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アサルト・オン・ヤオヨロズ  作者: 金精亭 交吉
第二章【太古を読み解く男】
36/59

第三三話 『羽州湯煙旅情』

前回までのあらすじ:

 野望を遂げるべく史と共に秋田へやってきた衛介、凜、およびその式神たる早楽(さうら)

 大湯環状列石を見学した一行は、翌日の作戦の舞台となる聖地「黒又山クロマンタ」を拝す。史による歴史談義を聞いたりなどもしつつ、ただならぬ秋田旅行が静かに幕を開けていた。


 刀を振るうは我が稼業にして、そこで奮うは紅世景宗――火行の力を宿せし擬神器である。


 吾人のごとくしょっちゅうこれを振っていると、大胸筋やら上腕ナンタラやらが痛くなって敵わない。

 ここ(ひと)月は筋肉痛ずくめなのであった。

 

 仕事中は幸にも、五体に巡る濃厚な妖気が()せる感を鈍らしめている。これは疲労のみならず、外傷による痛覚をも忘れさせてくれるので大義といえた。


 しかしひとたび武器を置いたが最後、ここからは奈落である。

 妖力を以てした痛楚の鈍麻。この効の(かりそめ)なるは自明であった。


 ただし人間、慣れるもの。当初をいえばこそ悶絶躄地なりしも、慣れてしまえば大苦は無い。

 そんな風に思い込んでいた吾人である。

 ……これやこの、大湯の名湯に体を浸たしてみるまでは。


「こいつは良い湯だ。どぉれ、ちっとばかし痛風に効いてくれると嬉しいがな」

 父はボフゥ、と息をついて云った。


「くひゃア、人間の有り難がるオンセンっちゅうのは、こういう代物なのけ……!」

「おうよ河童小僧、知らなんだかァ。()ッチッチだろう、ガハハハ!」


 化け身の術とは見上げたもので、服を脱げども皮が剥がれることはない。

 (えら)張った顔立ちではあるものの、早楽の見かけは変哲なき幼児そのものである。

 

「……ほんと、ほんとにまァ熱ちくてたまんネェや。こりゃアレだろ、“ノボセル”ってんダロ、この感じ」

 真っ赤になった早楽はその目をくらつかせていた。


「何だい河童、まだ幾許(いくばく)も経たんじゃないか。そら、肩まで浸かって十数えてごらん」

「よ……よしキタ、合点でい。

 ヒィ、フーゥ、ミーィ、ヨォ、イツ、ム――……ム…………ムリダァ」

 四本指を折り返すや、ずるずると沈みゆく童子。

 ぶくぶくいう泡沫(うたかた)を以て断末魔に代え、湯面の下へ見えなくなった。


「うぉい、しっかりしろ……ゲッ」

 慌てた父の引っ張り上げしは、気絶して馬脚をあらわした河童。父は恐る恐るで早楽を抱え、夕涼ここちよき岩肌のもとに寝かす。

 ここは露天風呂である。


「いけねえよ親父、変温動物にそんな真似させちゃ」

 俺はしばらくぶりに開口した。


「……南無三。やはりそういうもんだったのか、妖怪も」

「そりゃね、生きてんだもの」

 石の(へり)にぐでんと(もた)れた吾人。我が顔は自ずと天を仰ぐ。


 月が出た出た、月が出た。嗚呼よいよい――と。

 呑気な調(しらべ)が脳裡に流る。俗にはこれを以て脳内再生というそうな。

 

「大人しいな、衛介」父の体を以て、がさつな水音が立つ。「よくよく屈託してるようだ」

 我が身に絶えぬ生傷を、改めて見ての感想なのかも知れない。

 彼の面持ちは意外なほどに、否、かつてなく“父親くさい”ものであった。


 事実我が口数はとんと減っていたであろう。

 今ここで名湯に浸かり、浄土にも喩うべき癒えを感悦している。そして同時に、自らの如何に(いた)めるかを知った気がした。


「客は俺らだけかね」

「どうだったか。流石に、あと二・三組かは居たろう」

「……そか、そか」

 男湯の間は我々のほか、早楽が伸びているのみである。心安らぐ静けさであった。

 時は六月、加え何のあるでもなき土日だ。これを鑑みれば、この閑散たるも頷けよう。


 ――とすると、薄板一枚隔てた先には一糸まとわぬ卜部氏一人。

 俺は反ったまま体を伸ばし、板の下が覗けまいかと目論んだが徒労に終わった。

「ちッ……(いっで)


 すると何をば察してか、

「息子よ。お前も阿呆なら、たまには猥談とでも洒落混まんかね」といってふざける父。

 知らぬ人が見れば極めて気持ちの悪い、品の欠片もなき顔である。


「ま、また訳の解らんことを」

「もう済ませたかい、あの住吉ちゃんとは」

「やかましいよ。あれにそんな事せがんでみろ、きっと切り落とされちまうンだからな」


「ワハ、そうも弱気とは情けねえ奴だ」


 何ゆえであろうか。

 物見遊山の旅ならまだしも。今この男は、もっと緊張感を持って備うべき時であるのに。

 腹の底はいったいどうなっているのだ。


 あるいは俺の怯えが過ぎるのか?


 口惜しくも、彼の鷹揚たる態度が俄然立派に見えてしまう。ならばと思い、俺は無理してこう云った。


「卜部さんは着痩せしてるが、お乳は存外あると見た! 拝むんなら、まず良いものから拝んどきたいッ」


 父は応えず、引きつって笑う。――斯かる場合の勘の良さたるや、亀の甲より年の功か。


「つ……つ、筒抜けじゃぞ衛介ぇ……! 許すまじ、この色ぼけがッ」


 敷居ごしに癇声が飛んでくる。その主をいえば卜部氏の他ではなかった。

 これはいけない。


「やァその、お許し下さいってば。あ……そうです、この俺がいつ悪口を申しましたか」

「……知らぬ! 早楽、そやつを引っぱたけ!」

 式神は一瞬ぴくんとしたが、この命令はそこにて果てる。


 これには父も大笑し、

「すまんね、河童くんは湯で参っちまったようだよ」とて手を叩いた。


「おんどれ!」

 怒髪が天を衝かんばかり、この声色には身もすくむ。しかし飽くまで、卜部氏だ。


 ここから顔は見えこそせぬが、その気色の桃が如かるはさぞかしである。



 旅行業界では年のうちでも客足(まばら)な閑散期をシーズン・オフと呼ぶが、一般にこの時は宿泊代など諸々の値が引き下げられて営業される。


 この口で敢えて慢言する意義も、実際なかろう。けれども、嬉ばしいので遠慮はしない。

 温泉街にとって、シーズン・オフは当季であった。


 我らは季節の山菜や川魚といった美味に舌鼓を打つと、各々移動の疲れを癒す。今回は移動の長さもあって、風呂に引き続き、くつろぎの喜びはこの上ない。


「――いやはや、一時は本当にどうしよっかと。鱗のある生き物を湯船に入れただなんて、何かと怒られそうじゃありませんか」

 明朝に備えてと父が早寝し、幾分も経て後のことである。

 卜部氏と俺は、部屋で碁に興じつつ()(ちゃべ)っていた。


「それしきのことでこの腹が立つものか」

「旅館の人にでさ」

「ぐぬぬ……」

 パチンいってと黒石を打ち、彼女は頬を膨らます。


「嫌だなァ、そっちにゃ未だお怒りか」

「当り前じゃ、ど助平め…………――ぅむ? なるほど、そう来よるか」


「俺なんぞまだまだです。ほら、何かもう負けそう」

 氏の機嫌を直すに涯分するのも然ることながら、何だかんだで今を面白がっていた吾人である。


 この娘は二つほど先輩に当るのだけれども、蓋し我らの()()は良く良く合うのだ。


 上記のとおり俺は劣勢に終始した。そもそも彼女は遣り手であったし、当方も勝利に拘るではなく、会話の片手間というつもりで打っていた。

 その塩梅でも、俺は至って愉快であった。


「これが済んだら売店を見て参る。土産物が見たい」

「勝ち逃げだなんて」


「えい、黙らぬか。一つ頼まれておるのじゃ……まぁ折角の旅ならばのう」

 どうにも事しもあり顔で、愁然と呟く卜部氏。白魚のごときその指が、なよなよとして遅れ毛を弄っている。

 浴衣の袖もゆらゆらり。


「お供しますよ。侘びしいに違いない」

「す……好きにせぇ」


 程無くして我々は宿一階の小さな売店へと向かった。

 氏の付き添いなどとは戯れに云ったが、さなきだに、俺はぼちぼち保冷箱の氷を補充したかったのだ。


 明くる昼はバーベキウである。

 焼いて楽しく喰って美味しい、原始的ながらも素敵な食餐形態といえよう。


 発掘は大掛かりになろうし、そんな余裕が有るかは知れぬ。然るをあまりにきつく念押しさるれば、已むに已まれず持参した。

 七輪その他は()()()だけれども、ご愛嬌と云われたし。


 夜辺の旅館は楽しげだ。道中団体客ともすれ違うなど、踏んでいたより賑わっている。


 ――彼らは全く以て、湯に浸からなかったようであるが。


 買い物を終えた我々のもとに、幼児が一人駆けてきた。「大変(てえへん)だてえへんだ」とて、早楽である。

 危うく茹だりかけるも、漸く元気になったらしい。

 

「すっかり顔色良くなったではないか。ほれ、胡瓜(きゅうり)の田舎漬じゃ。買うてみたぞ」


「うんにゃ、それどころじゃネんだ!

 おっ、オイラとタゴサク先生が寝てる間に、可笑しなのが集まっとるぜ」

 童子は幾度も噛みつつ語る。


「な……何を慌てておる?」

「トにもカクにも、変ちくりんだ。オイラは窓から回って来たが、お部屋の前が大盛況サぁ」


 人は盗人、火は焼亡。肝に銘じて世は渡るべし。

 警句の覚えは数あれど、未だ必ずしも功為さず。恥ずかしながら我が尻の青さ、この然らしむるところか。



 旅の恥は掻き捨てという。

 仮にいささか粗相を来たし、赤っ恥を掻くとする。然りとてその場を見る人は、大方それぎり会うことも無い。

 そう考えると気軽なるかな。


 だからといって好き放題、などと思えば大間違いだ。

 斯かる言葉を曲解し、傍若無人になってはならぬ。観光客にそれなりの、行儀と節度が求まれる。


 むろん明朝遂げられんとする、父の狼藉を棚上げするのではない。

 しかし何だか行儀良からぬ人々が、我が部屋の前に群れていた。

 

 ひょっとすると中小企業の慰安旅行のように見えもするが、様子はずいぶん奇妙である。


「――ちょいと、勘弁して下さいっ。こうも門前市を成されちゃ、入ろったって入れやしない」

 群れなす団体様を掻き分けながら、俺は五月蝿くがなって云った。「こちとら小便がしたいんですから!」


「はてな、何事じゃ? いずれ我が()も斯くのごとく繁盛すると良いのう」

「ヤァ……こんなのに来られちゃ、きっとオイラは嫌だね」


 式神をしてそう云わしむるこの一団は、揃って朗らかそうである。

 その先頭たる一人の男が、俺に向かって以下に問う。

「あ、もしかして息子さんかな? こんにちは。この部屋、高砂史さんがご宿泊でしょ」

 父は妙な所で著名人だが、サインなど乞われては堪るまい。――と、云うより俺が恥ずかしい。


 我々は、疾っとと中に入りたかった。


「急いでんです、漏れそうだ」と云って正に鍵を回したその刹那。

 突如怒号が、ぎゃんと響いた。


「――――開けるな衛介ッ!」と。


 ところが軍配は手の勢いに上がる。

「お、親父?」俺は間抜けに戸を開けたまま、奥に座った父を見ていた。

 外の彼らと対照的に、苦虫を噛んだ顰めっ面。地蔵のごとく動かない。


 珍客の男、我が背後にて曰く

「あなた方も、名誉ある(にえ)の最期をご覧になるのですね」と。

「……はい?」


 男のにこやかなる様は、返って不協和にすら見えた。

 しかして吾人は、ここでいよいよ過ちを知る。

 

「本当にハッピーなことと思います。

 新たな天巫(アメノカムナキ)を呼び覚まし、更にその贄としての務めを買って出る方が現れたのですから」


 ああ、やんぬるかな。


 甘かった。そう、我らは斯くも無用心であった。

 偶然の邂逅か、計画的な追っ手の衆か。


 否、事既にしてここに至りき。そんな事はどうでもよい。

「あめの……かむなき…………あんたらァまさか」


「はい。日々ハッピーを目指して、『かむなび』で頑張っている者です!

 ね、高砂史さん。今回は皆旅行がてら、またとない復活の儀を見届けに参りましたよ!」


 狼狽、動悸を圧し殺すように、(やに)に汚れた歯を食い縛る。方今最も恐れる者に、己の名前を呼ばれたのだから。


「ちきしょう……お宅の気持ちはよく解るけどもな、来るなら明後日以降が望ましかったッ」

 缶珈琲をがぶ飲みにして、勢いよく低卓を打つ。

 空き缶がコンッと快鳴するや、彼はすっくと立ち上がった。「――仕舞いぐらい存分に楽しみたかったのだ、俺は」


「とっても面白いコメントですねー! 悪いようには絶対しませんのに!」

「本当、善意というのが一番大事です。

 そうだ、そろそろ“御先(みさき)”をお呼びして、便宜を図っておきましょうよ。ね?」


「いいですね!」

 一団は口々に、「ね」と云って懇ろに頷き合っている。

 これでも大変な気持ち悪さを誇りたおしているが、これしき()()()序ノ口だった。


 やがて彼らが一斉に奇声を上げ出す、その時である。


 部屋の外から妖しの気が近付いてくる。それは一つの点ならず、うようよ居るよう感ぜられた。


「ちょッ、何おっ(ぱじ)めようってんですか!」彼らを押し退け部屋を出て、辺りを睨めた吾人の見た物――――。


 眼を覆うべき光景だ。

 凡百の娘子ならば、たちまち卒倒したであろう。


 客室前の廊下には(おびただ)しくも滑らかな鱗が黒光りして、所狭しと蠢いている。その空隙は妖気の波にゆらゆら歪み、禍々しさを隠しだにせぬ。


 驚くなかれその正体、牛の寝たほど寄集まった蛇の大群ではあるまいか。

 夕闇のごとき不吉な色と、鼻の先には鋭利な角。


 しかしてその名をこの拝み屋の称して曰く、

夜刀神(やとのかみ)……!」と。


 彼女の声さえ、戦慄いていた。


「なっ……何なんだこりゃあよおッ」中でもことさら慣れも無く、滅多矢鱈と取り乱す父。

 我が心にも寒心は、稲妻さながらにぞ走る。

 

 ――死ぬ。殺される。

 父はこの場で消されてしまう。


 息子の為すべきは何ぞや。

 その本懐を果たさしむべく、伴なわれたのではなかったか。

 墓石(いし)に布団は着せられぬ。

 たとい世の理に悖ろうと、父に最期の花を持たす。それが志ではなかったか。


 正に神祇に狼藉を働かんとする男。これを止めんとする信徒。一体いずれを以て正義か、そんな話は云わずもがな。

 さあ何とでも罵りたまえ。「――……もう我慢がならんッ」


 親も親なり、子も子なり。

「お行きよ親父、ここは引き受けた!」俺は高らかにがなった。


 その懐より霊札を抜くや、屹度(きっと)直って構えた卜部氏。これに目配せ、氏の点頭を確認す。


 空に描くは灼熱の弧、その出どころぞ我が(たもと)

 擦れる鋼は鏘然と鳴き、赫々たる太刀がここに顕現した。


「早楽、高砂先生を護衛(つかまつ)れ」

「ッしゃあ、合点承知ィ。タゴサク先生、背中は任せナ!」

 すまんと云って父は窓辺を跳びだし、石槍帯びた早楽も揃って軒づたいに逐電す。

 土俵の支度は整った。すなわち暴れる用意のことだ。


「どうも、ご迷惑かけます……!」

 すると言下に彼女は応じ、にやりと笑んでこう云った。


「男もすなる戦闘(いくさ)というものをッ――」

 勇気凛々、その娥眉にみなぎる。「女もしてみんとて、するなり!」


 咄々怪事はあるものだから、これ討ってこそ稼業といおう。

 這いずり寄る(いびつ)の者ども、ただ首を狙いその牙を剥くのみ。対し、妖力を以て正にこれを迎撃せんとす。


 斯くして、大いなる事変の火蓋は切って落とされたのであった。

 一行の命運や、如何に。

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