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アサルト・オン・ヤオヨロズ  作者: 金精亭 交吉
第二章【太古を読み解く男】
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第五四話 『闇火風処に地祇の鳴く』

前回までのあらすじ:

 歓奈をもろくも葬り去った謎の青い大怪獣は、凜によってひとまず仮に「青龍権現せいりゅうごんげん」と名付けられた。

 衛介、千歳、凜の三人はとうとう飛鳥と相まみえ、三対一との圧倒的に有利な戦いを始める。しかし彼女に憑りついている黒き水神の力は、それがどうしたと言わんばかりに衛介たちを押し返す。その水神の目的は、もはや人境ではなくなった百鬼夜行の新宿から、人たる彼らを排除することにあった。

 飛鳥の擬神器による猛威で吹き飛ばされる衛介、千歳。痛みに悶える彼らをよそに、死闘を演じる二大怪獣。そこにとうとう自衛隊の空爆作戦も始まり……。


 土雷つちいかづちの爆ぜる声、震天駭地の響きあり。

 明けぬ夜空の花火の色は、ついの戦の盛りをあらわす。繚乱にして殺伐のほど、むべ鬼百合の燃ゆるがごとし。


 (おもんみ)るだけ、皮肉であった。

 ここは地獄だ人は去れとてあの憑神が励んでいたのに、追い払われたところが今や最たる死地と化している。


 こたびは百鬼夜行であった。神と獣と、そして人類……斯くも多くが各々(おのおの)駆けて、無理の(いくさ)をやっているのだ。番狂わせは続々として何がことわりかも云い知れぬ。


 誤算に誤算を塗って固めて、相成る羽目はめと銘打てようか。自衛隊とて国民の身に爆弾をぶつける気などあるまい。我らがここに居合わせたのも、悪意にあらず不運のためだ。


 それもそのはずなのである。何せ、ちっとも前例がない。斯様にせよとの模範がない。


 あっちへ転んでこっちへ転び、勝ちが見えれば奇跡の沙汰か。

 当意の兵法、その発想も冥々として生ずべからず。はて窮すればすなわち変ずと、さて変ずればすなわち通ずと――誰が云ったか無責任にも。


 ただ破茶滅茶(はちゃめちゃ)と評すべきのみ。

 爆風の中そんな思弁が、脳裡に蚊柱を立てて居った。


 塗炭(とたん)の苦とはこのことだろう。泥に汚れて火に炙られる。空のうるさく轟々たるも、今やおまけに付いてくる。その度も過ぎてむしろ静けく、脳は耳鳴りばかりを聴いた。

 住吉! 住吉! 我が口が呼ぶ。

 けれども人の声は弱くて、炸裂しきる音波の嵐に薄くはかなく溶けてゆく。雨下に如雨露じょうろを差すにも等しく俺の言葉は霧散して、唖然の念が一拍の()頭蓋(ずがい)をむしばみ埋め尽くす。


 取っ組み合う二柱の神は、肩背(かたせ)の鱗や肉を吹き飛ばされて大いに憤悶していた。我らが即死を免れたのも、この“防空壕”の恵みだ。


 地蹈鞴(じだたらを踏む青龍権現。ああ狂おしや、その(いなな)きは四方(よも)に悲痛を訴えている。

 虫同然に蹴潰けつぶされるか。爆撃の威に微塵となるか。選び取るなど馬鹿な話で、やはり合理はそこにない。


 またもや天はどかんと弾け、いよいよ竜神の腰がゆらぐ。やんぬるかな、もう助からぬ。巨樹の根に似たその(あしゆび)に煎餅よろしく()されてしまう。

 俺は詮無く絶叫していた。

 だが、驚くべきことが起こった。


 とうに生きた心地はせずして空を見あげた丁度その時、青に輝く竜の瞳と、俺の視線が交差する。


「おァ……?!」

 不可思議な眼差しだった。たかが一瞬されど一瞬、獰猛ながらも物憂げの目は、確かにこちらを見おろしていた。


 するとよろめく大脚おおあしが、我が鼻先で踏みとどまった。寸での所というのはまさに斯かる具合を称すべければ、呼吸の出来たはずもないまま俺は怖気おじけを呑み下す。


 ひねり、挫けるような響きが地鳴りに紛れて鈍くつ。

 そして斜塔は崩れていった。

 股下にいる我らを残し、痛めた右足首のかわへと竜は横倒しになったのだ。

 十秒足らずの顛末である。


 ふっ――と視界は開けて居った。奄々(えんえん)たる千歳の息と、我が歯のがたがた震うるを聴く。思わず、ふたりでこを合わせて互いのせいを確かめていた。


「ハァ……ハ……ッ、目眩めまいやば」

「げろ吐きそうだ」

「あっち向け、ばか」


「いや待て。あっちは」脇を見遣った。

 我ら揃って目線をもたぐ。薄くなりゆく煙の先に、赫々とした熱源がある。勿体付けるまでもなかろう、怒り乱るる荒覇吐なり。


「南無三っ」

 ぐるると深く唸って大怪獣は遠吠えをした。

 その健在の喧伝か、勘弁せぬとの布告であるか。いずれにせよ破滅の兆し。穴ぼこだらけの堪忍袋が無尽の崇りを撒こうとしている。


 夜明け待つ、朧の空に大蛇おろち立つ。その喉笛は茜さすか。


 濃紅こいくれないの息が吐かれて、またも焼土が広げらるべし。


 しかしあわやと嘆いた刹那。

 我々の身は奇天烈きわまる無重力に襲われていた。予想だにせぬことである。気付くころには地に足はなく、疾風はやてのごとく近づいてくる妖気の感を覚えたるのみ。


 直後生じた微かな理解が、この困惑と驚異を追った。



 水切りをして川面かわもを翔ける石礫いしつぶてかと思しきそれは、跳弾しつつ我らを掠め、そのまま真上に飛びあがる。


「飛鳥ぁ!」千歳は高く叫んだ。

 我らは巻き込まれたのである。闖入してきた憑霊の成す神秘の力場に飲まれたのである。


 もはや一体、何を目論む? 人の身柄をこの奈落から引きずり出すつもりで来たか。あいにく時は既に遅しや。今に炎がほとばしろうし、また爆弾も落とされる。

 ――思うや否や荒覇吐神は大きな口を開けてうつむき、天地返った火山のように熱線流を吹き出した。


 烈風の滝、ほむらの怒涛。

 しかし飛鳥の体は止まらず。黒く纏いし水の神気が市女笠をば思わせて、何の何のと云わんばかりに火の奔流をさかのぼる。

 我らは生きて、これを眺めた。かの攻撃をもろに受けては苦もなく逝かんと思っていたが、熱光線は掻き分けられて放射状の細切こまぎれである。辺りはまばゆい限りであって、我が身も空を浮上する。夢幻の景色を見るようだった。


『ヴァーラ!』

 憑神が一声。その勢いはなお弥増して、とうとう熱波を穿って()いた。

 間髪入れず、ばがんと鳴って辛鋪鎚カノトホヅチが振るわれる。水蒸気が場に垂れ込める。湯気の中では荒覇吐神が素っ頓狂に吠えまくり、大怪獣の燃ゆる息吹も(しわぶき)ひとつと失せてしまった。


 下顎を砕かれたのであろう。この超古代竜にとってさえ、擬神器による確かの打撃は手痛き一矢となったのである。


 さてまた空に鋼の翼、轟きながら滑り来る。徳利とっくりらしき物体が、ひとつ、ふたつと降っていた。

 航空支援の第二波だ。あれは誘導爆弾である。


 しかし地表のは崩れ去り、神怪の気が吹き荒れていた。塵も瓦礫も屍も、召されるように舞っている。

 まともに落ちてくるはずもなし。かの爆弾は半端な高度で鉄屑化した車に当たり、もう片方をも巻き添えにして空に再び花火を咲かす。


 玉屋、鍵屋と唱えたものか。

 立て続けなる震音は、また特大の尺玉だった。気のたかぶりと自棄やけの狭間を失神しそうな耳鳴りが割く。狂わば狂え、なお冴え渡れ。螺子ねじの二、三はとっくのとうに散じていようこのつむなれば。


 我が目も捨てたものにはあらず。ふと憑神の攻勢の、弱まる様を見定めた。

 例にもよって十秒前の電光石火で気を切らしたか。半重力が萎えだしていた。肩を大きく上下させつつ飛鳥の体も降りてくる。


 顎を血染めにしたままに、両前肢りょうまえあしの鋭利な爪にて敵を獲らんとする荒覇吐。蚊蜻蛉かとんぼでも落とすがごとく、一打のもとに潰す気配だ。


「すみょオし、手ぇーッ」俺は怒鳴った。

 空中鞦韆くうちゅうぶらんこを名乗るは、斯くなるべしとうそぶかん。


 この爆炎とほこりの渦に散る桜にも似たる女は、歯を食いしばり泳いで来るや、はっしと我が右腕を取る。どうする気かと問いたげながら、覚悟で口を引きむすぶ。

 しかして深くうなずいた。


「――まだ放すなよ、絶対ぜってえだ」

 左に握る紅世景宗に、いざ奮えとて力を込める。「ひっ飛べ、急々如律令!」


 シュボ、と烈火の気光を噴いた。

 人間ロケットとは我がことぞ。地を刺すように炎を放ち、高く高くへ飛び上がる。

 神気の力場があるうちに。飛鳥の身が無事なるうちに――。

 

「おっけ、ほうって」

「頼むぜ、ほいさ!」

 俺は右手を振り上げながら、勇む千歳を投げ飛ばす。遠心力と慣性をして彼女は更に舞いのぼり、まさに飛鳥をほふらんとする巨大な爪に打ちかかる。


 擬神器瑞刃(ミヅハ)、如夜叉の一太刀。

 振るいしままにでんぐり返らんばかりの鋭い袈裟斬りだった。その(きっさき)の成すは月輪、指が切れ飛び、朱がしぶく。


 そしてこちらはそれを横目に飛鳥の体を捕まえていた。


『ウヴァーッ。キシャルル、エイディン、ナ、ヅゥ……!』

「逃がしゃしねえぞもう後がねえ」

 我が筋骨を万力と為し、絞め殺すほど手足を縛す。

 こわばる飛鳥は不明の言語と思しき声にて、わめきにわめく。喘ぎ、身じろぎ、痙攣している。大きな鯉でも(いだ)くに似たり。


 我が腕節は血を垂れた。白い八重歯が皮膚をやぶいて、放せ放せと訴えていた。

 紅世景宗を取り落とす。されどこの腕のみは解くまい。じわりと汗の匂いを嗅いだ。ふわ、と僅かに少女の香りがこれと合わせて鼻腔を撫でる。


『ヴーッ! ンヴーッ!! グッ……プふ、っけほ」

 それは確かな変化であった。

 うつろの瞳に浮かぶは涙。歯と我が肉に、つばが糸引く。


 にわかに身の重きを覚え、風涼しきに落つるを悟り、肝の冷ゆるも間に合わずして瓦礫の大地は迫って居った。


 小さなこやつを丸め込みつつ、受け身を取って凌げるか? ……一か八かのあたいもなかろう。

 さも器用にてあるならば、こんな危難に身など晒さぬ。


 落ち転げては骨が砕けて、今に羽虫のじきとなりなん。まさに十六小地獄、闇火風処あんかふうしょの仕打ちであるか。

 ――されどその時。


「ゆけ、滑り込め!」と人ならぬ声。

 実は、微小な予感があった。脳神経のごく片隅に、くくっておいた紐にも似たり。糸電話かと思えるふうに、強い意志が伝わってくる。

 

 東の空がかすかに白み、朝の気配を見せつつあった。

 光明である。導きである。爬虫むしのにおいが鼻をつき、我が目はハッと我に返る。


 地獄に仏の沙汰と知るべし。自由落下を出迎えるもの、その数十五、うねりひしめく。跳び入ってきた声音の主は、群れを率いてそこにいた。



 蜥蜴の押競饅頭(おしくらまんじゅう)である。

 体をぎゅうぎゅう敷き詰めあって、絨毯を成す野守虫ども。背の柔らかき羽毛の上に、我らは受け止められていた。


「ラプ太! てめえら最高か!」

「これは式神ならばこそ、だ。お前の必死な気分というのが、こちらにとても伝わっていた」

「ああ、ありがとう。ありがとう。よく間に合ってくれたわい」


 俺はころりとそこから降りて、抱えた飛鳥を地に寝かし置く。

 

「アスカは無事か」

「なんとも云えん。俺はしこたま絞めちまったし、どだい負担が溜まりきってる。人間ひとりのこととするにゃあ命の足りっこねえ話、こいつは丸々半日くらいでもう滅茶滅茶にやってきてんだ」

「理解した」

「俺を……責めたっていい」

「責める? わるい癖だなエースケ。お前のそうしたジギャクの態度、アスカが見れば何と云う」

「そんなんだなら衛介君は?」

「グカカ。後は、云わずとも」


「お前こいつに似てきてやがらあ」

 云いつつ俺は、そこに生ぜし母子(ははこ)の縁を幻視する。

 容易く合点のいくことである。一体どれほど手間をかけ、飛鳥が蜥蜴を世話してきたか。とかく情操的なるところは、多く彼女に授かったのだ。

 短くとも、濃きことだったろう。


 (かじ)り取られた我が腕の肉。飛鳥は虚ろに空を()めつつ、百日咳に喘ぐがごとく、ままならぬ息を繰り返す。


『アー……ウウーフ。……ホー、アラハバキ、カムィ』

 なお憑神の言葉はあった。

 云わんとするところが知れる。これは初めてのことだった。


 遥か東に芽吹くは光。(あやかし)どものどよめきを聴く。慌てたような鳴き声が、遠近問わずに上げられている。にわかな朝日は微々としつつも、百鬼夜行の果ても近きをそこら中へと告げているのだ。

 そして一秒のちにとどろく、荒覇吐神の嘆く声。


 ()()()()は賭けだった。まさに乾坤一擲という、危険な大勝負であった。

 千歳は狂えるかの怪獣の右前肢みぎまえあしに突貫し、みごと鋭きその斬撃で神の手指を落として居った。……しかし吾人が目に留めしは、せいぜいその時までである。


 野守虫らは飛鳥に同じく頭上を仰いで吠えている。グオッ、グオッと威嚇している。


「なに、やってんだッ……早く、離れて」

 返ってきたのは、千歳の声だ。「――()ぁく行けッて云ってんの!」


 おそるおそるに目を向けた。

 砕けた顎をぐらぐらさせて、怨嗟に燃ゆる荒覇吐。いっぽう女はその左手で、ひっ掴まれながらに訴える。今にも握り潰されようが、知らぬ顔にて叫ぶのである。萎えつついまだ恐ろしき、蛇の睨みに目もくれず。

 我が心臓はひとりで跳ねた。

 されど力が入らなかった。

 手には、なんにも無いではないか。


 (おのの)くあまり身が緩んでも、滑り落ちるものがないのである。無二なる頼り、我が愛刀は、既にどこかへやってしまった。


 愚かなるかなこの身この腕。左様、それしき知れたこと。

 捨て置くなんぞ、できはせぬ。


「……ラプ太、東海林を抱えてけ。お前ら五六ごろっ匹もいりゃあ、暴れだしても抑えが効くべ」

「助けるつもりか」


「あたぼうよ。俺のけつはな、俺で拭くんだ」

 そして千歳の代わりとばかり、そびえる蛇神に一瞥をした。「頼む、野守虫の諸君っ。祟る気持ちはまだあんだろう、けどもちょっくら後にしてくれ! このバケモンを放っとけば、お前らだって潰されちまう」


 蜥蜴の群れが喧々(けんけん)と立ち、こくん、とラプ太の喉が脈打ちその式神は駆け出した。五頭あまりの仲間を率い、背中に少女の身を負って。

 しかしてこちらも動き出す。


「かかれ!」

 俺が指さす先へ、じゅうの蜥蜴の四十しじゅうの脚の、百二十ひゃくにじゅうもの鍵爪がゆく。

 それらは素早く躍りかかって神の脇腹からよじ登り、かの爆撃でえぐり取られた傷につぎつぎ凶器を見舞う。いっぽう俺は無様にも、瓦礫の塚を這い上がる。無策を呪う暇もなければ、千歳のところに飛び乗るまでだ。


「アンタ何して――」女は叫ぶも、巨大なうめきが上書きをした。

 ただ荒覇吐の声のみならず。天高くには飛行機が舞い、さてまた地には竜神も鳴く。


 足の裏から響く咆哮。尋常ならざる震えにによって、俺は危うく転倒しかけた。

 今ふたたび鎌首をもたげる満身創痍の青い怪獣。飛び移ったる岩の足場は灰にまみれたその背であった。


「ぬあっ、アア、おいッ。待ってろ住吉!」

 場が持ち上がる。意地でこらえる。

 前肢ふたつで身を起こし、これなる青龍大権現はその前方へ戦意を向けた。しがみ付いているだけでもわかる。青きまなこは血走って、なお荒覇吐を見据えているのだ。


 そうして次に瞬く間には、二神が衝突して居った。

 否、その攻めは一方的に青龍権現のものであったか。目にも留まらぬ瞬発力でつるぎのごとき牙を剥き、そうと分かった頃にはとうに敵の左腕さわんを噛んでいる。

 

 まさしく()()()()()いる。

 言葉にらなぬ悲鳴とともに、千歳が目を丸くしていた。いざいざ頑張りどころと見たり。最後の好機、これ今と知れ。


 自称すらくは山猿大将、彼女をそこから引っこ抜くべく巨竜の首をぴょんぴょこ登る。

 たてがみ背鰭せびれをふん掴み、ついには頭を踏み越えて、血の噴水と化したそこへと俺はこの身を寄せ付けていた。


「衛介っ――衛介っ」

 かの口が呼ぶ。住吉千歳の口が呼ぶ。

 大怪獣の噛むところから湧いて噴きだすべにを浴びつつ、やっと彼女の手首を握り、うんとこしょっと引っ張った。


「もォちょい、頑張れあとちょいだッ」

「まっ……ハ、これ死ぬ、腕取れ……ち、うァ?!」

 弛みつつある怪獣の指、ここで抜かずに生還はない。我々の汗、竜蛇の血糊。滑りながらも今一歩、千歳のそばに間を詰めた。

 そのまま腋に腕を捻じ込み内肘うちひじひとつで更に引く。女は腰から這いずり出んとて膂力りょりょくのかぎり抱き寄せてくる。

 いくぞ、千歳、歯を食いしばれ。


「らあああっ!」

「――しぇあああ!」

 ずるり、ぐらん。

 こたびを言い表わすならば、およそ左様の様態である。


 千歳の腰がそこをすり抜け、我が身もろとも重みにゆらぐ。それとほとんど同時の折に、荒覇吐の手は食い千切られた。転落すまいとこれに組み付きどうにか持ちこたえるうちに、奇妙なまでのうやうやしさで我らは下に降ろされていた。

 青龍権現、その大顎が、咥えた肉ごと地に据えたのだ。

 俺に語れる言葉はなかった。


 蛇神の喉の鳴りしきるが、断末魔へと近づいていく。怒り狂えるままにこそあれ、もはや威勢は絶え絶えのてい

 空が唸った。飛行機である。とどめを刺すつもりであろう。


 慌てて千歳に肩を貸し、すたこら撤退を図った。

 脱兎のごとく、とはもういかぬ。彼女は歩くもままならぬのだ。しかし、おぶって駆ける余力も今の俺にはないかもしれぬ。さすがに限界と思しい。

 されども、めげぬ。諦めぬ。一歩、いや二歩、三歩でよいから、死力を尽くして距離を取る。


 両怪獣はなおも戦う。我らを追わんとする蛇を、青き巨竜がせき止めている。


 竜はにわかに天を仰いだ。雲の海から滑り出てくる戦闘機に睨みを付けた。

 鹿を思わすその双角の、はざまを青き光が渡す。これに合わせて弾けているのは紛うことなき稲妻である。

 溜めた力が解き放たれる。あんぐり開けた喉の奥よりまぶしく電撃が流れて、次ぐ一瞬でたばを作ると激しい光線に変じた。


 我らふたりは、息を呑む。

 科学技術の粋の結晶、最新鋭の戦闘機……それは地を這う者の放てるいかづちの矢に射貫かれていた。


 明け空に咲く炎の花は無常の色に燃えている。はかなく、確かに、命が散った。大爆発はさびしく響く。

 さりとて我らは前を向く。ただ、そそくさと逃げて行くのみ。


 いななく神の、ときを聞きつつ。



『いま防衛省から連絡が。救難捜索機にて、生存者らしき人影を新たに観測。当該地区への火力支援を一時中断のうえ、救助を優先するとのことよ』

 鹿ヶ谷支局長が述べた。

 無線ごしにも、安堵の気色は息遣いから伝わってくる。


「俺たち……ですかい? 遅過ぎらなあ」

『ようやく明るくなってきて、目に入るようになったらしいわ。目標Aの付近とかだと、暗視に支障もきたしてそうだし』

「責める気なんざ、ありゃせんですよ。あちらも必死でやっておられた。お互い仕事をしていただけで」

『……飛鳥ちゃんだけ送り返して来るとは思ってなかったけれど』


「そこは、サアセン。いろいろあって」

 俺は苦笑して答えた。


 いと騒がしき背後を見遣る。荒覇吐は身をくねらせて、芋虫よろしく追ってくる。弱々しき後脚をして、巨躯が地面に這いずっていた。

 大きな瞳は今となっても皿のごとく開いているが、もはやいずこを見ているのやら分からぬおぼろのありさまである。のたくりながら、焼けた建屋に寄りかかっては圧し潰す。七転八倒という言葉がよくよく似合う歩みであった。

 それを青龍権現が、取り押さえたりなんぞしている。

 尾を噛まれては振りほどき、のしかかられては身をよじり――いったい何の執念が、あの神々をそうさせるのか。俺は理解を諦めていた。


「走んない? ……これ、追いつかれんじゃん」

 千歳の健気な一言がある。

 支局長もまだ何やら云うが、うしろの喧嘩が声を揉み消す。呻き、地響き、打撃音。じりじりとして焦りがつのる。しかしながらもこれ以上、我らは速さを出せそうにない。千歳は下唇を噛み、我が身添え木にえっちらおっちら。無茶はこやつも知っていように。

 何も云わずに、支えた肩をぐっと深めに背負しょいなおす。

 女は静かに目を伏せて、歩みに少し力を込めた。


 蜥蜴の群れの吠えたる声は、いつの間にやら止み果てていた。さすがに逃げていったのであろう。死んだ者らもいるであろうか。

 瓦礫のが背に降りかかる。返り見るだけ心に毒だ。それほどまでに避け難く、最後の死線は迫って居った。

 考えるまい。思うまい。野守虫らの供養など、生きて帰ればしてやれる。

 ゆえにぞ、ここを越えるのである。ここから生きて帰るのである。


『――――衛介っ。あなた、聞こえてる!? 聞こえているなら返事をなさい!』

 はっ、と俺は目を見開いた。


「聞こえ、とります! ヤ、聞きました」

『ぼうっとしないでこんな時。疲れているのはわかるから、でももうちょっと頑張って。一寸延びれば尋延びる、って莉央ちゃんからの伝言よ』


 昨日云われたことわざである。

 はてな、何の折にであったか。あの髪切に追われた時に、電話越しにて聞いたのだったか。当座をしのげ、諦めるな、と。先の地平は明るいぞ、と。


「よくぞ衛介、持ちこたえたのう!」

 耳の安らぐその声音。

 来たか、左様のことであったか。


「凜さん、みんなっ……」千歳が叫ぶ。

 それは総出の援軍だった。爬若丸の背に跨った卜部の姉御に率いられ、弦巻嬢に米内兄弟、キトラとタカマも出迎えてくる。ならびに、皆をここへ導く野守虫らの群れもいる。


 彼らは一撃離脱を決めて、仲間集めに走ったらしい。俺があそこへ取り付くすきはそれだけあれば足りると見たか。

 蜥蜴に頭がもう上がらない。


「ひるまず攻めよ、勢いを削げっ」

 卜部氏、醸すは武将の気風。「結界まではあと少し。ふたりを陣へ逃がすべし」


 彼女が高く令を発すと、皆次々に打って出た。

 弦巻嬢は目にもとまらぬ速射を荒覇吐に見舞い、その横からは毬栗坊主の双子が槍から雷光を出す。電気を帯びたそれらの弾は、敵を確かに苦しめていた。


 そして巨大な貝独楽べいごまが、荒神の身に突っ込んでいく。

 何を隠そう、キトラであった。あれは空飛ぶ丸鋸まるのこである。唸りを上げて蛇の首根をえぐるがごとき突撃だった。

 辺りが真っ赤になる血の雨と、荒覇吐の慟哭を聞く。


 命の危機に瀕する獣。最後の力は暴威に変わる。

 喉の元から腹の底まで、体に走る朱色の紋がほむらの色に輝いた。熱光線に使う霊気を全身より放つにも似て――うしろの青龍権現の身があえなく真っ黒焦げに変ずる。

 竜の喘ぎを聞くが早いか、一同、潮時を悟った。

 

「まずい、ですね」と弦巻嬢。


退けえ、退けえ! 衛介、はよう千歳をこちらに乗せるのじゃ」

 我らは彼女の云うとおり、爬若丸にすぐ跨った。東北支局の三名も、撃つのをやめて引き下がる。


 陣は近くも敵なお近し。

 敗者必滅、徒競走。我らの帰りを待つ陣に、舞い戻るべく走れや走れ。ああも労して結界を、作りし甲斐があったというもの。


 焼けつく大怪獣の体は転げるように肉薄し、今に熱さで死のうかという距離まで間合いが詰まって居った。

 止まれ、停まれ、その手前にて。

 皆がもれなく同じ思いで結界内になだれ込む。しかし躊躇の兆しは無きまま荒覇吐の頭が寄ってくる。

 俺も祈った。ほかに無かった。


 敵の這いずる音を除いて辺りがしんと静まり返る。


「――この十種とくさみづを合わせて、一二三四五六七八(ひふみよいむなや)九十(ここのたり)

 かすかに響くは歌の声。「ふるべ、ゆらゆらと……ふるべ」


 乾いた下駄の鳴りたるを聴く。少女奏でる神咒かじりをも聴く。


あめ八平手(やひらて)打ち上げて、かしこみ、かしこみも、申す……!」

 声音の主は莉央だった。


 娘の歌の響くにつれて、黒く、冷たく、強い陰気が辺り一面立ち込めた。わかる。この気配は知っている。もはやたまげることはない。斯くなる水の神気といえば――。

 もの凄まじい衝撃が、陣の建屋の壁を打ちぬく。そこから、黒きかすみを纏った小さな影が飛び出した。

 

 東海林飛鳥の、憑神である。

 しかしその眼は気のせいか、人たる光を宿して見えた。


『イーア、ナンナッ。ホノリ、クル・マンタ!』

 彼女の擬神器、辛秀鎚カノトホヅチは黒を払って白に輝く。これぞ飛鳥が本来宿す、白色金気の力であった。『ヒーッ……す、ひっす……ひっさ、ひっさつ……」


 そして神器を、ぐっと構える。

 黒き女神は駆けだした。五行のことわり、金生水。神器の力を養分として、その霊力は強まるのである。


必殺ひっさーーーーーつ!」

 耳慣れたる声だった。飛鳥の体は矢のごとく、大怪獣に飛び込んでいく。

 千歳が大きく身を乗り出した。だめ、と叫ぶがごとくあったが言葉は喉で止まって居った。

 

 荒覇吐神は瞠目していた。燃え盛りつつおののいていた。斯くも小さき生き物に、己が滅ぼされるのかと。信じがたきに慄いていた。


「――天隕厳星(あもりかぼし)ッ!」と怒号がひとつ。

 荒々しくて勇ましく、されど愛らしさのある咆哮。


 黒き少女が、ぶちあたる。大怪獣の脳天に、その一撃が炸裂す。

 街は蒸気に埋め尽くされた。

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