第三二話 『高砂先生青空講義』
前回までのあらすじ:
父の計画は無茶ながら、何としても成功させようと頭を捻る衛介。
そこで協力を取り付けるため凛のもとを訪れるが、当初は恐れ多いと断られて押し問答に。だが作戦の部隊は秋田。風光明媚で山河の幸に富む温泉地である。
この点を聞いた凜が終に下した決断は――……きっと想像に足りるだろう。
一
数日後の晩、卜部氏は案ノ定な電話をよこしてきた。
これが首尾よくいきさえすれば、罪人の息子たる汚名を被らずに全て果たせるはずである。加えて教団の魔手から父を守る手立てにも繋がり、重畳だ。
しかし承諾の際、氏は幾つか注文をつけてきた。
困ったことにこの意味が奇々不可解で、ただいま俺は頭を抱えている。
彼女曰く、
『食える肉をありったけ用意するのじゃ。それとブルーシートの類も頼む。……いずれも大きに越したことはない』云々。
豈、片腹痛きことではないか。焼肉大会を催す余裕などないのに。
饅頭ではなお飽きたらず、肉もがなとは筋金入りな。あれぞまさしく痩せの大食い。もとい、おおよそ胸部にばかり脂身の実を蓄えている。まったくめでたき女と称えん。
氏はあまつさえ、こうも云う。
『無駄な死人を出しとうなくば、ゆめゆめ忘るまいぞ』と。
……いったい何の恐喝か。
然れどなるほど、こちらは無理を呑んでもらった側だ。その上で否まば殺すとまで脅されると、おぞましくて却下もしかねた。
そうなると七輪は確か押入れにあったかと思うが、「ありったけ」とお達しの肉を如何に調達すべきかは、げに悩ましい。
斯様な話題は日頃やりくりに慣れた者が、得意とするに違いない。きっと明智を得べしとて、俺は千歳に色々問うた。
「――業務用の豚肉? ……あのねえ、絶ぇーっ対だめだから」
彼女は呆れて一笑に付す。「てかそんな買ったって、うち三人で食べれるとか思うわけ? 余って腐んのオチじゃん」
「や、そうじゃアなくてだな。今度のやつに持ってくんだ。卜部さんがバーベキューしてえと云って聞かんでよコレが」
「は……」
悉皆、千歳の反応は尤もである。家で食うにも出先で食うにも、三人たるは等しかろう。
先方の注文どおり多々買いなどせずとも、ささやかに焼肉するには不足なく思われてならぬ。
「アーッハッハ、全くだい。やっぱ三人ならそうもワンサカ持ってくなんざ無駄だわなァ」俺は呵々といっておどけた。
「……知んないし」
「んぇ?」
「勝手にすればッてーの」
はてな、何事か。
女の形相が、俄か且つあからさまなる不機嫌へと転じたではないか。さては愚案のあまり、呆れが礼にでも来たか。
しかし千歳は斯くて物する。
「凜さん誘ったとか初耳なんだけど! そのくせ留守番のあたしゃ捜査任務とか……ないわ、マジない」と。
さあいよいよ解らなくなった。こんな不快なことがあろうか。
えい千歳め、卜部氏と仲良しなるは存じたところだが、その参加を知るや掌を返すとはこれ如何に。
本来吾人としては、汝を具した旅ならどれほど胸躍るか知れぬ。
そんな我心も知らいで、勝手に慷慨するものではない。
「野郎っ。散々ジジ臭いせえだ何だって抜かしておきながら!」
「気ぃ変わっちゃ悪い?」
「そんなに卜部さんがラヴかッ」
「――はぁ!?」さあ、しめたり。
この娘がハァと云ったらば、それは我が優勢の証である。「……むっかつく。あァはいはい、もーいいし。凛さんと二人っきりで、存分にお楽しんどいでネエーだ」
後半の棒読みが引っ掛かるけれども、一応道理を以て解してくれたとみてよかろう。
やれやれ気難しき奴め。
「そもそも、二人きりって語弊があんぞ。
親父は勿論、力仕事の出来る人手も合流するとよ、卜部さん側からな」
「えっ……あっそ。じゃあま…………その……あたしにも買ってきてよね、お土産の一つくらいさ」
煮蛸のごとく憤っていたのに、千歳は途端に悄々とした。
「お? よォしよし合点。それなら期待しとけ」
全くあれでいて、氏もつくづく人気者ならずや。一度名を出せば、途端に我もと云わしむるまでとは、羨ましさの限りかな。
いずれ吾人も、そう成りたしと思って已まぬ。
もてる者の頭角とは如何に垣間見えるものか、学び盗むもまた一興。
定めし、この旅に習うべきは多かろう。
二
現役高校生にして荒仕事の初歩者たる我が日常は、盆と正月が一緒に来たようなせわしさである。
そんな俺には旅行というと、そう容易くは肖れぬ愉楽の事だといえるのだ。
今度の場合、正しくは大任を負った出張なわけだが、温泉付きと聞いたらばやはり喜んで赴きたいところなのである。
これぞまさしく忙裡偸閑と称するのがよい。
「衛介……本当に大丈夫だろうな。もし助っ人とやらが半端な奴だったら、俺はお前を張っ倒しても飽き足らん」
苛立ちながら、父は爪先をとんとんいわす。「ユンボまでキャンセルしたんだぞ」
「良いでねえか。レンタル代二万円弱も浮くんだから」
「ばっきゃろう、技能講習に俺がかけた苦労はどうなる」
「まァ……きっと損はしめえよ、その手のやつは潰しが効くんだから」
日曜日午前九時。
重々しい保冷箱に豚肉を十キロも詰め、我々は東京駅に出没していた。新幹線乗り場にて、卜部氏と待ち合わせなのである。
そして間もなくのこと。
「待たせたかのう、衛介」とて、艶やかな紬に身を包んだ卜部氏が現れた。
利休鼠の単衣を、夏菊のごとき帯で彩った、何とも品の良い装いだ。
「お初にお目にかかりまする。何卒よしなに!」
彼女は頭をぺこりと垂れて、珍しいほど無邪気に微笑む。
このほど降って止んでを往来していた天気は、祝うべき青天白日を以て今日を迎えてくれた。
氏の面持ちも、ああも嫌々いっていたのが嘘のようではあるまいか。そんなに肉が楽しみか。
「やあ、おいでなすった。
えーと……紹介するぜ親父。今回お力添え頂く、拝み屋の卜部さんだ。――……で、こっちが?」
どうも奇妙な印象だった。
何せあまりに何気なく居るものだから、ついぞ気付かざりしことである。卜部氏のすぐ脇に、ちびっこい童がくっついているのだ。
丈は我が腰ほどしかなく、髪は古き伴天連のそうであった風に、脳天部分が禿げている。
まじまじ見れば、しばらく笑うことができよう。
しかしそんな稚児は氏に手を引かれ、にたにたしながらこちらを見ていた。
……さてまた何と生意気そうな子であろうか。
不意に童は喋りだす。
「おぃッと、久方ぶりだな、タゴサク!」と。「オイラも手伝ってやることになったぞ、感謝しろヨ」
「なッ……何だいガキんちょう。まず俺ゃタゴサクじゃなくてタカサゴだっ」
随分なる馴れ馴れしさに、調子が狂っていささか慌てた。「弟さんなぞ居ったんですかい、卜部さんよ!」
「これこれ、会釈も出来のうなったか……こちは今回、具していただく側なのじゃぞ。そら、いっぺん化身を解くが良い」
――ぽん、と彼女は手を打った。
するとどうだか、見て吃驚。
その掌が音を打ち鳴らされ白煙が立ったかと思うと、眼前の子供は深緑色の爬虫類に変わっていたではあるまいか。
そう。
こやつこそ卜部凛の式神が一、河童の節凧早楽に他ならぬ。
「あ……なァんだ、お前だったか早楽。全く妖怪というやつは、猫も杓子もよく化けやがる」
「どだ? ビックラこいたか」
たるんだ顎をだらんと垂らし、父は以上一部始終を眺めていた。
それもそのはず。彼が生の妖怪を見るのは、これで初めてである。
「き、君らァそんな……こんなところで開けっ広げに…………はェえ、こいつはブッたまげた」
無論、たまげたのは父のみに非ず。
ここは天下の東京駅。辺りは人でいっぱいだった。
そんな中にて目を引きたるは、着物の娘と緑の河童。どよめき立たぬわけがない。
意地の悪い携帯カメラのシャッター音らは、嘲笑うがごとく鳴り囃す。
「はてな――悪目立ちを晒すまじくの化身だったはずじゃが?」
「クカカカッ、解けとの仰せは凛殿じゃアないかヨ」
「あぁ、さもありなん」
しかして早楽はすぐさま童子に戻ったものの、時既に遅し。
好奇の視線という、不名誉至極の洗礼であった。
一方それしきどこ吹く風と、早楽にジュースを買い与える卜部氏。無闇なまでにご機嫌だ。
「衛介め。本ッ……当に大丈夫なんだろうな」
「あァ、いやまあ……その、さぞ浮足立っておいでなのさ。やるときゃ遺憾無くやって下さるよ、多分」
「きっと無事には終わらんぞ、今回」
父の苦めな表情が、我が胃をしてこれを痛からしめる。斯くも幸先不安とは。
陰謀論者、拝み屋、怪異ハンター。これらそれぞれ一人ずつ。
そこに加えて河童が一匹。
何ともきまりの悪いまま、この珍妙な一行は秋田へと発ったのであった。
三
東北新幹線に揺られること、一三〇分あまり。
「こまち」は銀色の車体に、鼻先から背へと真紅の塗装が延びたお洒落な風貌である。
盛岡駅に着くと我らはJR花輪線に乗り換え、鹿角花輪で再び下車す。次が最後の乗り換えだ。
大湯温泉行きバスで二五分。我々は環状列石前という停留所に辿り着く。
長い旅路の果て、刻はぼちぼち三時を回らんとしている頃であった。
斯かるほどに一行は芝生の原に降り立っている。
そして辺りの物珍しさを、吾人は面白がっていた。
だだっ広い土地の所々に葦葺きの小屋が点在し、それらに囲繞されるがごとく石製の構造物が敷かれている。
早くも漂う神秘の趣に、わけなく引き込まれてしまう気さえしていた。
「――へぇ、こりゃ大した奇観だぜ」
「今や日本史の教科書で、載せてない出版社は無えぞ? お前はもっと勉強しろ、勉強ォ」
父はつらつら語り始めた。
秋田県鹿角市に残るこの場所は、その名も「大湯環状列石」。
縄文時代後期すなわち四千年もの昔、この地の人々が築き上げた遺跡である。
かつてその性質には幾つか仮説が立てられた。
神に祈る祭祀の場とされたり、日時計と云われたりである。
しかし近年の研究では、副葬品を伴った土坑の発見などから墓地の一種とする見解が強い。
列石を囲う掘っ立て柱の小屋も、葬儀に際して利用されたという説明だ。
「東北一帯には大和政権なんかが侵出してくる遥か前から、独自の文化圏が存在した。
縄文土器は亀ヶ丘式の高度なものが花開き、また三内丸山のような巨大集落も栄えていたのだ」
円に並んだ石片に沿って歩きつつ、青空講義は展開された。「――この環状列石も、その重要な一角といえよう」
そんな中で「いわゆる蝦夷にごじゃりまするか」と、問うは卜部氏。
「うむ。後世彼らの子孫を指して、そうした呼称も確かにあったな」
「ほお……どうやら卜部さん、思うところでも?」
「青森では、霊能系同業者の者がイタコを名乗って脈々と続いておるやに聞く。
その“イタコ”なる言葉も、元は蝦夷の言語が語源というてな」
日本民俗学の父・柳田國男は、著書「イタカ及びサンカ」中でこう述べているそうな。
『イタコの語原に関する自分の仮定説は左のごとし。イタコはアイヌ語のイタクに出づるなるべし。ハチェラー氏語彙によれば Itak=to say、acknowledge、to tell とあり。』
父はそれなりに感心したという目で、氏へむけて深い頷きを送った。
然るを、次にはこうも語る。
「だが一概に蝦夷といえど、彼らが如何なる民族だったか確かなところは判らない。例えば現代のアイヌと必ずしも同じ人種なのかといえば、そうとも限らん」
辞書的な意味において「蝦夷」は、古代大和の中央政権に与しなかった奥羽の部族を総称するに過ぎないようだ。
「少なくとも一定水準の天文知識を持つ人々がいたらしい、とはここで以て判るがね」
父は石の柱を前にして、足を止めるとそう云った。
見れば、それは羅針盤のごとく纏められた列石の中心に、突兀としてそそり立っている。
蓋し、立派の一言に尽きよう。
あたかもそれは、天に向かって己が意気をえいえいと主張しているかのような心象であった。
「こりゃあ云ってた“日時計”かい? なるほど、お日様が当たって影が出来てら」
西へ傾く陽光。これを全身で浴びた石柱の影で、然るべき位置を指すわけか。
古の智慧には脱帽である。
「そうさな。しかしながら俺が思うに、こいつは単なる日時計でもなく、いわんや普通の墓では尚更ないはずなのだ」
眩しさゆえか気分ゆえか、彼の眉間はひときわ寄っていた。「卜部くん――……明日、六月二二日は何の日だかわかるかね」
「……夏至、かと存じまする」
「ご名答。流石は陰陽師、暦との睨めっこも伊達じゃアなさそうだ」
「いえ、恐縮の極み」
「何でェ。さっきから黙って聞いてリャ、解せる話がコレッポッチも出てこねえのナ! タゴサク、お前もそうは思わネか」
既にして芝生にしゃがみ込んだ早楽は、吾人に不満の同意をせがんだ。
なるほど、ややもすれば俺も本当に事を解せなくなりかねない。
夏至なら一体何だというのか? 第一わざわざそこを狙って訪れていたのか、我々は。
ひとしきり沈思して、その甲斐無きを知る。
かくんと肩を落とした俺は、「俺はタカサゴだってのに」とだけ云った。
「ふむ、あっちが北北東か」
父の指差す先には“日時計”の石柱がある。しかして更にその遥か先――まっすぐ遠く、野を越えた先。
蒼く美しい錐形の山が鎮座していた。
その形はあまりにも整っており、さながら安直な子供によって描かれた絵のようですらあった。
「夏至の明け方、陽はあの山から昇る。日輪、山、そしてこの遺跡が、一直線の『レイライン』で結ばれるというわけだ」
我らが尻の向いたる方へ、引きずられるように沈みゆく太陽。
すなわち次にあれが顔を出すとき、それが作戦決行の時なのである。
「今回はあの神奈備を攻める。
人呼んで黒又山…………またある人曰く『ピラミッド』と、な」
一行は四者四様、嘆息を漏らしていた。
話が呑めもせず退屈に堪えぬという者、山の佳景に見とれた者、臍を固めて息筋張った者。
そして最後は、父の計画に改めて呆れた者である。




