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アサルト・オン・ヤオヨロズ  作者: 金精亭 交吉
第二章【太古を読み解く男】
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第五一話 『祀られし朽縄』

前回までのあらすじ:

 荒覇吐神を追って、新大久保から北上開始。

 鬼門めがけて進撃する中、百鬼夜行との戦いも怒涛のごとく相次ぐ。体勢を整えるべく雑居ビルに布陣する一行であったが、打ち漏らした野守虫らの逆襲に遭って絶体絶命に。

 しかし衛介の機転もあって莉央は法術の奥義を発動、頼もしい式神としてラプ太を召喚したのであった。


『あんましビビらすなッつうの!』と。

 慌てふためく裕也より、支局地下階の檻からラプ太が消えたとの報告があった。


 曰く決定的瞬間は見逃したそうであるが、監視カメラで異変に気づいて転げるように駆けつけたるも、時すでに遅し、そこはもうからであったとのことである。

 まことに不思議の妙術なるかな。当地新宿、あちらは横浜……三〇キロもあろうかという距離を刹那に転移したのだ。物理学をば捻じ曲げて、今こそここに召喚まねきよばうた。

 常の調子はどこへやら、我が種明かしを聞きつつなおも取り乱している裕也であった。これが大変面白い。しかし笑うべきにもあらず、さすがに驚くなと云うほうがこたびは酷というものであろう。

 

『――ェ゛ッホン。でな、今、ニュース見てんだけど。……騒ぎがやばい。震災ん時みたく普通の番組ぜんぶ中止』

 電話にて裕也は恐々と語り始めた。『ネットとかバチボコ錯綜()()な感じで、イスラムのテロだとか、酷いのだとUFO飛んでるとか。とにかくツイッタが最強にクソ』


「無理あるめえ。そこら辺はテレビじゃ何て云ってる。政府の会見だか、そんな感じのもあったろ」

『今んところ甲府から進歩無し、じゃね? 新宿区で大規模火災発生か、詳細の確認を急ぐ、ってさ』

「けしからん……報道協定とかいうのが、まだ効いてやがらあな」

 未確認有害鳥獣、すなわち我らの狩るべき化け物。

 それらの存在が秘匿され得なくなったといえども、民草における過度の混乱等もろもろを軽減すべく一旦の情報統制は依然行われていよう。国家滅亡が今晩でない限り、段階を踏んで真実は明かされてゆくはずだ。


 自衛隊の働きぶりとは、果たして以ていかほどか。なるほど小型のあやかしならば、頭部を蜂の巣にできれば通常火器で駆除可能やもしれぬ。あれらの脅威がその自己治癒力にあることは以前述べたが、中枢神経の破壊さえ的確ならば、陸自にも一定の勝算は見込めよう。

 しかしいざ敵が大型となる際、べき戦果は犠牲に見合うか。これは甚だ疑わしい。


『避難指示的なのは出てる。広域避難場所、っと……ああこれか。戸山公園ってとこだ』

「よりにもよってか。そこは良くねえ」

『マジでか。いやまあ実際な? 絶対安全とか、今更どこにも無さそだけど』


 ――となる以上、自衛隊にとって絶対国防圏は区民の集まる戸山一帯か。

 こたびの百鬼夜行の裾野がどこまで延びているかは知れぬ。しかし戦の中心は、ほぼ常に最終防衛線の上で行われているわけである。


 それにつけても厄介なる場に避難場所を設けたものだ。

 地域全体を揺るがす大禍が起きた際、国民の生命をどこで匿うかは行政上軽からぬ課題であろう。集中豪雨、地震に津波。三・一一(さんいちいち)より学ぶとすれば、各関係者が「想定外の規模でした」と輪唱せず済むように計らわねばなるまい。

 いかに難儀のことであろうか。推し量ろうにも手に余る。大人の緻密な検討の上に公園そこが避難所であるのならば、是非ともせめてその場くらいは死守せらるる保証があって良い。しかるにそうもいかぬが現実。我が国の自衛力が、何を念頭に発展してきたのか。ここに思いを致してみるに、俺は憂鬱で仕方がなかった。


「……んむ、現場からは以上。そろそろ切る」

『りょ。マジ死ぬなよ、お願いだから』

 あたぼうおのが身最優先よ、と。俺はおどけて述べたのであった。


 (かね)()まわる牛虻(うしあぶ)の、はばたく音が夜空に響く。それらは機銃の声と連ねて、鉛の雨を地に撒いている。地べたは獣の叫びに沈み、以て亡者が菩提これ無く煙焔(えんえん)として立ちのぼる。


 さてもその後、皆がこちらの現状を見にこの屋上へと集まってきた。

 ここは一旦安泰である。陣の結界は完成を見た。我らが行き損ねた西側は、米内の弟のほうが済ませた。ありがたやと云うほかあるまい。

 莉央の功するところも大きい。されど彼女は、式神召喚の儀に多くの霊力を費やしてしまった。


 魔訶不思議の感覚がある。吾人の思念そのものが、式神の脳髄に結わるるごとき心地であった。鬼神のたぐいと霊的に接続し、これを主従関係と為す。いわゆる鷹狩り、鵜飼いなどとは、云うまでもなく似て非なり。

 この契約の成立を、莉央の祈祷が取り持った。日頃を見るに妖術使いは、さも容易たやすげに式など打つが、初めは断然大変なのだ。何事とても同じであろう。


「あっぱれ、よくぞ為果しおおした」

 姉君は莉央を大いにねぎらう。「まともな庭壇も組めず、追い詰められた場にあってなお……鉤招こうちょうを叶えるとは」

 鉤招とは念者のもとへ、好いた人とか神仏とかを寄せるための修法だそうな。魂緒(たまのお)に、(かぎ)を引っかけこれをいざなう。愛染明王に願って、迷える本能煩悩を、あるべき道へと招くのである。


 莉央は、へなへなとしている。さりとて満足気であった。卜部氏の肩にその身をあずけ、にこり笑って曰く「何の」と。


(わたくし)だって。励めばこれしき」

 汗が(ころも)をうすら透かして、あえかなること夕顔の花。

 卜部氏はこの愛しき妹を、ひしひしと抱きとめていた。


「ああ、でかしゃった。もう休め」

「姉様ばかりに良い格好は……と云いたいのは山々ですけれども。あいにく私の身の程は、どうやらここで一杯一杯」

「もう充分じゃ。姉も鼻が高いわ。あとは、妾に任せるがよい」

「こちらをお持ち下さいましね。師より預かった御守り。いざというとき、必ずや――」

 

 そうこうしている内である。

 遂に至れり、時は子刻(ねのこく)。いわゆる百鬼夜行日は、この二時間を忌むと説かれた。


 遠近おちこちみな必ず死するなり、と。

 

 ずんと響くは地鳴り一撃。

 東に一キロメートル彼方、すなわち公園緑地の方で、戦いは繰り広げられていた。砲声と、こまかに起こる破裂音。その震央で大いなる気配が吹き荒れる。

 鹿ヶ谷支局長云えらく、

「……この高さだとよく見えるわね」と。


 その目差しの遥か先。(くら)き夜景の一帯が、赫然として燃えている。照らされし曇天の色彩は()しくて、浮くものを紫雲とも凶雲とも感ぜしめた。

 滅べる街に炎立つなか、巨塔のごとき鎌首が、ぬっくりとして(あらわ)れていた。


 空ゆく機銃は唸りつづけた。ひっきりなしに弾丸が降る。それは漏れなく大怪獣のもたげた頭部に吸われていったが、ああもなっては蟷螂の斧、劇的戦果は窺えぬ。

 この生き物を――否、この神を、まさに大蛇(おろち)と形容すべし。


 喉より胸や腹を伝って朱色の線が光って居った。

 それらは不気味に渦巻いたまま、昭々として脈をうつ。あの紋には見覚えがある。いかなる意匠かとんと知れぬが、黒又山にて目にしたものだ。

 しかしその規模比ぶべからず。眼にうつる遠景は悪しき幻想のように、荒ぶる神を奉じていた。


 ぞっと鳥肌立つが早いか、かっと閃光するが早いか。


 嫌な予感と思う間もない。体に走る朱の紋に、ともる明しが一入(ひとしお)になる。口腔(くち)がすなわちそれを(こぼ)して遂には闇を真昼と変える。

 烈風、爆熱、あるまじく目映(まばゆ)し。


 不謹慎なることやもしれぬ。しかし我らの誰もが一様、熔けゆく都市を見てぼやく。「すごい」――このほか言葉は無かった。



 古代怪獣、荒覇吐(あらはばき)。あれは生ける天災である。


 吾人が黒又山にて見しは、蛇に女の体を足した、竜人とでも呼ぶべきものだ。一見すると土器によく似た鋼のかめに収まっていた。

 そして夏至に合わせて目覚め、百鬼夜行に呼ばるるごとく今日東京に現れている。なりは化けるに化けるを重ねてもはや全く魔の物なれど、かつて八咫烏からすを狩った身として、とても奇妙の感を覚えた。


 天地人ある三千界。宇宙のことわり、山海ののり、しかして小さき人間じんかんの常。我らは無明の生き物である。目鼻に耳とちんけな頭で勝手知ったるつもりであるが、きっと、ちっとも解っておらぬ。

 そびえる鉄筋の林が燃えてさぞかし多くの命が絶えた。自衛隊の前線は潰散し、もう砲声もめっきり止んだ。


 いやはやしかし、実感がない。

 八咫烏が人を喰うのは、凄惨至極の景色であった。百鬼夜行に蹂躙されし街路が臓腑で散らかる絵図も、云ってのけるも憚られるが、げに残酷なる様だった。

 だのに此度はいかがであるか。死者はことさら沢山いように、そのうれたみがあまりに微かだ。


 理由はわかり切っていた。

 遠景の中に散れるものなど、端から無きに等しいのだと。

 斯くして我が浅ましさを悟り、自己嫌悪はここに極まる。悲しきことが起きたるなりと、脳は解した気分であるのに心裡がこれを嚥下えんげせぬ。腹の奥底においては、その事実こそ不祝儀だった。

 それほど()()()だったのだ。


 千歳は焦る。それはもう、尻に火のつくことりのごとし。


 破壊の波が街を洗った。熱と光を一把いっぱに束ね、庭木に水でもやらんばかりに燦々として照り焼いた。

 ……すると、飛鳥は果たして無事か?

 今や千歳を支配するのは専らその一心である。正直者の女であった。


「荒川の橋で見たよりでっか……ウソ、でかいとかのレベルじゃない。衛介たちが秋田で見たのは、しかももっと小っちゃいんでしょ?」

「どんどん巨大化してんだ、あれは。妖怪すら且つ変化へんげするなら、いわんやあの怪獣をやってな」

「大きう成るのみ、ならばよいがの」

 爬若丸(ほうわかまる)は我らを乗せて、瓦礫の谷を突きすすむ。

 時の猶予はもはや無し。支局長と莉央を残して、一味は陣を後にしていた。これはすなわち、出撃である。きっと最後のそれとなろうか。くぐるべき死線の最たるが、泣けど笑えどこの先にある。


「桧取沢さんと連絡付いてねえのも、正直だいぶ不安だな。目標“B”の補足が、出来てんのかさえうかがい知れん」

「だからヤバイッってんの。歓奈ちゃんも飛鳥も、さっきのアレでドカーンだったら」

「元も子もなく俺らの負けだが」

「ゴメン。あたし変なこと云った。……でも無理、駄弁ってなきゃ萎えるから」

「気丈なのは宜しいこった。黙って悶々するよりゃ断然」


「むむ、あやしや。夜風が熱い。荒覇吐神の放ちし炎はこの辺りにまで及んだようじゃ」

「ヤツ自体が見当たりませんな。あんなデカブツ近くにいたら探さずとも見えるもんでしょうに」

「妾もそこが気がかりじゃった。按ずるに莫大の力を費やして後、休息に入りおったか」

「そりゃ八咫烏もおんなじでした。あの場合飛ぶだけで念力を要しつつ、火も吐くんでなおのこと燃費が悪りい」

「さして仕組みは違うまい。あやつ、その身を膨らませるにやや注力が過ぎたと見える」

「すると……ははア、読めてきやした。なかなか発見しづれえわけで。どっかで縮こまっているやら、はたまた、まことに()()()るやら――」


 ここは団地であったらしい。戸山公園一帯は、新宿中心区域を外れてやや起伏のある地形をしている。ところどころがまだ燃えつづけ、街路は(だいだい)色をしていた。

 それも道なき道である。釣船ほどもある大蝦蟇おおがまが、無様に焦げて死んでいる。鉄屑と化したヘリコプターや、大怪獣にか蹴り飛ばされて逆さになった戦車も見かけた。


 もはや近場に健在するは、好熱性の妖怪のみか。鬼火、狐火、姥ヶ火なんぞの恐ろしげなる精霊が、通りかかった我らを睨んで鰹烏帽子かつおのえぼしがごとく漂う。これらは弦巻嬢の速射でたちまち撃墜されていったが、さてまた同時にその前方は、いっそう騒然としていた。


 様子は見えぬが、崩れし団地の破片が成せる丘の向こうだ。虎豹と思しき声が沸々(ふつふつ)、それに抗う気配が一騎。

 尋常ならざる陽炎が、その山の()を揺らめかす。


 爬若丸が加速して、丘を一気に駆け上がる。以て(まなこ)に飛び込んだのは、ごく緊急の危難であった。


 しきりに弓射(ゆみい)る乙女の姿。

 めらめら燃ゆる荷車を牽き、そこに鬼類が突撃している。

 熱風すさび黒髪なびかせ、孤軍奮闘()いられたるは、我らが麗しの戦友――桧取沢歓奈その人であった。


火車(カシャ)かっ。(ひい)()()……ええい、多いわ!」

 見た卜部氏が()く叫ぶ。

 数の暴力とはこのことか。さすがの桧取沢嬢も、近くに迫るものから射るとて徐々に余裕が失せていく。これは助太刀、せざるべからず。


「畜生ありゃあ埒が明かんぜ」

 俺は迷わず一声上げた。「――出合え、ラプ太っ。初仕事! 熱苦しいのをやっつけろ!」


 急々如律令と唱えるや、物も云わずに後続してきた一塊ひとかたまりの妖気が飛び出す。一糸乱れぬ群れである。


「いざ承知した。皆の者、来い!」

 それらは個々の猛きをまとめ、その何倍もの戦力にして敵勢へと吶喊していった。

 細長くも強靭なる両脚、肉をばらりと引き裂く鍵爪。獲物(にら)めるその目玉めんたまの収まるこうべに鋭牙が並ぶ。しなやかにして硬質の尾は、振るえばすなわち鞭笞べんちとなろう。

 蛇か蜥蜴かはたまた鳥か、この名をばこそ(たつ)と称せん。


 野守虫なるこの怪は、いにしえの世に森を治めし山神やまつみどものすえである。敵に回せば厄介千万、味方とすれば便宜無量だ。


 ラプ太はそれらの親玉然と、なおも雄々しく吠えていた。

 体躯は一回り大きく、眼には利発の光を宿す。喉笛をぎょうぎょうと震わせて曇天に咆哮を捧げ、有無を云わせぬおのが霊威をかの竜どもに見せつけていた。烏合の衆たる群れにとっては、卓抜する同族の存在こそ天祐と思われたろう。

 この式神の冴えたるが、我らに対する不毛な敵意を棚上げにさえしてのけたのだ。


「高砂君……?! 凜さん、皆さん!」

「お疲れ様々、怪我ァねえかい」

 俺は爬若丸を飛びおり、柳髪乱れし彼女に一礼。


「私はまだ大丈夫ですっ! それより目標Bが、今」

「ここらに居んのか」

「すぐそこにっ」

 慌てたままの気色を辛くも精神力で沈着させて、嬢はぎらりと脇を見遣った。

 一体何たる沙汰ならん、彼女の式神火鶏彦(ほのかけひこ)が、もふもふとした腹の羽毛で(なにがし)かを取り押さえて居った。雛を(ぬく)める態度でもなし、その下にては小さなものが解き放たれんと(もが)いているのだ。


「まさか――」 

 千歳も吾人に続いて獣の背より跳んで罷るや、今にも(くつがえ)されんとしている巨鳥の元へ駆け寄った。

 苦労に喘ぐ火鶏彦はギュルルと強く唸っていたが、臥せった腹の下から黒き神怪の気が噴出している。


「飛鳥ぁ!」女が思わずわめく。


 吃驚箱(びっくりばこ)かと思われた。

 立てば見上ぐる高さの鳥が、不可説きわまる妖力により宙へと跳ね上げられたのである。錯愕するにも充分なれど、しかのみならずその地べたから、黒光りする霊気にまみれし小粒の人が躍り出た。


 あわれ、斯くなる奇態であったか。

 そこな憑神つきがみ――目標Bよ、東海林飛鳥の五体を返せ。物云う智だに無しと見受ける。ならば容赦は一寸とせぬ。地の果てまでも追って祓おう。


 野守虫らが火車を相手に殲滅戦を展開するなか、この憑神は少女の身にして人ならざるの挙動で()った。

 千歳が抱き捕らえんともしたが、躊躇あってか丸で瓢鯰(ひょうねん)。這いつくばったと思った刹那、孫悟空すら泣いて悔やもう、異常の軌道で逃げてゆく。


「追いますッ」

 桧取沢嬢が云った。しかして誰が指示するでもなく千歳はこれに続いて走る。

 

「行けい、衛介! 任せるがよい。ここらの敵は我らで討とうぞ」

 ありがたきかな、畏友卜部氏。東北組もこれに頷き三者揃って得物を構えた。


「おう頼んます、かたじけねえ! やいラプ太、お前も遠慮はいらねえぞ。もう存分に暴れてやんな!」

 ラプ太は無言で目配せをして(ぬし)に託すとうべなった。

 魔変に身をやつしたる少女の、遠のく姿を横目に見つつ――敵の首根を噛み切っていた。


 陰陽乱るる熱帯夜。また人畜も入り乱れ、今やいくさの運びはまさしく天王山に至るなり。



「――あたし、バカだよ。またやらかした」

 駆ける千歳は一歩一歩を地団駄にでもするように云う。「初めに飛鳥がああなった時もギュッと押さえてあげれなかった。痛くしちゃうんじゃないかって。壊しちゃうんじゃ、ないかって。あたしは全部中途半端だ」


「落ちつけ住吉、俺ァ知れたぞ。今のあいつを見る限り、殺すったって殺せんタマだ。そうだろ桧取沢さんよ」

 吾人はすっかり思い起こした。

 甲府で飛鳥に何が起きたか。八咫烏の吐く熱光線を()()に喰らってかすり傷なく、やはり黒く染まった妖気を身体髪膚に纏っていたのだ。


 黒は邪悪の色にはあらず。千歳の瑞刃ミヅハがそうあるように、あれは水行を現わすものだ。一体全体いつから飛鳥に怪が憑いたかまだ判らぬが、それは当初も今もなお、水の霊性なのであろう。それも取り分け頑強な。

 息を切らさぬようにして、最低限の言葉で語った。


「高砂君の考察どおり、飛鳥さんに憑依しているのは高位の水の神霊でしょう。彼女の所持する辛鋪鎚カノトホヅチが有する強大な金気は、相生にあたる水の霊には居心地の良い依代よりしろです」

 ……やはり、左様のことであったか。

 加えて嬢はこうも云う。

 荒覇吐が業火を噴いた際、彼女とこれに追わるる飛鳥はほとんどその爆心地に在った。しかし飛鳥に宿りし神が巨大な水気の護りを発現。甲府のときと酷似している。嬢は九死に一生で、それに救われたのであったと。


「その後飛鳥さん……いえ、Bは、しばらく地面に倒れていました。多分に漏れず、強い力を発動させての“息切れ”でしょうか。すぐ回収を試みましたが、火車の群れに奇襲されてしまい。……火車は死体を拐う妖怪。動かなくなった飛鳥さんを見て、餌と思ったのでしょう」


「……それで、飛鳥はどこを目指してるの?」

「目標A、これしかありません。両者が正体不明な以上は推測のほか立てかねますが、ここまで追跡してきた限りの行動原理は一貫しています」

「ううむなるほど、わからんが。荒覇吐とは、縁ある霊か」


 俺はぽろりと、そう口にした。何気無くして要領を得ぬ、取るに足らない言葉であった。

 けれどもここに、豈図らんや顔色を変える者がいる。

 果たしてどうしたことであろうか、嬢は元から白い玉肌をなおさら蒼白させていた。


 彼女はしばし沈黙している。やがて、千歳が怪訝に云った。


「歓奈ちゃんってもしかして、アラハバキとか聞くの(はつ)? ぶっちゃけあたしもよく知んない。衛介たちが、そう呼んでたから」


「荒覇吐……その神名を、高砂君が」

 不吉の気配が辺りを呑む中、嬢の視線が嫌に妖しくこちらの眼を()っている。「たった今、全てが理解できました」

 俺はいささか意味がわからず、己の顔を正面に逃がす。


 ゆめゆめ忘るな我々は、人探しをしているのであろう。


「いたぞ、東海林だ!」その時だった。

 団地の外れの瓦礫だまりに、何やら不自然なる穴がある。その目の前に“目標B”が、手をかざして浮遊している。


 神変化生の骨頂、ここに。

 飛鳥の腕から光が放たれ無気味の穴をチュドッと穿つ。間髪入れず、震度のほどや測り知れない異様の縦揺れ。そして大地をち割って、荒覇吐神が現れた。


「いかん、でかいッ。やっぱでかいぞ。正面からじゃあ勝ち目がねえや」


 ところが嬢は屹度(きっと)云えらく

「勝てます。私が戦います」と。


 吾人は耳をまず疑って、大いに混乱を覚えた。

 馬鹿云わないでと千歳が怒鳴り、我らは近場にどうにか残った住宅棟に彼女を引き込む。見つからずに遣り過ごせれば、作戦会議も可能なはずだ。

 人っ子ひとりと見えない民家に、ひとまず逃げの個室籠城。しかし我らも長居は出来ぬ。こことていつ壊されるか分からぬ。分からぬけれども、さぞ遠からぬ。


 どうすればいい。……どうすれば良い?


 嬢は、重ねて云い放つ。


「逃げて下さい。そして一旦ここから出たら、もうここを見には戻らないように」

 彼女の台詞は柔らかかったが、言霊が厳めしく我々を脅す。「――この部屋の戸は、()()()開けないで下さい」


「どーしちゃったの歓奈ちゃん?」

「……ひとり残って、何すんだい!」


「必要なことを、可能な限り」

「事情は知ったこっちゃねえが、もうじきここもぶっ潰されるぞ。そりゃあ俺たち素人相手じゃ話せば長げえことかもしれん。それにしたって無茶苦茶だ」


「おふたりのことがどうでも良ければ、むしろここまで云いません」

「だったら俺らを信じりゃ良かろ!」

「……無理なものは、無理なんです。さあ、はやくお逃げなさいッ」

 彼女は、かっとその目を見開く。桧取沢嬢の(じゃ)がごとき眼光は、我が喉元をまたぞろ射ていた。美人の奥二重のなお奥で、つぶらな瞳が静かに燃える。

 蛙に生まれた覚えもないが、まさしく見込まれた心地こそすれ。彼女は我らの良き友にして、万夫(あこが)るべき撫子だ。けれども俺は相知っている。(あま)つ恵みに見えよう顔と、黄泉(よも)つ祟りを思わす顔とを。

 ただ恐ろしき様である。それは、はっきり見てとれた。


「行くよ衛介、云ったって無駄! あたしら信用されてない」

 千歳が我が手を引っぱると、いささか力の抜けたる俺はいとも容易く廊下に出された。

 刹那のうちに我が視野からは、嬢の姿が外れゆく。


 憂いが服着て歩くようだと、吾人はそのとき思って居った。しかるにそれはこの世の物とも思えぬほどに綺麗であった。

 はて面妖な。何が綺麗か。

 人の心の鬱結に、美や不細工の差なぞあろうか。

 目には怪しき光が灯る。

 細めまぶたの裏側に、たぎてる魂を感じた。物云う花がさねの内より、獰猛の気を滲ませている。得体のしれぬ色香の愁眉。あやにかしこき姿かな。

 この世の物とは、思われなんだ。


 ごめんなさい、と彼女がこぼした。

 這う怪獣のもたらす地鳴りが儚き声をかき消せど、げんは口よりまろび出て、しかと我が目に注がれていた。


 愚かしきかな、どうして謝る。そう易々と謝るならば、(はな)から我らと来てくれたまえ。君の深謀遠慮を以て我が短絡を蹴とばすならば、この顔色を読むふりもせず、いっそ毅然としてくれたまえ――。


 たかだか二秒足らずの須臾に、想いは地吹雪よろしく巻き立つ。瞬間最大風速を、追える頭の回転もない。ただ感情の苛波(いらなみ)が、賢からんとする意も砕く。

 戸が閉まる。ああ憎たらしや無情の(くるる)。隠してくれるな少女の(かげ)を、隔ててくれるな我らの(あわい)を。


 見るな見るなと敢えて云うのは、むしろこれ見よがしにも等しい。左様の意図が有れ無かれ、受け取るほうを煽るであろう。

 かかった鍵を、俺は恨んだ。ここを開けねばならぬと思った。暴いてやらねば済まぬと思った。

 火の一太刀を抜き放ち、この戸をどろりと融かしてしまえば我が意はきっと果たされん。


 仰天つづきの動転しきり、我らの理性と冷静は、塁卵の危うきにあって久しい。

 俺は癋見(べしみ)の形相で、刀のつかに手をかけた。


 いたるところに亀裂が走り、大地の悲鳴を聴くに合わせて粉がぱらぱら降ってくる。ここはまことに、もう長くない。ゆえに千歳も千歳で必死だ。ぎゃあぎゃあ云って俺をったり、あわやこの腕()げんばかりに早く来いとの地曳網じびきあみ


 しかしてまさに次の瞬間。

 いい加減にしろ馬鹿となど、千歳怒鳴りしその時である。なかば発狂気味の我らを釣竿めいたものが捕らえた。否、釣竿より火箸(ひばし)であるか。ともかく、そうした類いのものが、ちょちょいと二人を引っぱり上げる。

 何ぞこれはと問おう間もなし。わずかな浮遊感が(のち)、布団のごときに受け止められた。


「――火鶏彦っ!?」

 巨鳥が我らを(はし)で摘まんで、その背中に(ほう)ったのであった。


 すぐさま転げ落ちぬよう、どうにか羽にしがみ付く。火鶏彦は疾走している。例にもよって優駿のほど、恐るべきかな赤兎(せきと)顔負け。またも甲斐なく落ちんとするに、前肢で我らを器用に抱えてそのまま廊下を駆けてゆく。

 いわゆる二方荒神これなり。よく分からぬが助かったとて、千歳と俺は目を見合わせた。


 建屋はいよいよ崩壊してくる。壁はひしゃげて床も皹割(ひびわ)れ。すると背後の二十メートル、ものの砕ける音が弾けた。


 はっとして俺は振り返る。

 視覚は惨たらしきの限りで、我が心胆を凍てつかしめた。景色は何より雄弁である。

 そこでは大怪獣の尾が、かの部屋をぐしゃぐしゃに突き破っていたのだ。


 親愛なる桧取沢歓奈の、居どころであった。

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