第三七話 『千歳てんてこ汗みどろ』
前回までのあらすじ:
黒又山から甦った謎の荒魂を辛くも倒し、脱出に成功した衛介たち。父は重傷を負い自身も疲労困憊するが、翌日の朝刊で事態の報道を確認し、ようやく生きて戻ったことを実感した衛介なのであった。
一
父が横浜の大学病院に移送されてきたのは、火曜の晩方になってからであった。
命からがら難を逃れて、秋田の医院に転がり込んで、怪我があまりに酷いといって、設備の優れた病院を、とて。
それはそれは手に汗握る顛末であった。
頂の吹き飛んだ黒又山を目の当たりにせる父の顔。そこに浮かびし絶望感。宿願としてきた“ピラミッド”が、その祭神もろとも消し炭に帰したというわけだ。
朦朧とする意識の中、彼は
「身はたとえ 出羽の山辺に朽ちぬとも 留め置かまし 学者魂」などとぼやいたそうな。
――以上、早楽の談である。
病棟の廊下に長椅子が連なっている。そこでがっくり座った俺は、指組みしながら項垂れていた。
寂寞とした気分へ押し入るように、我が生傷は無闇に痛い。
冷たき床をスリッパが擦りっぱたいて、締まらぬ響きを耳に届ける。遠くでぱふぱふいうかと思えば、気付くと近くを行き交いもする。
「ゴメン衛介。待っちゃった?」
既にして現れしは台所奉行、住吉千歳だ。
今般は留守番を請け負い、また己の任を全うするが専らであった。
「よォお疲れさん。別にこちとら暇しちゃいないや」
丸二日ぶりにその顔を見て、我が胸中はよくよく和む。「むしろ……すまなんだな、お前に色々頼んじまって」
しかしどうにもこのごとく、忸怩たる思いがしていた。
「あたしは別に? …………まぁ割と、そっちは心配だったけど。現にお父さんあれなんだし。
ア、はいこれ。タオルと下着ね」
「おォありがと。何でも一月は絶対安静だそうだかんな、色々入り用だわ。えと、ここ売店ってまだ開いてたっけか」
「普通に閉まってんでしょ?」
「じゃ良いや。新聞はまた来た時で」
吾人をじわりと睨み長嘆息を漏らす千歳。そして隣を一つ空け、やおらその場に腰かけた。
「てか見たよ……朝刊。あれ山頂全部吹っ飛ばすとかさ、何事だったのマジで」
「そりゃもう、大揉めだった」
左様に云えばきっと千歳は憂うだろうから、俺はすかさずこうも云う。「でもこのさい命あっただけでも喜ばにゃならんし、どうやら親父の豚箱行きは有耶無耶になりそうだぞ」
「え、結局めでたしってわけ?」
「……いや。一概にどうこう云えたほど生易しかアなかろ。親父が掘り起こした物は、単なる妖怪なんかじゃねえ」
釈然とせぬ様で、女は腕を組んでいる。何をか云わんや、と顔に書いてある趣ですらあった。
「俺たちゃ身を守るべく“あれ”をぶっ飛ばした。だがね、本当に良かったんか否か。
あるいはそもそも、人間ごときが触れちゃあならんもんだったのかも、てな」
俺はここまで語るや、南無三と思ってしまった。
もはや駄目である。
結局これを聞かせた上で、千歳を憂わすまじとするなど無謀ではないか。事態のほどを喋るだけ、腹心に残る不吉の感を再認識するのみだ。
すると女は無愛敬に曰く、
「やだ何それ。ンなの、めっちゃ愚問じゃんよ」と。
「やっぱ、そう云うわな。まあ何だ、俺とて一応お前の率直な感想が聞きたかっただけよ。嘘なもんか」
「でもまぁある意味アリなんじゃない? 常識考えたらナシっぽくても、咄嗟だとどーしても、とか。
……あたしもあったよ、そんな感じのこと」
「ほう、そりゃ良いや」
存外前向きな答えを聞き、俺はいささか安んじた。「そっちはどうだったね? 例の件は何かしら判ったりとかしたかい」
さぞかし、良い報告でもあるのだろう。
――と、思いきや。
「ぜーんぜん。ッてより実際、調査どころじゃなかったし」
千歳は一寸間をおいて、「割りとこっちも色々あったの」と云う。
拍子抜けであった。
当初彼女の予定では、去んぬる週末は日曜午前のアルバイトのほか空けておくとのことだったのに。
果たして何があったのか。
思わせ振りとも考え難し。いかにもその口ぶりからして、確かに何かあったのだろう。
時間も時間だといって、我らは帰宅の途につく。当方大変てんてこ舞いで、朝から霞も食ってはいない。
「腹減ったよ。うちに何かあるか」
「……お粥、だったら少し」
「粥う? オイどうした、下したのかよお前」
「ち、違うッつのバーカ。あ、いや…………でもホントにさ、ちょっぴり色々あって」
いよいよ様子が妙ちきりんだ。こやつの語調が悄気ているのは、凡そ碌でもない兆しである。
心せよ、と己に向けて黙唱した。
「まぁ怒りゃせんからよ、何があったか云ってみろい。ほれ、ほれ」
「えー。……まじで怒んない?」
その顔が俄かに明るきを復す。こちらはむしろ尻込みしたが、だからといって聞かずばまずい。
「オ? おうよ。この俺の懐の広さ、舐めてもらっちゃ困る」
「衛介あんた……うん。わかった、全部喋る」
どうも不安で気が気でない。
一方安んじた面持ちで、千歳は滔々と語り始めた。
二
この度の留守中、俺から彼女にはある仕事が頼まれていた。
昨今の巷にて騒がれ、まことしやかな都市伝説となりつつある事案に関しての調査――ざっくばらんに云えば探偵である。
本件はインターネット上で「神隠し」などと仮称されており、他人事のごとく囃す声もなお強い。
しかしながらつい先日、一際大きな怪事件として勃発したものがあった。
株式会社「ミマサカ書房」。
ここの重役数名が忽然と姿を消した、というのである。しかも豈図らんやこの企業こそ、父の著書を上梓していた出版社であろうとは。
これには父も周章を禁じえず、その気を大いに焦らせられた。元をただせば彼が発掘強行に踏み込むきっかけも、この一件であった。
さて、流石にこれを見て見ぬふりするほど愚かになった覚えは無い。須らく真相を突き止め、肉親に降っかかる危難を退けるべしと企てた吾人である。
――願わくば可及的速やかに。
俺が秋田から戻るまでとて、無駄にするには惜しい期間だ。
斯くして千歳に白羽の矢が立つ次第であった。
そんなこんなで時は土曜まで遡る。
「ハイ1,000円お預かりいたしますー。380円とレシートのお返しですお確かめ下さいー。
ァいー……またのご利用お待ちしておりまース」
千歳はどうにも考えあぐねていた。“神隠し”がらみの事件を嗅ぎまわれ、など如何に為せというのかと。しかのみならず、我が乱雑な指示にいささか憤ってさえいた。
それもあってかアルバイトも上の空なれば、もう色々と捗らぬから、雑多を思って気を紛らわす千歳である。そんな彼女にとってお節介は邪魔以外の何物でもなかった。
今日も今日とて同僚に絡まれる。
「住吉っさん、今日昼まで?」
「はい」
「あっ。そいえばさっきハート送っといた! つーかエルサ持ってんだね、超うらやまだわ」
「それはどーも」
「どいたまー。でさ、午後とかヒマ?」
同僚君は楽しげに問うた。しかるに対する千歳はさぞ対照的だったことであろう。哀れなるかな、彼に罪など一切無い。
「ヒマじゃないです」ぴしゃりと一言。
「まじかー。え、どっか行く感じなの?」
「……よそで仕事ですけど」
「やべっ、掛け持ち? 住吉さん偉すぎじゃねー」
今度はかなり残念げに云う同僚君。
眉を寄せつつ千歳は思う。これしき何ら珍しからじ、と。
我らの財布は重さに乏しい。万に先立つ金が乏しい。やはりPIROの所得のみでは、到底じり貧ならざるを得ぬ。
甲斐甲斐しく働くのはこれゆえであるが、然すればもちろん労苦も多い。
またとりわけ、今の千歳は好まなかった。斯かる職場の人間関係というものをば。
一番最初に我らを襲った妖怪も、ここに潜伏していたがゆえ。
九〇〇円という時給だけが、彼女をしてそこに留まらしむるのであった。
さて、この日ドラッグストアでの勤務を正午までとしていた千歳は、捜査の算段も纏め敢えず一旦職場を後にした。
困ったときに持つべきは友。そうしてここで思わくは、同業の者に知を乞わんと。
俊敏無比なその指に応じ、すぐさま彼女の携帯電話は社中へ救難信号を発す。東海林飛鳥と桧取沢歓奈へ、である。云わばなるほど、三人寄れば文殊の智慧か。
しかしすなわち返事のありしは、飛鳥の一人のみだった。
陸上部の活動もまた昼までであるから、何だかお疲れ様と云いたきところではある。察するに飛鳥の智など高が知れていようけれども、まあ千歳の話相手として最良なるは疑いない。
ところでこの娘に関しては、語るべきことがいくばくか有ろう。
まず読者諸兄は、先日の騒ぎを覚えておいでだろうか。
桧取沢嬢による疑を晴らすべく、俺が色々問うた折の一件である。飛鳥はあの時、彼女が世話する野守蟲に話が及ぶや、発作をきたして卒倒したのであった。
此度における発作とは、いわゆる片頭痛のすこぶる酷いものを指す。それぞ飛鳥を度々悩ます“持病”と呼ぶべき何かであった。
だがその後の検査入院を経て、奇妙な診断結果がもたらされることとなる。
各血管、セロトニン分泌ともに異常無し。特筆すべきアレルギーも、栄養不足も見られなかったというではないか。つまるところ身体髪膚、くまなく健康であるのだと。
一体これはどうしたことか。
医者と彼女の両親は、もちろん大いに驚いた。
唯一これに動じないのは、当の本人のみだった。
神経科医の問診に答えて曰く、
「多分これ、ただの頭痛じゃないです。
頭ん中に誰か居て、その、何てゆーかこう……『コラー!』って。え? ……いや、妄想とかそういうんじゃなくって」云々。
あわや心療内科の受診を勧めらるるも、飛鳥は断固たる拒絶の果てこれを退けたという。
聞く限りとても無稽な話なのだが、ここに鹿ヶ谷支局長はある仮説を打ち立てた。何らかの怪異による関与あるべし、というものである。
――つまるところ憑き物の一種か?
これまで発作が起こった時の状況を逐一調べてゆけば、その関係性を導き出しうる、とは支局長の弁だ。
そうなればまた骨の折れる前途となろう。
桧取沢さんによる猜疑の目も、余計にややこしくなって困る。社中の空気が悪くなるなどまっぴら御免である。
実はこの千歳も、どうにか両者間のクッション役を買わんと気を揉んでいた。
今回わざわざ二方に声をかけしが、その機会を期してのこととは云うまでもない。
閑話休題、千歳が級友と合流を果たしたのは駅前のハンバーガー屋にてであった。
「部活おつー。体調とかどう、平気?」
「えへ、実際ね、今日全然余裕なの! 顧問のセンセー来なかったから!」
飛鳥は青白の陸上部ジャージを纏い、愛くるしく装っていた。
その身に合わぬ大きなハンバーガーにかぶり付き、彼女は云う。「てか元々、体はモーマンタイなんだし。ばりばりいけちゃうもんね」
「そっかそっか。もう……全く、ほんッと心配かけてアンタはー」
いつもどおり元気印の友を前に、思わず笑顔がこぼれる千歳。飛鳥も白い歯をむいて、けらけら嬉しがっていた。
どうも気の晴れなかった千歳が持ち直しつつあるのだから、仲良きことは美しきかな。
「――――でね、あのバカから頼まれたって話なんだけど」
「エースケくん?」
「うんそうそう。“神隠し”とかいうのに関わる情報集めろだって」
「うぇ、やけに急だねえ」
「でっしょー? ……まあアイツのお父さん、色々あるからしゃーない部分もあるけどさ」
「神隠しってアレだっけ、何か最近ウワサ的な感じになってるやつ」
「うちの支部だと聞かないよね、その手の通報」
「き、聞くようじゃ怖いよ!!
だって……消えちゃうんでしょ。人とかが、突然」
改めてそう聞くや、千歳はいささか肝がすくんだ。
現在いわれる神隠しは表向きに誘拐事件とされ、警察が捜査している。ミマサカ書房の件とてその例外ではない。
すなわち怪奇事件専門のPIROには詳細すら伝わっていないのである。
「……とりま、事務所行って地方支部の事件データ見れるか訊いてみよっかな。過去にもそれっぽいのあったら、参考になるかもしんない」
「あ、それ調度良いや。どーせラプ太にごはんあげなきゃだったんだ。行こ行こ」
「ラプ太って?」
「野守蟲のこと! ユーヤくんが『ラプトル』って呼ぶから、名前っぽくしてみたの」
「うそぉ、初耳かも」
「可愛いでしょー。餌たべるときとかね、半端ないんだよ」
いくら何でも可愛いは過言、と千歳は思った。この段階での彼女は、妖怪変化を傅くという感覚が解せていなかったと云える。
――“この段階で”と記したのには理由があるが、それはまた後述するつもりだ。
何はともあれ、昼食を終えた二人は事務所へ行くべく駅に向かう。そして折からの電話が入ったのは、まさにその時であった。
忙しいのに何事か、とその口をヘの字に曲げる千歳。
しかし画面に「関東支部」の字が光る。そう、電話主は鹿ヶ谷支局長に他ならなかった。
『もしもし千歳? ごめんなさい、ちょっと緊急事態で。出来れば今すぐ現場向かって貰える?』
「は、何かあったんですか?」
『歓奈は別件で任務中! たまたま同じタイミングで通報入ったの!』
ああ、どうして藪から棒に。こんなであるから始末が悪い。
「えぇっ。ウッソ、いきなりすぎ……」
吾人の依頼もままならぬまま、他に勤むるなど以ての他。
だが時間外手当もさぞ弾むべし、という念が脳裡をよぎったが最後。「――い、いえッ、了解です。位置情報どうぞ」
何とも不料簡ではないか。
『助かるわ! 場所は東京、太田区の――』
肩と耳に電話を挟み、千歳はいそいそメモを取る。
「ど、どしたの?」
「行くよ飛鳥っ、仕事!」
「うぇえ!? ほんと、やけに急だねえ!」
素っ頓狂なる飛鳥の声音。千歳にその手をぐいっと引かれ、別の電車へ飛び乗る羽目に。
斯くしてこの同学コンビによる臨時任務は、我が令そっちのけで開始されたのであった。
三
東京都南東の端、蒲田の某所に降り立った二人。
「ッ暑ぅ…………やっば。慌てて来すぎた感」
「チィちゃん、汗すんごい。だいじょぶ?」
日の長きは最たるものとなり、初夏の陽気が照りつけ始め、外を歩けば手ぬぐいが要る。もういくつ寝ると蝉時雨、と童歌が聞こえてきそうですらある。
鶺鴒の嚶鳴に多摩川が賑わい、都市のはずれに穏和を醸す。
――その場に吾人は居たではないが、恐らくそんな情景だろう。
「あは。これもうフツーに、夏じゃん」
千歳思わく一体全体、斯くも平和な地にどんな物騒が起こったというのかと。「――で、問題のとこがどこよ」
「見て見て、あすこ。何か人がいっぱい!」
「うわ。えー……」
飛鳥が指さす先にはどうやら、小さな神社があるようであった。大通りからは一本入った細道ながらも、人がわらわら詰めかけている。
野次馬が集いうる以上、事態はさほどの程でもなきか。千歳は少々安堵もしたが、これはこれで処理し難しとて鬼胎を抱いた。
それもそのはず人が多いと、対応だって面倒になる。
さなきだに、今度に至っては要領を得なかった。臨時任務などといって承領するも、如何にすべきか判らない。そもそも何がどうなれば、こうなるのかも解らない。
「――うち、こんな変なの見たこと無いよ」と呟くは飛鳥である。
事実すっかりその通り、千歳も全く同じく思う。なるほどこれでは二進も三進も、捗らぬとて仕方ない。
「マジこーいうのさ……ぶっちゃけ反応に困んだけど」
眼前には大変な奇観があった。
神社の境内ど真ん中にて、土砂と木の枝が山積している。
土は微弱に妖気を放ち、またそこに付随した植物は全く以て分類不能。
なお通報者の証言によれば、これは重機に運ばれて来たのではない。青天の霹靂がごとく、突如この場に降って湧いたというのだ。あろうことか空が裂け、そこからこぼれ出たという。
奇々怪々なる案件である。
危険な獣が出ていないだけ、常よりましとは辛うじて云えよう。しかし甚だ明快でなく、面倒臭さは五十歩百歩か。
「はいはい、ちょっとゴメンなさーい! PIROですスイマセーン」
棍棒型の擬神器を赤色誘導棒のように使い、野次馬を退かせる飛鳥。それじゃあ威嚇だよと千歳は云いかけたが、他に手も無くそのままさせた。
支局長の指示はというと、境内の異物は益害問わず除去せよとのことである。
何だか得体が知れぬ以上、下手に取捨などすべからずと。経験浅きこの二人を鑑みるに、なるほど的確な指令であろう。
「……ん。じゃ、先始めとくよー」
千歳は式札を引き抜いた。
霊異のものを去なすべく用意された、簡易な祓の式札がある。卜部氏が当支部に卸したものであり、我ら社中は鞄に忍ばせたりしているのだ。
この世の物とも思えぬ腐葉土が、堆く積もっている。彼女は思わず鼻を摘まむも、辺りに札を仕掛け始めた。
――なお予め察するに、この話において怪しいのはここら辺からであろう。
「何これ……」
ふと、くっ付いているのが女の目にとまった。奇妙な樹木の折れた幹に、枝で編んだ茶碗のようなものが。
中に有りたる不揃いな玉たちは、転げ落ちたり潰れたりと、散々無残な有様である。壊れたそこからは黄色みがかった液が流れて、もはや滅茶滅茶である。
だが千歳はこの瞬間、それが鳥の巣と卵であることを直感した。
「…………ッ!」
――そして彼女の耳に響くは、か弱く、微かで、いたいけな声。ひぃち、ひぃちと必死に鳴いて、母を求むる子鳥の叫び。
しゃがんだ千歳のすぐ足下に、まだ目も開かぬ何かの雛がうち震えているではないか。
恐らく同巣最後の一羽だった。
あとは軒並み土でうもれて、または卵が潰れてしまい、産声を上げるだに叶わなかったのである。
そこに札を貼らんとせる千歳は、どうしてか胸の絞まる思いがしていた。
これが何かも判然とせず、己に縁もゆかりも無い。ここで祓えば今死ぬが、放っておいて永らえもしまい。
どの道そういう運命だ。しかし――
「チィちゃん、こっち誘導終わったよう」
鳥居の間にビニルテープを張り終えた飛鳥が、たったかと駆けてくる。「あれれ? まだ始めてない感じなの」
「あ、いや……ううん、ちょっとね。それじゃゴメン、残りお願い」
益害選ばず廃除、との指令文が頭をよぎる千歳。飛鳥もそれに則って、残りの札をてきぱき貼った。不憫な雛などつゆ知らず。
とうとう身を切る思いに堪えず。
最後の術札が仕掛けられると、皎々冽々たる気が漂い、祓の準備は整った。オホンと一つ咳払い、少女は深く息を吸う。
「かけまくもかしこき……えっと、伊弉諾の大神、つくしの日向の橘の……」
六根清浄。暑天に透きとおるがごとき、東海林飛鳥の呪禁の声――――。
◇◇◇
「お前もお前で実にてんてこ舞いだった、てのはよく解った」
「……でしょ」
「んーむ。で、そっからどうした」
さてここまで千歳の話をつらつら聞き、したためてきた吾人であるが、惜しくも解せぬ点がある。
このとき彼女は終いの一手を、果たして何故おのれで為さざるか?
別段悪しきことでもない。ただし我が喉の奥に引っかかって敵わぬ。確かなことは一つだけ。この女は此度の任務に関し、只「完遂」とのみ上申している。
しかして宣く、「ごちゃごちゃ考えんのやめにしたの。……何かもうバカっぽくて」と。
女は開き直って述べる。「お……怒んないって云ったもん、ね?」
斯かるほどに、ちょうど我々はアパート前まで帰着していた。
※飛鳥の「頭痛」に関する話は第28話参照です!




