第七話 『平成学徒リクルート』
前回までのあらすじ:
共同生活はつつがない向きへ転じたかに思われたが、居候の千歳はさっそく友達を上り込ませるという無体っぷり。この級友たる東海林飛鳥は、やかましくもどこか憎めない為人で衛介を翻弄する。
噴悶さめやらぬまま三人で夕食を囲み、何だかんだで歓談したのであったが、この時はまだ誰ひとり異変に気付かずにいた……。
一
しばし歓談の後、小娘・東海林飛鳥は律儀にも皿洗いを手伝い帰っていった。
これはうれしい誤算と云えるか。食い終えればゴチソウサマとて唱えず、ぶしつけに飛び帰ってゆくとばかり高を括っていたものである。話では陸上部の短距離走有望株と聞くが、流石にここにまで韋駄天ぶりを発揮するほどではなかったらしい。
去りし風雨が後日のごとく、俺は一つ溜息をついた。
「ハア……あー………ちかれた。何なんだい、あのチビっ娘は」
「あーらら、おつかれ様」
毛ピンを外し、前髪を梳きながら千歳はおかしげに笑う。何が不味いかと問わるれば、それは反省の色が針の先ほども見えぬ廉と答えるほか無い。当方、毒気に当てられてばかりである。
「ったく……藪から棒な真似をしよってからに。金輪際もう勘弁ってもんだ」
「しょーがないじゃないのー。だって飛鳥ったら頭めっちゃ痛いとか、いきなり云い出すんだもん。ふらふらしちゃって可哀想だったし」
「あ? 嘘こけ馬鹿たれっ。喧しいぐらい元気だったじゃねえかい!」
「家着いて少し休ましたら元気んなったの! まぁ……その後も上げっパで暫く駄弁ってたのはゴメンだけど」
「そら、何をか云わんや」
「で、でもちょっと良いじゃん、あんなカワイー女の子が遊びに来るとか中々なくない? ましてやあんたみたいな男子ん家に! ほら喜んで、喜んで、ね?」
これあるかな、一利無きにしも非ざるか――否々、流されてはならぬ。そういった問題でもなかろう。
時に、先程まで客が居たせいで気付かなかったことであったが、部屋の隅の千歳が荷物を置いている一角に何やら物々しい封筒が投げてあるのをふと見つけた。指し当って一まず荷物と一緒に避けて置いたと、如何にもそんな風情である。
「……おろ、何か郵便来てたのかい。悪りいな、受けといてくれたか」
「あぁそれ? 何かポスト入ってた。中見てないからよく判んないけど」
その封筒は書留らしく厚みのある代物であった。大きく「速達」「重要書類在中」と書かれており、右下には幾分小さく差出元の名も載っている。
「何々、『NPO法人 超常諸件捜査対処局』――だと。俺ぁこんなん聞いた事ねえや。お前、知らんかね」
「え? そんなの知ん…………てっ……嘘、ちょ、ちょっと何コレ。見てってば。うちら連名で宛先になってんじゃん」
「ほぅお……?」
何と妙な。何故この女が我が家に居る事をこの差出人は知りえたのか?
無論これを知りうるのは我々の他、先程帰ったばかりの飛鳥のみの筈である。しかしながら、彼奴が悪戯で投げ込んでいったにしては物が立派過ぎはしまいか。
兎にも角にも、中を確認せずには眠れない。
封筒の中には長々と文の書かれたプリントが一枚と、真面目な学生がよく持つ品に似た手帳が二冊、団体に関する雑多な情報が載った小紙が一枚入っていた。
さて、プリントの内容は以下の通り。
『こんにちは。如何お過ごしでしょうか。まず、先日の無事な生還を心よりお喜び申し上げます。
此度は高砂衛介さん及び住吉千歳さんお二人に、本局への仮職員としての就業を斡旋・認可し我々の職務の一層の効率化、且つ円滑な運営にお力を貸して頂きたくてご連絡致しました。
つきましては、一度本局へ足をお運びいただき、改めて詳細なお話をさせて頂きたく存じます。大変恐縮ではございますが、別紙記載の住所までお越しください。
PIRO関東支部 作戦統括課副課長・鹿ケ谷 佐織』
――出し抜けに堅っ苦しい文ではあったが、我々にとってこれが一昨日の事件で我々を救った者達による書簡であるとは悟るに容易であった。
出頭して来い、と。しかのみならず、職員として就業せよという始末。笑止千万。慇懃無礼ここに極まれり。
この期に及んで更なる化物との闘いがあり、その戦線に我々が加われと宣うか。乱脈も度が過ぎて無茶苦茶である。
確かに我々はこの刀を近々返却せねばとも、妖石だの、妖力だのに関しては話くらい聞いてスッキリさせて於かねばとも思ってきた。しかれど、斯くなる上は話が別であろう。
「よォく分かった。碌なもんじゃあない」
俄かにして気分を害され、俺は唸るが如くそう呟いた。
訪ね伺ってなど、誰がするものか。行けば行ったで我らが如何に述べどもきっと丸め込まれ、得体の知れぬ物の怪との戦に駒として投ぜらるる羽目が目に浮かぶ。
害獣駆除は大変結構だけれども、人材集めは是が非でも他所を当られたし。そう書き付けて送り返したき次第であった。
「ど……どーよコレ。まじで行かなきゃ駄目な感じなやつなの? フツーに、ああいうのもう懲りたからね?」
「ッたりめえだ。放っとけ放っとけ。こちとらあれ以上死に目を見んのは、まっぴらこんこんちきだぞっ」
「こっちがシカトしれてばその内向こうも諦めてくれたり、とかすんのかな……ならいーんだけど……あ、いや、良くないかも?」
「ンーん……然れかしと、切に祈るね」
但し、左様な保障は毫も無い。諦めの悪い連中であることは充分過ぎるほど考え得る。
更に面倒なることに、向こうの召きに応じないとあらば刀も長巻も銃刀法違反で押収される日まで保管せねばならなくなってしまった。正式な登録書でも付いているのなら別だが、それはあるにせよ所持しているのは先方の人々であろう。
「にしても参った。凶器の借りパクってのも楽じゃないや」
「やっぱ返しに行くだけ、行ってみんのは……なし?」
「そりゃ御法度、どうせ連中の思う壺だァ。いいかよ、今日以降俺らはこの刀のことも彼奴らのこともきっぱり忘れて、成るッたけ平和に生きてりゃ良いんだい。気ぃ使うのも怠かろうが、危なっかしい刃物は押入れにでも仕舞っとくんだな」
「えぇっ、何それ。仕舞っとくっても何か」
「まァ待て、云わんとすることはよく分かるぞ。お互い貧乏な身としちゃ、質に出せねえのはなるほど惜しいわな」
「……ばーか。そうじゃないし。後々になってまた何か送ってくるかもってのよ。その前にまた危ないのがしつこく襲ってきたりとかもホラ、色々さぁ」
「ああその時ゃその時……だろ。今は只、少なくともこっちの“意思表示”として黙殺してやれ」
本来ならお礼の手土産くらい奉りたいところだが、彼らがああ述べる以上こっちにも手がある。漸次的方策としては恐らく最良であろう。我が身可愛や、我らもその都度無礼な人間となるも必要なのだ。
「じゃ一応、もうこの紙捨てとくけど良い?」
「あたぼうよ」
「……ホント捨てちゃうけど??」
「だぁもう、いいから早よ捨てろっ」
付属していた立派な手帳は、机の引き出しに適当に何気なく投げ入れておいた。いずれメモ用紙程度には役立つやも知れぬ、となど思ったがゆえに。
然れど、我々が斯くも綽々たる態度で胡坐を掻いていられたのは、凡そこの時までの話であった。
あいにく我らは知る由も無かったのである。束の間に謳歌した安寧が、ぼろんぼろんと、ものの刹那に瓦解しようとは。
平穏、それに伴う幸の諸々。これらは元より長く保つものではない。それは最早、生鯖よろしく保たぬ。――思えば、云わずとも解りきったことではなかったか。
蓋し、月に叢雲花に風と。
二
風雲急を告げる、正にそのごとき出来事であった。
我が部屋に、突如として乗り乗りなる音楽が鳴り響く。昨今売れの良いロック・バンドの新曲が着信音に充てられた、千歳の電話機である。彼女は普段話すのとはいささか異なったいわゆる“電話声”でこれに応じた。
「もしもし………アーこんばんわぁ。……ハイ…………え、飛鳥ですか? もう帰りましたけど、一時間くらい前。………え? そんな…そうなんですか? ……ちょ、ちょっとウチからも掛けてみます。…………すみません、失礼します――」
何を喋ったものかはいざ知らず、電話の後半は動揺した童が如き声持ちに変わっていた。さて如何に思ったやら。当初との落差はいささか滑稽なものである。
「一体どうしたい」
「何か……ヤっバいかも」
ここで滑稽と評したことに関しては撤回したい。
電話の相手は飛鳥の母。聞くところに因れば、一時間も前に帰った筈の飛鳥が未だ帰宅していないとの事であった。彼女の家は隣の隣の学区でも境に近く、ここから歩いても三〇分はかからぬ地域にあるらしい。
頓痴気な娘とはいえ、こんな夜に一人道草を食うなど愚かしきに失する。
何であれ本人の携帯には繋がらず、母親からのメールにも返信が無いという。飛鳥からは住吉家に遊びに来たと聞かされていたが、たまたま彼女が自宅にPHS端末を置き忘れて行ったのでそこから千歳の元へ掛けてきたのだそうな。
「オヤオヤ、今度こそ迷子じゃねえか」
「そう――、じゃなくて! 何か事件にでも巻き込まれてたらどうすんのっ。あたしだって、まさか飛鳥がとは思うけどさ!」
「……縁起でもねえこと云うのな」
考えたくはない。確かにこの所妙な事件が頻発してはいるが、しかし今までの傾向から見て、丸で関り無き一般人が襲撃の対象になるほど無差別であったのだろうか。
千歳が持っていた謎の勾玉なら既に捨てられた筈である。本当にあれが「妖石」なる物ならば、敵はとうの昔に拾い上げて収拾をつけるであろう。
よもや、飛鳥までその手の鉱物を所持していたとでも云うか。そこまで広く流布している代物とは考え難いではないか。
只、近頃の千歳の境遇を鑑みるなら多少神経質になるも忖度できぬではないのだが。
「駄っ目だぁ、誰も出ないじゃん……」
女は焦ってか引っ切り無しに通話を試みるも、繋がる兆候は無かった。
「ほら、アレだろきっと。電池が切れてんだよ。スマホンでアプリばっかし使っとると、割かし直ぐ切れるもんなんだろう? そりゃ俺はガラケーだから詳しくねぇが」
「あの子さっきここで充電してたけど」
けしからぬ奴め、我が家のコンセントを無断で使うとは許し難し。
「……ンじゃ、知らん。取り敢えず明日になって東海林から返信も何も来なきゃ、もう一ぺん家に掛けてみ」
「う……うん」
しかし千歳の愁然たる面持ちを見ていると、何故かこちらまで嫌な胸騒ぎに駆られてくるから不思議である。
事件の日の夜道や家に転がり込んできた折さえもこれ程に不安げな表情をしてはいなかったのに、この女は他人の心配は人一倍する質なのか。するとその分、まず汝が身を心配せよとは諭し辛かった。
飛鳥に関しては杞憂であれば良いが、俺とてあまり達観して見過ぎてしまうも無責任な気がしてならぬ。一応“最悪の場合”も想定すべきなものであろうか、現段階では今一つ分りかねる。
何れにせよ、今日はもう夜が更け過ぎてしまっていた。今すぐにどうこう出来るかというと、それも現実的でない。
「……一体何時まで電話に貼っ付いてる気なんだい。ほれ、早く一っ風呂浴びて来いよ。でなきゃ俺が入れん」そう云ってバスタオルを投げてやる。
千歳は受け損ねたが、渋々拾い上げると黙ったまま風呂場へ入っていった。心なしかその華奢な肢体が、やるせなさに立ち震えているように見えた気がした。
さて、風呂が空くまでの間に、こちらは「特殊怪件捜査対処局」に関して少し調べてみたい。
あの得体知れない連中、NPOと謳う以上民間団体であるのは確実であるにせよ、それが装甲トラックや凶器を携行している点などが大いに引っ掛かる。
ところが我が疑問は何一つとして解かれなかった。
検索エンジンにその名を入力してみるも、結果出てくる頁は全く関係の無い刑事ドラマや探偵小説のタイトルばかり。あれ程に財有りげな集団が、今時ウェブサイトの一つも立てていないというのか。たかが高校の一学級ですら、凡そ無意味にもホームページが営まれる時代だのに。
彼らが我々の敵対者でないことは明らかなれど、素性の不透明さに関してはどうも信用に足りぬ。
それでも、縦しんば飛鳥が厄介事に巻き込まれていたにして、もしそれが彼らの専門の検案、即ち胡乱な敵が一枚噛んでいる可能性が微塵でもあらば、我々はその門を叩かねばならなくなるのかも知れない。
つい先程に金輪際我関せず焉、と決した途端にこれとあっては、真に以て癪に触る限りであるが。
降って沸いた災いであった。依然、暗澹の前途である。俺は今まさに臍を固めるべく、ある種人生の岐路に立ち至っていると云った処なのだろう。得体の知れぬ敵に、得体の知れぬ味方と立ち向かわんという覚悟を。只それを考える時間こそが、今なのである。
鶴亀、鶴亀、幸先は最早悪しく、良い予感こそ露しない。しかし半ば、不思議と腹は括り掛かっていた。これでなら翌朝を迎えるのは、然程恐ろしき事ではないのであろう。
――と、理想は斯くある。実際にそうか否かは、また別件となるため誤解すべからず。本当にそう思えるのならば、端から苦労などあるまい。
再び俺は、悩み惟るべく目蓋を閉じた。果たして今宵は眠ることなど出来るのか。
三
明くる朝。
結局千歳の元に彼女からの音信は入っていなかった。夕べは場の流れで何となく俺もメールアドレスを交換したが、矢張り、当方にも連絡とて無い。
返信あれかし、あれかし、と庶幾せるは斯くして無駄となった。
千歳は汁に入れる葱を切りながら鬱々とした溜息を漏らす。予ねて恐れていただけに、この雰囲気は如何にも堪え難い。
「よせやい、通夜みてえな空気になるじゃないか。まだ東海林がどうかしたと決まった訳でもあるまいに」
女が答える素振りも見せず葱を切り続ける姿は、悄気た絡繰人形を思わせた。
「おいこら、俺ら二人でそんなにネギばっか食うんかよ」
「…………」
「何とか云ったらどーなんだね」
少し声を強めたとて、反応は皆無。恰も、耳栓でも填めたるがごとくに。話す気さえ起きないのか、はたまた考え事に没頭しているのかは窺い知れない。
事ここに至り、いよいよもって已むを得ぬ。斯くなる上は此方も手があるというものだ。
今から俺は昨晩考え抜いたる結果得た苦渋の結論を、端的に話してやらんと思う。これでなお口を噤む様であれば、後は知ったものではない。俺にとってこれは本来あまりに望まれぬ、日常を崩壊させる自棄的決断たり得るのだから。
「よし分かった。ここは一つ奴らに応じてみようや」
「――ッ」千歳は一瞬ぴくりと動くや、驚いたようにその手を止めた。
俺は屑篭から昨晩捨てた封筒を、やおら引っ張り上げる。
「ここの住所に行きゃ良いのだろ。見な、たかだか電車で一駅のとこじゃないか。東海林がどうこうはさて置いても、これで助けを乞えるってんなら、安い」
「……ほん、とに」女が振り返り、か細く何か云った。
「ん? まァだ文句でもおありかい」
「ホントに、そうして……くれるの? い、一緒に?」
酷く震える彼女の声。解かれ、長く垂れた寝起きの髪と共に。しかしてその目には光るものが。
恐らくこのところ耐え抑えていた分が、まさに溢れ出さんとしているのであろう。それでもその涙零すまじと、千歳は尚も上を向く。
全く如何したことか今の俺の眼には、この女が云いよう無いまでにいじらしく映っていた。首をすくめ上目遣いで俺を見つめるその様は、さながら粗箱の中の子猫のごときものである。あわれ、これは不覚にも──。
何人が惚れずにいられよう。
「誰が一人で行かすか。封書は連名で届いてんだからな。しかも、他でもねえ我が家の客人が危ないかも知れんってのなら、俺にも責任というもんが有る」
「でも……でも衛介だってさ、これから危なくなってくかも知んないんだよ? それでも、イイの……? 実際飛鳥はあたしの友達なんだし……本来衛介にはなんにも……」
「なァに云ってやがる。一番危ねえのはお前だわ。家の居候が出先でどうにかなってみろ、目覚めの悪くなんのは俺だぞ。それにな、…………………えーと、何だ………お前の親御さんへの説明もつかん」
何故かここで一瞬言葉に詰まった。本当なら、親がどうこうなどという便宜的内容は二の次である筈だが、この時どうにも見合った句がスっと出ては来なかったのだ。恥かしながらこの感覚は今一つ説明致しかねるゆえ、どうか許されたし。多謝、多謝。
「まぁだからその……ホレ、もう泣くなよ」
女の頬が薄紅に染まる。その赤かるや林檎の色か、はたまた若き李色か。
「――ち、ちがっ。これは……ネギ切ってただけで」
「ハッハぁ、万能ネギ如きでそんなんなるかい普通。料理っつのは大変だねぇ」
「うっさい」千歳は袖口で涙を拭くと急にばつが悪そうに、そっぽを向いて手を動かし出した。
そして数秒間を置くと、素っ気無く「……でも、ありがと」とだけ付け加えた。
これでも声は、先程よりずっと落ち着きを取り戻したような趣である。現在それに越したことは何も無い。
「さぁ、パッと飯食ったらすぐに出掛けよう。事件か否かはどうあれ、早いほうが良いには決まってら。そうそう、おまけに明日は飛び石の平日だしなァ、包帯だらけじゃ学校にゃ行けんよ」
最後の軽口に千歳は答えもせず、後髪にグ、とシュシュを巻くや屹度なった。
確かにそれもその筈、彼女にとっても三度目、俺に至っては未だ二度目の闘争になるやも知れないのである。もちろん命懸けで挑まねばならぬは自明の理であった。これを機とし、我が気もいたく引き締めんとす。
たとい嵐が迫ろうと、一寸先が闇であろうと――飯の旨きは些も変わらない。
程無くして我々は卓につくと物も話さず、只ひたすらに掻き喰らう。夙に、腹が減っては戦は出来ぬとはよく云ったものである。