第四二話 『蒟蒻問答歌』
前回までのあらすじ:
PIRO関東支局の月次会議という折に、突如乗り込んできた東北支局の捜査員・清原辰次。
彼の目的はもちろん黒又山事件の真相を明かすことだったが、それと同時に、先日おきた「ウィ○リークス情報漏洩問題」の責任すら濡れ衣だと苦言した。
そんな珍客の来訪によって、にわかにどよめき立つ関東支部一同。
中でも衛介は黒又山への関与を知られまいとして弁を弄するも、その労むなしく語るに落ちるといった結果に終わってしまう。
果たして、職場で面目を潰した彼の明日はどっちだ。
一
夕焼けの彩りは朗らかに始まり、やがて西空の際を切なくしたかと思うと、たちまち一天に藍染めを施してゆく。
いわゆる逢魔時なる頃の、風情は曰く云い難し。
こんなことに詠嘆するほど、俺が感受的になったのはいつの日からであろうか。怪力乱神は語らざるを是とした我が信条も、没却せしめられて久しい。
上記に自答するなれば、これは職業病である。
我らが仕事は宵の口に舞い込み、更けゆく時分に山場を迎える。奮力の果てに片をつけ、いざ帰途に着くが早いか、日付はしばしば変わっている。そしてその都度ささやかに、日次の無事を祝うのだ。
妖どもがその跋扈を繁くする、まさに大禍の刻。
俺は天下泰平を恋しがって已まぬ。一方この俺とて食いっぱぐれたくはないから、事がな笛吹かんと思うのもまた偽らざるところである。
かるがゆえに黄昏は、良くも悪くも情緒を揺らす。ざわわ、ざわわと弥立たたせる。自家撞着は承知だが、いずれも狩人の性であろう。
ふと、豆腐屋の喇叭が聞こえてきた。
さて鬼が出るか蛇が出るか……――こういつまでも胆を煎っては、掃除の気が散るのでいけない。俺はきっぱり窓拭きをやめ、屑籠まわりに舵を切ったのであった。
清原君が引き上げていったのは、近所という近所に、旨そうな夕餉の匂いが漂い出してからのことである。町内放送の音楽に促されたか、今日のところは一旦とて都内の木賃宿へ帰っていった。
結局情報の漏洩源は東北支部内での特定に至らず、捜査に直接関わっていた清原君ら五名が、謹慎に処せられてしまった。これが伝え聞く顛末であったが、彼以外の四人に関しては、めいめい東京を観光中だともいう。
きっと憂さ晴らしという趣旨なのであろう。
部隊総出の押し入りでなかっただけ、当方としては不幸中の幸いと評したい。
ここにおける不幸というのは、首の皮一枚を残して千切れとんだ我が面目のことを指す。またこの皮というのは父の行為の違法性を巡るあれこれであって、こたび護持しえた最低限の秘密といえる。
今や鹿ヶ谷支局長の不機嫌は本格的なものとなっていた。因するところは種々あるけれども、我が不始末は紛れもなくその筆頭である。
顔が曇って見えるのも、ただ紫煙の濛々たるばかりではないのだ。
胃が痛いなどと独言ちつつ、彼女は自席で一服している。すっかり疲れたようなのは、さきほど部下相手に激しき譴責を見舞っていた為である。
机上のレーダーを睨んで、何をぐちぐち垂れているやら。あいにく、敢えて聞きたくも思わぬ。
ことほど左様に社中の空気は剣呑であった。
「――――千歳さんは高砂君の隠し立てを、そもそも知らなかったということですか」
給湯室へ塵収拾に向かった折、桧取沢嬢が問うていた。どうやら小声のつもりらしいが、中々どうして筒抜けである。奥まったそこを前に俺は立ち止まると、耳をそばだて息を殺した。
彼女はといえば、やはりいささか気を悪くしていたのだった。
当然こちらが悪いのである。
今日「麻雀同好会」を始めとした組織的信頼感は貴ぶべきであるし、級友たる間柄も漸う近しく感ぜられてきたところだ。しかるに、俺は知らんぷりをやってしまった。
その立腹は我が過ちを責むるにあらず、我が欺きを責むるにあり。閻魔に舌をば抜かれぬうちに、篤き懺悔をせざるべからず。
然りとて目下は時宜でない。今しか出来ぬ様子見もあるべしというのが、仄かなる予感であった。
こればかり何のことは無かろう。“同好会”召集の折まで、懺法はあたためておけば良いのである。こちらは確かなる予覚であった。
さて改めて立ち聞きに専心せん。
寸陰の後、千歳は
「んぇ、あたしは別に。ほら、実際ついてったんじゃないし?」と答えた。
「そう……ですか。そうですよね、すみません」
その声色は悄々しつつも、緩む兆しは見られない。「人のふり見て我がふり直せ、とはよく云います。『報・連・相』は怠りの無いように…………勿論、隠すなんて以ての外です」
「や、やだ。なんも無いってば!」
「えと……はい。一応私たちも、今後気を付けていきましょうという話なのですが?」
「へっ。あぁー……そゆこと。知ってた、知ってた」
嫌にたどたどしき千歳。
俺は大層心配していた。この女の勝手で喋らせていて、何の安んずることかこれ有らんと。
黙って聞いていれば累卵の危うきである。
幾度か述べてきたことであるが、かの雛鳥を千歳が傅くのは命令違反に他ならず、現状の疚しさに拍車をかけていたのであった。なお居候がものを飼うことは、家主がこれを飼っているのと客観的差異が無い。
詮ずるところ、本件の発覚は吾人に対し共犯者の罪状を付しかねないのだ。
ここを以て、泣きっ面に蜂を怖れる。俺は既に散々叱られた。このうえ側杖まで食うとあっては、ますます不人望ではないか。
もはや臆してなど居れぬ。二人の立つ瀬を失うまじく、どうにか助け舟を編まねば。
「昼間の話に戻るようですが……支局長のお達し通り、確かに最近各地の“気場”では怪事件が増えています。
そしてこれらは妖気の波長なり、五行の循環なりが乱れている兆候です」
「ウン解る、何となく」
「加えて清原さんの話も事実だとすると、情勢は急速に悪くなっているのかも知れません。
現に千歳さんがあたった、大田区の事件だって――」
「……うん、うん」
相槌を乱れ打つ千歳。斯々然々と聞いては、呼吸がてらにウンウンと鳴く。
不穏を一つ論ずるごとに、嬢の口振りは機銃よろしく速まっていった。逼迫は漫神である。柄にもない手弱女のせっかちも、切羽詰まっているゆえだ。
千歳とてこの機微を解したに違いない。徹する様は、さながら吽の狛犬に似る。
しばしの経過観察であったが、語るに落ちうる危は薄れたか。意外にも斯くのごとくんば、救援など差し出がましいかも知れぬ。
目まぐるしきかな、この杞憂。
ほうっと一息したいけれども、ぐっとこらえて一旦済ます。乾いた唇を舐ることで気はまぎれた。
「もう何時なんどき、新たな事件が勃発してもおかしくないんです。……それも、意図的に。裏で動いているのはかなり大きな力でしょう」
ああ、鶴亀鶴亀。いよいよ桧取沢さんの多弁は、その旨も物騒を極めつつある。且つまた、以下こそが挙げ句の果てである。
言外の凄みが場を一呑みにした。
「それで間違いありませんよね、高砂君」
――思わず引ん剥く我が眸。
飛び跳ねこそしなかった身体であったが、内心をいえば狼狽にのたうっている。
心臓に悪し。よもやこの気配までも知れようとは。研ぎ澄まされたる射手の勘、これを嘗めてかかった結果か。
「おお……よ。桧取沢さんが云うんならば、間違いねえや」俺は、のこのこと現れなくてはならなかった。
「…………」
「ビクったあ。いつから居たの、あんた」
千歳の声も心持ち上ずっている。
しかし吾人よ落ち着け。更に文句を次がるる前に、当の小娘を連れ出せれば宜しいのだから。
俺は屑籠への用を遂げ、小脇に袋をたんまり抱えた。
嬢の犀利な一瞥が飛び、千歳は怪訝の面相をする。二人と交互に目を合わせるや、すかさずこの眦を決す。
塵袋だけがやかましい。
「たった今だい。それより住吉、こいつを地下に持ってくから手伝ってくれ。重てえ重てえ」
「あっ……。うんオッケ、それ貸して」
千歳は小さめの袋をいそいそと受け取った。
段取り八分、ここに成ったり。然らば義理に則って、善き“捨て台詞”を吐かんと欲す。
我が言えらくは下記のごとし。
「すまん桧取沢さん。今はこれだけ伝えとくが」
何ぞ大袈裟なるものか。蓋しこの程度は、せめてもの申し送りであろう。「秋田での件にも教団は一枚噛んでいやがるからな」
空しくも耳に響くのは豆腐屋の喇叭である。
その奥二重に影を落とすのみが、嬢からの返事であった。
打って変わって尻尾を巻くと、我々二人は場を辞した。
この様態と裏腹に、事から目を背ける気は無い。――俺は今後の戦を以て、これを示してゆかねばならぬ。父の業の深きと併せ、罪滅ぼしに結ぶべく。
二
悪因悪果の言葉がままに、父は癒傷の床にある。
見舞いに行けどもその目蓋は重くるしく、語る言葉も多からず。手前勝手の性分はなりを潜めた。ただ四白眼が、明けきらぬ梅雨空をぼやぼやと見上げている。
臍を噛んでいるであろうか。
積年の本願が焦土に埋ずもれた。そう、黒又山ピラミッドは崩れ去ったのである。
決死にして臨みし最期の学者魂は、一塊の瓦礫のほか何ら世に残していない。辞世の句なんど一丁前に詠みつつ、康きに失して六文を得した。
思うに怒れる荒魂と、その怨讐について、ちっぽけなる人の生死との関わりはおよそ厳密でない。
確かに、父の心身をここまで潰せしもその祟り目ではあろう。けれども現下の結果はどうか。彼は鬼籍に入らぬばかりか、豚箱にさえ入っておらぬ。
むしろ周囲に対する方が、及ぼすところ余程あらたかである。余波の範囲は知り尽くせぬが、判るだけでも沢山だ。
親の因果が子に報う。与していては言うも更なり。
担ぐ片棒へし折れること、人望もろともぽっきりと。非理は道理に決して克たぬ。これを通理の本意と知れ。
くどくどしいと思えしか。
それほどまでの反省である。まことに俺は卑劣であった。悔いるにだって本腰を入れたい。
ついては職場に巣食う欺瞞の数々から、まず矯めてゆくべきだろう。
吾人高砂衛介も含め、PIRO職員は互いに人目を盗まんとするところが過多である。
こんな職場にて不審的の者とは、具体的に誰を指すのか?
こそこそと妖怪を飼育する住吉千歳。水面下で嗅ぎ回る桧取沢歓奈。次は出来れば云いたくないが、悪霊の憑いたかも知れぬ東海林飛鳥。
とんでもない口軽の潜む東北支局。
極めつけには、重大事件の隠蔽を図るPIRO本部。
……挙げ連ねればこの様だ。本当にどうかしていよう。
かつての和やかな職場は今いずこ。
幾重もの思惑が滅茶滅茶に蟠り、不信の塒になっていく。皆が互いに少しずつ、腹の内をば見せぬとくれば、一切合財いかがわしい。当然至極のことである。
今更ながらこれに気付けたことを幸いと思う。
さきほどの首尾は所詮千歳を連れ出し得たに留まるものだが、桧取沢さんとのやり取りは物思う切っ掛けとなった。これを機に事始めである。
ところが何だかんだで沈んでいた我が意気は、これを持ち直すにもいささか骨の折れるものがあった。
「――俺ァもとを云えば非番だったんだぜ、今日明日」
地下へと続く階段で、つかぬことをぼやく。「久ッ々に怠ける気でいたさ。笑えよ……擬神器なんざ、莉央ちゃんに預けちまってんだ。ああ、休み中に整備してくれるってんだから本当に良い子だ」
対して千歳は大儀なようで、
「その話し夕べも聞いたけど」と云う。
「でもな住吉。やっぱし刀ってのはだな、小まめに手入れをしてやらにゃ。莉央ちゃんも云っとるよ、勝てる戦も勝てねんだと」
「それも聞いたってば」
「も、もっと聞かしてやらあ。あの子は一口に卜部さんの妹っ云っても――」
「無理。そういうのほんと無理」
ほとほと倦じた千歳がぴしゃり。さもありなんとて口を閉じると、俺はただ淡泊に笑った。
嬢による針の筵から逃げ出した我々であったが、今度は、斯かる具合に逃避行を謳歌しているところである。ならびに直前の会話をいえば、また逃避的なそれであった。
例によって我らが身辺は胡散であるし、なおかつ大分その増長を許しすぎた。恐るべきことだ。いま身動きを取れなくしては、贖罪さえもままなるまい。全て明かして謝るのにも、やはり要るのが段取りである。
そのため俺は、今しばらく疚しきに徹せんと決めたのであった。
ややあって不意に女がこちらを見上げるや、問う。
「てかさ……ああいうもんなの?」と。
俺は未だ黙然としている。訊かんとするところは解ったが、全体どう答えたものか、咄嗟の思慮が捗らない。
目を泳がせるも、踊り場の薄闇において依るべき岸など無かった。悪癖である。ほとほと泳ぎ疲れた我が目は、こべりつくような千歳の視線にまんまと拾われる。
「まぁいいけど、云いたくなきゃ。大体わかるし」
敢えて応えは待たれなかった。
事の理解に関してここはある種の例外である。千歳と俺の間においては、互いにお見通しなのであった。
「……訊いてくれるな。お前こそ、あすこは早い所ずらかりたかった癖に」と、云う我が声は俄かに暗む。
果たして彼女の瞳には、たった今どんな仏頂面が映っていようか。それが手伝ったかは知らぬが、言葉の方はしかと有効打突になっていた。
「はあ? べ、別に頼んじゃいないっての」
心もちの早口は案の定である。「なあに、勘違いしないでよね。あたし気まずくなんてなかった……もん」
全く以て、何をか云わんや。
阿呆丸出しが白々しい。分かり易きに過ぎるばかりか、じつに詮無き見栄ではないか。
「感付かれてんの解っとろうが。……へえ。するってえと、まさかそれでも呑気でいられたってか?」
「んなの、当たり前でしょ」
「おめでたい奴だ。お花畑だ」――怒りのつぼを槍で一突き。
「もう、うっざ!」
千歳はぷうと憤怒し曰く、
「普通気になるもんでしょが、立場的にィ。そもそも意味解んないわけだけど、『麻雀同好会』は飛鳥のこと疑ぐってんじゃん」と。
その手をあまりにぶんぶんやるので、塵袋は枯れ枯れに鳴った。
「違げえや。桧取沢さんだけだい」
「どっち道あたしは嫌なのっ。
そりゃ歓奈ちゃんにだって考えは有んのかもだけど、実際むかつくのは解るよねえ?」
「ああ、まっこと然り。だからこそ蟠りを晴らすべく、俺らが一肌脱ぎゃあ良い」
「……どゆこと?」
非常口のにぶい明かりが、彼女のきょとんとするのを照らす。苔むすような色彩は、泥より重く垂れ籠めた。
既にして階を下りきった当方二人。
ここぞ、云わばどん底である。これより先は這いあがるのみ。万事我らの根性次第。心は天を仰ぐけれども、南無阿弥陀仏と云うには早い。
腐ってしまえばそこまでだ。
案ずるよりも産むが易しと、俺は脳裡で幾度も唱えた。先のことなど恐るまじとて、なお決心を逞しくして、やや口元を上げて見せた。
「やれることから地道にやろう」
地下室の戸にこの手をかけるや、一寸の光明が射し出でた。「もっぺん、ゆっくり話を聞くんだ。まずはあいつらにだな」
扉の向こうで照るそれである。
そして白い光のもとに、女が頷くのであった。
すかさず更に多くの光にこの空間は満たされて――――。
はてな、ずんとして痛い。なかんずく痛いのは額である。最後に聞こえしは千歳得意のウンの声でなく、空箱を打ったがごとき鈍音であった。
そして鯣よろしく床に伸びたる、吾人高砂衛介が居る。
「……あ、飛鳥?」
「助けてチイちゃん! うち、どうしたら良いか解んないよう!」
前の扉は既に放たる。繰り返すがこの俺は床に伸びている。小んまい娘がそこへ馬乗り、目に涙して、まごついている。
往年のコントに、金盥の降るも斯くや。
嘘をつき 、尻に火がつき、非に気づき。終ぞ格好、つかざりにけり。
――拙歌、埒も無くここに詠ず。
※『麻雀同好会』に関しては26話、29話など参照です!




