第四六話 『新宿西口三味三昧』
前回までのあらすじ:
横浜駅屋上を舞台に展開する、衛介対髪切の決戦。
突如鳴り響く着信音に集中を削がれた衛介は劣勢に追い込まれるも、密かに編み出した必殺技を放ち反撃に転じる。一進一退の攻防が続くなか衛介は卜部姉妹を逃がし、式神たちの猛援護もあって遂に髪切を倒す。
その拍子はあわや屋上より転落かとも思われたが、凛の式神・風麻呂が、これをすんでの所で救助。そのままに電車に放り込まれて、満身創痍になりつつも生還を果たす衛介なのであった。
一
蓋し、勝って兜の緒を締めよとぞ。
ゆくりなき兇刃の襲来を、愛刀と味方らの奮戦が辛くも退けた。勝利の実感こそ無けれ、みじめに黄泉へと滑落せずには、どうやら済んだようなのである。
だが祝うには到底早い。何せ件の顛末なんぞ、当初期したる目途においては予定外であったのだから。余儀なくされし我が消耗は、先無かりせば、およそ生ずまじきものであった。
大目的を達すべくは、手負いの身体が前途いかほどに奮えるか案ぜねばならなかった。且つ、未だ必ずしも祟り神の底力を見積もり敢えずにあった。
この先いかに動いたものか。
裕也からの報せによると、本隊は埼玉県戸田市郊外で目標との最接近を果たしている。
ところが接触秒読みの折にこの標的は急加速、なおも進路を据え置きにしてますます驀進中とのことだ。敵とは未だ見えぬままに、一方的追跡が長引いているらしかった。
当列車は渋谷・新宿を経由して宇都宮まで走るものである。本隊との合流を図る以上、ゆめゆめ行き違いはすまい。友はひとまず新宿で下車せよとの指示を寄越した。的確なるかな、諸線路がこれでもかと乗り入れているから、交通の便が多岐に図れよう。
「卜部さん。あと何駅です。もう、着きますでしょか」
俺は優先席にてぐったりとしていた。
逸る気持は尚あるけれども、我が肉体はこの無聊を随分喜んでいた。溜め息混じりに腰を深くすれば、あちこちの怪我が自らの苦を棘々と主張してくる。なかんずく右肩の刺傷は苛辣であった。
五体を走る妖気の流れがどうにか疼きを鈍らせている。本来ならば今ここで、泣かんばかりの痛楚があっても全く以て不思議でない。
妖気は戦の糧と云うべし。また当職の命綱とさえ、云えども過言これ有るべからず。しかし力の過ぎたるは、なお及ばざるがごときもの。予々のことなれば、斯かる鬼胎は卜部氏の念頭にわだかまっていよう。
「あまり心を急かすでないわ。今休まいで、いつに休むか」
言葉尻をやや弱めつつ、彼女は真摯に吾人を叱る。「――生きて戻り給うたのみしも、妾は感謝にむせぶところよ。ぬしは御父上に似てか、とかく蛮勇気質が過ぎる」
差し詰め、上述したるがごとし。
血みどろ、ずたぼろの我が身であった。これを人目から庇わんと、卜部姉妹は眼前に立ってくれていた。
尤も二人がまとう小袖は、褻のものながら艶やかである。余分に目立っているやもしれぬが、斯くなる上は気にすまい。唯々として、今は彼女らの厚意に謝するのみか。
また一つ歎声が漏れていた。
緒戦を深く省みるに、あれは開幕から諸々の粗にまみれていたかも知れぬ。
まず、敵の視線が如何様であったか。吾人はあれを「遠山の目付」などと評したが、早速ここに誤謬があろう。
時に鋭く睨むようでいて、常はぼやりと掴み所無く、その焦点をどこに結んでいるやらちっとも読み取れなかった。このからくりの正体は、鳥類が持つ瞬膜という第二の目蓋に他ならない。
これは眼球と目蓋の間に発達した、半透明の器官である。目玉を塵などから守るため、反射的かつ連続的に開け閉てを繰りかえすよう出来ているのだ。
これがぱちくりした日には、視線の運びを伺い知るなぞ、そもそも困難なるわけである。
今賢しらに斯く語るとて、ここぞの時に活きぬようでは片腹痛き無益の限りだ。千歳が小鳥を拾いし折に、動物図鑑で読んだのである。知識を得たるも只たまさかであった。
これをもう寸分早くに思い出せれば、まだ戦局は違ったろうか。何も、おおわらわに火焔をばら撒かずとも遣りようを見出せなかったか。
当然、廉は然のみにあるまい。
着信音の一つごときで、いとも容易く寸断されし集中もとい精神力。
始めにこれを呪うべし。脆弱きわまる我が肝玉の、何を以てか漢を謳わん。この身の程や知るが良し、狩りをするにも剣を振るにも俺は不向きにてあろうと。
「……俺ァとんだへなちょこで」
下唇をぎりりと噛んで、拳は膝を幾度も打った。悔し涙は湧かれなかったが、さまらばれとの裕かさも無い。
「っと! 時に、衛介さん。例のお電話といいますのは、どなたがお掛けの沙汰でしたのかね?」
努めて調子を明らめながら、莉央がにわかに問うてきた。
気を使わせてすまなく思う。こんなことではきっといけない。斯くも吾人が気弱にあっては、浮かびの瀬なぞいずこに望まん。締まりの甘い兜の緒をば、絞るつもりで面を上げる。
寸秒のちに俺は答えた。
「わからんこった。非通知だ」
「その、局に残ったお友達の方とかでは。もしくはPIRO関係ですとか」
「裕也か。いいや、違わいな。あいつは非通知なんかにゃせんし、短けえ用事はメールで済ます。ほかのPIRO周りってえと……」
心当たりは無きにしもあらず。清原君たち東北支部が、弥が上にも涌き出る苦情をぶつけてこぬとは限らない。
このほか関わるところを挙げれば、それこそ本部の榊くらいだ。秘書の某だったかは顔合わせをした程度であるし、直の連絡なぞ来まい。第一いずれも急遽に過ぎる。ことには脈絡というのがあろう。
関係無く且つ他意無き電話も、確かにありえぬことでない。しかしどうにも合点を得たく、邪推ばかりが湧いている。己の翼々たるも然れど、やはり何かが引っ掛かるのだ。
――忌々しき悪意の影が、見えざる糸を引いてはいまいか、と。
思案はこれぎり捗らず。
莉央は「やはり」とだけ云った。
「発信元を誰とせんにも、結界の弱みについては我々に抜かりがあった」
そこばくの間をおいて後、次に語り出せるは姉君。
曰く結界破りの法も、幾つか存在するそうな。例えば微弱な部類のそれは、異物の一つも持ち込むことで容易く搔き壊すことが可能だ。
いっぽう「金剛結界」なんど程度の強力無比なるそれは、さるべき手段を以てせずんば到底破れぬものである。無論その手の護符であるとか、左様の秘術であるとかは、調達するだに厄介にして起動をするのはなお手間である。
けれどもひとえに“破る”のだけが対結界の術ではない。
特に内部への干渉のみを目的としたならば、この時世それは赤子の腕を捻るに同じ。結界とは物質の壁にあらず。つまり機械や電波にかかれば、難無くすり抜けられるというのだ。
「――意図せしところであれなかれ、電話はまさしくその筆頭じゃ。あわれ、呪術ここに科学の後塵を拝するか」
だから何だと云えばそれまで。
やや身を乗り出し聴きたる俺は、腕組みをして再び凭れた。暗き車窓に頭が打たれ、ごっつんことて一つ鳴る。吊革はただ無意味に揺れていた。
「私どもの業界も、とうとう電子戦の時代になってまいりましたね」
「たかが携帯されど携帯。この趨勢は、露骨よのう」
「私だって携帯電話が欲しゅう」
「うっ……考えねばな、ぼちぼち」
「また姉様はそういう風に、随分先に伸ばすのですね。下宿するにも思った以上、不便を感じているのに」
少々ばかり首をすくめてその姉君はヤレと嘆じた。
以上がこたびの反省会だ。
仄かな疑懼は拭われずして、我が安からぬ気色を燻す。
引き返されざる往路はなおも、特別快速にて進む。次は新宿お出口は右側です――鼻に掛かった女の声が、渋谷を発ったことを告げている。
寝たら良いにと卜部氏は云う。
後一駅ではありますまいかと右掌をひらひらやって、いささか俺はふざけを見せた。氏がその頬をぷくぷくさせると莉央はまあまあとて諌む。微笑ましき姉妹の姿である。
眠るつもりは毛頭無きなり。……けれども、この心象は何ぞや?
瞳の奥のさらなる裏に、あるいは深き脳裡の底に、杳々たる得体をもやくらせて羽休めを乞うものが在る。これに抗う心も立たず、逸る気持を渋々させつつ俺の瞼は閉じていた。
なるほどこれは快い。骨肉巡る気の流れさえ、僅かに和みを喫したようだ。
強がりなんぞ徒事と悟れば、しばしこのまま甘受せんかな。
二
今来幾度となく目の当たりにしてきた式神という存在は、厳密に称せば「悪業罰示式神」に分類される者たちである。
かつて悪さをした大小の鬼神が、人の手により降伏を受け、眷属たらしめられているのだ。
陰陽師は対象の身体より一部を採ってその形代とし、これに呪力を封じ込む。名付けもここに行われ、式札にはその号が書かれる。よって常世に身を置きつつも、式神としての魂だけは此岸に常時縛られる。
以上を契の儀と為して、主従関係が成り立つのである。
「ヤ、でもでも、あの髪切に関しちゃね。さすがにくたばったでしょうや」
俺は冷や水を呷って云う。
客足掃けし歩廊の隅にて我らは夜風に当たって居った。
金を払って水を買うなぞ、常はすまいがすこぶる旨い。駆けて、怒鳴って、死闘を制して、遂にありつく潤いである。三千世界の極楽利益を一気に飲み下す心地だ。
筆舌尽くしがたき蘇生感は、ぷはあと吐息になってこぼれた。「何せあんな高さです。ざまァ見さらせってなもんだ」
ところが卜部の姉君は、呆れたふうに首をかしげて
「くたばるとな。この期に及びて尚もおぬしは、あれを殺したつもりでおるのか」と。
「ええ。……ぇえ? おかしいですかい」
この拝み屋が何を云うのか、どうも俺には一寸解らぬ。ただし隣の莉央につけてもヤレヤレという面持だから、俺は喋るのを止めてしまった。
「あの手合いのしぶとさを、ゆめゆめ見くびるではないぞ。且つ恐らくは」
氏は式札を取り出して、ひらり振るいながらに語る。「奴も三下の式神ではなかろうて」
ぼうんと煙が上がるとともに、現れたのは風麻呂である。
戦の掉尾を飾ったうえに、髪切を地に蹴落とせし、勇ましきかな天狗様。もはや頭の上がらぬ相手だ。
風麻呂は、くしゅくしゅの赤黒い札をその主人に差し出した。蚯蚓ののたくるようだけれども、何やら文字が記されている。彼女はこれをやはりと凝視し、物思わしげに読み上げた。
「暗桐葉」――あの髪切が式神として、号するところであるらしい。
「罰示式の息の根を止めることは、無論不可能ではない。されど形代を健在としては、たとえその肉を八裂きにすれど詮無きこと。
奴の主を潰さぬ限り、明く埒とても明くまいぞかし」
「……こいつはいよいよ、滅入っちまわあ」
あれほど手荒くやって尚、その場凌ぎが精々だとは。
式神の恐ろしさについては認識を改めねばならぬ。味方とするに頼もしくとも、敵に回せば蒙古高句麗か。
げに「かむなび」を相手取るとは、その数知れぬ妖術使いと寇することに同じと知るべし。辛くも得にしこの白星を、絶やすまじくは如何せん。
「拾い得たるは目下これのみ。遣わし手の尻尾まで掴むべかりしかども、あたら叶わずに候えば」
腸詰めにも似た鶏冠を揺らして、天狗は小首を横に振る。
「でかしゃった。かんばしき収穫よ」
「かたじけなし。未だ誉まるるには及ばざるかな」
「左様かや。なれば、引続きそちに密偵を頼んでは手間かのう?」
「いかでか吝かに候べき。必ずや曲者の出所を探り当て申さんッ」
「あっぱれ、殊勝の至りじゃわいの。気を引き締めて行って参れよ」
天狗は颯と羽振って発つや、まもなく夜景の彼方に消えた。鳥特有の残り香が、この嗅覚をじとりと撫でる。それも血肉を喫すらしき猛禽の臭いであった。
謝辞の一つも述べ敢えずして見送るままに吾曰く、
「毎度、鷹匠さながらですな卜部さん。で以て何かしら手掛かりでも?」と。
「否……心当たりと云うか。尤も詳しく話すべきは、風麻呂の戻ってからじゃな。
さても衛介、ぬしに於いてはもっと己を労るが良い」
「沢山ですぜよ、座ってるのは。なるほど満身創痍じゃあるが、今に裕也から次の指示が来ます。どう出るにせよ交通経路はよくよく確認しとかなくっちゃ」
「つべこべ申さずついて来ぬか。ぬしの死活を別つことじゃぞ」
下駄をひときわ齷齪させて、氏はかこかこと歩み始めた。
果たして今度は何だと云うのか。せわしさはこれを好まざる、我が性分であるに。
三
彼女の強いて導くままに、一行は改札を罷り出ていた。
しかし難儀はここにもあって、吾人は再三の屈託を蒙ってしまったものだ。立ちはだかりしは運賃である。元より貧しき懐なれば、俺はまさしく螻蛄になった。
どうせ切符を切らずの飛び入り乗車なのである。煙管で済ませば良かりしか、と邪念するのは五分ほど経って後のことであった。
それにつけても東京は、どこもかしこも目まぐるしい。
吾人高砂衛介は生まれも育ちも横浜である。相州きっての大里これすなわち万邑の長なり、とは生来信じて疑わなかった。ここ幾年かは新幹線に乗るとかを以てその実を悟ったつもりでいたが、いざこの脚で降り立ち見れば、摩天楼は百聞を如かじとて絶す。
新宿西口、小田急駅前。
耳にも慣れぬ異言語なるやら珍々無類の音楽なるやら、相飛び交うはひっきりなくして人波ともに雲霞のごとし。
「ひィ、滲みる滲みる。もう嫌でさ、早いところ済まして下せえよ」
「何ぞ、びいびい騒ぎおって。それでもぬしは丈夫か?」
「アイッ……! 痛ててて」
氏が構内の小さな薬局にて買ったのは、至極普通の消毒薬である。
これしきの傷ごとき唾を付けおけば治ろう――と云いたきところであるけれども、そうは問屋が卸さぬらしい。
不思議の由は一つも無かった。畜生どもの爪牙には、善悪玉を問わず数多の微生物が巣食っている。異世界の黴菌が人体におよぼす影響など、推しては計り知り得ぬところだ。
応急的な措置といえども、なるほど施さざるべくはなし。然りとて痛いものは痛い。斯かるひりひりした刺激はひどく鈍らせ難いのである。
踞む吾人の背の傷に、彼女は綿紗を当てていた。
「衛介さんはマキロンに弱い……と、メモメモ。
しっかし姉様にしたって、こんな所でお恥ずかしいこと。私ゃ他人のふりしてますね」
「なっ、なな、何が! 夜の路上に、男を上裸ならしめては然もまずいかえっ」
「お解りのようで一安心」
「拠所なくやっとるのじゃぞ! あの、その、背に腹は!」
背後にて、黄色い声音を上ぐる姉君。消毒液を湛えた綿紗がごしごしとして擦り付けられた。
「ハギャーッ!」
「どうした衛介?!」
――どうもこうもあるものか。
我らは晒し者であろう。痛みと赤っ恥に堪えずして両目を瞑ってこそいるが、好奇と嘲笑の視線がこの駅前を徂徠しようとは想像するに容易であった。
公衆の面前にて、女郎と高校生が不純異性交遊を! ……などと讒訴をする輩が居てもみよ。やんぬるかな、此度こそ本当にお縄である。
「あっ、あすこ。お巡りさんが来られてますね」
我々からは五歩も離れて、莉央が何処かを指さし云った。
「おしめえだ。遂にこの日が来ちまった」
「……いえ。不幸中の幸いですかね、どなたもこちらを気にしちゃいません。因みに云えば、お巡りさんさえ」
ううんと娘は唸って云うや、今度はうんと背伸びして、その八方を回視している。踵が下駄から浮くごとに、払子によく似た二つ結びはそれぞれ小躍りしてみせた。「衛介さんもいい加減、ちゃんと周りを見て下さいね」
おや、と俺は頭をもたげた。
黒山の人だかりが蠢く向こうで、何やら快音が奏でられている。
てけてんてけてん、じゃんじゃかじゃん、と。軽妙なる和楽の調べが、雑踏の人々から耳目をすっかり絡め取っていた。いかにも、先程より聞こえたるはこれであったか。
「津軽三味線のようじゃの」
「えっ、もしやあの方たち……」
「路上ライブっつうやつかい。ははァ、ここらは多そうですわな」この機に乗じていそいそと、血の干からびた黒シャツを被る。
大人しくさえして居れば、喫緊的の危難はあるまい。胸を撫で下ろすに代えて、いささか温んだ水の残りを一口のもとに飲みほした。
熱帯夜をば予感せしむる、実に蒸暑の時分といえる。
人多ければ車も多く、千万の明かりに照らされし新宿。そうした街に爽然として、歴史の遺薫や伝統の堆積をこよなく帯びた音色が流れる。風雅なるかなこの呂律。これを、我が琴線はやけに好ましく感受した。
「はーい、遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よゥ!」
どうやら一曲を終えたらしく、三味の奏者は鶯のごとき声を放っている。「――さぁさぁノッて参りましたァ、新宿西口『じょんがらゲリラ』! 曲はまだまだ御座います、皆のお耳をちょいと拝借」
「イヨーッ。姉御、今日もいかすッ」
「ヨッ、かっけえべ! 俺たちゃここで聴いてっぞ」
果たして彼らは追っかけか、あるいは偽客の類いであるか。毬栗坊主の瓜二つがひときわ囂しく囃し立てている。
聴衆の軽い拍手がこれを追った。
それにつけても昨今の和楽公演というやつは、案に違って口上が派手だ。なるほど斯くなる時世にあれば、伝統音楽への逆風とは小さからぬであろう。努めて“ロック”の風味を加え、耳垢まみれの現代人にも親しみ易くしたわけである。
中々これは嫌いでなくて、むしろ吾人好みと云えよう。
――しかし浮世はままならぬかな。月に叢雲、花に風。
先刻より立ち居し巡査、拡声器越しに斯く宣いき。
『無許可による公道使用、騒音行為は禁止です。ただちに演奏を中止して下さい。ご協力お願いします』
つくづく好事は魔多きばかりか。
大概はこんなもの無許可にてやっていように。集客が多少も良くなり出すと、見計らったごとくこの様である。
まあ、道理は解せなくもない。ここまで人がわんさかしては、確かに迷惑とて頷ける。しかるに大人の事情と云えば、万事、砂を噛むようである。
ごった返せし喧騒は三々五々に退いていった。
「ありゃまあ何だ、可哀想にな。折角盛り上がってたとこで」
「ええと……衛介さんのお知り合いでは」
「誰がよ」
「あの方々ですね」
「ンゥ?」
人々は依然として通りを流れてゆくも、今やその景色は随分に別物である。いくばくも広々とした駅前に、佇みたるは我々のほか、三味線弾きと二人の偽客が在るのみであった。
陰陽師の言葉とは時たまよく解らぬものだ。
何を云いやがる、と俺は一笑に付す。
三味の奏者は妙齢の女であった。
しゅうと締まったジーンズ・パンツと薄手のブラウスを纏っている。立居は柳めいており、馬素を思わす後髪も負けず劣らず細長い。また人良さげなその両目さえ、げに横糸のごとくある。
見るからに、毬栗二人は双子であろうか。背丈の低き少年である。彼らは少々あたふたしつつ、マイクなど諸々の機材を片付けている。これでは偽客というよりも、下男や舎弟と称せよう。
「――マジ、すまねっす。ここァ駄目らしいので、俺ら移動します」
その片割れが声を掛けてきたのは、間も無くしてのことである。「次は新大久保の方さ行ぐんで、もし良かったら聴き来て下さいっす」
「こぉら、徹平。ご迷惑なこと云わない」
当方から返事が飛ぶ前に、糸目の女が口を挟んだ。
彼女は一つ会釈して、三味を仕舞った鞄を負う。よく見るハード・ケースであった。
「あいや……そいつは全然。何というか、お疲れさんです」
糞座りをしたままに、吾人は呆け面にて応える。もう片方の坊主頭が「さァせんした」と挨拶するや、彼らは素早く立ち去った。
行儀成ったるゲリラなりけり。
この潔さは是非習いたし。為さんとすれば全力に為し、止さんとすれば逡巡しない。我らも怪異と戦う上では、左様の気質を物にせねばならぬ。引き際の如何に重要なるかが、徐々に解ってきた気のしている今日この頃の吾人である。
「……」
ふとした刹那、不可解の静けさが身を撫ぜていた。
否、脳髄をというべきか。あるいは尚も語弊があろうか。第六感の覚えるところはどうにも曰く云いがたく、その言語化を試みる都度しっくりこずに物狂おしい。
小さからぬ“気”の遠ざかりを感じたのだ。むしろ今まですぐ側に、そんな気配が在ったというのを俺は知らずにいたのである。危険なものならばびくりとしそうなものであるが、一体これは何であろう。
はてなと沈思している間に、姉妹の雑談を耳に流す。
「面倒が起こらなくてよかったですね。衛介さんもトラブルメーカーさんですから」
「なんじゃ。その心や如何にぞ?」
「何故って、揉めてらっしゃるのでしょ、清原ナントカって東北支部のお方と」
莉央は矢庭にそう云った。
「話に脈絡が無えのな。どっからそこへ繋がんだい」
「すまんの。聞き流してやってたもれ」
「いいえ、私には分ります。いやしくも、“職人見習い”なんですから」
やはりこの娘はよく解らない。
「……おめえも不思議チャンだよなア」
莉央は少々むっとしていた。
姉妹揃って、膨れっ面は怖からぬようである。蓋し良いところが似ているのであるから、善しとしようではあるまいか。姉君と目を見合わせて、我が相好は呵々と崩れた。
そうこうしている折である。
我が腰元のポッケにて、ぴりりぴりりと電話がわめく。
今や大変嫌いな音だ。吾人は俄然どぎまぎしつつ、跳ねるがごとく立ち上がり、細めた眼をじわと開いて恐る恐るに画面を見やる。
ところが今度に限って云えば、この不穏は速やけき雲散を見た。
「おう裕也。わはは、何だお前かい」
『何だとは何だよ、緊急の報告だっつうのに……!』
鼻毛の抜けるほど待ち侘びたる、友からの電話である。
大いなる敵を討たんがため。悪報の因に決着をつけんがため。どうにかここまで渡って来られたことを、俺は内心に祝した。そして親友の声を聴き、これに安堵の膠を塗ったのであった。
しかし儚き安堵であった。
雲来末に人知及ばず。散りし小雲は雷がかり、以て巨大なる戦雲に化生したのである。
『上から指令で、至急一人回せって……まあいい衛介、今新宿だな? これから云うこと、とりま全部メモれ』
「上から? 『待機してろ』は聞かんぞ」
『バカ、んなヒマねーから電話してんだよッ。
いいか、事はこれ以上無くガチだ。本隊の移動中、東海林ちゃんが――』
「ッ……東海林の奴が、どうしやがったと」
友は指令の旨を述べた。
先にあれほど呷りし水を、すっかり冷汗に換えて流す。頬を掠めた刃の跡に、それが滲みれば逆棘となる。しこうして煽られしは我が寒心である。
ことほど左様に生傷は雄弁であった。




