第三五話 『黒又山発掘誌』
前回までのあらすじ:
怪蛇の大群を撫で斬りにしながら優勢を得つつあった衛介だが、正体不明の“刃”による奇襲を受けて防戦一方に。
斯くなる上はと、凜が切り札として新たな式神・爬若丸を召喚。戦局を再度ひっくりかえすことに成功した。
黒又山にて無事に史との合流を果たした二人は、今般の本懐を遂げるべく掘削を開始する。
一
時は昭和九年、突飛なる奇書が一世を風靡した。
「太古日本のピラミツド」と題された当書はその看板に偽り無い。有史以前すなわち神代と呼ばれるころ、我が国で建立されたという金字塔の有を逡巡なく論じている。
聞く限り敢えて考えずとも、笑うべき妄説とこれを判定出来よう。
本来ピラミッドとは、古代エジプト、ないし中南米の部族が持った文明の産物ではないか。
斯かる話は、満腔の信念および情熱、そこに空想力をば加え、一人の男により著されたものである。
男の名は酒井勝軍。これまた、史上まれに見る変人著述家であった。
彼はその本文中で以下のごとく述べている。
『我日本にヨリ偉大なるピラミツドが實在する一大発見を中外に大聲疾呼しうる自由を與へられたることを讀者と共に天地神明に感謝せんかな。
(中略)エヂプトの沙漠には山が無いために已むを得ず石材で建造したが、日本には山が有り餘つて居るので其必要を認めないことを忘れてはならぬ。』
察しのよい諸兄には先刻承知のことやも知れない。
斯くなるごとき輩こそ、後世において父のような唐変木の先師となってしまうのである。
ああ、片腹痛きことこれ極まりなし。
「ここ黒又山は彼の説に基づき、初めてまともな学術調査の入ったピラミッドなのだ。
しょせん地中のレーダー探査を試みたに過ぎんが、この意義自体はすこぶる大きい」
父の周りに鬼火がふよふよと漂う。我らのゆく巨大な土竜の穴を、その灯が照らしている。
卜部氏が松明がわりに召喚したものであった。
「ンで……結果はどうしたね」
「土の下には“階段状の構造”。そして頂点付近に詳細不明の“空洞”…………これが環太平洋学会、平成四年の発表だった」
「ほほう、そりゃ凄いんでねえの。有名にならんかったのが不思議だわ」
「そんな報告信用できん、と云う者が圧倒的に多かった。
内部の階段状構造には、埋もれた木の根が凸凹として写っただけとする反論もある」
すなわち戦前に資材として急速な伐採が進んだ際、地中に残留した根の影というわけか。父曰く現在の黒又山に茂る樹木は、概ね後から植林されたものだそうな。
「正論だねえ。やっぱ止そうか、秋田くんだり来といて何だが」
「最後まで聞け馬鹿もん! 俺の考えはこっからだぞ」舌鋒鋭く父は語った。
彼が云うには、山頂直下の空洞に関する決定的反駁はまだ出ていない。
その真上に小さな社が建っているゆえ、確めようがないからだ。――真っ当な思考回路の持ち主にとっては、の話であるが。
当初の計画はこの社をほじくり返すという、とんだ婆娑羅の狼藉だった。自棄のやんぱちとなりし父の、常軌逸した了見であった。
そこへ案にたがう早さで刺客をよこした『かむなび』の手際だが、自らの聖地を護るための最善であったのであろう。
なるほどここまでくると、まことに何か埋まっていそうではある。
「甲府の惨禍が報道されて俺は確信を得た。この世は古今を問わず、常人の想像すら及ばんことで満ちとるんだと」
ちらと振り向き、父は云う。「――そうだろう、卜部くん」
「否定は致しませぬ」
恐れ入ったという風に、首をすくめる卜部氏である。鬼火の灯光を浴び、赤らんでいるようにも見えた。
爬若丸はその爪で、荒く激しく地を穿つ。
父の指示に従って傾斜のなだらかな沢尻地区の側から掘り進めていたが、頓に作業は難航の様相を見せる。その掘削速度が、突如がくんと落ちたのだ。
周辺地図に描かれた等高線をなぞりつつ、父は頷きウーンと云った。
「これ爬若丸、何事じゃ? 草臥れたか」
返事に代えて、怪獣は重苦しく唸った。
「無理もねんじゃねェノ、この暑さなんだからヨォ。オイラもぼちぼち疲れちゃきたが」
「……さもありなん。じゃが、もう少し踏ん張ってたもれ」
いっぽう父の面持ちに動揺は見られない。汗はかいている癖に、なんとも涼しい顔ではないか。
何故かと問うに答えて曰く、
「恐らくそれ以上に、土質が変わったんだろう。過去の報告にある階段状構造は、十段近くも積上げられた代物らしい。
とすると、土の種類が何層あっても不思議じゃない」と。
「複数ヶ所から運ばれた土の内、たまたま今は硬てえのかい」
「いや……中心へ近づくほど硬くなるのやもな」
足下の白っぽい土をすくい上げ、父はこねこね弄っている。「頂点下の空洞が石室なのか、あるいは粘土槨なのか。どのみち今の縄文時代史は覆ることとなろう」
何せさながら古墳時代的な遺物が、更に二千年も遡る年代から出土せんとしているのだ。それも大和の地からは遠く、同じからざる文化圏にて。
なるほどこの発掘には浪漫があるから、好事家気質はその昂ることさぞかしと存ず。
土沙が口へと入らんばかり、父の饒舌は殊更であった。
「土の固さも然ることながら、どんどん暑くなってもいるな。これは君の鬼火のせいだけじゃあなかろ」
「何ゆえ……左様に?」
「この先に熱源が有るかも知れんのだ。目指す所はもう近い」
我々は土塊の腸を喰う虫である。
爬若丸の掘る穴は、蝕むように上りゆく。登山鉄道の要領で、じぐざぐ折れつつ進むのだ。
斯かるほどに行軍する発掘隊一味であったが、中にはいよいよ消耗せる様子の少女や、ひいこら五月蝿い河童も含んでいた。
氏は白地の浴衣を汗染めにして、肌にひたひたさせていた。
父の仮説は果たして真か。
いくら大湯が温泉地とて、山の中に熱源などと。ピラミッドなのか火山なのか、一緒くたにしては不行儀だろうに。
やがて父は歩みを止めて、
「暑ッちい……が、よし。地中レーダー的には、この先が石室なはずだ」と物す。
彼のそれを受け、氏は式神に静止をかけた。件の部屋をその爪で、引っ掻き回しては悪いためである。
俺は予め嘱されていた通り、壁に刀を突き立てた。これが何かは後述しよう。
「どんぐらい斬り込めばいい?」
「うむ、いささか博打だが……五〇センチでいこう」
「しくじれば怒るかい」
「最善は尽くせ」
その指示の旨――それはすなわち、土壁一枚隔てた先であろう空間に入刀をすることだ。
何があるかは判らない。あるいはがらんどうかも知れぬ。怪訝の心を携えて、一思いにて刺し入れた。
人がきっかり通れる幅に、土石の壁を斬ってゆく。これは擬神器なればこそ、やってのけうることである。絞れるほどに、手汗を握った。
背後にて仲間らの熱い視線をひしひと感ず。馬鹿げた話ではあるが、期待されては精も出よう。
すると途端にどうであろうか。
「ぐ、んん…………おろろっ?」
眼前の壁が瓦解し、崩れた土に俺は埋もれた。「――……うっげ…………ぶぉえッ。ちきしょう、ついてねえ」
「…………!」
ところがここで無情にも、皆の注意は吾人に向かず。尻餅ついた我が眼前に、舞い散る塵の向こう側。
父も河童も、拝み屋さえも、全くそちらへ釘付けだ。
平気か、くらい云えばいいのに、総員息を飲むばかり。とんでもなき事ごさんなれ。
何ぞ何ぞと思うが早いか、俺も眼をひんむいていた。
二
「発見」という言葉には、さほど古き由緒が有るではない。
英語におけるdiscoveryという名詞を漢訳すべく、福沢諭吉に作られた単語とされるものである。
今日の日本人は日常会話で、かなり軽々しく発見発見と云う。
旨い店だの白蟻の巣だの、発見さるるは凡そ下らぬことばかりといった嫌があるし、むしろfindのごとき感覚で用いられているようにも思われる。
しかし今度の我らは然らず。その語の本義に則った、驚天動地の発見だ。
「……精一杯、我慢しようと思う。ほ、本当ならな、今ここで跳びあがって叫ぶに足るモノを……この目で見とるが」
渇いた喉を搾るがごとき、阿父の声が洞に響いている。「みっともない真似は止しておくとも」
吾人高砂衛介は、生まれて初めて下記に思うや、言葉を以てこれを吐露した。
「親父の子としてここに助力が出来たこと……心底光栄に思うよ」と。
素直なる感想のほか何物でもない。学説などより遥かに速く、覆りしは我が心。身にある穴という穴が汗を吹き、病を疑わんばかりに脈が悸する。
それほどの光景が、鬼火の灯りに照らされて在る。
しかして俺は「さっきは、すまなんだ」と追言した。
北緯四〇度一七分、東経一四〇度四九分。海抜二六五メートル。ここぞ黒又山ピラミッドの石室である。
空間は想像以上に広々としていた。
壁は灰白の巨石が組まれた上で、その間を粘土で埋められている。他方で床の葺き石はやや荒くなっているが、これは環状列石のそれと極めて類似したものだ。
しかしここにて、特筆すべき最たるは洞の造りに非ず。
円形部屋の中央部、丸くまとめられた列石の臍。そこに突っ立つ物体が、外の遺跡と全く異なる。
石柱あるべきその場では、身の丈ほどある赤褐色の円筒が鈍光を放っているではないか。
至極異様な造形である。
古代のこの地の人々は、何ゆえ斯くのごとき意匠を発想しえたのか。俺にはてんで解らなかった。
そこに彫られた紋様は衣服のようにも、甲冑のようにも見える。但し凡夫の纏うそれではない。
歪な隆線が縦横に走り、とぐろを巻いては幻妖の趣を醸し出す。
捻り曲がった腕を思わす両脇の意匠も、造化の妙すら覚えうる、奇天烈無比なものだった。
「神像土器…………いや、それによく似た何かというべきか」
「土器? こりゃアどう見たって……金属だろが」
「云ってんだろう、よく似た何かだ」
神像土器とは、長野県の藤内遺跡などで出土例がある遺物だそうな。そしてその確固たる用途は不詳ながら、こうした神秘的造形から大いに注目を集めたという。
なるほど云われてみれば、何かしらの霊祀といったような雰囲気が色濃く見える。
“神”なるものがどんな風体であったかなど存ずるところでないが、それを像ったと銘打たれて違和感の湧くものでもない。
蓋し太古の職人に、ただただ脱帽せざるを得ぬ。隣に立った卜部氏も、驚異のあまり絶句していた。
「しかし流石にこんな物が眠ってようとは……不思議でならん。
藤内とここは離れてるどころか、文化圏すら違うはずなのだが」
「タゴサク先生よォ、さっきから小難しい話が過ぎンぜオィオィ」
早楽はうんざりとして罵る。「ソーコーしてる内に、またヘンナノが追っかけて来たらどうすんのさ」
「……そうさな。もはや俺がここで伸されるのは吝かじゃねえが、お前らを巻き込むのも忍びない」
「ンナ、縁起でもねェ。先生だって死んだらダメだい」
「がはは、優しい河童の坊主なこった」
彼らの掛け合いを、我々はしばし傍観していた。ところがやがて、氏はこんな旨を父に告ぐ。
「……早楽の懸念は、あながち無根拠な獣の勘にはござりませぬ。妾も感じまする、妖しの気とでもいうべきものをば」と。
暫くぶりの開口だった。
氏の面持ちに常の余裕は見られない。どうにもこうにも参ってきたか、語る調子もやや冴えぬ。
なるほど疲れはさぞあろう。先の戦闘では彼女に相当助けられた吾人がいるのだ。
並びにこれは、虫の知らせであったとも云えよう。
「古い蝦夷の言葉で『クル』というのは超常者ないし“神”を意味し、『マクタ』は野をあらわす。
これが訛って黒又山と呼ばれるようになった」
父の頭に満ちたるは、果たして恐れか待望か。「――わかるぞ卜部くん。祟りの一つや二つ、今に襲ってくるだろうと。そういうことだね?」
「恙無く帰らんと欲さば……もう今しか」
正にその時である。
我らの立つ地が、その山が、ずんと響いて揺さぶられたのだ。すわ、この音や何事ぞ。
「――こッ、このごとく恐ろしうござります」
ぱらぱらと落ち、頭を叩く土粉。かねがね悸し続けたる我が脈は尚のこと慄く。
我が第六感にも伝わるものがあった。
中央の神像型構造物――ここより放たれる妖気がとうとうその濃厚さを極めている。別に吾人とて鈍感を拗らせ、これまで気付かざるわけはない。
ただ、気の変動は徐々だったのである。
「刻一刻と……こう、不吉なヤツが湧いてきてますよな。こいつは一体何です?」
知れたものか、というように氏は首を横に振った。
「これは憶測だが……太陽に関係しているのやも知れん。じきに日の出だからな」
「日の出なら何だって」
「昼間云ったろ、今日は夏至だ。大湯遺跡の石柱とここの山頂が、太陽の光で直線に結ばれる」
「レイライン、とか云ってたあれか」
「そう。古来、きっと重要な意味があったはずなのさ。この夏至に合わせた意図的配置にはな」
俺は考えが纏まらなかった。
レイラインが結ばれることに何の意味がある? 地の揺さぶりと因果関係があるとでもいうのか? ……今恐るべきは正体不明のこの妖気、喫緊性はここにあり。
再び象でも降ったがごとき、衝撃音が地を鼓する。雷同すまじと云うのは無茶だ。
「今何時だ衛介ッ!?」父が叫んだ。
「うぇッ」
咄嗟、薄闇に光る腕時計に目を落とす。「――よ、四時十二分!」
ここで最後の激動一震。我が応答に、ほぼ重なった。
「果たせるかな……ジャスト日出時刻ッ」
「あァ?! 何を呑気な!」
――ここで死ぬなら本望と云うのか。子が許さぬぞ、汝の倅が。
「恐ろしや……ここは金神奈落じゃったか」
神像の隆紋、その一本一本に妖光が走った。
禽獣類の啼哭か、はたまた重機の稼働の音か。云い知れぬ響きは耳朶に触れるや、魔笛のごとく震わしむ。
全ての怪事は例外これ無く、その霊柱に因るものだ。
さてまた連なる椿事の波涛、釣瓶打ちにて次々迫る。冗談めかしき大仕掛けだが、擾乱として動を為す。
秘所を秘所たらしめてきた、天井の岩が摩擦した。そのままごりごり自割して、空に向かって大口開帳。
――我らの上に降り注ぐ。夏至の朝日と土砂瓦礫。
「糞ッ、こんなもん…………――糞ぉッ、!!」
天網恢々、疎にして漏らさず。
滅多極まる狼藉に、怒れる神は我らを祟る。現状如何を説明しうる、知ある人など居はしない。誰も何にも、心得ぬ。
前代未聞のことである。
これが「発見」たるがゆえ。
※作中の夏至の日出時刻は平成27年度、秋田県のデータに準拠します。




