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アサルト・オン・ヤオヨロズ  作者: 金精亭 交吉
第二章【太古を読み解く男】
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第五二話 『如凜咲華』

前回までのあらすじ:

 とうとう真の姿をあらわす古代怪獣アラハバキ。

 灼熱の息は街を焼き、自衛隊の要撃戦力もろともに一帯を吹き飛ばした。焦燥に駆られる衛介たち。炎と瓦礫の谷を行くなか、彼らが見たのは憑かれた飛鳥と、妖の群れになお奮戦する孤軍の歓奈の姿であった。

 飛鳥の体を乗っ取る神霊(みたま)はそのまま逃走していくが、追う衛介らはアラハバキとの正面衝突をも余儀なくされる。すると歓奈は単身これを討つので逃げろと指示をした。混乱をきたす衛介をよそに彼女は彼らを強制排除。しかし無茶な話であろう。どう戦うかもわからぬ内に、彼女のいた空間は怪獣の尾に潰されてしまう――。


 二週間ほど前であったか。

 父の見舞いに行った際、病室にてその著書を読了した。桧取沢嬢の貸してくれた本である。生まれてこのかた十七年、我が肉親のものながら、それら著作をこの手にとって熟読したことなんぞ無かった。

 当初は読む気も毛頭あらず。しかし興味は俄然と湧いた。

 ほかでもなき父本人が、黒又山の騒動前に上梓していた一稿である。太古を読み解く男の頭脳あたまの中身が果たしていかなるものか、その一端を知らんとするに、ごくごく手近な助けであろうと。そう考えたがゆえだった。


 『八百万やおよろずの母をたずねて』。斯様に題するこの述作を、壮大なる知的冒険の書とでも称すべきか。さながら各地に散ったる点が一本線に繋げられ、形をあらわす風に思えた。太く荒々しき縄である。猛々しき論考である。これが一読して後いだく、子たる吾人の所感なり。


 ――アラハバキサマは塞神サイノカミでもある。

 あるところでは脛巾ハバキと書いて、旅客の履きものに付会するのは、塞神とか道祖神が、村落の境界を護るほか、遠路ゆく旅人に加護ありとされたからだ。

 ただしこれらはサイの神であると同時に、サイの神であることも記しておかなければならない。神話では小刀をくくり付けたワニザメを『佐比持サヒモチの神』と呼ぶ。またスサノヲの得物は『蛇韓鋤ヲロチカラサヒの剣』である。サヒとは鉄器をいう古語だった。

 金属加工技術の萌芽は古く出雲に持ち込まれていた。島根県出土の弥生時代のふいごの一部は、大陸からの渡来者たちがいち早くそれをもたらしていたことを物語る。

 日本信仰史の古層に《蛇》があることは周知の事実であろうが、こと出雲といえば一際それの色濃いところだ。中国地方に古来伝わる荒神神楽こうじんかぐら大元神楽おおもとかぐらは、これを知るには好個の例で、とくに大元神楽に見られる藁蛇ワラヘビなどが最たるものだ。

 藁蛇は注連縄しめなわをヘビに見立てたものである。もっとも注連縄というのも、その象形は元をたどればヘビの交尾を擬している。奉られる大元神オオモトガミは祖神としての(ハハ(カカ))であり、製鉄部族の祭祀における中心的トーテムだった。

 また同地方に点在している『コウジンサン』と呼ばれる神社が、かつて地元の人々からは『アラハバキサン』と呼ばれていたのだ。荒神あらがみすなわちアラハバキ神、そのまたの名を大元神とも。八百万の神の大元。()()()()()()というのは、これを称したものではないか――。


 以上、原文ままである。

 内容からして難解であり、なおかつ学者の悪文だ。これでも一節に過ぎぬわけで、本書を一冊読破するのに俺はたいへん疲弊をおぼえた。


 ただし今こそ解ることがある。あの桧取沢嬢がなぜ、父の著書に注目したか。彼女は教団『かむなび』を知る手がかりだとも云ってはいたが、きっと更なる真意を云えば、かの怪獣の復活せるを恐れていてのことだったろう。

 ゆえに彼女は怒ったのである。

 俺が黒又山に関して隠し立てをしていたことを。

 そして彼女は焦ったのである。

 飛鳥に宿りし憑神が、凶事の種となりはせぬかと。


 嬢がいったい何に通じて諸事を察知したかはわからぬ。けれども時にぶっきらぼうで、頑固なきらいがあったのも、来たらんとするわざわいを討つ支度の一環だったと云いうる。

 我が口より「荒覇吐」と聞いて、彼女の懸念が確信化した。

 仕舞いに見せたあの形相は、真っ当きわまるものやもしれぬ。ついぞ深くは知れることなく今に至ってしまったが、あのは、桧取沢さんは、きっとそういう不穏を抱えて生きたる素性があったのであろう。

 しかるにこれを斯くて悟るも、万事遅きに失して居った。


 人は、色々いるものである。日常にとて怪奇がひそもう。

 それにつけてもこの顛末は、いくら何でも惨く思えた。


「……死んだ。桧取沢さんが」

 がらがら鳴って崩れたる、建屋の廊下を巨鳥が駆ける。「何だ、何でだ。何だってんだ。ンーなことって、あるかよ畜生」


 つむげる言葉は痩せこけていた。

 とんと頭が働かぬ。どうしておけば良かったか。一体どうせよと云うのか。彼女はどうするつもりでいたのか。

 あわれ死人に口無くしては、叱咤も教示も有りうべからず。涙に溺るるいとますこしも当座は無しと心得てなお、げに理不尽の痛悔感が思考回路を攪拌している。


「歓奈ちゃんって、ああゆうコだし」

 千歳は投げやりに答えた。女は、走る火鶏彦の首にしがみついている。

 うしろの俺は要領も得ず、左右それぞれ彼女の肩と鳥の尾羽を掴んでしのぐ。乗っているのがやっとであった。


「ああいう無茶を、しでかすのかい」

「ムカツクくらい頭良い。なんか色々ワカっちゃってて、あたしらとかじゃ付いてけない。だからか、なのにか、知んないけどさ。歓奈ちゃんてばいつだって」

 物のわずかに口をつぐんで千歳はちらと(かえり)みた。(きっさき)にも似た彼女の右目は決して吾人を見ておらぬ。


 俺はそちらを見なかった。見たとてどうなるものでもない。火鶏彦が全速力にて駆けたそばから崩落し、我らの背中を追うごとくして瓦礫が廊を(うず)めゆく。俺はそちらを、見られなかった。


「――いっつも、ひとりで行くんだよ。あたしら(みんな)がやる前に。やんなくたっても、良いように」

 何か信ずる眼差しである。されど哀愁あえかに匂う、()の安からぬ薄化粧。


 その口ぶりにちっとも似付かぬ健気な眉を俺は見た。


 そっくり、こやつの語るとおりか。甲府のくだりを想起する。

 嬢はあの折とて、そうだった。榊は負傷し我らが死にかけ、まず今いちど作戦会議と云ったそばから彼女は飛び出た。ここで討たずばいかんせん、と息巻く猪武者に見えつつ――思い直せば、利口な嬢なら秘策を持ったに決まっていよう。

 それが何であるかは知らぬ。我らは洞察すべくもない。

 見るな来るなと云われしままに、無念をうらむが精々ゆえに。


「ちゃけば不器用ぶきっちょなんだよね。……いるわ、クラスにひとりやふたり」

「ばきゃあろ。死んじまったら(しめ)えだ」


「あーね。あとで、火鶏彦このコに聞けば?」

 火照り明るき出口が見えて、千歳は前へ向き直る。「ちゃんと掴まっとかなきゃ落ちるよ!」


 ほら、と彼女が促した。俺は一息フウムと唸り、最善なるべき手立てに臨む。どうにかこうにか我が両腕を女の胴に巻きつけた。

 へし折れそうな南天のは、ほどよく締まった腹筋をして我らの姿勢を保たしむ。際限なき異常の沙汰と、一個のごとくへばり付いたる野郎小娘あせだく二人ににん

 早打ち太鼓も斯くやと云わん、千歳の腹と我が胸板が互いの動悸をすこぶる交わす。


「変なとこ触ったら殺すっ」

 と、女は朱色の声にて云った。


 妖雲みなぎる丑三つの空。まもなく背後で壁が倒れて柱や梁がこれを追う。そのとどろきがあくたを巻き上げ、ついには石塚に変わった。間一髪の大脱出だ。

 火鶏彦は未だ止まらず。煙と粉塵立ちたる奥に、巨大な鬼気が燃え盛る。


 荒ぶる神の怒りと猛りが真っ向ぶつかる様子であった。


 遠ざかる中わずかにも、我らはそれを目撃す。青く奇妙の光があった。地よりそびえる鎌首ふたつ。それらは互いに絡んで噛んで、打ち合うふうに思われた。

 炸雷すなわち闇を震わせ、ここに神代(かみよ)(いなな)きを聞く。逃ぐる我が身の底までつんざく、その()はどこか美しかった。



『――防衛省から、PIRO本部に連絡があったわ』

 鹿ヶ谷指令は、早口に云う。『被害拡大のため、広域避難場所は戸山公園から目白台の運動公園へ移った……北に一・八キロ、文京区のほうね。住民の大規模移動につき交通状況は混乱中だが、退避完了次第、戦闘機による近接航空支援を実施する、ですって』


「こんだけやって駄目駄目なのを、もっかい繰り返すってんですか」

『今まで投入されていたのは、陸戦部隊とアパッチよ。ヘルファイアでも倒せないなら、いよいよ爆撃作戦ってこと!』

「げ。避難所変更ってその……」

『だから“B”の回収を急いで! あなた達も退避しないと、誘導爆弾ジェイダムの雨で消し飛ばされる!』


 迷惑極まりなきことである。

 急げとなんぞ上が云えども、呑気であった覚えはない。むしろ重なる焦りが祟って今や身辺ろくでもない。しかし、場合も場合なるべし。


「おっしゃる以上、無茶はご承知で」

『ええ、そう。生き残るための命令。飛鳥ちゃん込み、全員ね』

 反駁の語や、浮かぶ筈なく。かしこまりましたとて一言、俺は通話を静かに切った。


 火鶏彦の疾駆(しっく)甲斐あり、我らと荒覇吐との間合いは三百メートルほど稼がれた。我々は今これに最後の再接近を図るべく、その目標を遠巻きにして諏訪町すわちょう付近をひた走る。

 飛鳥の所在もそちらにあるのだ。空自の誘導爆弾は、十も落とせば小さな町が消炭と化す代物である。こたび逃せば、次はない。都民避難のはかが行かない今ぞ好機といえば皮肉か。


 百鬼夜行の盛りも続く。

 例によって物ノ怪どもにも食う食わるるの関わりがある。騒ぐ徒党があるかと思えばこれに狩られて消える者あり。巨象のごとき塗壁ぬりかべが、群れる小鬼を物ともせずに踏みつけていく様も見られた。

 その最たるを、遠く眺める。歩道橋をば駆け上り、もと居た団地を横目に見れば霊妙の気が衝突していた。


 節くれだつ()()()――云わばまさしく()()の竜。

 荒覇吐なるこの神は、はなつ烈火でまがねを熔かし、仇なすものの一切をしてその域より退散せしむ。古人いにしえびとみおやであって、昔々の地主とこぬしであった。


 相対するは、さて何者か。

 青き巨竜の姿があった。忽然と出た怪獣である。を行く百鬼の一つであろうが、その身は小山を三たびは巻こうか、()と一線を画して居った。

 霞たなびく大空か、沖つ白波ゆらめく海か……げに麗しき威光をまとう。先にも聞いた嘶きは、どうやらあれによるものらしい。


「あの怪獣は」

「わかんない。敵の敵は味方、とだけゆっとく」

「どっから湧いて来やがったやら。俺らのいた棟をぶっ潰して……桧取沢さんを殺したの、もしやあいつじゃあるめえな」

「あたし的にはどっちでも? あれが“A”とバチってる内なら、こっちは飛鳥に集中できる」

「都民の避難が終わるまで、且つあのどっちかが負けるまで。目下そこらが、時限だってか」

 

「……あともう、コイツに祈るだけっしょ」

 女はその細首から下げた、勾玉を摘まんで語った。

 千歳の禍ツ勾玉は、念を込めればその対象より気を奪い取る霊能を持つ。これを飛鳥に行使して、あの身に憑いたる不明の神を引き剥がさんとの算段である。

 それは妖しくみどりに輝き、絶えず呪いを滲ませていた。


「お前が乗っ取られるかもしれんぞ」

「そん時ゃそん時……あんたに任す」

「んな阿呆らしい話はねえや」

「いやガチだから。間に合わないで、爆弾ドカドカ貰うよりマシ」

 まことに最後の手段であろう、愚かなることこの上ない。それは千歳も解していようし、俺のすべきはそうならぬよう、あたう限りを為すのみか。


 戸山公園は迂回路であった。

 瓦礫をほとんど被っておらず、想定しうる道のなかでは割かし渡りやすく思える。

 避難民らが略々(ほぼほぼ)はけて、園内に人は見当たらない。霊障被害もさぞやありなん、二次災害の大ならざるをひとまず喜ばねばならぬ。

 人魂(ひとだま)たゆたう公園緑地。よれよれ歩く骸骨や、宛て無くさ迷う影もうようよ。雑多の妖怪何するものぞ、火鶏彦の燃える吐息でこれらを蹴散らし突き進む。

 しかし斯くなるとんとん拍子がつっかえるまで物の数分。今に園地を抜けんとするや、妙な害意の気配とともに黒き(あやかし)どもが飛び出す。


 熱攻撃が、通じていない。

 例にもよって火の精霊か、あるいはむしろ水妖か。


 ばしゅっ、と噴射音が立った。――聴くだに遅く次の瞬間、我らを湿気と冷気が襲い、火鶏彦は悲鳴を上げて速度そのまま地に転がった。


「んがぁああ!?」

 まさしく水鉄砲か。予想はずばり後者にて、的中していたようである。落馬にあらず落鳥をして、我らふたりも身を打撲した。


()! あぅ! ……(ンそ)でしょこんな…………」


 何たる不意打ち、許すまじ。唐突無比の襲撃者らは、黒く得体の知れぬ姿で闇夜の行く手にはだかっている。群れてそれらが居並べば、こちらの進路を阻まんとする暗幕めいた見かけであった。

 ――阻む?

 さては左様の意思か。

 否、わからない。確証がない。


 間髪入れずに追撃は来る。まともに受けては身も持つまいか。されど跳び退く手際だに無く、せめて急所を逸れよとばかりに我らは横転して避けた。


 たかが一瞬されど一瞬。ここを凌いだゆえにこそ、次いで善果を得べくあれ。


 ふたり倒れた尻の下から、ずんと大地が震動していた。 

 殷々として土がどよめく。すると眼前、道は砕けて砂利を巻き上げ土竜(もぐら)あらわる。


 むくつけきかな地底怪獣、式神爬若丸(ほうわかまる)ここにあり。


 迫る一団、一網打尽。これなる掘削重機のごときは大きく竿立ちするが早いか、前方すべてを圧殺せんとてすなわち巨体を投地した。

 矢庭のこととその激しさに驚くばかりの我々である。

 跳ねる土石の雨あられ。頭に降っては堪らぬし、目玉にかかるも痛くてかなわぬ。転げたままに突っ伏して、ただ脳天を庇うのみ。


 そこに女の声がした。(まぶた)の隙間に瞳を凝らし、馴染みの音のぬしを求める。

 よくぞ、よくぞ来てくれた。

 式神の背に跨がりし、その人影はすっくと起立。薄紫の小紋はためく佳人の姿を垣間見る。


「かの水神みなかみの手の者どもめ」

 少女は凛乎として云い放ち、泥の底より蓮華が開く。「――ゆくぞ擬神器、奇弥央扇(クシャナコウギ)よ。吹き飛べ、急々如律令っ」


 そのはなぶさは鉄扇だった。黄金こがねの光あざやかに、彼女の髪をふわりなびかせ花顔雪膚をさらに彩る。

 細腕が、颯と左右にうち振るわれる。

 土気のみなぎる神器は応え、しゅの溶け込んだ砂塵嵐(さじんあらし)が並み居る妖たちを襲った。


「慕うた者をすけてこそ、この卜部家の真心と知れ。罷り越したぞ衛介やっ、いもが刃を託されて!」

 まとう衣の艶やかなるも今やまさしく泥塗どろんこである。されど卜部の姉君は、爛漫としてただ咲き誇る一輪挿しを思わせていた。


 上がる口角、レ点に似たり。()まったとでも云いたげに、彼女は我が目に笑みを寄越した。親指ひとつ宙につき立て、以てこちらの頷きと為す。


 そうこうしている内であろうか。

 天を覆いし墨色の、叢雲よりもはるか彼方に闇の裂かるる声がとどろく。ごうごう鳴って、飛んでいる。

 都の命運を負って出でたる、鋼の翼の雄叫びであった。


 そして大地がまたも()を打つ。

 視野の向こうに先の団地がふたたび滅びの景色を見せる。ちはやぶる神、二柱(ふたはしら)。それらの口が放つ力はまたも真っ正面からぶつかり、熱に光に烈々としてとうとう夜空で赤く弾けた。

 あれは()()す黒点か。その爆裂を以ても焼かれず、戦場(いくさば)に舞う漆黒の豆。


 我らに、来るなと云うのであるか。我らの手には余ると云うか。浅はかなりや、良き憑神よ。いまさら誰がその手に乗ろう。

 桧取沢歓奈への弔いを、今この胸に抱いて進む。無駄にはせぬと歯を食いしばる。


 青の巨竜が、大きく吠えた。

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