや否や肌を刺す感覚が僕を襲った。
今にも押しつぶされてしまいそうになるほどの濃密な魔力が室内に満ち満ちている。
一体どれほどの力が内包されているのだろうか。
柱から感じる静謐な雰囲気はまるで、この祭壇を守る守護者のようだった。
(いや……実際にそうなんだ)
淡い光を暗闇に浮かびあがらせる4人の守護者。
彼らは護り手なのだ。
この結界の内側にカーマインの血族以外の人間が侵入することを拒んでいる。
「……少し調査したい」
「ええ」
「僕から離れないでね」
「……ぅ、うん」
ゆっくりと睥睨するようにして室内を見渡した。
この部屋に至るまでの道中の劣化具合が嘘のように、『神柱の間』は美しく、時の流れを感じさせなかった。
天井は崩れる気配を微塵も感じされない力強さに満ちており、周囲の壁や床もそれは同様だ。
空気もどこか澄んでおり、密室のような空間であるのに、息苦しさはまるで感じない。
それもこれも中央の4本の柱に施された魔術の力によるものだろう。
(……これが)
大賢者カーマインの力の一端。
王国を作り上げし偉大なる魔術師。
「……」
注意深く室内を調べてみたけれど、特におかしな物は見当たらない。
魔力を探ってみても、中央の柱の強大過ぎる力以外は、微細な力すら感じなかった。
罠の類が仕掛けられている様子は無い。
「……あとは」
視線を室内の中央に向けた。
やはりあの4本の柱、その結界の中にあるだろう祭壇。
「……カナリア」
「わ、分かったわ」
彼女はどこか緊張した様子で柱の前に立つ。
そして瞳を閉じると、静かに、ゆっくりと。
右手をそっと結界に当てた。
次の瞬間――。
柱と結界は一層輝きを増し、室内に小さな振動が走った。
「……消えた?」
いつの間にか跡形もなく結界が消え去っている。
そして今まで見えなかった結界の内側に目を向けた。
(……階段?)
一つの階段がある。
恐らく地下へと通じる階段だろう。
僕はカナリアに近づき、声をかけようとした。
「カナ……」
しかし僕の言葉を遮り、彼女は口早に告げる。
「すぐに戻っちゃうから急ぎましょう」
「あ、うん」
「それと私と一緒じゃないと結界が発動しちゃうから」
そう言って彼女は躊躇いがちに瞳を伏せつつ手を差し出した。
「そ、その、手を……」
「分かった」
すかさずカナリアの手を取り、僕は彼女の隣に並ぶ。
「行こう」
僕達が一歩。
4本の柱の内側に足を踏み入れた時には既に、カーマインの結界は再び稼働していた。
振り返れば先程までと同様、この先には何人たりとも進ませない、という強固な結界が形成されている。
「……すごいな」
思わず僕が驚嘆の声を上げると、カナリアは意外そうな顔で首を傾げた。
「貴方の目から見てもすごいの?」
「もちろんだよ」
僕は素直に頷いて見せる。
「まず強度もそうだけれど……これだけ長い間、それこそ何百年間以上も途絶えることなく護り続けている、という事実が凄い。恐らく魔力を上手いこと循環させるような魔方陣が組まれているのだろうけど……だとしても色褪せることなく、これだけの力を維持しているのは並大抵のことじゃない」
それだけではない。
「血族認証……あれは一体どうやって実現しているのかが分からない」
最も気になるのはこの部分だった。
「王族だけが入れる、という封印の事?」
「そう。確かに自分の血を基にして、その血族を判断する事は出来る。そういう魔術はそれなりに多くあるし、僕だって可能だ」
しかし。
「さっきあの結界は……カナリアの血をどうやって判定したんだろう」
本来の血族認証系の魔術では、実際に対象の『血』が必要だ。
その血を媒介にして、血族であるかどうかを判定する。
しかし、先程は血の一滴すら必要とせずに、カナリアが触れただけで、あの結界は彼女がカーマインの血族であると判断した。
しかも話を聞く所によれば、なんでも、例えば王族の死体から腕だけを取って結界に触れさせても、この血族認証は潜る抜ける事が出来ないらしい(大昔に、そういった事件があった)。
つまり生きた王族の人間の力が必要不可欠なのだ。
「今の僕では……難しいな」
少なくとも現状では実現出来ない。
その魔術を構築する術を知らなかった。
「あの柱を調べれば分かるのかな」
俄然興味はあったが、あの柱は外側だけではなく、内側にも様々な魔方陣が描かれていることが予想される。
となれば、あの神柱をじっくりと時間を掛けて解体し、魔術を紐解く必要があるが、それを実現するには王族でなければ難しい。
王族でなければ結界に阻まれて碌に調査も進めることが出来ないだろうから。
「まぁ……今はそれどころじゃない、か」
時間もあるわけではない。
僕は頭を振って思考を再び『祈りの祭壇』へと戻した。
☆ ☆ ☆
階段の先にあったのは小さな部屋だった。
「ここが私達が毎年建国の始祖たるカーマインに祈りを捧げる聖なる祭壇よ」
豪奢な造りになっている訳でも無ければ、強大な結界があるわけでもない。
王族が祀る聖域にしては随分と簡素だった。
祭壇の上には何やら聖杯のようなものが置いてある。
その聖杯からは大きな魔力を感じた。
聖なる気配を纏った聖なる魔法具。
とはいえ、それも特筆するほどの迫力は無かった。
強い魔力といっても、並外れている訳ではない。神柱の間の柱の方が遥かに強大な力を秘めていた。
しかし。
「あの、水は……?」
ただその奥……祭壇の後ろに小さな泉があった。
僕が気になり尋ねるとカナリアは頷きつつ答えてくれる。
「あれこそがこの場所の本質……そして王国の秘宝」
言いつつ歩きだした彼女に続き僕は、泉の傍まで近寄った。
揺らめく液体を眺める。
「これ……」
(水じゃ……ない?)
なんだろう。
不思議な液体だ。
透き通っているように見えるも、底は見通せない。
思わず吸い込まれてしまいそうになるほどの美しい揺らめき。
どこか粘性を持っているようにも見える水面。
魔力も感じる。
かといって何かとてつもない強大な力を放っているかというと、これまたそういうわけでもない。
するとカナリアが突然不思議な事を言い出した。
「この泉にはカーマインの魂が宿っていると言われているの」
「え……?」
俄かには信じがたい話であったが、カナリアが嘘を言っているような様子はない。
彼女の瞳は真剣だった。
「魂?」
「私も詳しいことは知らないんだけど……なんでも本当にカーマインはこの泉に自身の魂を溶かしこんだそうよ。少なくとも王族にはそう伝えられているわ」
「…………魂……」
僕は独白するように魂という言葉を繰り返した。
再び泉の水を見下ろす。
風も無いのに揺らめく水面。
どこか不可思議な、得体の知れない液体。
そう言われると、なんだか本当に何者かの意志が宿っているように感じられるのであるから不思議であった。
「確かに微かな魔力は感じるけど……」
どこか懐疑的な思いを断ち切ることはできないがそれでも完全に否定する気にはなれない。
この場所は王国の秘中の秘だ。
僕の想像を遥かに超えている力があってもおかしくはないのだろう。
原理は分からない。
真実も分からない。
しかし『何か』。
特別な『何か』を泉から感じるのは確かだ。
「たまに……」
「えっ?」
「馬鹿げたことだと思われちゃうかもしれないけれど……泉から御先祖様の声が聞こえるような気がするの」
カナリアは囁くように小さな呟きを漏らした。
「……なんとなく、だけどね」
次いで、苦笑しつつ頭を振る彼女。
僕は無言で彼女の横顔を見つめていた。
「……そっか」
頷きながら僕は改めて祭壇の様子を窺った。
注意深く、委細の変事を見極めるようにして神経を尖らせる。
(やっぱり……最近になって誰かが忍び込んだような形跡はない)
特にこれといって聖杯と泉以外から力を感じることもない。
少なくともこの場所に罠の類が仕掛けられている様子は無さそうだ。
道中にも特に怪しい点は見当たらなかった。
(とにかく祭壇自体はシロかな)
そう思い、僕が振り返ると、両手を合わせ、泉に向かって黙祷しているカナリアの姿が視界に入る。
「……」
その姿は真摯さに満ちており、心を落ち着かせ祈りを捧げる彼女の姿は、まるで聖女のようであった。
何かこの場所に感じ入る物があるのだろう。
カナリアの雰囲気がいつもと違う。
カーマインの血を引きし、王国の礎。
どれだけ僕のような人間と仲良くしてくれていても。
快活に街中をはしゃぎ回るような一面があっても。
悪戯好きのお転婆な側面があったとしても。
(やっぱりカナリアも……)
王族なんだな、と。
改めて僕はそう思った。