第三八話 『迷ひ子雀』
前回までのあらすじ:
衛介の留守中、緊急任務をうけて出動した千歳。
そこで発見されたのは、出所不明の腐土の塊と、そこに紛れた怪植物だった。まとめて封印せんとする千歳だったが、植物の枝に奇妙な鳥の巣と、生まれたばかりの雛を発見。
指令通り駆除するか、あるいはそっと生かしておくか。仕事と人情の間に選択を迫られた彼女がとった行動とは……。
一
刻は晩飯時である。
白粥のなみなみとした中、赤鮮やかな梅干し一つ。
ぼやけた日ノ丸を掲げ「贅沢ハ敵ダ」などと吠えているようで滅入るが、なるほど旅帰りの飯というやつは、しみじみ旨いものである。
つぶれた梅から滲む酸っぱさが、気味良くこの身に沁みてくる。
「はい、胡瓜もあった」
「……ん」
古漬けをのせた小皿が、手元に置かれてコトンと鳴った。
日々、箪食瓢飲の心持で糊口を凌ぐ我々である。貧しさに溜息づくのは簡単だが、くぐってきた危難を思えば、少々こらえて潔しと為すほうが余程良かろう。
五体満足で飯にありつけるだけ、本当に祝うべき幸であるのだから。
しかるに、あいにく俺は憤っていた。膝元の卓袱台をひっくり返してやろうか否か、ごく真剣に悩めるほどに。
その事由は以下に記す。
卓を挟んで向かい側、千歳が座ったその膝の上。そこで赤剥けのひよひよした小さな物体が、ぎこちなく動いているではあるまいか。
紛れもなく、それは何鳥かの雛であった。
目の前の女は愛おしげにそれを見つめ、指で撫でたりなんどしている。
「――このやろう」
「えっ」
「お前の話は、仕事ときたら時には非情にならにゃならんで辛いね……っちゅう個人的感傷だったはずだろがッ。
それを可哀想だから拾ってきました、だァ?」
「は……!? 怒んないッ云ったじゃん!」
「いやァ馬鹿、こりゃ怒るわ」
我が右拳は食卓を打った。「桜庭婆さんに知れてみろ、どんなに騒ぐか」
「どーして。優しそうなオバーチャンでしょ」
「とんでもねえ! 云わば『舌切り雀』に出てくる婆、あのまんまだ」
蓋し我ながら、利いた喩えをしたと云えよう。
桜庭婆さんというのは当棟の大家である。なるほど千歳の言葉通り見かけは柔和で棘が無く、その性根玉もとりわけ意地悪なわけではない。
ところが人間無くて七癖。何の因果かこの老婆、畜類が大嫌いでなのである。
当アパートメントに極めて厳しいペット締め出し体制が布かれているのは、このためであった。
一階に住む心優しい少年が猫を拾った際に見せた始末はもはや武勇伝となっている。かつて隣部屋の老人が鮒を飼っていたことが、記録に残る限り最大の許容例だ。
もちろんペットを禁ずる集合住宅など世間を見渡せばごまんとあるのだから、敢えて大家の方針を難ずればそれは横道であろう。
しかも当方須らく、婆さんとは上手く付き合うべきなのである。滞りがちの家賃に容赦を得んがためにも、波風を立ててはならぬ。
「それを金魚鉢で飼うなんざ出来ん。解ったら早くどっかへやれ」
俺は過去に起きた悲しい逸話を交えつつ、歯に衣着せず千歳に説いた。我が鋭鋒は仮借なく、女と膝の上の雛鳥を襲う。さあさあ、納得してくれ給え。
なおこれに彼女は恐慌をきたし、上ずる声でこう応じた。
「あッ、アンタはまたそーやって、いい加減に話を盛るんだから。何さ、分からず屋!」
豈図らんや逆効果だとは。
「ナニサじゃないよお前、ふざけやがって。何でぇその云い草っ」
「こんな小っちゃくって、外に放っぽっといたら生きてけると思うの? ねえ!」
「知るもんかい。そ……そうとも、元から除去対象なんだからよ」
「ひっど、信じらんない!」
そんな渦中に彼女の膝で、ひぃち、ひぃちと子鳥が鳴いた。これでもかと口を開いて、何かしきりに訴える。「――んっ。よしよしお腹空いたねえ」
千歳は未だかつて見たこともない顔をしていた。眉はだらしなく八ノ字に垂れ、にんまりしたその形相には締りというべきものなど皆無。
更にその猫撫で声は何ぞや。えてして女子とは達者に声を使い分けるものだが、斯くも大甘なものは知らぬ。
「て、てめ……。止さねえか、甘ったりいなァもう」
側で聴いては不覚にも、居ても立ってもいられない。思わず俺はむず痒くなり、真っ赤な梅干しを口に放った。
女は手にした匙で餌をやっている。
大きな口に小さな喉。見る見るうちに白粥が、そこへ流れ込んでいった。
何のことない単なる粥を、必要以上に旨そうに食う。きっとその様はひもじさの然らしむるところであって、今まさに掌ほどの身を嬉しさが駈け廻っていよう風情である。
俺はいったん押し黙り、茶碗の残りをすすり始めた。粥は無闇に旨かった。
日本昔話「舌切り雀」において、件の雀は媼のこしらえた糊を食って怒りを買ったのであった。昔の洗濯糊といえば炊いた米を湯に混ぜて練ったものであるから、食って毒なることはない。
むしろ質自体は、よくよく粥に似ている。
鳥の餌ついでを以て我が夕飯と為す根性に、怒りをぶつけたとて非義にはなるまい。然すればその勢いで雛を放逐しうるであろうし、大家との摩擦に関する懸念も雲散霧消する。我が生活は安泰である。
めでたしめでたし、どっとはらい。
――だが待て、しばし。
丸でこれでは千歳が優しい翁で、吾人が浅ましい媼のようではないか。
男女が逆だと論っているのではない。斯かる構図そのものを難じたいのだ。
物語終盤、一貫して慈愛の御仁であった翁は小さな葛籠で宝を得て、むきになった媼は挙げ句の果て大きな葛籠で身を滅ぼす。
雀の寓話が説いたのは、小さき命を労るべしとし、目先の利に欲張るべからずとする教訓ではなかったか。
俺は梅の種を吐き出した。
「…………にしてもこいつ、よく食いやがる」
「あんたにそっくり」
千歳は戯れに云い、雛を抱き上げた。抱くといえども、細い十指で包むがごとく。それほど雛はちびだった。
これ以上無く微笑んで掌上の稚児を愛しむ。
赤子をあやす慈母に似つつも、その実、浮つきがちなる小娘。一見不釣合いなる要素が、男心をくすぐるのである。
さっきの己が態度も省み、物狂おしく思われた。
そうした我が阿呆面を覗きこんで、このけしからぬ小悪魔は云う。
「あは……いま若干思ったでしょ。カワイイって」と。
南無三。我が表情は豊かな方だが、斯くも読まれやすくてはいけない。
吾人高砂衛介がこの娘に懸想して早二ヶ月となる。これを忘るるなど無くも、同じ釜の飯を食って近しくするほどに変な慣れを覚えてもいたのだ。
しかし今宵のごとき新鮮味、これを前にはときめかざるを得ぬ。
「いッ? え……いやいや、…………えっと」
「ね、見てよこのつぶらなお目とか。昨日やっと開いたんだよ」
――これはしたり。事は子鳥のほうであったか。
鳥類などは「刷り込み」という性質のもと、生後視たものを以て親と為すとされる。たとい、それが同族に非ずともである。
すなわちこの雛をして云わしむれば、千歳こそがその母に他ならないのだ。
これはある種の既成事実といえた。
「……ったくこのチビ助め。もし良い子に出来んようなら、そん時ゃ追っ払ってやるからな」
卓袱台をひっくり返すつもりでさえいた癖に、その意気は迎合に費やされた形になる。自嘲の念はこれを禁じ得ない。
「で、衛介?」
「えーと、まぁ何だ。くれッぐれもバレねえよう……ほんと頼むからな、大家の婆さんによ。
出来る限り、俺も協力してやらんこたない」
「ッは、ヤサ雄! 明日夕飯なに食べたい!?」
千歳は破顔一笑し、我が判断を言祝いだ。「てか、何であんた顔赤いわけ」
「ばっきゃろう、怒ったからだ」
「怒んないって云ったじゃん」
何ら知らぬという顔で、雛はちょんと座っている。新たな親に抱かれて、満足げなる鳴き声一つ。
科を作った住吉千歳に、してやられただけなのやも知れぬ。
二
然り而して、千歳は熱心な育児を開始した。
学校および仕事の鞅掌、その合間に新たな生活の柱が加わった次第である。
さて。奇しくも雛の存在が大家に勘づかれること無く、むしろ意外なほど上首尾に育てられているのには訳があった。
どうやらこの鳥は夜行性であるらしいのだ。
昼はもっぱら千歳の根城たる押入れの中で眠り、我らの帰るころ漸く起きてくる。そこですかさず餌をやったら、響くようには騒がない。
何たる安心設計だろうか。
雛はすくすくと成長した。
一週間も経るころには産毛が生え揃い、愛くるしさこの上ない毛玉のごとき格好になった。
体色はくすんだ灰に近くも、やはり形は雀に似ている。ただしいささか妙なのは、手羽先に明確な指爪が認められる点であろう。
そうして見ると怖いなどと云われそうだが、脚までがもふもふに覆われたその様は文字どおり愛嬌の塊である。
斯くのごとく忙しきほどに、我々はまた金曜日を乗り切っていた。
してこの日の吾人に関して云うと、学校帰りに「寿満窟」に立ち寄らんと企てたところであった。あそこは風水雑貨屋であるが、実は占い、人生相談、骨董鑑定に至るまで結構様々に商っている。
しかのみならず店主が怪異の専門家なのである。
――今ここで、何すれぞ専門家が求まれんやと思う諸兄も居られよう。然らばその理由を惜しまず記す用意は、幸いにして有る。
何を隠そう、それは俺が件の鳥を“在来種”と思わざるがゆえ。
これの卵もその在りし巣も、突如現れた土塊に紛れていたことを忘れてはならぬ。蓋しそれが不可説の妖気を醸していたという事実も、また然り。
異界渡りの鳥と判れば、すなわちこの子は妖怪なのだ。
駅の本屋で踵を返すや、寿満窟へと歩み始める。奇にして偶然なることに、このおり俺は東海林飛鳥と行き逢っていた。
知人も増えると奇遇も増える。
地元の世間は猫の額と、在りし日の祖父は云っていた。
雑誌売り場を後にして、娘はとことこついて来る。季節も梅雨の折り返しとありその装いも夏服だ。薄着となるとより一層、肉付きは小っぽけに見えた。
「今何の本見てたのー?」
「動物学者の書いた凄げえ本」
「意外!! エッチいやつじゃなくても、ちゃんと読むんだね」
わずかに飛鳥が跳び退くと、存外芳しい残り香に眉が下がった。何が意外か、と上がりかけた眉がである。
「……んむ。ちょいと、たまには。明日、ブックオフで探して買おうかね」
「きゃははッ、やばっ。ぜったい熱でもあるんだ!」
「ところがどっこい。お熱なのは住吉の奴だ」
「いや……でもエースケくん! 鳥ちゃん、可愛すぎでしょう! オニかわじゃん、あのふわっふわ!!」
さしずめ千歳に写真でも見せられたといったところか。最近彼女は飽きもせず、携帯電話で撮り散らしていた。待受画面も雛である。
「何、知ってんだったら始めに云えやい」
「チィちゃんも最近やっと動物の可愛さが解ってきたんだね」
「あのな、“解ってきた”どころかあいつめ…………」
あれを溺愛と云わずして、一体全体如何せん。
「お名前とかはつけてないの?」
「俺は一つ思いついたさ。『らどん』ってんだ。裕也に話したら『ぎゃおす』が良いとかも云っとった。
けど住吉ときたら、両方却下した挙げ句むくれやがって」
「そらそーだよ!」
「……まぁそんなこんなで、一旦保留になってな」
いっそのことピーチャンでもキューチャンでも良ければ世話はないが、千歳はそれも駄目と云う。ならば汝が決めよと応ぜば、うんうん唸ってばかりいる。
判っていたことだけれども、やはりあやつも阿呆ではないか。
「ふうん。何にしてもさっきみたく、ラブリーじゃないやつはダメだからねっ」と、口幅ったく飛鳥は云った。
「もう面倒臭せえんでね、専門家の目で色々見てもらうことにしたよ。問題なんぞ挙げ始めりゃ、名前以前にもわんさか有んだから。
……てなわけで卜部さんところへ資料を持ってくんだ」
「今から?」
「通り道だろ、お前も来るか」
「えー……。しょーがないね、エースケくんがどうしてもって云うなら」
お魚咥えたどら猫が、我々の脇を駆けていった。
軒の居並ぶ商店街を抜け、細い路地へと一本折れる。その先にある横丁の、さびれた瀬戸物屋の向い。凡そ同じ程度に侘びしく、陰気で、ぼやけた静寂が満ちている。
喧騒の街の片隅で、その舗は倦んだように佇んでいた。
既にして、いつしか寿満窟の戸をくぐっていた我らである。
卜部氏とは先日の騒ぎよりこちら無沙汰であった。当方としては、あの日に妖力を使い果たし虫の息にさせてしまった負い目がある。そこはかとなく敷居は高くも、さすがに彼女も落ち着いていよう。
「ども卜部さーん……いかがです、お体は」
渋々ながら手土産を買い、恩友のもとへ参じたつもりだ。ところが様子はことしもこそあれ、予見せしとはずいぶん違った。
しかしてが我らに浴びせられしは、
「うひゃあ、お客っ!? ほんとに来た!!」と、耳に馴染み無き音吐。このひそやかな雰囲気を、引っ掻き剥がしてのけるがごとく。
飛鳥の眼は点になり、豆鉄砲を食っている。
遺憾にして驚くべきことであった。
念のため断っておけば、いやしくもここは商店である。当所において客の来訪が驚かれる道理を、俺は知り存じない。果たしてこれは何事ならん。
見るに、薄桃の小袖に身を包んだ少女がレジ台から身を乗り出している。そして娘は大いに慌て、着装の衿を張りなおした。
「ッしょ……いらっしゃいまし、お客様ぁ!」
大音を立て、重たげな段ボールが眼前に置かれる。「何だってお売りしますんでねっ。ささ、すっかり買ってって下さいまし!」
誰だお前は、とは喉まで出かかった台詞である。
二つ結いに束ねた黒髪が、良すぎるほどにその威勢を張っていた。




