第四四話 『孤軍、曇天に出づ』
前回までのあらすじ:
地下室にて衛介らが見たものは、本能と知性の堺で我を忘れるラプ太の姿であった。
気を揉む飛鳥と腹を立てる衛介、そして仲裁に入った千歳……それぞれの思惑は交差して、あげくのはてには喧嘩に発展。そんな中発令された緊急任務をうけて皆は出動していくが、莉央のもとに刀を預けていた衛介は待機を命じられる。
ところがその後ラプ太の言葉を受け、衛介は因縁の敵たる荒覇吐の再臨を察知。何としてでも任務に参戦すべく、まずは愛刀を受けとりに莉央の元へ向かうのであった。
しかしその矢先、突如茂みを飛び出して、彼に襲いかかった謎の怪異。その“刃”の正体とは――。
一
吾人高砂衛介は、命を懸けて往かねばならぬ。
しかるに今は逃げねばならぬ。前項の目的を達すべく、今この尻に帆をかけて。
――「斬られる」。
この感にはつくづく嫌な覚えがあった。
日ごろ刀を振るうといえども、当職これ剣客にあらず。
斬った張ったをしてきた敵手は、平家の落武者でも名うての剣道家でもない。知ってのとおり妖どもは、地を這うものや水に棲むもの、もちろん空を飛ぶものもいる。そのあり方は多様であるが、概して獣の範疇だった。
ゆえに一対一として、刃と刃を交えることなど、本来そうそう起こるまい。
いざ剣術にて勝負となれば、間違いなく分が悪かろう。そんな闘い方など知らぬし、もっとも技に心得がない。繰り返すが、俺は剣客ではないのである。
だがそのせいで、あわや討ち死にということが一度あったではないか。
秋田の温泉旅館にて。「かむなび」一味による夜襲の折だ。
矢庭にそこへ闖入し、暗がりを跳ねまわる影。そして闇間に爛々として、我が首を追う眼がぎょろり。
さてまた何より鮮烈なりしは――――。
光沢おどるその刹那、颯とたちまち空裂けり。
「ぃいッ?!」
瞬目すること否応もなし。反射神経おどろくまにまに、ひたすら頭を遠くへ逃がす。然りとて敵の刃が長く、その鋒に掠られる。
我が頬に入った一文字は、溝口から少なからぬ紅を滴らせた。
紫電一閃、かの斬撃も斯くのごとし。
万事が咄嗟であるからして、てんで理解は追い付かぬ。確かなことは一つだけ。この来客とは決して初対面でないのだ。
しかしこやつが何者かさえ、ついぞ判らず現在に至る。それもそのはず、辺りは暗い。かててくわえて敵は素早い。むしろまじまじ見捉えた時、それは最期の景色となろう。
飛び退きながらの俺は無様に叫んでいた。
景宗を持ったとて苦戦の強いらるる敵だ。いわんや素手では問題外。目下すべきは何としてでも、卜部家に赴くことである。
闘わずして敵を撒かねば。
遑無くして、企て浅し。伸るか反るかにならざるを得ぬ。
全関節に意識を注ぎ、着地衝撃を吸収す。これをすっかり反動と成し、我が双脚が地を蹴った。
「退きゃあがれッ」
――どすん!
気づけばこの肉弾は敵を撥ね飛ばしていた。瞬発力これすなわち暴力、まごうことなき我武者羅である。
蛙のような、烏のような、喧々たる鳴き声が一響。
まがりなりにも獣と知れる。それと同時に羽毛とよく似た、触り心地も思い出す。あの折のものと全く同じだ。
ゆえに、いっそう恐ろしかった。あれは単なる畜生にあらず、対人技術を持たしめられし、悪の刺客にほかなるまい。
俺は一心不乱に駆けつつ、左様の確信を得ていた。
徒競走とは我が得手である。
幼少より野を駆けずり回って得た筋骨であるから、持久力とて人後に落ちぬ。また今日この頃に至っては、五体に巡る火の妖力で、なおさらこれが増進している。
この走力を以てして、俺がどれほど逃げ果せよう?
……命運の活殺はここに掛かっているのであった。
敵はさきほど突き飛ばされて、塀か垣かにぶつかっていた。以降この目で見たではないが、多少の悶絶程度はあるべし。奴がこちらを追い始めるまで、何秒かでもあれば違おう。
今はひたぶる走るのみ。
己の息せき切る音と、夏の夜風の通い路の声。
ハアハアいえば、囂々聴こゆ。
背後が気になっては物狂おしいばかりであった。それでも確と承知している。振り返るまでの余裕は無しと。
目指すは横浜駅である。
敵の気配は遠からず。そうかと思えば近くもあらず。妖気の感から居ると分かるも、その距離、場所は捕捉し敢えず。
もうどのくらい駆けたであろうか。
街の明かりは絢爛にして、宵の帳を品無く散らす。四方八方十六方、忙しからぬ景色が無い。いつしか俺は駅前の人混みに飛び込んでいた。
「もしもし卜部さんですかぃ……いや、その声は」
東口近くの柱にもたれ、いそいそとして電話をかける。「――莉央ちゃんだな?」
もう心身はへとへとであった。
ひとたび立ち止まるや否や、歩める気さえしばし起こらぬ。沸きたつような疲労感である。そこで初めて我が汗だくの、白雨をくぐったがごときを知る。
莉央の呑気な声が聞こえた。
『息がお荒いことですね。女子と通話は興奮しますか』と。
「ッフ! ……どっこい、話は刀のこった。
生憎とんだ急用だよ。予定じゃ明日だったが、これから引き取り行くぞ」
『すぐにですね?』
「おおそうだ、今横浜から電車乗る。すまんがちょいと家に居てくれ」
『いえ、すみません。私ら、今もう出掛けてしまっておりましてね』
「ん、んわあ……」
南無三、南無三、無念かな。
既に勝負は詰でありしか。
痛悔するほか能うこと無し。
不用意のまま飛び出す前に、確かめておけば良かったものを。どうせ追手は妖怪だから、事務所の中には這入って来られぬ。卜部氏の張りし結界も、せっかく役立つところであったに。
『では頑張ってて下さいましね。一寸延びれば尋延びる、です!』
――かくて電話はぷつりと切れた。
莉央が薄情なのではあるまい。彼女は事態を知るべくもない。吾人が罷り間違った。自業自得と云わずば如何。
すわこそ、怪しの気が近い。第六感はそう告げていた。
なるほど敵にはじき見つかろう。上手く潜んでいたのでもなく、声を殺していたでもないのだ。
これから一体どうしたものか?
……否、恐らく妙法は無い。なまじ駅まで逃れて来たが、電車や何やで逃走するにも、無事には乗降すらできぬ。
気配がいっそう強まってきた。遂に嗅ぎつけられたと見える。上ぐべきものは血煙か、万が一にも鬨の声か。破れかぶれになんなんとして、俺は再び駆け出した。
糞が糞がと詮無く唱え、よろよろしつつ構内へ。ここはなにぶん迷路がごとくて、隠れん坊によく向いている。
すぐ後の往来から絶叫がはじけていた。
断末魔ではなさそうである。奇怪なものを目の前に、びっくり仰天する声だろう。道行く人が次々と、角笛となり敵襲を告ぐ。孤軍は窮鼠の心地を知った。
盲滅法逃走するなぞ、きっとはなから無茶だったのだ。
鍵でもかけて籠っていたい。これが被食者の本能なるべし。人の波をば突き抜けて、公衆便所にまっしぐら。考えたとて無駄である。もはや何をか慮らん。
だが体力も限界だった。「――っ!!」
俺はとうとう足をもつらせ、便所の床にすっ転がった。不潔に湿るタイル張り。倒るるままに横滑りして、奥の壁まで一直激突。
「がっは…………あぇッ……」
自分自身の速力が、背の骨肉を打ちのめす。哀れなまでにのたうち回り、足元からはバケツが飛んだ。
驚くなかれ次の瞬間。
吾が蹴飛ばせしポリバケツは、その空中にて両断された。さながら手品に似たるかな。二尺ほどある散髪鋏に、綺麗にぶったぎられたのである。
それの無惨に落ちる音がして、俺はびくっとおもてを上げた。
ここで初めて敵影を、明らかにして眼に捉う。
奴は洗面台の上から、震える獲物を睥睨していた。
その体毛は煤色である。矮鶏か軍鶏かは知り存じぬが、形はこれらに類うていよう。
人にも迫る身の丈ながら、何といっても特筆すべきは、やはり刃に他ならぬ。鋏に似たるは手羽先であった。釣り合わぬほど長大に、鋭利な爪が伸びているのだ。
今日まで死線は幾らか経てきた。すなわち吾人が狩人として、魔と渡り合った過程である。
しかるにこたびの死線は何ぞ。あたら吾人は獲物となって、暗剣殺にて討ち取られんとす。
ひとえに黒又山の祟りか。
これを這う這うの体という。獣がクケケと唸るに怯え、即座、個室に転がり込んだ。
むろん扉は閉まらない。差し入ってきた首が挟まり、目玉に殺気を血走らせている。極めつけには爪が一突き。児が障子にそうするごとく、その凶刃は戸板を穿った。
我が喉を逸れること、ものの一寸。
あわれ黒又山の祟りか――。
乾いた下駄の鳴りたるを聴く。真言陀羅尼の調べをも聴く。片やからりと軽やかに、片や冥土の土産とばかりに。
いずこの寺の尼にやあらん、供養はしばし待たれたい。せっかちせずとも罰は当たらぬ。せめてこの身が斃されるまで、葬儀屋なんど呼んでくれるな。
俺は心底悲しくなって、今にも耳を塞がんとした。聞き取ったのは〆の句のみだ。
「――さあさあ、急々如律令ッ。
いざ出でよ護法・キトラ! もひとつ出でよ、護法・タカマ!」
豈奇しからずや、聞いた声かな。
ぴかり閃光、瞬く間も無し。続く顛末、以下に記さん。
車に撥ねられたるごとく、扉ともども我が身が飛んだ。猫の額の個室ゆえ、すぐに便座とこんにちは。気絶しそうな衝撃でさえ、いま命ある証と祝う。
「恐れいりやの……きしもじん」
我は俎上の魚なりき。この唇をぱくぱくとして、うすら笑いも駄々漏れである。敵の白目を剥いたるを見る。
世にもめでたきどんでん返し、はてさて何と俄かなことか。
ずたぼろの戸板、そのむこうより声がした。俺は努めて気を落ち着けて、これを聞かんと起き上がる。
曰く、
「漏らしてませんね? 衛介さん!」
「衛介ぇ! ぶ、無事かっ。無事なのかえ?!」と。
思い思いの言葉を以て、卜部姉妹が問うていた。裕也の効かせた機転であるとは、二人の口から聞知るところだ。
二
日のいと長き季節を迎えて、夕凉とは名ばかりの温みを頬に受く。されどこの身の汗だくをして、冷やしむるのに堪えざるは無し。
この季にありつつ空一辺とっぷりと暮れているからして、時刻はすでに戌も半ばか。
「こんなとこ、地元の者はそうそう来ませんわい」
俺はむしゃくしゃするままに、眼下の夜景を睨めまわし、赤くちらつく光を見つけた。警邏の号笛がウンウンと鳴り響いている。
これでは当面ここを動けぬ。
焦燥感に尻をたたかれ、苛つ心地がなお募りゆく。いま千歳らはどうしていようか、とうに敵とはまみえていようか、と。把握の能わざるこそ、最も恐ろしきことであった。
まことに酷いどたばたである。先ほどからの始末をかえりみ、鬱々として頭を抱える。
卜部氏たちの乱入により、救われたまでは幸甚なのだ。しかし、以降が極めてまずい。
一一〇番を呼ばれたのである。
当たり前だと云われては返す言葉がない。何せ横浜の雑踏を騒然とせしめ、大々的逃走劇を繰り広げたのであるから。
まだ、いっそのことPIROに通報してくれたらば良かったものを。……さしずめ、電話番号が分からなかったとかいうところであろう。なるほどその手間を比べだすと、三桁のものとでは勝ち目などない。
またもや遁走を余儀なくされし吾人であった。
当方、任務を与えられ出歩いている身分ではない。ゆえに職務質問に足止めさるれば敵わず、あえなく前途を潰してしまう。これを恐れてのことである。
我らはがさつに人だかりをのけ、団子になって駆け出でて、氏の喚び出した風麻呂により、駅ビルの屋根へ引っ張り上げられたのであった。横浜駅のそこは屋上庭園として整備されている。草木は小綺麗なる趣で、逢引きなどによく向いていよう。
現状に至る。
「そもそもどうして、髪切なんかに襲われてらっしゃったのです」
莉央は呆れた風に云った。
今しがた我が首を刎ねんとしていた妖怪を、称してそういうらしい。
記録としては「百怪図巻」や「化物尽絵巻」など、幾つかの絵巻物にその姿が描かれている。また天明期の文人太田南畝の著書、「半日閑話」には次の記述がある。
『文化七庚午年四月廿日の朝、下谷小島氏富五郎家の婢、朝起て玄關の戶を開んとせしに、頻りに頭重く成様に覺しが、忽然として髪落たり、分々の髪切れたるはねばりけあり……(後略)』
――はてな、一体何の話か?
事実と伝承。これらの間における齟齬は、開闢以来たびたび起こってきたことである。ただしその多くは、事実が伝承によって誇張されるという形であったはずだ。
今般の怪はこの逆を行っている。文献の記述などまだ可愛いげがあるではないか。
「お侍の世においては髷の天敵だったようですね」と云って話を結ぶ莉央。
事の釈然たるを求めて、俺は頑固に訴えはじめた。
「ンなお茶目なもんには思えなんだがな」
「そんなあ。髪くらい、大人しく切らせてあげたら良かったかも知れませんよ」
「冗談じゃねえや、奴さんは殺しにかかってくんだぞ。この首ごと落とすような床屋があるか!」
莉央がその目を丸くする。存外なりと嘆じたか、捲し立てられ喫驚したか。彼女は口をヘの字に曲げた。
「卜部さんは、こないだご覧になってんでしょうに。大湯で俺がやっつけられた時のヤツですよ、今度の髪切は」
「否、当時あそこは暗闇じゃったからのう。……のみならず、妾も爬若丸を喚ばんとして切羽が詰まっておった」
姉君が肩を落とした。左様とあらば先程のうち、何が何でも引導を渡すべき相手であったと。
惜しむべし。
我らとて情けをかけたつもりは無いのだ。憎まるる後門の狼である。もし警察さえ呼ばれなければ、あれを滅する機など余り有ったろうに。
莉央の式神の打撃にて、敵は突き倒されたに過ぎぬ。この場はかろうじて結界を張ったのであるが、今に髪切が再起をするかと思うと気が気でない。
電車にでも乗ってしまえば、横浜よりの脱しようはあろう。本隊と合流せんがためにも北進はせねばなるまいし、当座の方針は明快なものであった。
しかるに、具体策の立案が難航を極めている。俺は考えあぐねて居った。
悩ましきかな、卜部姉妹をばいかんせん。脱出すべきは吾人一人のみにあらず。警邏も妖もこちらを探しているからには、彼女ら共々でなくてはならぬ。俺ごとき孤軍なんぞの進退以前に、二人の安全を講ずることが第一とされよう。
これはPIROの矜持でもある。
いやしくも俺は仕事人として、一定の任を常に負うのだ。今の身分がどうあれ変わりは無い。
まずは取り急ぎ、状況の精査を以て先立てんと欲す。
「――そういや、莉央ちゃん。こいつらは?」
指さす先には見たことのない式神たちが安坐していた。
岩礁よろしきその巨躯は、黒き甲羅の亀である。そして、これに纏わりつく注連縄のごときは白鱗の蛇である。
「えー、こちらの魁偉は鼇のキトラ。巻きついておりますのが蟒蛇のタカマです。
ありていに云いますれば、二者揃って擬似的な“玄武”を成すわけですね」
「か……かたじけねえなあ、玄武くん」
東西南北を司る四神、その一柱が玄武である。北方を鎮ずる水神にして、眼前にあるとおり、亀に蛇の纏わった姿で描かれる。伝説は古き唐土に淵源を持ち、時代が下ってのち日本にも渡来したものだ。
キトラは首をにゅうっと伸ばして、一再ならずこちらを見ている。見慣れぬ輩を目の前に、何奴ぞという心地であろう。
「お、おいオイ。ちょいと近けえよキトラ」
玄武が伸し歩いてきて、大きな木魚ほどあるその頭で詰め寄った。「…………お前もかい、蛇の……えっと、ナニ君?」
何ぞ驚かざるべきか。
亀は小鼻をひくつかせており、蛇は舌先をちろちろとやっている。においを嗅いでいるのであろうが、果たして何のつもりか知れぬ。彼らの様子は訝しげである。
いつぞの折にか裕也に聞いた。爬虫類というのはかなり立派な嗅覚を持つそうな。
さぞかし吾人は汗臭からん。
こやつらとてもお互い様だが、さながら花の芳しきを振りまくその主たちと比ぶべくはない。人間は香りの良いものだなどと憶えてしまえば最後、もはや我がごときむさ苦しさは勘弁され得ないのである。
俺はあくまで戯れに、以下のごとく口にした。
「だァもう止せ止せ。
公衆便所だの髪切オバケだの、変な臭いだって付いとるかもしれんからな?」と。
ところが場を取り巻く事は、存外とりとめなくあらず。
「……!?」
にわかに蛇が鎌首をもたげ、奇妙な緊張が走った。
そしてその喉がシューッと鳴って、仇たる“何か”へ威を表していた。
「――髪切、か。さてキトラとタカマは何を嗅いだか……いささか卦体が悪いぞよ」と、苦々しく卜部氏。
「姉様、まさか」
「馬鹿な。かいくぐられたってんですか、この退魔結界を?」
「考えうることが有ろう。あれが“かむなび”の刺客なれば、遣わし手の術師は必ずいるはずじゃ。そやつが一旦呼び戻し、結界内部にて再び召喚を行いさえすれば……」
結界なんどの突破は容易と。
ごく束の間の安息だったか。
「ずぼらだったわなァ……!」何とも甲斐無く俺は嘆ずる。
しかしてものの一瞬の後、花壇の茂みが激しく躍った。
くしくもそれは紫陽花だった。実に不快な既視感である。我が屈辱と発憤を、否応なしに喚起せしめる。
ところがこう考えてはどうか?
出立をしてからこちら、我が命は辛々の一言なのであった。石橋山での頼朝と選ぶところがない。だがこの無様を延々と書き連ねても喜ぶ者が居まいし、ぼちぼち縁起を直してゆきたい。
こたびはその良き機会なり――と。
「――えい。今後こそ、俺がやります。こちとら阿呆なりに意地ぐらいある」威勢に任せて云いはなつ。
「いかにもお主の決断よ。のォ莉央、こやつは斯かる男子じゃ」
「ふう。衛介さんが、まことに仕様のないお方だってことはよく分かりましたから」
「がはは、云ってくれらあね。
けど……お二人に折り入って頼みが。おまわりがここへ来られんよう、暫しどうにか保てませんかい」
「“人払い”か、ふむ。時間稼ぎならば幾許かは」
「やりましょう姉様。ぐずぐずする暇もありゃしませんね」
姉妹は互いにその目を見合せ、一つ大きく頷いた。
「……そんじゃ、よろしく頼みます!」
ひそひそ話はこれにて終い。肩をいからせ敵前に出る。陰陽師らを背後へ退かせて、勇み足にて立ちはだかる。
不思議と恐れは覚えなかった。
今は報うべき恩があるのだ。今や守るべき者があるのだ。ここぞ前途の正念場。何をか怖じて、打ち震わんや。
「大事なこれをお忘れですよっ」
――莉央は木綿の巾着を放って、俺がすなわち受け取った。「おっと! いかんな、こいつが無くちゃア」
我が身に脈々と巡る火気が、袋の中身へ流れ込む。
眠れる日緋色金の刃に、臨戦せよとの令を念ずる。
祓いたまい清めたまえ。護りたまい幸いたまえ。魑魅魍魎を斬り払うべく、いざ佩かせたまえ、この太刀を。
展開――擬神器・紅世景宗。
得物は鏘々と鳴いて応えた。金属音の立つがはやいか、ぼろ巾着はちりり燃え散る。姿見せたるその抜き身、げに曼珠沙華の弁がごとし。灼然として煌めけば、餓鬼も阿修羅も粉灰に同じ。
髪切は仰天して飛び出した。それもまさしくそのはずである。熱と光と、赤き気焔に、動ぜぬ獣がどこにいようか。
ここであったが百年目。
我が憤りは罵詈に変じて、
「その首、百ぺん刎ねても飽きたらんッ」と。
敵も買い言葉とばかりに吠う。これでもか、と手羽を広げて威嚇の姿勢を見せつけてくる。鋏よろしきその爪が、打ち合わされてちょきちょき鳴った。
片や嘴をくわっと開き、そのまま前傾して静止。片や構えを正眼にして、以て打突を期すべしと為す。
暮れた天には陰雲が巻く。下界の灯りがこれをも照らし、闇夜の色を朧ならしむ。
一足一刀たる間であった。
我が剣先の延長上で、双つの視線が交らんとす。




