第五四話 『闇火風処に地祇の鳴く』
前回までのあらすじ:
歓奈をもろくも葬り去った謎の青い大怪獣は、凜によってひとまず仮に「青龍権現」と名付けられた。
衛介、千歳、凜の三人はとうとう飛鳥と相まみえ、三対一との圧倒的に有利な戦いを始める。しかし彼女に憑りついている黒き水神の力は、それがどうしたと言わんばかりに衛介たちを押し返す。その水神の目的は、もはや人境ではなくなった百鬼夜行の新宿から、人たる彼らを排除することにあった。
飛鳥の擬神器による猛威で吹き飛ばされる衛介、千歳。痛みに悶える彼らをよそに、死闘を演じる二大怪獣。そこにとうとう自衛隊の空爆作戦も始まり……。
一
土雷の爆ぜる声、震天駭地の響きあり。
明けぬ夜空の花火の色は、終の戦の盛りをあらわす。繚乱にして殺伐のほど、むべ鬼百合の燃ゆるがごとし。
惟るだけ、皮肉であった。
ここは地獄だ人は去れとてあの憑神が励んでいたのに、追い払われたところが今や最たる死地と化している。
こたびは百鬼夜行であった。神と獣と、そして人類……斯くも多くが各々駆けて、無理の戦をやっているのだ。番狂わせは続々として何が理かも云い知れぬ。
誤算に誤算を塗って固めて、相成る羽目と銘打てようか。自衛隊とて国民の身に爆弾をぶつける気などあるまい。我らがここに居合わせたのも、悪意にあらず不運のためだ。
それもそのはずなのである。何せ、ちっとも前例がない。斯様にせよとの模範がない。
あっちへ転んでこっちへ転び、勝ちが見えれば奇跡の沙汰か。
当意の兵法、その発想も冥々として生ずべからず。はて窮すればすなわち変ずと、さて変ずればすなわち通ずと――誰が云ったか無責任にも。
ただ破茶滅茶と評すべきのみ。
爆風の中そんな思弁が、脳裡に蚊柱を立てて居った。
塗炭の苦とはこのことだろう。泥に汚れて火に炙られる。空のうるさく轟々たるも、今やおまけに付いてくる。その度も過ぎてむしろ静けく、脳は耳鳴りばかりを聴いた。
住吉! 住吉! 我が口が呼ぶ。
けれども人の声は弱くて、炸裂しきる音波の嵐に薄くはかなく溶けてゆく。雨下に如雨露を差すにも等しく俺の言葉は霧散して、唖然の念が一拍の間に頭蓋をむしばみ埋め尽くす。
取っ組み合う二柱の神は、肩背の鱗や肉を吹き飛ばされて大いに憤悶していた。我らが即死を免れたのも、この“防空壕”の恵みだ。
地蹈鞴を踏む青龍権現。ああ狂おしや、その嘶きは四方に悲痛を訴えている。
虫同然に蹴潰されるか。爆撃の威に微塵となるか。選び取るなど馬鹿な話で、やはり合理はそこにない。
またもや天はどかんと弾け、いよいよ竜神の腰がゆらぐ。やんぬるかな、もう助からぬ。巨樹の根に似たその趾に煎餅よろしく熨されてしまう。
俺は詮無く絶叫していた。
だが、驚くべきことが起こった。
とうに生きた心地はせずして空を見あげた丁度その時、青に輝く竜の瞳と、俺の視線が交差する。
「おァ……?!」
不可思議な眼差しだった。たかが一瞬されど一瞬、獰猛ながらも物憂げの目は、確かにこちらを見おろしていた。
するとよろめく大脚が、我が鼻先で踏みとどまった。寸での所というのはまさに斯かる具合を称すべければ、呼吸の出来たはずもないまま俺は怖気を呑み下す。
ひねり、挫けるような響きが地鳴りに紛れて鈍く発つ。
そして斜塔は崩れていった。
股下にいる我らを残し、痛めた右足首の側へと竜は横倒しになったのだ。
十秒足らずの顛末である。
ふっ――と視界は開けて居った。奄々たる千歳の息と、我が歯のがたがた震うるを聴く。思わず、ふたり額を合わせて互いの生を確かめていた。
「ハァ……ハ……ッ、目眩やば」
「げろ吐きそうだ」
「あっち向け、ばか」
「いや待て。あっちは」脇を見遣った。
我ら揃って目線をもたぐ。薄くなりゆく煙の先に、赫々とした熱源がある。勿体付けるまでもなかろう、怒り乱るる荒覇吐なり。
「南無三っ」
ぐるると深く唸って大怪獣は遠吠えをした。
その健在の喧伝か、勘弁せぬとの布告であるか。いずれにせよ破滅の兆し。穴ぼこだらけの堪忍袋が無尽の崇りを撒こうとしている。
夜明け待つ、朧の空に大蛇立つ。その喉笛は茜さす陽か。
濃紅の息が吐かれて、またも焼土が広げらるべし。
しかしあわやと嘆いた刹那。
我々の身は奇天烈きわまる無重力に襲われていた。予想だにせぬことである。気付くころには地に足はなく、疾風のごとく近づいてくる妖気の感を覚えたるのみ。
直後生じた微かな理解が、この困惑と驚異を追った。
二
水切りをして川面を翔ける石礫かと思しきそれは、跳弾しつつ我らを掠め、そのまま真上に飛びあがる。
「飛鳥ぁ!」千歳は高く叫んだ。
我らは巻き込まれたのである。闖入してきた憑霊の成す神秘の力場に飲まれたのである。
もはや一体、何を目論む? 人の身柄をこの奈落から引きずり出すつもりで来たか。あいにく時は既に遅しや。今に炎が迸ろうし、また爆弾も落とされる。
――思うや否や荒覇吐神は大きな口を開けて俯き、天地返った火山のように熱線流を吹き出した。
烈風の滝、焔の怒涛。
しかし飛鳥の体は止まらず。黒く纏いし水の神気が市女笠をば思わせて、何の何のと云わんばかりに火の奔流を遡る。
我らは生きて、これを眺めた。かの攻撃をもろに受けては苦もなく逝かんと思っていたが、熱光線は掻き分けられて放射状の細切れである。辺りはまばゆい限りであって、我が身も空を浮上する。夢幻の景色を見るようだった。
『ヴァーラ!』
憑神が一声。その勢いはなお弥増して、とうとう熱波を穿って貫いた。
間髪入れず、ばがんと鳴って辛鋪鎚が振るわれる。水蒸気が場に垂れ込める。湯気の中では荒覇吐神が素っ頓狂に吠えまくり、大怪獣の燃ゆる息吹も咳ひとつと失せてしまった。
下顎を砕かれたのであろう。この超古代竜にとってさえ、擬神器による確かの打撃は手痛き一矢となったのである。
さてまた空に鋼の翼、轟きながら滑り来る。徳利らしき物体が、ひとつ、ふたつと降っていた。
航空支援の第二波だ。あれは誘導爆弾である。
しかし地表の理は崩れ去り、神怪の気が吹き荒れていた。塵も瓦礫も屍も、召されるように舞っている。
まともに落ちてくるはずもなし。かの爆弾は半端な高度で鉄屑化した車に当たり、もう片方をも巻き添えにして空に再び花火を咲かす。
玉屋、鍵屋と唱えたものか。
立て続けなる震音は、また特大の尺玉だった。気のたかぶりと自棄の狭間を失神しそうな耳鳴りが割く。狂わば狂え、なお冴え渡れ。螺子の二、三はとっくのとうに散じていようこの頭なれば。
我が目も捨てたものにはあらず。ふと憑神の攻勢の、弱まる様を見定めた。
例にもよって十秒前の電光石火で気を切らしたか。半重力が萎えだしていた。肩を大きく上下させつつ飛鳥の体も降りてくる。
顎を血染めにしたままに、両前肢の鋭利な爪にて敵を獲らんとする荒覇吐。蚊蜻蛉でも落とすがごとく、一打のもとに潰す気配だ。
「すみょオし、手ぇーッ」俺は怒鳴った。
空中鞦韆を名乗るは、斯くなるべしと嘯かん。
この爆炎と埃の渦に散る桜にも似たる女は、歯を食いしばり泳いで来るや、はっしと我が右腕を取る。どうする気かと問いたげながら、覚悟で口を引きむすぶ。
しかして深くうなずいた。
「――まだ放すなよ、絶対だ」
左に握る紅世景宗に、いざ奮えとて力を込める。「ひっ飛べ、急々如律令!」
シュボ、と烈火の気光を噴いた。
人間ロケットとは我がことぞ。地を刺すように炎を放ち、高く高くへ飛び上がる。
神気の力場があるうちに。飛鳥の身が無事なるうちに――。
「おっけ、放って」
「頼むぜ、ほいさ!」
俺は右手を振り上げながら、勇む千歳を投げ飛ばす。遠心力と慣性をして彼女は更に舞いのぼり、まさに飛鳥を屠らんとする巨大な爪に打ちかかる。
擬神器瑞刃、如夜叉の一太刀。
振るいしままにでんぐり返らんばかりの鋭い袈裟斬りだった。その鋒の成すは月輪、指が切れ飛び、朱がしぶく。
そしてこちらはそれを横目に飛鳥の体を捕まえていた。
『ウヴァーッ。キシャルル、エイディン、ナ、ヅゥ……!』
「逃がしゃしねえぞもう後がねえ」
我が筋骨を万力と為し、絞め殺すほど手足を縛す。
こわばる飛鳥は不明の言語と思しき声にて、わめきにわめく。喘ぎ、身じろぎ、痙攣している。大きな鯉でも抱くに似たり。
我が腕節は血を垂れた。白い八重歯が皮膚をやぶいて、放せ放せと訴えていた。
紅世景宗を取り落とす。されどこの腕のみは解くまい。じわりと汗の匂いを嗅いだ。ふわ、と僅かに少女の香りがこれと合わせて鼻腔を撫でる。
『ヴーッ! ンヴーッ!! グッ……プふ、っけほ」
それは確かな変化であった。
うつろの瞳に浮かぶは涙。歯と我が肉に、唾が糸引く。
にわかに身の重きを覚え、風涼しきに落つるを悟り、肝の冷ゆるも間に合わずして瓦礫の大地は迫って居った。
小さなこやつを丸め込みつつ、受け身を取って凌げるか? ……一か八かの値もなかろう。
さも器用にてあるならば、こんな危難に身など晒さぬ。
落ち転げては骨が砕けて、今に羽虫の食となりなん。まさに十六小地獄、闇火風処の仕打ちであるか。
――されどその時。
「ゆけ、滑り込め!」と人ならぬ声。
実は、微小な予感があった。脳神経のごく片隅に、くくっておいた紐にも似たり。糸電話かと思えるふうに、強い意志が伝わってくる。
東の空がかすかに白み、朝の気配を見せつつあった。
光明である。導きである。爬虫のにおいが鼻をつき、我が目はハッと我に返る。
地獄に仏の沙汰と知るべし。自由落下を出迎えるもの、その数十五、うねり犇めく。跳び入ってきた声音の主は、群れを率いてそこにいた。
三
蜥蜴の押競饅頭である。
体をぎゅうぎゅう敷き詰めあって、絨毯を成す野守虫ども。背の柔らかき羽毛の上に、我らは受け止められていた。
「ラプ太! てめえら最高か!」
「これは式神ならばこそ、だ。お前の必死な気分というのが、こちらにとても伝わっていた」
「ああ、ありがとう。ありがとう。よく間に合ってくれたわい」
俺はころりとそこから降りて、抱えた飛鳥を地に寝かし置く。
「アスカは無事か」
「なんとも云えん。俺はしこたま絞めちまったし、どだい負担が溜まりきってる。人間ひとりのこととするにゃあ命の足りっこねえ話、こいつは丸々半日くらいでもう滅茶滅茶にやってきてんだ」
「理解した」
「俺を……責めたっていい」
「責める? わるい癖だなエースケ。お前のそうしたジギャクの態度、アスカが見れば何と云う」
「そんなんだなら衛介君は?」
「グカカ。後は、云わずとも」
「お前こいつに似てきてやがらあ」
云いつつ俺は、そこに生ぜし母子の縁を幻視する。
容易く合点のいくことである。一体どれほど手間をかけ、飛鳥が蜥蜴を世話してきたか。とかく情操的なるところは、多く彼女に授かったのだ。
短くとも、濃きことだったろう。
齧り取られた我が腕の肉。飛鳥は虚ろに空を睨めつつ、百日咳に喘ぐがごとく、ままならぬ息を繰り返す。
『アー……ウウーフ。……ホー、アラハバキ、カムィ』
なお憑神の言葉はあった。
云わんとするところが知れる。これは初めてのことだった。
遥か東に芽吹くは光。妖どものどよめきを聴く。慌てたような鳴き声が、遠近問わずに上げられている。にわかな朝日は微々としつつも、百鬼夜行の果ても近きをそこら中へと告げているのだ。
そして一秒のちにとどろく、荒覇吐神の嘆く声。
あの一投は賭けだった。まさに乾坤一擲という、危険な大勝負であった。
千歳は狂えるかの怪獣の右前肢に突貫し、みごと鋭きその斬撃で神の手指を落として居った。……しかし吾人が目に留めしは、せいぜいその時までである。
野守虫らは飛鳥に同じく頭上を仰いで吠えている。グオッ、グオッと威嚇している。
「なに、やってんだッ……早く、離れて」
返ってきたのは、千歳の声だ。「――早ぁく行けッて云ってんの!」
おそるおそるに目を向けた。
砕けた顎をぐらぐらさせて、怨嗟に燃ゆる荒覇吐。いっぽう女はその左手で、ひっ掴まれながらに訴える。今にも握り潰されようが、知らぬ顔にて叫ぶのである。萎えつついまだ恐ろしき、蛇の睨みに目もくれず。
我が心臓はひとりで跳ねた。
されど力が入らなかった。
手には、何にも無いではないか。
戦くあまり身が緩んでも、滑り落ちるものがないのである。無二なる頼り、我が愛刀は、既にどこかへやってしまった。
愚かなるかなこの身この腕。左様、それしき知れたこと。
捨て置くなんぞ、できはせぬ。
「……ラプ太、東海林を抱えてけ。お前ら五六っ匹もいりゃあ、暴れだしても抑えが効くべ」
「助けるつもりか」
「あたぼうよ。俺の尻はな、俺で拭くんだ」
そして千歳の代わりとばかり、そびえる蛇神に一瞥をした。「頼む、野守虫の諸君っ。祟る気持ちはまだあんだろう、けどもちょっくら後にしてくれ! このバケモンを放っとけば、お前らだって潰されちまう」
蜥蜴の群れが喧々と立ち、こくん、とラプ太の喉が脈打ちその式神は駆け出した。五頭あまりの仲間を率い、背中に少女の身を負って。
しかしてこちらも動き出す。
「かかれ!」
俺が指さす先へ、十の蜥蜴の四十の脚の、百二十もの鍵爪がゆく。
それらは素早く躍りかかって神の脇腹からよじ登り、かの爆撃でえぐり取られた傷につぎつぎ凶器を見舞う。いっぽう俺は無様にも、瓦礫の塚を這い上がる。無策を呪う暇もなければ、千歳のところに飛び乗るまでだ。
「アンタ何して――」女は叫ぶも、巨大な呻きが上書きをした。
ただ荒覇吐の声のみならず。天高くには飛行機が舞い、さてまた地には竜神も鳴く。
足の裏から響く咆哮。尋常ならざる震えにによって、俺は危うく転倒しかけた。
今ふたたび鎌首をもたげる満身創痍の青い怪獣。飛び移ったる岩の足場は灰にまみれたその背であった。
「ぬあっ、アア、おいッ。待ってろ住吉!」
場が持ち上がる。意地で堪える。
前肢ふたつで身を起こし、これなる青龍大権現はその前方へ戦意を向けた。しがみ付いているだけでもわかる。青き眼は血走って、なお荒覇吐を見据えているのだ。
そうして次に瞬く間には、二神が衝突して居った。
否、その攻めは一方的に青龍権現のものであったか。目にも留まらぬ瞬発力で剣のごとき牙を剥き、そうと分かった頃にはとうに敵の左腕を噛んでいる。
まさしく噛み砕いている。
言葉にらなぬ悲鳴とともに、千歳が目を丸くしていた。いざいざ頑張りどころと見たり。最後の好機、これ今と知れ。
自称すらくは山猿大将、彼女をそこから引っこ抜くべく巨竜の首をぴょんぴょこ登る。
鬣、背鰭をふん掴み、ついには頭を踏み越えて、血の噴水と化したそこへと俺はこの身を寄せ付けていた。
「衛介っ――衛介っ」
かの口が呼ぶ。住吉千歳の口が呼ぶ。
大怪獣の噛むところから湧いて噴きだす紅を浴びつつ、やっと彼女の手首を握り、うんとこしょっと引っ張った。
「もォちょい、頑張れあとちょいだッ」
「まっ……ハ、これ死ぬ、腕取れ……ち、うァ?!」
弛みつつある怪獣の指、ここで抜かずに生還はない。我々の汗、竜蛇の血糊。滑りながらも今一歩、千歳のそばに間を詰めた。
そのまま腋に腕を捻じ込み内肘ひとつで更に引く。女は腰から這いずり出んとて膂力のかぎり抱き寄せてくる。
いくぞ、千歳、歯を食いしばれ。
「らあああっ!」
「――しぇあああ!」
ずるり、ぐらん。
こたびを言い表わすならば、およそ左様の様態である。
千歳の腰がそこをすり抜け、我が身もろとも重みにゆらぐ。それとほとんど同時の折に、荒覇吐の手は食い千切られた。転落すまいとこれに組み付きどうにか持ちこたえるうちに、奇妙なまでのうやうやしさで我らは下に降ろされていた。
青龍権現、その大顎が、咥えた肉ごと地に据えたのだ。
俺に語れる言葉はなかった。
蛇神の喉の鳴りしきる音が、断末魔へと近づいていく。怒り狂えるままにこそあれ、もはや威勢は絶え絶えの体。
空が唸った。飛行機である。とどめを刺すつもりであろう。
慌てて千歳に肩を貸し、すたこら撤退を図った。
脱兎のごとく、とはもういかぬ。彼女は歩くもままならぬのだ。しかし、おぶって駆ける余力も今の俺にはないかもしれぬ。さすがに限界と思しい。
されども、めげぬ。諦めぬ。一歩、いや二歩、三歩でよいから、死力を尽くして距離を取る。
両怪獣はなおも戦う。我らを追わんとする蛇を、青き巨竜がせき止めている。
竜はにわかに天を仰いだ。雲の海から滑り出てくる戦闘機に睨みを付けた。
鹿を思わすその双角の、はざまを青き光が渡す。これに合わせて弾けているのは紛うことなき稲妻である。
溜めた力が解き放たれる。あんぐり開けた喉の奥よりまぶしく電撃が流れて、次ぐ一瞬で束を作ると激しい光線に変じた。
我らふたりは、息を呑む。
科学技術の粋の結晶、最新鋭の戦闘機……それは地を這う者の放てる雷の矢に射貫かれていた。
明け空に咲く炎の花は無常の色に燃えている。はかなく、確かに、命が散った。大爆発はさびしく響く。
さりとて我らは前を向く。ただ、そそくさと逃げて行くのみ。
嘶く神の、鬨を聞きつつ。
四
『いま防衛省から連絡が。救難捜索機にて、生存者らしき人影を新たに観測。当該地区への火力支援を一時中断のうえ、救助を優先するとのことよ』
鹿ヶ谷支局長が述べた。
無線ごしにも、安堵の気色は息遣いから伝わってくる。
「俺たち……ですかい? 遅過ぎらなあ」
『ようやく明るくなってきて、目に入るようになったらしいわ。目標Aの付近とかだと、暗視に支障もきたしてそうだし』
「責める気なんざ、ありゃせんですよ。あちらも必死でやっておられた。お互い仕事をしていただけで」
『……飛鳥ちゃんだけ送り返して来るとは思ってなかったけれど』
「そこは、サアセン。いろいろあって」
俺は苦笑して答えた。
いと騒がしき背後を見遣る。荒覇吐は身をくねらせて、芋虫よろしく追ってくる。弱々しき後脚をして、巨躯が地面に這いずっていた。
大きな瞳は今となっても皿のごとく開いているが、もはやいずこを見ているのやら分からぬ朧のありさまである。のたくりながら、焼けた建屋に寄りかかっては圧し潰す。七転八倒という言葉がよくよく似合う歩みであった。
それを青龍権現が、取り押さえたりなんぞしている。
尾を噛まれては振りほどき、のしかかられては身をよじり――いったい何の執念が、あの神々をそうさせるのか。俺は理解を諦めていた。
「走んない? ……これ、追いつかれんじゃん」
千歳の健気な一言がある。
支局長もまだ何やら云うが、うしろの喧嘩が声を揉み消す。呻き、地響き、打撃音。じりじりとして焦りがつのる。しかしながらもこれ以上、我らは速さを出せそうにない。千歳は下唇を噛み、我が身添え木にえっちらおっちら。無茶はこやつも知っていように。
何も云わずに、支えた肩をぐっと深めに背負いなおす。
女は静かに目を伏せて、歩みに少し力を込めた。
蜥蜴の群れの吠えたる声は、いつの間にやら止み果てていた。さすがに逃げていったのであろう。死んだ者らもいるであろうか。
瓦礫の粉が背に降りかかる。返り見るだけ心に毒だ。それほどまでに避け難く、最後の死線は迫って居った。
考えるまい。思うまい。野守虫らの供養など、生きて帰ればしてやれる。
ゆえにぞ、ここを越えるのである。ここから生きて帰るのである。
『――――衛介っ。あなた、聞こえてる!? 聞こえているなら返事をなさい!』
はっ、と俺は目を見開いた。
「聞こえ、とります! ヤ、聞きました」
『ぼうっとしないでこんな時。疲れているのはわかるから、でももうちょっと頑張って。一寸延びれば尋延びる、って莉央ちゃんからの伝言よ』
昨日云われた諺である。
はてな、何の折にであったか。あの髪切に追われた時に、電話越しにて聞いたのだったか。当座をしのげ、諦めるな、と。先の地平は明るいぞ、と。
「よくぞ衛介、持ちこたえたのう!」
耳の安らぐその声音。
来たか、左様のことであったか。
「凜さん、みんなっ……」千歳が叫ぶ。
それは総出の援軍だった。爬若丸の背に跨った卜部の姉御に率いられ、弦巻嬢に米内兄弟、キトラとタカマも出迎えてくる。ならびに、皆をここへ導く野守虫らの群れもいる。
彼らは一撃離脱を決めて、仲間集めに走ったらしい。俺があそこへ取り付く隙はそれだけあれば足りると見たか。
蜥蜴に頭がもう上がらない。
「ひるまず攻めよ、勢いを削げっ」
卜部氏、醸すは武将の気風。「結界まではあと少し。ふたりを陣へ逃がすべし」
彼女が高く令を発すと、皆次々に打って出た。
弦巻嬢は目にもとまらぬ速射を荒覇吐に見舞い、その横からは毬栗坊主の双子が槍から雷光を出す。電気を帯びたそれらの弾は、敵を確かに苦しめていた。
そして巨大な貝独楽が、荒神の身に突っ込んでいく。
何を隠そう、キトラであった。あれは空飛ぶ丸鋸である。唸りを上げて蛇の首根をえぐるがごとき突撃だった。
辺りが真っ赤になる血の雨と、荒覇吐の慟哭を聞く。
命の危機に瀕する獣。最後の力は暴威に変わる。
喉の元から腹の底まで、体に走る朱色の紋が焔の色に輝いた。熱光線に使う霊気を全身より放つにも似て――うしろの青龍権現の身があえなく真っ黒焦げに変ずる。
竜の喘ぎを聞くが早いか、一同、潮時を悟った。
「まずい、ですね」と弦巻嬢。
「退けえ、退けえ! 衛介、はよう千歳をこちらに乗せるのじゃ」
我らは彼女の云うとおり、爬若丸にすぐ跨った。東北支局の三名も、撃つのをやめて引き下がる。
陣は近くも敵なお近し。
敗者必滅、徒競走。我らの帰りを待つ陣に、舞い戻るべく走れや走れ。ああも労して結界を、作りし甲斐があったというもの。
焼けつく大怪獣の体は転げるように肉薄し、今に熱さで死のうかという距離まで間合いが詰まって居った。
止まれ、停まれ、その手前にて。
皆がもれなく同じ思いで結界内になだれ込む。しかし躊躇の兆しは無きまま荒覇吐の頭が寄ってくる。
俺も祈った。ほかに無かった。
敵の這いずる音を除いて辺りがしんと静まり返る。
「――この十種の瑞を合わせて、一二三四五六七八、九十」
かすかに響くは歌の声。「ふるべ、ゆらゆらと……ふるべ」
乾いた下駄の鳴りたるを聴く。少女奏でる神咒をも聴く。
「天の八平手打ち上げて、かしこみ、かしこみも、申す……!」
声音の主は莉央だった。
娘の歌の響くにつれて、黒く、冷たく、強い陰気が辺り一面立ち込めた。わかる。この気配は知っている。もはやたまげることはない。斯くなる水の神気といえば――。
もの凄まじい衝撃が、陣の建屋の壁を打ちぬく。そこから、黒き霞を纏った小さな影が飛び出した。
東海林飛鳥の、憑神である。
しかしその眼は気のせいか、人たる光を宿して見えた。
『イーア、ナンナッ。ホノリ、クル・マンタ!』
彼女の擬神器、辛秀鎚は黒を払って白に輝く。これぞ飛鳥が本来宿す、白色金気の力であった。『ヒーッ……す、ひっす……ひっさ、ひっさつ……」
そして神器を、ぐっと構える。
黒き女神は駆けだした。五行の理、金生水。神器の力を養分として、その霊力は強まるのである。
「必殺!」
耳慣れたる声だった。飛鳥の体は矢のごとく、大怪獣に飛び込んでいく。
千歳が大きく身を乗り出した。だめ、と叫ぶがごとくあったが言葉は喉で止まって居った。
荒覇吐神は瞠目していた。燃え盛りつつ慄いていた。斯くも小さき生き物に、己が滅ぼされるのかと。信じがたきに慄いていた。
「――天隕厳星ッ!」と怒号がひとつ。
荒々しくて勇ましく、されど愛らしさのある咆哮。
黒き少女が、ぶちあたる。大怪獣の脳天に、その一撃が炸裂す。
街は蒸気に埋め尽くされた。




