第四七話 『黒き憑神』
前回までのあらすじ:
横浜を見事脱出し、湘南新宿ラインに飛び乗った衛介たち。
鹵獲物によって敵対した式神の名が暗桐葉と知れ、またその黒幕を突き止めるために風麻呂が密偵に遣わされる。
新宿では謎の三味線奏者らと出会い、しばしの休憩を喫した衛介だったが、祐也からの電話により、はや束の間の平穏をも暗雲が覆う。
曰く、本隊で行動する飛鳥に一大事があったとのことだが――。
一
救急車に似た号笛が、夜の道路に疾呼する。
自らの一生懸命を喧伝する音であった。我らはめっぽう急いている、つまりその挙動に遠慮会釈の余裕など無い、とわめき散らすものであった。
世の習わしに従って、辺りのものは左へ避ける。おのずと空いた右の車線を、分厚い鉄板をごつごつに着込んだ車両が突き抜けて行く。
首都高速五号池袋線。
PIRO関東支部、その本隊は、南下する正体不明の怪異を相手に追跡戦を展開していた。なお以下は、今しがた祐也の陳ぜし報告と、無線履歴の転送を元にして記すものである。
「――歓奈、レーダー確認して」運転手の鹿ヶ谷支局長が鋭い指示を下した。
「距離四〇メートル、十時の方向。目標の進路に変化なしッ。このまま前進してください」
助手席より桧取沢嬢の声が飛ぶと、更なる乱暴さをも隠さず右脚が踏み込まれる。顎を引いた支局長の気勢に乗ずるふうにして、車は獣のごとく唸った。
しかして彼女の睨みし先に『東京都』『板橋区』それぞれの看板がある。まだ目標は、その先にいた。
「もう県境……このままだとまた、引き離されちゃうか。予定よりだいぶ早いけれど歓奈、お願い」
言下になおかつ峻険に、桧取沢嬢はうなずいた。
嬢が操作棒を弄ると、天井板は帆立のように、空へむかって口を開く。そこを素早く這い出すと、走る車体に屹然として彼女は仁王立ちをした。
時速七〇キロのもと、橙色の街灯光が彗星めいて頭上を飛びゆく。目尻をじわり引き閉じて、その両耳にはびうと聴く、夜気の絶えなく流るるを。
「願い奉る。我をしてこの式神を遣わしめ、以ちて、荒ぶる妖を祓わせ給えッ」
身を打つ飆々たる烈風に、竜尾のごとくたなびく黒髪。「――出でよ。急々如律令!」
青あざやかにはじけた木気は、刹那まばゆき閃光と化す。それがたちまち赤く変わると、闇夜をかきやぶいて飛んだ。
砲丸よろしく跳躍せしは、可憐な乙女の図体ではない。炎をまとって地を駆ける、むくつけな巨鳥のそれである。
式神・火鶏彦は、主人をその背に跨らせたまま深紅の放物線を描いた。軍馬のごとき体躯が着弾すると、砕けた車道の破片をさえも知らじと散らして疾走しだす。
まさに転げんばかりの猛進。夜にかまわず雄鳥は鳴き、先行車両を避わし、跳び越し、かの標的を追いかけてゆく。恐るべきその強脚こそは全く以て化け物であった。
捨て置きがたき寒心が、千歳の脳裡を去来する。
走る鋼の塊が空と擦れていなないている。飛鳥と並んだ後部座席で、女は身の毛を弥立たせていた。
「どうすんですか、あたしらは」
「どうって。このまま追うだけよ」
桧取沢嬢による先行の意図するところは威力偵察にあった。討伐ないし捕獲はもちろん最たる目的であるが、忘るべからず、相手は未確認動体なのだ。
何奴かもわからぬものを、無策で全力攻撃するなぞ作戦上あるべき筈はない。
ひとまず大きな音と光で、対象にこちらの存在を報知する。首尾よく注意をこちらに向けて、移動を止めさせ得れば儲け物との計であった。
――ただし千歳の心配は、これと掠りもせぬ箇所にあり。
「“あれ”の動きは、どうも不自然。こっちと初めに接近する前、川越方面を経由して来てる」
「川越?」
「このへんからだと大体北西。北陸支局の伝令どおり新潟以北から来たにしても、最短距離でじゃないみたいね」
「そりゃ相手が妖怪なんだったても、意味わかんなくて飛び回ってるとか。割と悪気は無かったり? ……ちょっかいなんか出さないで帰った方が」
運転席まで身を乗り出して、千歳は切にそう云った。すると妖気レーダーを睨みつ、支局長がぴしゃり一蹴。
「まさか野良猫じゃあるまいし、安全とは見做しかねるわ」と。
塵も灰もつかぬ口ぶりは、すなわち作戦の断行を宣言していた。
宵より黒き千歳の瞳がにわかに異存の色をなす。ところが支局長ときては、さも当然のごとく彼女に眼を合わさず、鏡ごしの後部座席をのみ瞥見した。
そこにぐったりとして居たるは、雨をしとどにかぶりしごとき頬白の少女である。
「飛鳥が、こんな状態なのに……?」
女はついにわなわな震えて、言葉も選ばず激昂をした。「アタマおかしいッてば、こんなの!」
飛鳥のわずかに呻くほか、声の挙がらぬ時が続いた。ものの見事の黙りである。されど車のさらなる加速が、ごく一応の返事といえた。
斯くなる上はと舌打ち一つ、拳をごきごきいわせる千歳。
これをば見るに見かねたか、かひゅうかひゅうと蚊の鳴くように、やっと飛鳥が言葉を発す。
「ちぃちゃん。うち、へっちゃらだから。こんくらい、多分すぐ治るから……」
「絶対うそ! 変だから。ありえないから。
もう汗とかいうレベルじゃないし、ゾワゾワしちゃってさ、てかこの出てんのってまさか」
「ち、ちが……ア……痛ッ。わかんないんだよ、うちにも」
「ねえ支局長ォ、これ見てなんも思わないわけ!?」
「思わないわけ無いでしょう。千歳、冷静に考えなさい」
そもそもこの現状は何ぞや。一体全体飛鳥の身には、何が起こって斯くなりぬるか。
起こり始めは明らかだった。狭域のレーダーが対象をとらえし先程のこと。またも、何ら前触れなくして彼女が頭痛を訴えたのだ。
敵との距離が縮むにつれて、その症状は加速度的に悪化の一途を辿っていった。過去最酷の重篤である。苦悶に歪む幼き面相、狂おしくも痛ましく哭く。眼からは涙が滔々流れ、細き五体のいずこに湛えん、脂汗がたらたらと落つ。
斯くの容態既にして、三〇分も前より続く。痛い痛いと云うばかり、可哀相なるその心身は着々として摩耗した。
なるほど千歳のむきになるとて、げに無理からぬ有り様である。
ところが喘ぐ飛鳥をよそに、支局長はこう語る。
「その“持病”に、もしかすると手がかりがあるかも知れない。そう言ってるの」
「はあ?」
「私、前にもしなかった? 飛鳥ちゃんの頭痛が何らかの怪異に因ってる可能性は、無視できないって話」
過去に彼女が発作したのは、主として以下に挙げる通り。
まず五月、八咫烏の封印が解かれし折。次に六月、「かむなび」の祀る神に関して言及をせし折。ほかにも無くはなかったけれども、訝しきことの尚大なるは概ねこれら二回に尽きよう。
「これを偶然だと見過ごすほど、私はトーシロじゃないのよ。いわば事件は、一連の“くちなわ”」
「じゃあ今追っかけてる妖怪には……?」
「甲府の件にも繋がる何かが、きっと隠されているはず」
その物言いは速からず、けれども力強かった。
千歳はぐくっと歯ぎしりすると、不平不満を理性に埋めてようやく二ノ句を絞り出す。
「もしものことが飛鳥にあったら、あたしソッコー訴えるから」と。
念の入ったる憎まれ口だが、千歳というのは斯様の女だ。邪悪の魂胆なぞ無いくせに、ものごと一言罵らなくてはてんで気が済まない質である。鹿ヶ谷氏とてそうと知ってか、ちんともかんとも応じなかった。
そこに折柄があがあと、戦局告ぐる無線あり。
『こちら桧取沢歓奈、目標を視認。怪異と見られる生物が前方を飛行中』
「こちら本隊、了解。目標の種別は?」
『大まかな形状より、竜蛇の一種と推定』
「威嚇射撃、および丹塗矢の使用を許可。あれの注意をひきつけて!」
『――作戦行動を開始します』
本隊車のゆく遥か先、猛然と駆ける火鶏彦の背を両腿にがっしり挟み、嬢は負ったる箙のうちから緋色の矢をば引き抜いた。
丹塗矢『火雷』。
これは彼女の新兵装だ。その身に宿した木行の気より稲妻の力を導き、矢の飛ぶところに巨大な光と熱とを炸裂させるのである。
手にした弓にこれをつがえて震えんばかりに張りつめる。次に彼女の息つくころには、火雷は夜空の彼方。
ぽおう、と蟇目の鳴くが早いか、厳つ神々吼えるも斯くやというべき電霆が走った。
車窓正面の真昼よろしく照る刹那を、千歳らは見る。荒川に架けられた橋をようやく渡りきる頃合であった。
「うあ……何っ、あ……音……音が」
「飛鳥、大丈夫。今のやつは歓奈ちゃんが。だから落ち着いて」
「んんん!」
千歳は友を抱き寄せた。
吹き出す汗を拭いつつも伝わりくるものがある。うち震える少女の身から、体温などとは異なるものがぞわぞわとして湧き出している。
黒く禍々しき妖気であった。
恐怖、不可解。憂懼、不条理。千歳の心裡を席捲せしはおおよそ斯様の意であろう。飛鳥の喘げば喘ぐほど、かえってきつく抱きしめた。脂汗がずぶずぶ染みるとも、もはや問題にだにせず。
「悔しいけどさ、あたってる。支局長の云う通り、こんなのヒャクパー怪異だよ」
「ちぃちゃ……もしうちが、ほんとに憑かれちゃったりしてたら、うちのこと嫌いになる?」
「んなわけ。あたしが助けるっての」
その微笑みは撫ぜるがごとく、後の言葉は唾するごとし。「そいつは絶対追っ払う」
『再び目標を視認。こちらに気が付いたようです』
「進路を変えてるわね。歓奈、河川敷まで誘導できる?」
『やってみます』
荒川の土手目掛けて再び丹塗矢が射られた。轟音を以て驚かせ、反対側に誘い込まんとの算段であろう。――そして再び閃光爆ぜる。
ところが、レーダーの示せしは予期せぬ不首尾であった。
しょせん畜生と高を括りし結果か。
『想定外の行動に出ました。挑発に乗ってきません……!』
露骨を極むる嬢の動揺。『……目標、正体不明の気波を放出! 注意してくださ――』
しかのみならず無線も途切れて、運びをいよいよ大凶と成す。
「歓奈、どういうこと?」
「ねえちょっ……――前ェ!」
「え」
追突寸前急停止、車輪がぎいと悲鳴をあげた。
しかして物理法則が、後部座席の二人の体を毫の容赦もなく衝いた。
後頭骨が打ちつけられて、千歳は思わず「あがっ」と叫ぶ。すわ命運すら間一髪だ。地獄を一丁走りぬけ、彼女はその目を不格好にもぎょろぎょろさせて辺りを見回す。
「信じらんない。こうなるの読めないとか、やっぱトーシロじゃんッ」
「……都市部に行かせまいと焦るあまり。今回は始末書が増えそうね」
前方の道路が破壊されるとともに、玉突き事故が起こったようであった。
しかし云い方は悪いが、千歳にとって交通被害それ自体は大きな問題ではなかったやも知れぬ。何を隠そう異変の中核はその腕中にこそあったのだから。
散々続いた頭痛に加わる急ブレーキの追い打ちが、とうとう飛鳥の意識の糸を断っていた。
引き換え、“それ”は解き放たれたのである。
主の眠った隙を突き、これを乗っ取る憑神が。それぞ“持病”の正体だ。
娘は奇怪な声音を発し、漆黒の気をくまなく鎧ってまさしく物ノ怪にやつした。千歳はその手をほどかず居たが、引き締まったる肢体が暴れてしっちゃかめっちゃか振り払う。
「――ええッ嘘、待って飛鳥、駄目!」
事を別言するなれば、全ては手遅れだったと云える。
今の今まで飛鳥なりしは物狂いして手足を奮った。すると横手の扉を蹴りつけ窓を砕くや表へ飛び出る。あまり妄りな挙動ゆえ、硝子に擦って血もしぶく。
ここに何が勃発せしか、千歳もよくは解せなんだろう。
一切の理は斯くて排せられ、魔が時もたけなわに至れり。
少女の体が夜空へと発つ。内に目覚めし憑神に、鞭を打たれて駆らるるままに。さながら鬼の傀儡に同じ。
禍つ風のほのかに寄越す、生暖かき友の残り香。
場にはとうとう何も無い。ただ、あわれなる事故車の目茶目茶にしてあるのみ。
「あす……か……」失意は一雫となって、つうと千歳の頬を伝う。
ここより怪しき影二つ、新宿めがけて進み始めた。




