第二七話 『ばけものがかり』
前回までのあらすじ:
歓奈の発案で旗揚げされた非公式諜報結社「麻雀同好会」。
衛介・裕也もこれに加わり、部活にかこつけて学校を拠点に密議を凝らす。またそこで歓奈は、注目すべき情報を明かした。諸悪の背後に浮かび上がった謎の教団「かむなび」の存在である。
これだけでも大いに驚く衛介たちであったが、更に彼女の考えは、一歩先まで踏み込んでいた。
歓奈が立てた、その思いもよらぬ仮説とは……?
一
事務所の掃除当番が吾人に回ってきていた、ある日のことである。
PIROの勤務制度として、掃除当番はその日の駐在者が担うのが決まりだ。むしろ依頼無き日は、掃除以外が暇となる。
平和であればあるほどに、業務は不毛になるのである。
俺は嫌々ながら、これに汗水かいていた。駐在中も時給は出るから、やってやらぬことはない。
自在箒で床を撫で、ちり取りの元へ掃き飛ばす。いささか手際が雑なので、意図せず埃は舞ってしまう。
ちり取り横にしゃがんだ裕也は、小ぼうき片手に眉を逆立てていた。
ここで何か罵られる前にと、俺が雑談に切り出したところである。
「ワタルたちがいよいよ五月蝿いぜ、麻雀同好会に是非とも入れろとさ」
「……またかよ。うちはサンマ専門だからって云やいいんじゃね」
「何べん云おうが聞きやしねえ。連中は桧取沢さん目当てだ」
「それな。つーよりオレらも……実際まだあそこで打ったこと無いわけだが」
桧取沢嬢が隠蓑を麻雀に託つけたのは、俺と裕也の趣味に合わせただけで他意はない。
つまるところ彼女は遊び方さえ知らないのである。
天才美少女雀士あらわる! とでも謳えば、すこぶる聞こえが良かったかも知れないのに残念無念。
――吾人のごとき漫画の読みすぎは、ことほど左様にけしからぬ。
ほぅ、と裕也は息をつく。そして「話題重くてそれどころじゃないわー」と加えた。
虫の知らせだ。
一階……もとい玄関口から跫音が聞こえてくるではないか。それはやかましく、あっという間に距離を詰めてくる。
まもなくその主が、我らが視界に表れた。
「やっほーっ。お掃除おつでーす」
東海林飛鳥、十六歳。金行を宿す、PIROきっての韋駄天である。
「……よ、よぉ東海林。お前の駐在、今日じゃなかろう。わはは、おっちょこちょいめ」
「んなこと解ってますよォーだ。シフトじゃなくても仕事が有んだもん、うちには」
ぼすん、とエナメル鞄を置くや、飛鳥は軽快に部屋を出ていった。
「もうどっかいった。忙しいやっちゃ……ああ」
「ははあ、“捕虜”のお世話か。精が出るなー。………ああ」
我ら二人は、黙りとした。
断っておく。元気印の小娘を前にして黙り込めるは、これに見蕩れたからではない。
「裕也。最近絡んでるか、東海林と」
「……昨日ラインした。別にとりとめ無い事で」
「ほんとかい」
「夕べのアメトーーク見た?』ってだけ」
ここで再び会話は途絶す。
上の空となった吾人の手が、ぱたんと箒を取り落とした。じとっとした我が目は倒れた柄に向かったが、拾いあげなどしなかった。
「衛介、そっちは」ふとしも、友が問い返す。
「おとつい。『エースケくんイケメン!』って」
「とりとめ無くないな、それ」
「――だからオゴって! うちね、リプトンがいい!』と来たもんだ」
「あっ……とりとめ無かったわ」
悶々である。
このほど我らに憑いた漫神は、どうにも手強いようであった。
すると堪えかねたように、俄かに以て裕也は立つ。そして「行こ」と一言。
その行き先は、地下室だ。
ならば具せとて、俺も続いた。
二
東海林飛鳥は一見すると小童である。
しかし喋ってみると、なるほどよくませた小童だと解る。おっと…………やはり小童ではないか。
彼女の姿態は愛くるしいが、引締まった肢体が携わってか、心強さもこれを欠かない。現に擬神器・辛鋪鎚は、体躯に似合わぬ重量型だ。
山椒は小粒でも、ぴりりと辛いというわけだ。
されど常々見せる白い歯と、その玻璃のごとく澄みわたった笑顔。これが、純真無垢という質を象徴した。
それゆえに、桧取沢さんの言葉はなおさら衝撃的であったのだ。
我らが同好会、記念すべき初会合の折である。
曰く、
『未だ全貌は掴めませんが、考察を重ねるほど、奇妙な部分が浮き彫りになってきました。
……――飛鳥さんです。彼女には訝しい要素が多すぎます』と。
これを聞かされた我々二人は、藪から棒に何をといって危うく飲物を吹きかけた。
しかるに嬢によれば、実以て確りとした根拠があるという。
まず一つ目は、八咫鴉出現時のことだ。
回収した資料には『兵力拡充計画』の破綻と、培養済みの翼竜を仮死状態と為し封ずべき旨が書かれている。
そしてこの後段には、いざというとき封印を解く術も併記されていたのだ。
……が、あいにく呪文が暗号化されており未解読だそうな。
さて。あの時、折しも頭痛に喘ぎたるは飛鳥。
そこでどさくさに紛れ、彼女が何らかの術式を唱えた可能性――これあるべし、と。
桧取沢嬢はそのように指摘した。
とんでもない暴論ではないか。
これには流石の我らも「いたいけな女子に何たる言いがかりを!」と囂々たる弁護で迎えうった。
ところが対する論陣は姫路のごとく難攻である。次なる根拠が応酬だ。
二つ目は甲府でのこと。
飛鳥が危うく八咫鴉の熱光線に焼かれんとする寸前、咄嗟に使用した防護術式。
これは水属性の、しかも大層高度なものであった。
当り前である。
火行の力を相剋するに要されるは水行を以て他ならない。
桧取沢さんは当初、これも卜部氏が与えた霊札の術式が一と解した。――しかし既にして、全く異なる真実が明かされたのだ。
卜部氏は飛鳥にそんな霊札など与えていない。
それもそのはず、札はそもそも千歳の手から渡ったのであり、これらは全て引力自在の術である。
この経緯からすると、高等水行防護術が使用されたという結果は氏の計らいに大きな齟齬をきたす。然らずんば、小娘は自力でこの術を行使したことになってしまう。
だが……それはあり得ぬ。その身に宿りし妖力は、金行のものなのだから。
金行は本来、火に弱い。但し、金は水行を相生できる。ここを以てすれば不可能は無いはずだ。
しかし嬢思わくは、妖術初心者たる者に、安くんぞ然る芸当の備わんや、と。
我らはここまで聞かされて、狼狽を禁じ得ぬばかりか、如何してよいかも分別ならなくなった。
無論、この仮説を却下することは尚のこと能わなかった。
『折角のお友達が内通者だなんて、私としても思いたくなかったのですが』
云わんとするところは、東海林飛鳥がとんだ食わせ者なるやもという話である。
しかのみならず、こうも語った。
『八咫鴉復活の儀が意図的に行われたものと仮定すると、飛鳥さんの行動には敵性を認めざるをえません。
もっと云うと、私達はあの場にまんまと誘導されただけという可能性も……』
うんざりするではないか。
何が悲しくて、知人にそんな汚らわしい疑いを掛けねばならないのか。それも、共に死線を掻い潜った戦友に。
俺と裕也は異口同音に曰く、早合点は悪手と。また決定的証拠の出るまでは努々他言すべからず、と。
これには嬢も肯じて、各々動いて探るべしとした。
斯くして我らが麻雀同好会は、秘匿的探偵結社として出発することとなったのだ。
且つは友の容疑を解くべく。且つは敵を暴くべく。
心地ざわつくその所以、ひとえに上記の通りである。
三
肉食動物の糞は、基本的に臭気が強いことで知られる。
彼らの消化器においては蛋白質・脂肪を分解するための分泌液が発達し、そうした傾向に繋がっているという。
大型肉食獣が飼育に向かぬとされる理由の一つであろう。
ところで当局の地下一階には拘留室が存在するのだが、ここには風変わりな“捕虜”が囚われている。
――そう。かの妖怪、野守蟲だ。
「ほらノモリン、今日は奮発してジャーキーだよーっ」
干し肉をふりふりさせた飛鳥が、檻ごしに云った。
格子の内側では、娘の丈より二回りもある爬虫類が喉をひくつかせている。
「すまないな、いつもいつも」グココッ、と一唸して礼を述べる蜥蜴。「――今日はどうだ、頭痛の具合」
「全然何ともないよ。ありがとねえ」
一般通念からすれば珍妙な光景であった。
肉食動物特有の臭気も手伝ってか、この部屋そのものが上階とは別世界といって過言は無かろう。
裕也と吾人は入室するや、その鼻を曲げるどころか顔までもをくしゃくしゃにした。
「しょ……東海林ちゃんはよくこんな所に出入りできるな。いや、フツーに尊敬するレベルなんだけども」
「ングァあ、ここもいっぺん徹底的に掃除せにゃなるめえ……!」
「あれっ? 来てたんだ二人」
くりん、と飛鳥が我らに振り向く。干し肉が彼女の手を離れたのも、ほぼ同時だ。
「うん。ジャスト今な」
「わぁい、ヤサ雄じゃん。手伝ってくれるんだねー!」
「だってさ衛介」
「……仕様もねえ奴だ」
彼女が飼育係を買って出たのは一月ほど前。時としてみるに極めて早い頃であったといえる。
そもそも仇の尖兵なりしこの妖怪を、飼い傅くこと斯くも懇ろに……これは果たして何ゆえならん。
さらに最も忘るべからざるは、他でもないこの個体が飛鳥を拐かした張本人たることであろう。
――『訝しい要素が多すぎます』
ふと桧取沢嬢の言葉が脳裏をよぎり、またそんな己に業が煮えた。
檻内の小鉢に水を注ぎながら、裕也は云う。
「にしても、見れば見るほどアレっぽいよなこいつ。ジュラシックパークのさ」
「すぴるばーぐ? んー……似てなくない?」
「違げーよ、監督じゃなくて。映画に出てくるやつにクリソツだと思ったわけさ」
聞くに、かの有名なパニック映画に登場した恐竜のことが云いたいようだ。
「“ラプトル”か。さァすが怪獣オタク、すぐそういう発想にこぎつけやがる」
「……ふーん。響きがカッコいーね、らぷとる」飛鳥は手を止め、まさに干し肉を呑まんとする妖怪に微笑む。「でもこの子はね、もうそんな恐いやつじゃないの! ネー、ラプちゃん」
何の事やらよく解らずに、小首をかしげる野守蟲。
飛鳥がこれを呼ぶに用いる名は一定せず、時の気分によっている。けれども元より名無しの権兵衛ゆえ、気にする素振りもありそうにない。
琥珀を填めたがごとき縦長の眼。そして健気にも、どんな頓珍漢を云われようがその目で小娘を睨むことはなかった。
いつしかこの鱗虫の気性は、角が取れつつあったのだ。
ファブリーズを吹き撒きながら、しばし俺は黙考する。
敵を「かむなび奉祀会」とする以上、きっとその配下は信者で構成されているのであろう。
よしんば嬢の憶測が正鵠を射ているなら、目の前の小娘はそれらの一味ということになる。
宗教とはある意味おぞましいもので、一度信ぜしめれば田夫野人も老先生も、まとめて手中と為してしまう。
それは個人が宜しかるとか、徳高かるとかに関わらず。
東海林飛鳥は純真無垢な小童である。凶猛なる化物をしても、その心を温和ならしむるほどに。
――少なくとも然れかしと俺は願う。それでも現実これ酷からば、知らずに居るのはこれまた如何。
ああ、早くも耐え難い。
「な……なァ、東海林や」
俺は喉まで出かかった言葉を、一思いに放つか否かの瀬に立っていた。
怖いのだ。
良好な友人関係。本来疑うべからざる、心優しき少女の為人。――これらを踏みにじりうるのが恐ろしいのだ。
ああ、こんなにも耐え難い。
「その……唐突だが真面目な質問一つ、してもいいかね?」
「んー? どしたのエースケ君、急に改まって」円らな瞳は、俺を射た。
とてとて、と駆け寄る飛鳥。身長差の然らしむるところによって、不可不にして生まれる上目づかい。
えい、ままよ。おっかなびっくり、何するものぞ。
「――お前さ、“神”って信じるか」
云ってしまった。逸ってしまった。
満腔の後悔が、焼けるように込み上げる。
その手の動きをぴたりと留め、南無三とて息を飲む裕也。蜥蜴の喉は、ひくりひくりと脈を打つ。
次に飛鳥が口を開くまで一秒弱――滑稽にも、この時間が久遠のごとく思われた。
※「サンマ」とは三人で打つ麻雀を指します




