表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アサルト・オン・ヤオヨロズ  作者: 金精亭 交吉
第一章【黄金連休、我が身休まず】
6/59

第四話 『嫋やぐ女神』

前回までのあらすじ:

 狩るか狩られるかの死闘に臨んだ高砂衛介、住吉千歳。

 衛介は深手を負って吐血し、情けなく流涙しながらも、正体不明の「青い光弾」に助けられて再起する。千歳の機転で敵の動きを封じたところ、衛介がとどめを刺すといった形で辛勝を収めた。

 血酔もほどほどに、こんな殺生は以後まっぴらごめんと誓う衛介であったが……。


 本日も至極当然にして、朝なるものがやって来る。方今、時刻にして七時半である。その通り、直ちに起きねば学校には間に合わぬ頃合。

 ()こそ思えども、眠いものはすこぶる眠い。十七年生きてきて一番床から動きたくなきは疑うべくもあらず、今であろう。


 夕べに見しは悪しき夢なりき。


 ――つくづく、そう思いたかった。しかるに全身の筋肉痛と側頭部の鈍痛、そして枕元に投げてあった怪しげな刀の存在が全面的にそれを否む。


 昨夜の出来事は紛れもなく現実である。


 然りとてそれを誰に話せど、信じてなんどもらえまい。

 否、そもそもこんなことを一体誰になら話したくなぞ思えようか。ヤアヤア我もののけ討ち取ったり、となど。この妄想講談師めがと一笑されるが関の山と見た。


 そして疑問なのは、何故昨日はこの刀を返却せずに何の疑問も無く持ち帰ってきたのかという話である。あの女もまた然り。


 昨晩去んぬる惨劇の後、我々は車でそれぞれの家へ送ってもらった。

 そのおり運転手は漫ろにも、我々が武器を携えたまま家に戻るのを笑顔で見送ったのだ。ものの五秒も冷静に考えれば、ちゃんちゃらおかしな話である。

 これは立派な銃刀法違反ではあるまいか。

 するとこの刀が世間様の目に触れることがあっては間違い無くまずい。床に放り出したままではおちおち回覧板も受け取れぬから、一まず押し入れにでも隠して(おお)そう。


 かれこれ思慮を巡らすうちに、時刻は七時四五分となった。もう家を出ねば本当に遅刻をする。


 しかしながら現状、問題が山積していた。

 昨日は帰宅するや否や布団に倒れこむように制服で寝てしまった為、俺の身体は酷い汗臭さを放っていたのだ。夕べの発汗量といえば過去にも類を見ぬものである。生ける腐肉と化した身で、どうして表になど出られたものか。


 今やどの道遅刻するのは同じならば、最早一風呂浴びてから登校するも良し、と思う。

 それに腹もたいそう減った。昨夕に弁当を買った記憶はあるものの、狂乱の中どこかに落としてきてしまったらしい。

 ――まあ、そうと決まれば牛丼でも食ってゆけばよかろう。


 遅れて着いた学校にても結局殆どの時を眠ったまま過した。

 やや紹介が遅れたが、俺の通っているのは県立「床園東(どこぞのひがし)高校」と称する所で、偏差値にして凡そ六〇弱の“自称”進学校である。


 本日の睡魔は常より飛び抜けて壮烈なものであった。便意とだけは辛うじて協調してくれてこそいるものの、他は寝ること意外に我が身を断じて許さない。

 挙句の果てには昼時も弁当を買う金を持って来損ねたので所在無く、友と机を付け合わせつつもやはりうつらうつらと船を漕いでいた。


 そして只今、漸く以て五時限目が終わらんとしている。しかし形だけ一応整えるつもりで机上に並べた教科書、帳面に涎を垂らすまじと勤めたら、中々居眠りも捗らずに面白くない。


 この時間は日本史であった。本来、俺は中世以降の邦史が好きである。然れど授業科目としての地歴は単なる暗記物故に大々嫌いである。


 中学校の課程では〇々(まるまる)幕府第(うん)代将軍誰其の(なにがし)か、あるいは精々「鳴くよ鶯」「良い国造ろう」程度を諳んずることさえ(あた)えば何ら文句は付かなかった。


 所が高校ともなると行き先に立ちはだかりたる大学入試が為に、世の歴史おたくが自己満足的に知って悦びそうなまでの薀蓄へと話が広がり、遺憾ながら、勉学としてある種の不毛さを感じざるを得ないのだ。


 こと俺に関しては、自今もきっと付いて回るであろう英語を始めとした必修科までも等閑(なおざり)にし過ごしているものだから、他を(あげつら)うなど元よりしゃら臭いと云われてしまうとぐうの音も出ぬ。

 因って無念ながら、我が理念を大っ平に唱道することは当面のところ叶わないと見て、大方間違い無かろう。


「エー、でもって七一二年には太安万侶により古事記が、七二〇年頃には舎人親王らによって日本書紀が編纂されました。後者は有名な六国史の始めですねェ。

 神代の歴史もかなり多く書かれてる書物ですが、いかんせん単なる神話との区別が曖昧過ぎるんで日本史の授業じゃ今一扱いづらい領域ってなわけですな。

 馬鹿げた話かもしれないが、戦前は普通に歴史として教科書に書いてたんですこれ。ダハハ」


 それ見よ、この退屈さを。教諭の淡々たる語り口調に、元より参った心身がことさら屈託した。生徒が勉学に関心を持たす為の工夫というものが、足りていないと見える。


「まーぁ黒板には一々書かないが、成立年代くらいは試験にも出すから宜しくな。連休で頭から飛ばさん為にも復習でもしておくように。資料は便覧の方な。ハイ。ちぃと早いけども、今日はここまで」

「気をつけーぇ、礼ぇ」


 何時日直が号令を掛けれども、律儀に「アリガトーゴザイマシタ」とは殆ど誰も口にしない。

 ぼそぼそ「ァウース」などと吐息混じりに垂れるだけでも充分ましな方ではなかろうか。


 一方それしき端から理解している賢明なこの老教師は、すぐ様くるりと背を向け廊下へ出て行った。この男もそれなりに聡いのであろうから、若いうちにほんの少しでも授業を上手く為す努力に励んだのならば、きっと文句無き名師として大成を遂げていた筈だ。何とも惜しき話に思う。


 帰りの学活に担任が入ってくるまでは五、六分程度の時間が空く。それまでもう一眠りできるかも知れない。


 そうなどしていると、俺の肩を軽く叩く者が突如現れた。


 否、叩くとは記したが、実に優しく柔らげな手つきである。

 我が安眠を妨げんとするものなれば直ちに拳骨を見舞うべきところ、これは乱雑野蛮の男子によるものではまずなく、稚児を撫ぜる母にも似た、(たお)やかな指。果たして何者の手か。しかして信じ難きその心地良さに、我が眠りは更なる深みへ――


「あ、あの、高砂……君、ちょっとだけ……起きて、下さいませんか?」

「ン…………む」

「た……高砂く――」

「ん……はっ、はて?」

 ぬ、と俺は顔を上げるや、これまた鈍重にして間の抜けた声までも一つ。


 ――目の前に立っていたのは、当組学級委員長の桧取沢(ひとりざわ)歓奈(かんな)さんである。

 一般に学級委員というとその実態は有名無実なることが専らであったりするけれども、彼女はそれに非ず、自ら仕事を探し率先してこなす。桧取沢さんは、脇に本日の日直が出した学級日誌を抱えていた。


「次の日直……高砂君だから、今のうちにこれ渡しておく……ね。連休明けには、忘れずに持ってきて下さい」

 いたって事務的用件を、酷く緊張した様子で伝えてくる少女。斯かる様子は、彼女の常であった。


「あぁこれはこれは。って連休明け? 飛び石でどっか学校来る日ぃ無かったっけか」

 すると桧取沢さんはハッとし、いささか頬を赤くする。しかし俺が欠伸を噛み殺すとその表情は涙に滲んでしまい、よく判らなくなった。


「ご、ごめんなさい! 明々後日でしたよね……私の馬鹿」

「いやまァ別に如何でも良いんだ、ンな細けえことは。確かに受け取っとくよ。ありがとさん、えっと、桧取沢さんよ」

「う、うん、でしたらいいんです。一応こんなのでも……仕事ですから」


 桧取沢さんは控えめで目立ちこそしないが、可也の美少女なりと謳う者も少なくない。

 けれども彼女自身を社交的とは世辞にも評し難く、常は教室の隅っこにて大人しき日々を送っている。畢竟、学級内ヒエラルヒーに於いてその地位高しとは、これまた評し難い。


 それゆえ学年に名だたるチャラオだのプレイ・ボーイだのの類はそちらへ然程目がいかず、広く幅効かす軽佻浮薄の金茶髪にばかり胸を焦がすのである。

 ――が、それでよいのだ。然らざる者らは皆よく知っていた。桧取沢嬢こそ、この学級の隠れた女神であることをば。


 或る者曰く其の少女、神聖不可侵にして高嶺の花と。また或る者曰く、立てば芍薬(しゃくやく)座れば牡丹、歩く姿は百合の花と。


 そんな嬢はよく弓道の用具を持っているところが目撃されているものの、部活動は何れにも所属しておらず、学校が終われば何を云うでもなく足早に下校してゆく。

 内職の類にさぞかし勤しんでいるのであろうと俺は推定していたが、習いごとに精を出しているのでは、とか彼女に限ってそれはない、などとの見解も様々に見られた。

 謎の多きも、野郎にしてみれば不思議と魅力の一つであった。


 その艶ある緑の黒髪は背中半分ほどまでまっすぐと垂らされ、長細い脚に豊満な乳まで併せ持つ。悪友・梶原裕也の先日に曰くとおり、この上なく可愛らしい生娘なのである。

 麗しき少女は自身の席へと戻って行った。その後姿を眺めるというだけでも、目の保養をする分には非常に良いのやも知れぬ。増してや本日久方振りに会話の機会を得られたのは、また喜ばしからずや。


 ここへ至り、昨日を生き伸びて本当に良かったと、すこぶる実感した吾人なのであった。

 

 

 さて、閑話休題。


 帰りの学活が終わる。

 普段なら間も無く裕也が声を掛けに来る筈なのだが本日彼は恋人の智美ちゃんと買い物に行くらしいので、こちらは適当な知人幾人かと帰路を共にすることとした。

 その道中、仲間の一人が携帯電話に定期的に入るニュースを見てはしゃぎ出す折があった。


「これ見ろヨ、速報だ速報。またこういう事件だよ。しかも場所も近いしよお。ヤバくね? ヤベーッテ、これ絶対ヤベーッテ」

「ウワ、これガチなやつじゃん」

「めっちゃ怖エーェ」

 全く以て、「やばい」となど微塵も思っていなさそうな顔で抜かす魯鈍な友々。俺は云い様のない苛々を覚えていた。


 然りとて記事の内容にばかりは大いに興味がある。昨夜の件との関連が如何せん無視できない廉があってだ。


「……どら。ちょいと見してみろ」

 そう云うと、半ば強引に端末を引き寄す。――して、ものは思った通り。見たところ、矢張り前回の事件と密接に関係していそうな趣ではないか。


 『先日確認された神奈川県の南相β‐Ⅰ墳丘(仮称)は、発掘調査に入った灘足学院(なんたらがくいん)大学の研究チームの組員が遺体で発見された事件を経て3日、今回は7名の警察官を伴って調査が再開された。

 厳重な警戒の元、本日29日13時頃まで作業が続けられていたが、同行した内の一人で神奈川県警の巡査一名が突如行方不明になっており、再び調査は中断されることが余儀なくされた。

 遺体などは発見されておらず巡査の生死は依然として不明であるものの、付近に血痕が見つかっているため、警察は連日の事件との関連や殺害・死体遺棄の可能性も考慮して調べを進めている。

 なお、今回発掘調査に同行した学生も関係者として取調べを受けている模様。』


 というのが記事の詳細であった。


 さて、奇なり。“殺人犯”は夕べ我々に敗死せしめられたはずではないか。

 すると犯人は一人ではなかったのか。何か大きな者を背景に組織的に動いているとでもいうのか。

 そして何より不可解なのは、前回の事件の実行犯が、常人を装って女子高生と交際まで試みた点だ。あの女の勾玉が欲しいのみであれば盗むとか、それこそ殺して奪うとか、幾らでも手っ取り早い寸法はあった筈なのである。

 おまけに今度は「行方不明」が一名、と。きっと連続殺人と関わるには違いなかろうが、腑に落ちるかというとそうでもない。


 さていよいよ解らぬ。


 まあ、何にせよ相手が一人ならざるのなら、今後も千歳が続けて被害にあう可能性も浮かび上がってくる。

 別段俺は奴を心配してやらねばならぬ立場ではないが、実際に何かあってしまうとなればやはり目覚めが悪いではないか。


 出来ることなら、我ら共々金輪際ああいった騒ぎには関わりたくないところである。しかるに昨晩無事に生還を果たしたとはいえども、残念ながら今尚不安要素は尽きない。


「衛介ー、聞いてんのか。いつまでそれ見てんだよ、早よ俺のスマホ返せ」


 図らずも長考に陥ってしまっていたようだ。友人らの喝で我に帰る。

「オオっと南無三、済まんな(わたる)。……今日んとこクソ眠くって、ボーっとしてた」

「出ぇたよ、『寝てない』アピールとかチョーシのってるわ!」

 この場で悩んだところで如何にかなる話ではない。申し訳無くも彼らを待たせてしまっいてた。


 何はともあれ、一先ず夕食でも買って帰ることとせん。

 ――と、然うは問屋が卸さない。迂闊にも銭は家に置いてきたのであった。

 今朝家を出る際に蕎麦屋で何を食うかで頭が一杯であったことの咎かと思えば、呪うべきは己か。無念なるかな。


 いささか面倒ではあるものの、出直さねばなるまい。



 その後コンビニで夕食を調達して家へ戻る夕暮れの出来事である。家から自転車で五分、川沿いの踏切を越えたところにはコンビニ、ガソリンスタンド、葬儀屋が並んでいる。


 その葬儀屋の「しおさい会館」と大きく書かれた看板の下に、我が校のものと思しき制服を崩さずきちんと着こなした女生徒が佇んでいた。


 生徒手帳に記載されし、数十年来変わらぬスカート丈の規定を遵守している者は今や非常に稀有である。


 結果的にそこそこ脚が麗美な女子は野郎の視野に一定の潤いをもたらすという訳なのだが、現実は忌々しくも、天地に数在る野大根までがそれらを覆い隠す(とばり)を短くし平然と跋扈(ばっこ)している始末であった。

 個々の足を精密に採寸した上でそれに適したスカート丈を設定する校則をば断固制定すべし、とは或る友人の弁だ。


 時に、この光景はやや意外に感じられる。地元と学校の距離を鑑みるに自明であるが、我が校は決してここから近いなどというわけでもなく、家の近隣で同校の生徒を見かけること自体が珍なる為だ。


 ところがその物憂げな少女に近づいた時、俺は思わず、己が心臓をしてショック死せしめてしまいかける事となる。


「……っ?!」

ドキッ! などと、ひどく安直なオノマトペが交感神経を走り抜けた。


 理由は斯くあり――遭遇した少女が何と、またしても桧取沢さんであったのである。

 思えば彼女がどこに住んでいるかという話を聞いたことはなかった。然りとて斯くも地元でお目に掛かるとは尚更思いもよらぬ出来事であった。


 先にも記した話になるが、この娘は押しも押されぬ美脚の持ち主である。

 もし大根に擬し得る何かがあるとするなれば、彼女のそれは宛ら高麗人参とでも例えておくが良かろう。

 但し「少女時代」らのそれとも肩の並ぶ桧取沢人参は、残念ながら長めの帷に膝まで守られていた。真面目な桧取沢嬢のこと故解らぬではないものの、別に減る物でもあるまいに、くらいは思わせて欲しい。


 彼女はこちらに気付くと、少し驚いた顔をした後軽く会釈した。本日は偶々昼間も会話の機会があった為、当方からも一応挨拶を入れておくこととせん。


「や、やーあ桧取沢さん。今日は良く会うのな」

「…………はっ、ど、どうも高砂君」

 おどおどした様子で返事が返ってくる。


「ここら辺に住んでたのかい? 地元じゃ一度だって遭ったこたなかったが」

「え……ええと、ちょっと……知り合いの方にご不幸があってね、お通夜に来てるの……です。家は学校の、近くなのだけれ……ですけれど」

 無遠慮な質問をしてしまったかも知れない。その手に巻き着けた数珠の存在には気付くのが遅過ぎた。


「そ、そかそか。そりゃ失礼したよ」


 葬儀屋にはかなり大勢の人が詰め掛けているらしかった。何故かは知らぬが、学生帽に紺の詰めいりを着た坊主頭の青年が非常に多く参列しているようだ。

 自衛隊関係者であろうか。しかし桧取沢さんに一体何の関係があるというのか、それはよく解らない。


 まあ、俺が態々踏み込んで尋ねるべき話題ではなかろう。人には各々事情があるものなのだ。当然それはこの俺に何ら関係も無いのである。

 常日頃は彼女と話す機会など殆ど無い俺は、これ以上ここで振る話題も持ち合わせない。因って、謎のヴェールに包まれた桧取沢さんの素性をもう少し知りたくないでもないものの、今宵はもう切り上げることとする。


「ええと、じゃあ俺はこの辺で。お邪魔したね。また学校で」

「あ、はい。……またね、高砂君」

 彼女はほんの僅かに微笑んだ。その笑顔の柔和なることは、宛ら吉祥か。


 双方簡単な挨拶で別れを告げると、俺は背を向けて自転車を漕ぎ出す。

 ――直後、人混み合った中で彼女に何か呼びかける女性の声が聞こえた風に思われたが、ここでこの声にどこか聞き覚えを感じたのは気の所為であった、と固く信じている。


 何の、何の、すぐ近くを通った消防車の喧しい号笛が因し、差し詰め空耳でも発症したに過ぎまい。



 さて家に着くと、俺は買ってきた「炒飯おむすび」を温めもせずに喰らいつつ、やおらテレビの電源を入れた。


 この食生活が今に身を滅ぼしかねないのは、薄々どころか重々解っているつもりだ。

 しかし俺という愚か者はこの年まで何の料理も心得る事無く生き永らえてきてしまったがゆえに、今更端的な改善の見込みは薄いのであった。


 唯一可能な料理らしきものを挙げれば、米を炊くことくらいである。然れば「玉子かけご飯は立派な料理です」とでも云って下さる方とは、きっと良い酒が呑めそうな気がして已まぬ。

 いずこにか「熱い白飯にトロケルチーズと生卵と味の素、最後に醤油をタラッとかけるだけで一寸(ちょっと)した御馳走ですよネ」といった風に談義出来る者は居ないものであろうか。

 残念ながらこればかりは裕也でも今一つ解してくれぬところなのである。


 それにつけても、来る日も来る日もコンビニ弁当だの袋ラーメンだのを喰らうのが良い加減うんざりなのは確かだ。

 例によって一人暮らしを余儀なくされてより一年以上にもなると結局オニギリやサンドウイッチの品揃えなど一定のものでしかないことに気付き、もう少しレパートリイを増やすよう文句を申してすらやりたくなる。

 如何にツナマヨが珠玉の美味さを誇れど、週に二、三度も食べていれば一ヶ月と待たずに飽きが来るのが実態であった。


 やれやれ、とため息混じりに一人呟く。


 いつもこの時間のテレビはニュースの他見ていない。ゴールデンのバラエティなど、昨今はせいぜい芸人を集めたクイズ番組か在り来たりな歌番組くらいの物である。いずれも見飽きた。トレンディ・ドラマはどうにも好かぬ。


 故に、テレビと云えば夜半に限る。深夜番組の持つ独特の雰囲気は中々どうして嫌いでない。

 特に最近はプロレスなども見始めた。所詮演技と侮るなかれ。彼らは如何に痛げな受け方をするか、如何に憎げな面をするかを必死に考えて闘っている。何より傍らでネット・サーフィンをしながら見るに差し支えない程度で展開が(ぬる)いのも、また微笑ましい。


 さてさて我が不徳の致すところで、脱線も過ぎに過ぎた。これ以上余談に油を売っても悪いので、話を進めんとす。


 『先日火曜日横浜市で灘足学院大学の職員数名が刃物のようなもので切りつけられ殺害された事件で、捜査に入っていた神奈川県警の警察官らが――』

 ニュースではまた、例の古墳事件に関連する話題を扱っていた。頓に一番気になる話題である。


 それに因れば、現場で見つかった血痕はDNA鑑定により巡査のものとは一致しないと判った、とのことであった。あまっさえ、血痕は人間のものでさえなく、野生動物の血であったというのである。


 見るや否や、脳裏に幾多の疑念が醸される。

 動物……それは若しや、かの化け蜥蜴のことではあるまいか? と。

 仮にそうであるとして、警官の一人が行方不明になっているとすれば、被害者は一矢報いつつも自信は怪我もせずに誘拐されたということか。それも不自然であろう。

 しかも彼一人のみとは尚更怪しい。あわや、少し考えただけでもう合点のゆかぬ事だらけではないか。


 そうは云えど、俺が頭を捻った所でまともな答えが絞り出る兆候は皆無であった。観念奔逸。既に思考は行き詰り果ててしまったのである。


 斯かるほどに、テレビの前で卓袱台に肘をつき唸っていた俺は、突如として鳴り響いたインターホンの音ではっと我に返った。どうも一人で長考してしまうのは悪癖らしい。


 しかしこんな夜分遅くに誰であろう?


 大家か。否、常にぎりぎりでこそあれ、家賃の納入に滞りはない筈だ。回覧板は一昨日隣に回した記憶がある。――では、一体全体何者ぞ。鶴亀鶴亀、怪しきこと極まりない。情け無きや我が五指、最早わなわなと震えているではないか。


 この有様だ。昨日おぞましい目に遭ったばかりであるせいもあり矢鱈と神経質になっている自分がいた。それでも今は慎重たるに越したことなどあるまい。

 覚悟のもとに已むを得ず刀を持ち出した上、防犯チェーンが掛かっていることをしかと確認し、恐る恐る扉を押し開く。


「……へい、どちらさんで」

 すると開いた戸の隙間から、ちらと覗かせた女の、酷くばつの悪そうにうつむく様が見えた。幸い、一まず怪物ではなかったらしい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ